学位論文要旨



No 127652
著者(漢字) 韓,静妍
著者(英字)
著者(カナ) ハン,ジョンヨン
標題(和) 近代以降における日本語の受身の変遷 : 非情の受身を中心に
標題(洋)
報告番号 127652
報告番号 甲27652
学位授与日 2012.02.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1118号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野村,剛史
 東京大学 教授 近藤,安月子
 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 教授 斎藤,兆史
 東京外国語大学 教授 早津,恵美子
内容要旨 要旨を表示する

本稿では、近代以降の日本語における非情の受身の発達を探ることを目的とし、近代以降の文学作品を対象に非情の受身の用例を調べ、その具体的な発達の過程および様相を年代別に示した。また、非情の受身の本格的な発達において一次的なきっかけになったと思われる西洋語の翻訳文体の影響を確かめるため、近代初期の翻訳文献における非情の受身の様相も同様に年代別に示した上で、日本文学作品における非情の受身の様相と比較し、影響関係を明らかにすることを目指した。さらに、非情の受身が発達した日本語内部の動因として、無対他動詞の自動詞的対応項への要求が働いている可能性について考えてみた。各章で報告している内容は次のようである。

第1章では、研究の目的を述べた上で先行研究を検討し、研究対象および研究方法を示した。

第2章では、近代以降の日本文学作品を対象に、非情の受身の使用頻度の増加および新しい類型の拡張していく過程を示した。その結果、以下のようなことを明らかにした。

(1) 近代以降の日本語における受身の使用頻度の増加は、専ら非情の受身の使用頻度の増加によるものである。有情の受身の使用頻度には規則的な変化が全く見られない。

(2) 1890年代までは近代以前と同じ水準の使用頻度を見せていた非情の受身は、1900年代から段々増加し、1940年代からは受身の全用例において約43~45%の割合を占めていた。

(3) 先行研究によれば、近代以前の非情の受身は、ほとんどが具体名詞を主語として結果状態を表すものだったのであるが、近代以降は出来事を表す用例や抽象名詞を主語とする用例が段々増加し、1940年代からは出来事を表す用例が約58%の割合を、抽象名詞を主語とする用例が40~45%の割合を占めるようになっていた。

第3章では、近代以降の日本文学作品を対象に、動作対象・動作主・動作という三つの観点から非情の受身の具体的な様相を調べた。その結果、以下のようなことが観察された。

(1) 非情の受身の動作対象に当たる主語名詞としては、近代以前から用いられていた自然・物体・身体などを表す名詞が相変わらず高い割合を占めていたが、その数値は合わせて50~60%に減っていた。近代以降発達した抽象名詞主語の中では、動作性のない抽象概念を表す名詞が特に発達し、1940年代からは20%以上といった安定した割合で現れていた。

(2) 非情の受身の動作主は、表示されていないものが最も多いが、表示されている場合は「に」が相変わらず最も多く用いられていた。一方、近代以降発達したと言われる「によって」による動作主表示は、僅かな割合でしか見られなかった。

(3) 非情の受身においては有情の動作主を「に」で表示できないと言われているが、本稿の調べによっても、実際、「に」で表示されている動作主のほとんどは非情物であった。有情の動作主を「に」で表示している非情の受身は、有情物と何らかの関わりを持つような用例がほとんどであった。

(4) 「によって」で表示されている動作主は、「に」に置き換えられる場合は省略できないことに対し、「に」に置き換えられない場合は省略できる場合が多かった。「に」は必須の動作主を示すのに対し、「によって」でしか表示できないものは原因または手段を表す修飾語であることによると考えられる。

(5) 非情の受身において行われている動作を表す上接動詞を自他対応の有無により分類すれば、無対他動詞による非情の受身の急増が目立っていた。

(6) 上接動詞を意味類型により変化動詞・発生動詞・実行動詞・無変化動詞に分ければ、変化動詞による非情の受身が年代にかかわらず60%以上といった高い割合を占めていた。一方、その他の類型の動詞によるものは、1900年代まではほとんど変らない用例数を見せているが、その後、無変化動詞による非情の受身が他の類型より大幅に増加し、1940年代からは20%以上の割合を占めていた。

(7) 状態性・出来事性の観点から見れば、変化動詞による非情の受身は他の類型より状態を表すものがやや多く、ほとんどの年代において半分以上を占めており、発生動詞による非情の受身においては状態を表すものの割合がさらに高かった。一方、実行動詞による非情の受身はほとんどすべてが出来事を表す用例であり、無変化動詞による非情の受身も出来事を表すものが圧倒的に多かった。

(8) 自他対応の有無という観点から見れば、非情の受身に用いられている変化動詞は、非情の受身の平均より有対他動詞の割合がやや高かった。一方、非情の受身に用いられている発生動詞および無変化動詞は、ほとんどが無対他動詞であった。

第4章では、近代以降の日本語の非情の受身における西洋語の翻訳文体の影響を確かめるために、近代初期の翻訳文献を文学作品と学問・思想書とに分け、第2章と第3章で明らかにした近代以降の日本文学作品における非情の受身の様相がどのように現れているかを比較した。

(1) 日本語の非情の受身における発達様相は、翻訳文学作品においても日本文学作品よりはやや早い時期から見られるが、文学作品という内容的な特性により、日本文学作品以上の発達様相は見られないのに対し、翻訳思想書においては日本語の非情の受身において近代以降発達した類型が近代初期から遥かに高い割合で現れていた。即ち、近代以降の日本語の非情の受身の発達には、翻訳文献の中でも学問・思想書の影響がより強力であったと推し量ることができると思われる。

(2) 日本文学作品においてあまり見られなかった「によって」による動作主表示は、翻訳文学作品においても僅かな割合でしか用いられていなかった。一方、翻訳思想書においては、「に」による動作主表示の割合が日本文学作品および翻訳文学作品に比べて遥かに低く、その代わりに1880年代までは「のため(に)」、1890年代からは「によって」による動作主表示が最も高い割合を占めていた。翻訳思想書の非情の受身における動作主表示「によって」は、「に」に置き換えられないものがほとんどであった。つまり、客観的・中立的な文体の特性によって選ばれているよりは、「によって」で表示されている動作主が「に」で表示できるような必須の動作主でなく、原因または手段を表しているのに過ぎないため、修飾語として表示するほかなく、必然的に選ばれていると考えられる。

第5章では、近代以降の非情の受身の発達における日本語内部の動因として、自動詞的対応項への要求が働いている可能性を検討するために、自動詞に近いと考えられる非情の受身の発達について観察した。その結果、以下のようなことを明らかにした。

(1) 対になる自動詞を持たない無対他動詞において受身が自動詞的対応項として働いているとすれば、第3章で示した通り、無対他動詞による非情の受身は有対他動詞による非情の受身より遥かに高い割合で非情の受身の急増を牽引していたのであり、非情の受身の発達に決定的な役割をしていると考えることができる。

(2) この中、動作主が表示されているものは自動詞に近いとは考えられないとし、動作主が表示されていないものに限定するとすれば、無対他動詞による非情の受身の中で動作主が表示されていない用例が特に急増していることが観察された。

(3) 動作主が表示されていないものの中でも動作主が文脈から特定できる場合よりは動作主が特定できない場合がより自動詞に近いと考えられるのであるが、無対他動詞による非情の受身の中で動作主が表示されておらず、特定することもできないものは、段々増加し、1940年代からは非情の受身の全用例の40%以上に至っていた。

(4) 無対他動詞による非情の受身のみならず、有対他動詞による非情の受身の中にも自動詞に近いと考えられるものが存在するのであるが、自動詞に近い非情の受身の増加とともに、同じ非情物を主語とする有対自動詞による表現も近代以降、増加していた。両者は競合の様相よりは相互増加の様相を見せており、非情物を主語とする自動詞的な表現が近代以降、全体的に増加していると考えることができると思われる。

以上、本稿では、近代以降の日本語における非情の受身の発達を探ることを目的として、近代以降の日本文学作品における非情の受身の発達の様相を年代別に示すことにより、日本語における非情の受身の定着までの過程を明らかにした。また、近代初期の翻訳文献における非情の受身の様相を示し、日本語の非情の受身の発達における西洋語の翻訳文体の影響を検証した。さらに、日本語内部の動因として考えられる無対他動詞の自動詞的対応項への要求に注目し、動作主に関心を持たずに動作対象を中心として述べる自動詞に近い非情の受身が近代以降の非情の受身の急増に大きな役割を果たしていることについて考えてみた。このような作業によって、近代以降の日本語における非情の受身の発達の過程およびその発達要因についてある程度具体的な様相を提示することができたのではないかと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、非情の受身(非情物を主語にした受身文)の発達を中心に、近代以降の日本語の受け身文の変遷を主題としている。

非情の受身については、固有説(非情の受身は古代から存在するとする説)、非固有説という二つの説に並存したが、今日では非固有説はまず認められていない。しかし、近代以前の非情の受身には強い制約が存在し用例数が至って少ないということも、通説として認められている。一方現代(戦後)では、非情の受身は受身文全体の半数近くに分布を広げている。すなわち近代以降、非情の受身は大いに発達した。その原因は西洋語の翻訳の影響だろうと推測されてきたが、詳細は十分に明らかとは言い難かった。本研究は、近代以降の豊富な調査資料を基に、はじめてその実態を示して変化の様相を明らかにし、変遷の論理を考察したものである。

本研究は、まず1880年以降の日本語の口語体の小説を1960年代まで10年単位で調査計量し、その結果、各年代の同一言語量において、非情の受身が絶対数、 (有情に対する)相対頻度ともども瞠目すべき増加を示していること、また20世紀の半ばまでにその変化がほぼ完成していることを明らかにした。 特にその相対頻度は19世紀の10%台から20世紀半ば以降は40%台に達している。続いて本研究は、その結果、高原状態に達するまでの各年代で翻訳小説における非情の受身の頻度が、数%から10%ほど高めであることを明らかにした。しかし、この程度の頻度では翻訳書が日本語に対して強い影響力を発揮しているようには思われない。ところが、本研究はさらに翻訳思想書・学問書(一部文語体)を同様の方法で調査し、その相対頻度が19世紀に50%を超え、20世紀半ばまでに90%の高率に達していることを明らかにした。絶対数も同時期の日本小説・翻訳小説の5~6倍にも及んでいる。そこで本研究は、翻訳文献の中でも思想書の影響がより強力であったのではないかと結論づけている。これらはすべて、本研究が全く新しく指摘し得た事柄である。

以上は主に、非情の受身の変遷の量的側面に関係する。本研究はさらに、変遷の質的性格についても次のような指摘を行っている。まず非情の受身文の主語面では、固有非情受身の主語(非情物)が大部分単純なモノ名詞であったのに対して、近代以降では抽象名詞が増大した。述語面では、受身文の動詞の異なり語数も増大したが、特に動詞の自他対応に注目すると、無対他動詞(対応する自動詞の無い他動詞)の増大が目立っている。また固有非情受身では、現代語の「~られている」のような状態性の表現が大部分であったが、近代以降では受身文はその制約から次第に解放された。また先行研究では、能動文の動作主が受身文では近代以降西洋語の影響で「によって」で表示されると予想されていたが、「によって」の出現率が一貫して低いことが示され、むしろ動作主は表示されない割合が非情に高いことが明らかにされた。著者はそれを、動作主は必須の表示要素ではなく付加的な修飾語であると解釈した。以上のうちの多くは、本研究が全く新しく指摘し得た事柄であるか、予想されてはいたものの本研究ではじめてその実態が明らかとなった事柄である。

本研究は最後に、非情の受身増大の日本語内部の動因として、非情物を主語とする自動詞的対応項への表現欲求を指摘している。

以上のように、本論文は綿密な調査によって近代日本語受身文の変遷様相をはじめて明らかにした画期的な研究と言える。しかしながら、全体様相をまず明らかにすることが本研究の中心課題であったため、個々の事例の論理的な位置付けにもの足りない部分が残っている。翻訳の影響についても、具体例に即した指摘が十分に行い得たわけではないし、欧文原文との対照が十分に検証されたわけでもない。今後のより論理的かつ詳細な記述が期待されるが、逆に言えば、そのような課題の水準は本研究によって一挙に押し上げられたのであって、その点に本研究の最も大きな意義が認められると言える。今後の近代日本語受身文の研究は、本論の水準から改めて出発しなければならない。本論文は、以降の参照研究として範例を示し続けることになることは確実である。

したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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