学位論文要旨



No 127639
著者(漢字) 福松,真
著者(英字)
著者(カナ) フクマツ,マコト
標題(和) 赤痢菌の細胞間拡散機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 127639
報告番号 甲27639
学位授与日 2012.01.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3781号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 准教授 金井,克光
 東京大学医科学研究所 准教授 野田,岳志
 東京大学 准教授 本田,賢也
 東京大学 講師 紙谷,尚子
内容要旨 要旨を表示する

腸管粘膜病原細菌である赤痢菌が引き起こす細菌性赤痢は、発展途上国において乳幼児の死亡原因の1つとなっており、今なお国際的視野から重要な感染症として知られている。さらに、多剤耐性赤痢菌の感染症例も近年増加し、抗生剤による治療が困難な場合も多い。このような状況下において赤痢菌の感染過程を分子レベルで明らかにすることは、ワクチンを含めた細菌性赤痢の予防および治療方法を開発する上で非常に重要である。

経口的に体内に取り込まれた赤痢菌は大腸に達した後、グラム陰性病原性細菌に特有のIII型分泌機構からエフェクタータンパク質と呼ばれる一連の病原タンパク質を分泌し吸収上皮細胞に側底面から侵入する。上皮細胞へ侵入した赤痢菌はファゴソームから脱出し、細胞質内で次々と分裂するとともに菌の一極にアクチンコメットと呼ばれるF-アクチンの凝集束の形成を誘起し、このアクチン重合を原動力として細胞内で活発に運動する。アクチンコメットにより運動する菌は形質膜から偽足となって突出し、その先端に菌を包む偽足を隣接細胞へ挿入する。挿入された突起は隣接細胞により取り込まれ、二重の形質膜に一時取り囲まれた後に膜から脱離し再び分裂拡散を繰り返し、次々と隣接細胞へ感染を繰り返すことにより感染を成立させる。これまでに、アクチンコメット の形成に伴うactin-based motilityについては比較的研究が進んでいるが、偽足の取り込みを介した細胞間拡散能は赤痢菌の感染拡大に必須な機能であるにもかかわらず、その分子メカニズムについては不明な点が多く残っている。そこで本研究では、赤痢菌の細胞間拡散に関与する因子を探索し、赤痢菌の細胞間拡散メカニズムを分子レベルで解明することを目的に研究を行った。

まず、感染細胞から隣接細胞への赤痢菌の拡散経路を明らかとするために、タイムラプスイメージングにより赤痢菌が隣接細胞に拡散する様子を観察した。その結果、約80%の赤痢菌がtricellular tight junctions (tTJs)と呼ばれる細胞間接着において3つ以上の細胞が接着する部位(図参照)を通って隣接細胞に感染を広げることが観察された。Tricellulinはtight junctionの構成タンパク質の一つでtTJs に主に局在している。また、Tricellulinは3つ以上の細胞の角を結びつける役割をしておりtTJsの保持に寄与している。そこで、Tricellulinが赤痢菌の拡散能に与える影響を明らかとするために、Tricellulinをノックダウンした細胞を用いてプラークアッセイにより赤痢菌の細胞間拡散能について検討した。その結果Tricellulinノックダウン細胞では赤痢菌の細胞間拡散によるプラークの形成が顕著に抑制された。さらに、Tricellulinノックダウン細胞での赤痢菌による偽足の形成を観察したところ、TricellulinのノックダウンによりtTJsを経由して隣接細胞へ拡散する赤痢菌の割合は減少した。以上の結果から、tTJsでの偽足の形成は赤痢菌の細胞間拡散に重要であることが示唆された。

Phosphoinositide (PI) 3-kinaseは膜構造の再構築、膜小胞の輸送や情報伝達、さらに細胞骨格の再構築など細胞膜が再構築される様々な局面に関わっている。そこで、赤痢菌を含む偽足の形成に伴うPI 3-kinase の役割について検討した。PI 3-kinaseの活性化により産生されるphosphatidylinositol (PtdIns) (3,4,5)P3に結合するAktのpleckstrin homology (PH) 領域とGFPを融合させたプローブ(GFP-Akt-PH)を一過性に発現させた細胞に、赤痢菌を感染させ偽足の形成を経時的に観察したところ、偽足を形成する膜上で一過性のPtdIns (3,4,5)P3の産生が認められた。このPtdIns (3,4,5)P3の産生はPI 3-kinaseの阻害剤であるLY294002で抑制された。次に赤痢菌の細胞間拡散とPI 3-kinase活性化の関係を明らかとするために、LY294002で処理し8時間後の赤痢菌の拡散能を検討した。その結果、LY294002処理で偽足の形成は阻害されなかったが、赤痢菌の細胞間拡散は顕著に阻害された。また、LY294002存在下で赤痢菌を感染させた細胞を、ギムザ染色により観察したところ、隣接細胞による偽足の取り込みが阻害され、偽足の先端に赤痢菌が集積している様子が観察された。これらの結果はPI 3-kinaseの活性化は隣接細胞による赤痢菌を含む偽足の取り込みの引き金となっていることを示唆している。

上皮細胞のエンドサイトーシスについては主にClathrin、またはCaveolinに依存的なエンドサイトーシス、そしてマクロピノサイトーシスの経路が知られている。これらの経路のなかで、赤痢菌の細胞間拡散においてどの経路が機能しているかそれぞれの経路に対する阻害剤を用いて検討した。その結果、Clathrinに依存したエンドサイトーシスの経路を阻害した時に、赤痢菌の細胞間拡散は顕著に阻害された。これにより、赤痢菌はClathrinに依存したエンドサイトーシスによって隣接する細胞に取り込まれることが示唆された。そこで、赤痢菌の細胞間拡散とClathrinに依存したエンドサイトーシスとの関係を明らかとするために、ClathrinをshRNAiによりノックダウンした細胞に赤痢菌を感染させ赤痢菌の細胞間拡散能をプラークアッセイにより検討した。その結果、Clathrinノックダウン細胞ではプラークの形成が顕著に抑制された。このことから、赤痢菌の細胞間拡散にはClathrinに依存したエンドサイトーシスが機能していることが明らかになった。そこで、偽足を取り込む際のClathrinの動態を経時的に観察した結果、赤痢菌が偽足を隣接細胞に挿入させてから30分後に赤痢菌を含む偽足の周りにClathrinが集積することが明らかになった。赤痢菌を含む偽足の取り込みは、Clathrinが細胞膜下に集積してから膜の陥入が開始されるカノニカルなエンドサイトーシスとはClathrinの動態が異なることを示している。以上の結果から、赤痢菌の細胞間拡散には隣接細胞のClathrinに依存したエンドサイトーシスによる赤痢菌を含む偽足の取り込みが重要であることが明らかとなった。

さらに隣接細胞による赤痢菌を含む偽足のClathrinに依存したエンドサイトーシスについてClathrin被膜小胞の形成機構の機能的な関与を検討した。Clathrin被膜小胞の形成に関与することが知られているAP-2、Epsin-1、Eps15、およびDab2をshRNAiによりノックダウンした細胞に赤痢菌を感染させ赤痢菌の細胞間拡散能をプラークアッセイにより検討した。その結果、Epsin-1ノックダウン細胞ではプラークの形成が顕著に抑制された。一方、AP-2、Eps15およびDab2ノックダウン細胞ではプラークの形成が抑制されなかった。AP-2、Epsin-1、Eps15、およびDab2はカノニカルなClathrinに依存したエンドサイトーシスに関与しており、この結果からもClathrinに依存したエンドサイトーシスによる赤痢菌を含む偽足の取り込みの特異性が明らかとなった。次に、Epsin-1の動態を経時的に観察した結果、Epsin-1はClathrinと同様に赤痢菌が偽足を隣接細胞に挿入してから30分後に偽足の周りに集積することが明らかとなった。さらに、赤痢菌が偽足を隣接細胞に挿入した際にみられるPI 3-kinaseの活性化がClathrinおよびEpsin-1の集積に影響があるか検討するために、Clathrin-GFPおよびGFP-Epsin-1を一過性に発現させた細胞に赤痢菌を感染させ、LY294002処理したのち、ClathrinおよびEpsin-1の赤痢菌を含む偽足への集積について観察した。その結果、ClathrinおよびEpsin-1の菌体の周りへの集積はLY294002の処理によって阻害された。このことからEpsin-1とClathrinの集積にはPI3-kinaseの活性化が必要であることが示唆された。

本研究により赤痢菌が隣接細胞に感染を拡大する際、赤痢菌はtTJsを経由して隣接細胞に偽足を挿入することを示した。また、赤痢菌の細胞間拡散はPI 3-kinase、 Clathrin、およびEpsin-1に依存しており、赤痢菌を含む偽足はノンカノニカルなクラスリン依存性エンドサイトーシスを利用して隣接細胞に取り込まれることが明らかとなった。赤痢菌の細胞間拡散能は赤痢菌の感染病巣の拡大および、それに起因する下痢の惹起に重要であり、赤痢菌のもつ病原性に深く関わっている。したがって、赤痢菌の隣接細胞への拡散機構の一端を明らかにした本研究の研究成果は赤痢菌の感染戦略および感染現象を明らかにするとともに、赤痢菌に対する新規治療薬開発への応用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

赤痢菌の細胞間拡散機構は赤痢菌の感染病巣の拡大および、それに起因する下痢の惹起に必須であり、赤痢菌のもつ病原性に深く関わっている。これまでに細胞内運動に必須であるアクチンコメットの形成については比較的研究が進んでいるが、偽足の取り込みを介した細胞間拡散能は赤痢菌の感染拡大に必須な機能であるにもかかわらず、その分子メカニズムについては不明な点が多く残っている。本研究では、赤痢菌の小腸上皮における細胞間拡散に関与する宿主因子を探索し、赤痢菌の細胞間拡散機構を分子レベルで明らかにすることを試みたものであり、以下の結果を得ている。

1.感染細胞から隣接細胞への赤痢菌の拡散経路を明らかとするために、タイムラプスイメージングにより赤痢菌が隣接細胞に拡散する様子を観察した。その結果、赤痢菌はtricellular tight junctions (tTJs)と呼ばれる細胞が3つ以上接する部分を経由して隣接細胞へ感染を拡大することが明らかになった。さらに、tTJsの形成に必須の分子であるTricellulinのノックダウンにより赤痢菌の細胞間拡散は抑制されることを示した。

2.赤痢菌は隣接細胞へ感染を拡大する際に二重の形質膜からなる偽足と呼ばれる突起を隣接する細胞に挿入する。赤痢菌による隣接細胞への偽足の挿入により、隣接細胞のPhosphoinositide(PI) 3-kinaseが活性化されることを示した。このPI 3-kinaseの活性化は赤痢菌の細胞間拡散に必要であり、特に赤痢菌を含む偽足の取り込みの引き金となっていることが示唆された。

3.ClathrinまたはDynamin-2のノックダウンにより赤痢菌の細胞間拡散が阻害されること、赤痢菌を含む偽足にClathrinおよびDynamin-2が集積することから、赤痢菌を含む偽足の取り込みはClathirnに依存したエンドサイトーシスにより行われていることを示した。また、Clathrinの赤痢菌を含む偽足への集積をタイムラプスイメージングにより観察すると、赤痢菌が偽足を挿入させた後、赤痢菌を含む偽足の周りにClathrinが集積する様子が観察された。これは、Clathrinが細胞膜下に集積してから膜の陥入が開始されるカノニカルなエンドサイトーシスとはClathrinの挙動が異なり、赤痢菌を含む偽足の取り込みは特殊な機構であることを示唆している。

4.Clathrinに依存的なエンドサイトーシスではClathrin被膜小胞の形成に必要なアダプタータンパク質の関与が報告されている。本研究では、Epsin-1が赤痢菌を含む偽足の取り込みの際に関与することをEpsin-1のノックダウンにより赤痢菌の細胞間拡散が阻害されること、タイムラプスイメージングによりEpsin-1が赤痢菌を含む偽足に集積することなどから示した。

5.赤痢菌が偽足を隣接細胞に挿入した際にみられるPI 3-kinaseの活性化がClathrinおよびEpsin-1の集積に影響があるか検討した。その結果、ClathrinおよびEpsin-1の偽足への集積はPI 3-kinaseの処理によって阻害された。このことから、赤痢菌を含む偽足の形成によりPI 3-kinaseが活性化され、この活性化が引き金となってEpsin-1及びClathrinが偽足に集積し、赤痢菌を含む偽足は隣接する細胞に取り込まれと考えられる。

以上、本研究は赤痢菌が隣接細胞に感染を拡大する際、赤痢菌はtTJsを経由して隣接細胞に偽足を挿入することを示した。また、赤痢菌の細胞間拡散はPI 3-kinase、Clathrin、およびEpsin-1に依存しており、赤痢菌を含む偽足はノンカノニカルなClathrinに依存的なエンドサイトーシスを利用して隣接細胞に取り込まれることを明らかにした。したがって、赤痢菌の隣接細胞への拡散機構の一端を明らかにした本研究の研究成果は赤痢菌の感染戦略および感染現象を明らかにすると共に、赤痢菌に対する新規治療薬開発への応用が期待されると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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