学位論文要旨



No 127646
著者(漢字) 三ツ松,誠
著者(英字)
著者(カナ) ミツマツ,マコト
標題(和) 維新期国学者の思想史的研究
標題(洋)
報告番号 127646
報告番号 甲27646
学位授与日 2012.02.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第849号
研究科 人文社会系
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 准教授 牧原,成征
 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 准教授 小野,将
 東京大学 名誉教授 宮地,正人
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、維新変革の前後で、宣長学そして篤胤学の思想的特質がどんな役割を果たしたのか、当該期の国学者達の置かれた状況に即して明らかにしていくことを課題とする。いずれも日本の古代を理想世界として設定しながらも、片や歌文研究を重視し、片や霊魂論を重視する、二つの国学の流れの思想的相違が、近世後期に如何なるものとして機能し、それが王政復古という彼らにとっての理想に合致するかに見える政治的変動の前後でどう社会的機能を変容させ、明治国家にそれぞれ何を残しえたのか/残しえなかったのかを、同時代に相互に交渉を持った彼らの社会的布置状況と精神世界を同時に視野に入れて、明らかにすることが目指される。

予め述べておけばその作業は、平田派のスピリチュアルな世界観が、現存する幕藩制的秩序を相対化し、対外危機の下で政治運動に身を投じる主体を励ました点を強調するとともに、本居派国学の中に見られる現存秩序の肯定と考証能力とが、教化的役割を含む、ある種の実用性を持ったものとして機能したことに注目するものである。

以下、総体として三部から成る本論文の構成と概要を述べる。

第一部「身分制社会における国学」は、近世身分社会のなかにあって、国学者が如何なる者として存在し、社会的位置が如何に彼らの思想的営為を規定したのかを、描き出すことを狙いとする。

第一章「学者と講釈師のあいだ――平田篤胤『霊能真柱』における安心論の射程――」は、国学の救済論化を果たした講説家でもなく、日本における国民国家形成の理論家でもなく、巨大都市社会のなかで己の学説の承認を求めて様々な努力を重ねた一人の周縁的知識人としての、篤胤の等身大の姿を明らかにしようとしたものである。

第二章「「諏訪」という思想――平田門人松沢義章の世界――」は、諏訪出身の行商人であった平田門人松沢義章による、諏訪の神々を皇祖神と同等以上に高く評価するという、彼の生活世界に相即した独自のコスモロジーを明らかにすることで、彼を先駆者とする国学尊王論の順調な発展を説いた戦前以来の図式に異議を唱えるとともに、地域主義的な復古意識が必ずしも天皇と地域を直結させる方向には進まなかったこと、平田国学にとって中国的世界像からの完全な離脱が極めて困難だったことを、示したものである。

第三章「参沢明とは誰か」は、幽界との交渉を主張した独自の作品を著した紀州藩の平田門人参沢明に関する基礎的事実を紀州藩政史との関わりの中で明らかにすることで、以後の章の理解の前提となる知識を提示するとともに、本居派と平田派とを同時代に関係を取り結んだ存在として複合的に、かつ社会史的に、理解していくことの意義を示唆した。

第四章「内遠期の本居学――学校構想を軸に――」も、紀州藩の規定性を重視して国学者を論じたものである。研究が手薄でこれまで歌文派との位置付けが主流であった後期鈴門について問い直すべく、本居内遠の門人集団運営と紀州藩における国学教育の公定化に関する歴史的経緯の分析を通して、幕末の本居派国学の道徳国学化の傾向を、内遠と他の国学者との文化的・社会的関係や、身分制社会における国学者の社会的公認要求から説明し、全集所収翻刻史料の再検討をも踏まえて、近代国学との関係を展望した。

身分制的社会編成の下で、本来公的に位置を認められることがなかった国学者たちのうち、ある者らは疎外の中で自己の生に意味を付与する独自のコスモロジーを育む一方、ある者らはその学問的営為を通じて公的な承認を求めることになっていくのである。

このように身分制社会の刻印を色濃く受けた国学が、如何にしてこれを乗り越えていくことになるのか、その思想的契機に注目しながら論じるのが、第二部「幕末国学の転回」になる。

第五章「予言の大軍――嘉永期の気吹舎をめぐる一考察――」は、参沢明の描いた幽界との交流記録「幽界物語」を如何に篤胤の後継者たる平田銕胤が受容したかを分析し、嘉永期の気吹舎経営の実態とその変化を、幽冥観を軸に描き出すとともに、ペリー来航に伴い「幽界物語」のみならず「武威」を示しえなかった幕府へも銕胤が疑念を抱くようになったことを明らかにし、その後の気吹舎の政治情報ネットワーク化を見通したものである。

同様の素材を扱った第六章「「幽界物語」の波紋」では、「幽界物語」に対する各地の平田門人の反応を紹介した。そして、銕胤がペリー来航に関する予言の失敗を通して「幽界物語」への信を失う一方、民俗的な興味の強い門人の間では、生活世界と結びついた「幽界」への期待・願望がすぐに無くなるわけではなかったことを明らかにして、スピリチュアルなものに憑代を求める民衆の願望の根強さを描き出そうとした。

第七章「若き三輪田元綱」は、尊攘志士として有名な三輪田元綱と、民俗学的な平田国学像の代名詞ともいうべき仙童寅吉との関係を明らかにして、平田国学のスピリチュアルな部分が政治運動とは無関係なものだとする見解が誤りであり、対外危機を眼前にした主体を鼓舞するものでもあったことを主張した。あわせて、足利三代木像梟首事件に至る三輪田元綱の足跡を再構成した。

かかる尊王攘夷運動の理論的源泉の一つに平田国学があったことは、教科書レヴェルの事実として認められていながら、国学が幕政否定に転じる過程を思想史的に明らかにした研究は意外に少ない。そこで第八章「「みよさし」論の再検討」では、本来幕藩制国家を――あるがままならざる形で――正統化するものであった国学者の「みよさし」論が、幕末の政治状況の変化の中で諸ヴァリアントの対抗関係を生み出し、最終的に王政復古を正統化するものへと変化する過程を、既存の研究が手薄な部分を中心に、政局史や書誌学的検討を説明材料にしながら、跡付けた。その過程で「みよさし」論における、志士の政治関与を正当化する一君万民論的方向性と、草莽の国学に典型的な職分奉公論的方向性とが、矛盾しうることを主張した。

以上、幕末までに準備された国学的諸範疇が、内外の危機の中で様々な形でその機能を発揮したこと、とりわけ、現存する社会秩序を相対化する引照基準となり、政治的行動をコスモロジカルに勇気付けるものとしてその機能を変えた様を描き出そうと努めた。

かくして実現を見た「復古」であったが、それは平田門人たちが幻視したものと一致するものではなかった。彼らを勇気づけたスピリチュアルなものがむしろ桎梏となって彼らの挫折に伴っていたこと、他方でかかるスピリチュアルなものの否定の上で本居派の流れをも汲む近代国学が近代国民国家の国家統合において役割を果たしていったことを示そうとしたのが、第三部「王政復古と国学者」になる。

新政府内部の方向対立の中、攘夷主義的主張の後退・中央集権的諸政策によって平田派たちは不満を高めており、周囲との衝突を繰り返していた。そんな中、神々の名の下に、政府の方向性を批判する噂が流れる。第九章「神々は沈黙せず――「神霊事件」前後の平田直門の動向――」では、神々の集議が攘夷を決定したとする噂や、神々と連絡を取れる少女、春の御告げに期待を向けた、矢野玄道や角田忠行、三輪田元綱らの動向を明らかにして、失脚前夜の平田門人らの精神史的位相を明らかにした。

他方、平田派に対して終始批判的な目を向けていた、紀州藩で修業を積んだ歌文派国学者、飯田年平は、新政府の祭祀担当部局で重要な位置を占め、近代天皇制国家のイデオロギー諸装置の中核部分で役割を果たしていくことになる。第十章「「国典」・「国教」・「国体」――祭・政・教をめぐる飯田年平の思想――」では、ナショナル・アイデンティティの確立のためにはスピリチュアルな基礎付けが不可欠だと説いた平田篤胤の所説と全き対立を見せる年平の国学思想の分析を通して、近代日本の祭政教関係に本居と平田の国学が残したものを考える材料にした。

終章「裏切られた「御復古」」では、三輪田元綱の維新後の足跡を描くことで、新政府と津和野派の動向に対立した平田派の理想の挫折を明らかにし、復古神道的スピリチュアリズムに込められたユートピア主義的性格の行方について展望した。

以上の議論を通じて、いささかでも、本居派と平田派における古代の理想視が、近代日本の形成過程において如何なる機能を果たしたのかを考える材料を提示することができていれば、それを通じて秩序と変革をめぐる問題系に介入する手掛かりを残せていれば、本論文の目的は達成されたものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、明治維新における国学・国学者の運動の検討を通して、その思想史的な内容と背景を論ずるものである。ここでは、本居派と平田派のそれぞれについて、各地で活動した国学者を素材に取り上げ、かれらの著述類を博捜し、テクストのていねいな解読を通じて、当該のテーマに迫ろうと試みる。

まず「序」において、明治維新と国学の「復古の思想」をめぐる研究史を整理しながら、論点の摘出と課題の設定を行い、問題の所在をを示す。本論は3部10章と、近代への展望を記す終章によって構成される。

第I部「身分制社会における国学」では、国学者の社会的位置が思想の営為とどのような関係にあるかを4章にわたって検討する。1章では一箇の「周縁的知識人」としての平田篤胤をとりあげ、『霊能真柱』の検討を通じてその実像をみる。2章では、諏訪の平田派門人松沢義章における地域主義的復古意識の特質を考察する。つづく3章では紀州の平田派門人参沢明を事例とし、幽界との交渉をめぐる言説を分析し、またその活動から紀州国学の構造的特質を検討する。一方4章では、後期鈴屋門の担い手である本居内遠における国学教育機関としての学校構想を分析して、身分制の下における国学者の社会的公認要求の性格を考察する。

続く第II部「幕末国学の転回」は、I部を前提に、幕末期における国学の展開動向を追う。まず5章では、嘉永年間における気吹舎をとりあげ、その経営の担い手であった平田銕胤と参沢明との、『幽界物語』をめぐる交渉を解明し、幕末期政治情勢との関わりに注目する。6章は『幽界物語』が各地の平田門人にどのような反応を引き起こしたかを辿る。また7章では三輪田元綱の足跡を再構成し、平田派国学と政治運動との関連に言及する。そして8章で国学者の「みよさし」論が、本来は将軍権力を正統化するものだったが、これが王政復古論を正統化するにいたった経緯に注目する。

第III部「王政復古と国学者」では、明治維新以後の国学の動向を、スピリチュアルなものの挫折と、一方で国民国家の一翼を担う近代国学へとつながる系譜を、その担い手たちを取り上げつつ辿る。まず9章では、維新政権によって排除される直前の平田門人の状況を、矢野玄道・角田忠行・三輪田元綱などを例として垣間見、ついで10章では鳥取出身の本居派国学者飯田年平の思想と国家祭祀へ関与するにいたる動向をみる。

最後の終章では、維新後の三輪田元綱の足跡を追いながら、篤胤以来の平田派国学における神霊実在論の帰結と、近代国家において「異端」と化してゆくその後を見通す。

本論文は、各章で取り上げた国学者について、これまであまり注目されてこなかった者を含めて、その著述を可能な限り博捜し、テクストの考証・分析を通して、思想の特質や社会的な位置を検討した基礎研究として貴重な貢献となっている。論文の文体や叙述スタイルに改善すべき点が少なからず残るが、全体としては史料の読解も的確であり、基礎研究として有意義であると評価できる。本審査委員会は、上記のような成果に鑑みて、本論文が博士(文学)の学位授与に値するものであるとの結論を得た。

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