学位論文要旨



No 127629
著者(漢字) 安,昭炫
著者(英字)
著者(カナ) アン,ソヒョン
標題(和) 環日本海本州弧の縄文時代以降の植生史と人間活動
標題(洋) Vegetation history and human activities since the Jomon Period in the Honshu island arc, the Sea of Japan side
報告番号 127629
報告番号 甲27629
学位授与日 2011.12.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第746号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 准教授 清水,亮
 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 佐藤,宏之
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,本州弧の日本海側地域における縄文時代以降の環境変動と植生史、および人間活動と植生史を地質学的手法と古生物学・生態学的手法によって解明し、現在の生態系の成立過程を論じたものである。

後期旧石器時代から縄文時代にかけて、急激な気候の温暖化によって、針葉樹主体の森林植生から落葉広葉樹主体の森林植生へと変遷した。この変化は急激であったが、地域によっては落葉広葉樹林への先駆的植生が成立した。西南日本では、その後、暖温帯常緑広葉樹林へと変遷したが、東北日本ではその後もブナ属を主体とする落葉広葉樹林が拡大した。これは日本海側での湿潤な気候、すなわち日本海の水蒸気量の増大による多雪化によってもたらされたと考えられた。

縄文時代中期から後期にかけては、気候の寒冷化と湿潤化、積雪量の増大、縄文海進最盛期後の海退、河川作用の活発化、海岸平野と内陸盆地での黒色土壌層の形成(砂丘地帯での旧期クロスナ層の形成)という同時性の環境変動が起こった。この一連の環境変動によって、河川流域や台地・丘陵縁辺の谷筋を中心に森林植生の変化が起こった。この時期の植生変化は,泥炭地(湿地)でのスギ林拡大,平野部の河川流域を中心にしたスギ林の拡大,谷地形など沢筋の湿った土壌の形成域を中心にしたトチノキ林の拡大,そして木本泥炭を堆積させた湿地林(主としてハンノキ・ヤチダモなどからなる)の形成によって特徴づけられる。この様に,縄文時代中・後期の変動期の植生変化の重要な特性は平野部を中心に起こったことである。

この研究で明らかになった縄文時代中期から後期の植生変化は、山岳地帯での研究に基づいて設定された花粉帯のR III帯を捉えなおすことを示唆した。「RIIIa」帯は,約4,400BPを画期として起こった環境変動の諸現象の中,積雪量の増大に適応した森林植生の形成や,平野部の河川流域,谷地形で集中的に起こる堆積環境の変化に強く影響を受けた植生変化によって特徴づけられる。同時性の植生変化として,スギ林の拡大やトチノキ林の形成,湿地林の形成が起こった。その年代は約4,400BPから約3,600BPである。

人間活動と植生史については,集住域と集住する人々の生活を支えている生業の基盤となっていた機能的空間としての植生,すなわち,集落生態系と捉えることで、より具体的に人間活動による植生改変の様相や植物資源利用の様相が明らかになった。縄文時代の集落生態系と弥生時代以降の集落生態系への変化とその特徴を以下のようにまとめることができる。

・縄文時代における集落生態系の特徴:縄文遺跡(集落)とその周辺域で復原される人為的生態系の形成は東北日本において認められた。長期間にわたって営まれた拠点的な集落では、顕著な植生変化が認められ、長期間にわたって維持された。そこでは陽樹である広葉樹中心の森林植生の改変が台地・丘陵を中心にみられた。長期間の人間の定住によって原植生が伐採され,陽樹を中心とする二次林的な植生に変化する中で,特に有用なクリやウルシなどが選択的に維持管理されて,人為的な生態系がつくり出されたと考えられた。このような変化と維持は縄文時代の前期から中期にかけて集中的にみられた。一方,存続期間が短く比較的小規模な集落では、人間活動の影響が小規模であり,植物資源の積極的な利用はあったものの、周辺植生を大きく改変させるものではなかった。

・弥生時代以降にみられる集落生態系には以下のような特徴がある。西日本では,約2,000BPの弥生時代中期後葉以降,集落の拡大に伴い,大規模な低地の開発が本格化し,水田の拡大とともに草原的景観へと変貌したと考えられる。大規模な土木工事の痕跡としてスギ材の検出が圧倒的である。西日本を中心にみられる水田の開発やスギ材の利用の特徴は,東北日本では,古代以降に認められるようになる。植物資源利用の特徴は,水田という草本植物管理を中心にした低地開発型であり,一年生の草本植物を利用することから「短周期型の農耕経営」であると言える。また,スギ材中心の木材利用から低地開発にともなうスギ林の伐採があったと考えられる。

以上の復原される集落生態系について,その時代性・地域性に注目し,前述した縄文時代以降の環境変動と植生史の特徴とドッキングさせて,統合的に考察した。

縄文時代中・後期の変動期には人間活動が谷地形,低地部で多く見られるようになる。弥生時代以降には,谷底や低地における活動がさらに顕在化する。前述の議論から弥生時代以降日本海側地域ではスギと人間活動が密接にかかわりを持っていたことが指摘できる。その背景として大陸側から農耕文化とともに日本列島に伝播した金属器文化,特に後の鉄器の普及が考えられるが,もっと大きな背景には低地を形成させ,スギ林の成立を促した縄文時代中・後期変動期の諸現象があり,弥生時代以降の変動は縄文時代中・後期の変動の延長線上にある変動として捉えることができる。すなわち,縄文時代中期・後期の変動によって形成された植生は 弥生時代以降の植物資源利用の内容大きくかかわってくるものとして重要である。

本州弧の日本海側地域で縄文時代以降各時代を通じてみられる人間活動の特徴は,「東北日本中心の縄文文化」,「西日本中心の弥生文化への転換」,そして「東北日本の古代における文化的活動の再開」というふうに大きくまとめることができる。

縄文時代における集落生態系の中心は東北日本であり,ブナなどからなる落葉広葉樹林を基盤とするものであった。弥生時代になってからはその中心が西日本の方へとかわり,縄文時代とは性格の異なるスギ林と深くかかわる人為的生態系の形成が認められる。「弥生的」人為生態系を成立させたような人間活動が,東北日本でみられるようになるのは古代以降として考えられ,これもまたスギ林とかかわりを持つ文化現象であった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本列島本州弧の日本海側地域における最終氷期以降の植生変遷を論じたものである。これまで日本列島の植生変遷を解明しようとする研究は多かったが、それらのほとんどが気候変動を解明することを目的にしたもので、生態系の変化と地域性を明らかにするものではなかった。したがって日本列島の日本海側地域に着目した最終氷期以降の植生史研究の最初のものである。

本論文は8章から成っているが、第4章の西南日本の最終氷期以降の植生史、第5章の東北日本の後氷期の植生史の二つの地域における植生史の記載、それら基づいた第6章の環境変動と植生史、第7章の人間活動と植生史の二つの考察が主要部を成している。

第4章の西南日本における植生史では、まず、これまで最終氷期以降の日本の標準植生史とされてきた山口県宇生賀盆地での植生史を再検討し、加速器質量分析計による高精度年代測定によって多数の年代を与え、初めて詳細な植生史編年を確立することに成功した。さらに、日本で最古とされた約6600年前以降の集約的焼畑農耕を追認できず、最古の農耕を否定する結論をえた。このことによって、縄文時代の焼畑農耕は否定され、日本における農耕史を改訂したことは重要である。

山口県宇生賀盆地、鳥取県青谷平野における植生史研究から、西南日本の日本海側では最終氷期の温帯針広混交林から後氷期の落葉広葉樹林へ急変し、その後気候の温暖化にともなって暖温帯常緑広葉樹林が平野から低山地にかけて拡大したことを明らかにした。また、約6000年前から日本海側植生を特徴付けるスギ林が急速に拡大し、約4400年前以降では盆地および平野の低地に巨木からなるスギ林が成立したことを明らかにした。

第5章の東北日本での植生史では、山形県米沢盆地の押出遺跡地域、秋田県本荘平野、秋田県男鹿半島、秋田県森吉山地域、青森県津軽地域における植生史研究から、最終氷期の温帯針広混交林と寒温帯針葉樹林から後氷期のブナ林を主体とする冷温帯落葉広葉樹林へ急変したことを明らかにした。さらに、日本海側植生を特徴付けるスギ林が約4400年前から平野部において急速に拡大し、河川流域に沿って山地に拡大していった様相を明らかにした。

第6章では、日本海側地域における以上のような植生史をもとにして、環境変動との関係を論じた。その結果、最終氷期から後氷期への気候変動によって現在植生の基本が形成されたこと、約4400年前から約3600年前に起こった気候の寒冷・湿潤化によって日本海側地域の植生を大きく特徴付けるスギ林およびトチノキ林が拡大し、山地への拡大によってブナ林と混交する森林が成立したことを明らかにした。

続いて、第7章で植生史と人間活動について論じた。縄文時代では森林資源の利用において植生との関係が深かったこと、大規模な拠点集落においては森林を改変し、有用な森林を造るといった活動があったこと、小規模で短期間しか存続しなかった集落では森林の改変はほとんど認められないことを明らかにした。西南日本では、弥生時代以降に水田稲作農耕と森林資源利用によって大きく植生は改変され、人為的生態系が急激に拡大したことを明らかにした。一方、東北日本では古代になって初めて顕著な植生の改変があり、古代律令国家の東北地方の日本国領地化によってもたらされたことを明らかにした。これらによって、現在の植生の成立過程を明らかにした。

以上のように、本州弧の日本海側地域の植生の変遷と現在の植生の成立過程を、環境変動および人間活動との関係を論じることによって明らかにした研究は初めてのものであり、日本の生態系の変遷と成立過程を研究する生態系史研究において、一つの到達点をなすものと評価できる。とくに自然の生態系であるとこれまで理解されてきた森林の多くが歴史的に人間の活動によって人為化されてきたことを明らかにした成果は重要である。研究対象地域が広大であるにもかかわらず、調査地域が限られていることは不満を感じさせるところであるが、人間活動との関係を論じようとしたため、発掘調査が広域に長期間実施された地域に限定されたためであり、本論文の意義を損なうほどのものではない。

したがって本審査委員会は、博士(環境学)の学位を授与するにふさわしいと認めるものである。

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