学位論文要旨



No 127656
著者(漢字) 渡邊,祥子
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ショウコ
標題(和) アルジェリア・ウラマー協会のイスラーム改革主義運動 : ナショナリズムとの関係を中心に
標題(洋)
報告番号 127656
報告番号 甲27656
学位授与日 2012.02.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1122号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,榮治
 東京大学 教授 羽田,正
 東京大学 准教授 森山,工
 上智大学 教授 私市,正年
 東京外国語大学 教授 飯塚,正人
内容要旨 要旨を表示する

本論文が扱うアルジェリア・ウラマー協会(1931年創設、以下「ウラマー協会」とする)は、フランス征服統治下のアルジェリアにおいて、ナショナリズム運動と並んで重要なものと考えられてきた、イスラーム改革主義運動を牽引した宗教団体である。しかし、イスラーム改革主義運動とナショナリズム運動の二つの運動については、「イスラーム改革主義運動には、アルジェリア国家の独立を目指すナショナリズム運動をナショナル・アイデンティティの形成によって文化面で補佐し、促進した側面があるものの、組織的大衆動員を手段とするナショナリズム運動に、やがて吸収された」という定説が、無批判に受け入れられてきた。そこで本論文は、ウラマー協会の政治思想と社会活動の両面について、一次史料に基づく実証分析を行うことにより、アルジェリアにおけるイスラーム改革主義運動の射程を、ナショナリズム思想・運動との関係において、明らかにした。

本論文の第1部においては、ウラマー協会のアラビア語テキストの分析に基づき、ウラマー協会の政治思想を分析し、政治と宗教の関係性について、ウラマー協会がアルジェリア・ナショナリスト政党の活動家らとは異なる理解を示していたことを明らかにした。

第1部第1章においては、ウラマー協会独自の集合的な主体概念である「アルジェリア・ムスリムのウンマ」(「ウンマ」は宗教共同体の意味)という概念が、アルジェリアの植民地的状況と、エジプトなどを発信源とする世界的なイスラーム改革主義思想の影響を、同時に受けつつ形成されたことを解明した。ウラマー協会は、世界に広がるイスラームのウンマの切り離せない一部としてのアルジェリア・ムスリムの集合的主体を、「アルジェリア・ムスリムのウンマ」と呼び、これと「フランス・ウンマ」との権利の平等を要求したことで、アルジェリア・ナショナリズムの主要な拠り所となる共同体観を築いたのである。

しかし、その反面、ウラマー協会の世界観と目的は、ナショナリスト政党とは全く異なるものだった。第1部第2章では、ウラマー協会の「政治」概念に対する理解を、ナショナリスト活動家のそれと対比しつつ、両者の相違を詳らかにした。ウラマー協会は、ウラマー協会をアルジェリア・ムスリムの「ウンマ」を統合する役割を果たす「神の党」と位置づけ、ウラマーこそが「ウンマ」の最高の指導者であるとした。これに対して、アルジェリアで行われている「政治」(ここでは、アルジェリア・ナショナリスト政党の諸活動のこと)は、ウラマー協会から見れば、むしろ「ウンマ」を分裂させ、対立させる望ましくないものとされた。このように、ウラマー協会は、ウンマを分裂させる「政治」に対して、ウンマを統合する「宗教」(イスラーム)が優越的な地位にあることを説くことで、ウラマー協会がナショナリスト政党に対して優越的な地位を持っていることを主張した。

以上、第1部では、ウラマー協会のイスラーム改革主義と、ナショナリスト諸政党のナショナリズムは、世界観を異にする別個の運動であることを示した。先行研究はしばしば、イスラーム改革主義運動をナショナリズム運動の「前史」として扱ってきたが、二つの運動は目的を異にし、一部の領域では共闘しつつも、方向性のずれを最初から抱え込んでいたことが明らかになった。

本論文の第2部では、第1部で示したウラマー協会の世界観や思想傾向を踏まえ、ウラマー協会がムスリム社会(ウラマー協会は「ウンマ」と呼んだ)において実際に行った活動を、一次史料に基づきつつ、実証的に記述し、その目的や傾向、社会への影響力を詳らかにすることを通じて、ウラマー協会の運動の社会史的な検討を行った。具体的には、ウラマー協会の活動の主要な領域であるアラビア語・イスラーム教育(「自由アラブ教育運動」と呼ばれた)を第3章で、企業家への呼びかけと経済活動に果たした役割を第4章で、ムスリム・ボーイスカウト運動の促進を第5章で取り上げた。この三つの活動領域について、その全体像や時代ごとの推移のデータを示しながら明らかにし、第1部で解明したウラマー協会の世界観が、実際の活動に反映されていることを指摘した。

第2部第3章では、ウラマー協会の「自由アラブ教育運動」を扱い、この運動が、アルジェリアという祖国への愛着を教える私立学校(自由マドラサ)を全国に建設することで、フランス教育に欠落しているイスラームとアラビア語をムスリム子弟に教え、「アルジェリア・ムスリムのウンマ」の文化的な均質性を実現することを目的としたことを明らかにした。こうした自由マドラサの教師たち(自由ムアッリム)は、アラブ諸国への留学生派遣によって育成されたが、留学生には学位取得後の帰国と自由ムアッリムとしての労働義務が課されていた。このように、フランス風の教育階梯から自律した「アラブ教育」の階梯を、初等教育から中等・高等教育に至るまで、時間をかけて築き上げていった運動拡大の過程に、フランス教育に匹敵する質を持ち、アルジェリア・ムスリムの共通文化を体現するような「アラブ教育」制度を建設しようとした、ウラマー協会の意図が読み取れる。

続く第4章では、ウラマー協会の経済思想と、協会の財政的な支えとなっていたムスリム企業家たちを取り上げた。ウラマー協会は、ムスリム自身による経済活動と、積極的な相互扶助を通じたウンマの「復興(ナフダ)」を主張しており、この理念に基づくものとして、ムスリム企業家の共同事業や、ムスリム企業家による自発的な利益団体の形成を後押しした。寄付行為を通じてウラマー協会の活動を支えていたムスリム企業家たちは、社会的出自や政治キャリアにおいては多様であった。しかし、官(アルジェリア総督府)主導の産業化政策の中で、実際は末端行政組織として機能している政府系の協同組合や金融機関が、政府へのコネや既得権を持つ一部の者だけに利益分配をしていた、当時のアルジェリアの経済構造の実態に不満を持ち、既得権を持たない者がビジネスチャンスを得るための、新しい経済活動の形態に関心を持っていた点は、共通していた。彼らムスリム企業家たちは実際に、ウラマー協会と人脈的なつながりを持ち、出資者がムスリムのみから成る貿易会社「アーマール社」(1946年)などを実現しており、同社の理念には、ムスリムの資本をムスリムの手で活用し、利益の一部を貧しい者に還元するという、ムスリム同士の連帯と社会福祉思想が見られた。こうした例から、ウンマ「復興」のための積極的な経済活動、相互扶助というウラマー協会の理念が、これらのムスリム企業家たちにとって、一種の経済ナショナリズムとして機能した側面があったことを示した。

第2部第5章では、ムスリムによるボーイスカウト運動(「ムスリム・スカウト運動」と呼ばれた)とウラマー協会との関係を扱った。ウラマー協会は黎明期の「ムスリム・スカウト運動」を、ムスリム青少年の教育を利するものとして援助した。「ムスリム・スカウト運動」に対して、ウラマー協会は、「自由アラブ教育運動」と連携してその活動を助けたり、ムルシド(教導師)として宗教教育を実施したりする役割を負ったが、ウラマー協会による「ムスリム・スカウト運動」への援助は、ウラマーとスカウト運動家たちの間の、人格的な関係に負っている側面が強かった。かつ、1948年に「ムスリム・スカウト運動」を政党活動に利用しようとしたナショナリスト政党(PPA-MTLD)によって、ムスリム・スカウトの全国連盟が二つに分裂してしまって以降も、ウラマー協会は、出来る限りの中立的な姿勢を貫いた。第5章は、ウラマー協会が反PPA-MTLD派のスカウト連盟「BSMA」と組織的にはより近く連携しつつも、PPA-MTLDの傘下に入った従来の連盟「SMA」に対しても、引き続き個人レベル、ローカル・レベルの関係を保ち続けたことを、機関誌などの分析を通じて明らかにした。当時の協会代表イブラーヒーミーがBSMAのキャンプで行った演説では、ウラマー協会が党派を超越した「神の党」であることが再び強調されている。このことは、ウラマー協会が「ムスリム・スカウト運動」等の結社(association)運動においても、ウンマの宗教的指導者という立場を守り、党派主義から距離を取ろうとしたことを示す。

本論文の分析を通じ、フランス当局、および、アルジェリア・ナショナリスト政党との関係を、ウラマー協会が、「国家」・「政府」と「宗教」との関係として、あるいは、「政治」と「宗教」のあるべき関係の問題として、把握していたことが解明された。ウラマー協会は、一方でフランス当局に対し、政治制度(植民地国家)に対する宗教・文化共同体の自律性を主張した。他方で、ナショナリスト政党に対しては、「神の党」を標榜することによって、諸政党が活動する「政治」の次元に対して、より高次の領域である「宗教」を代表する、自分たちウラマー協会の優越性を強調した。フランス当局やナショナリスト政党とのこのような関わりを通じて、ウラマー協会の自己定義にとって、ウラマーの専門領域としての「宗教」領域が、次第に中心的な論点になっていったのである。ウラマー協会のこうした営み全体が、中世イスラーム世界とは著しく異なる状況―西洋的な法制度を中心に据える近代国家や、政治政党による議会政治といった新しい状況―の前で、「宗教」を防衛し、その実践を守る者(「ウラマー」つまりイスラーム知識人)を自認する者たちが行った、近代国家との関係のさなかでの、「宗教」の再定義の過程であったと、本論文は結論付けた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、北アフリカを代表するイスラーム改革主義運動として、独立後のアルジェリアに大きな影響を与えたアルジェリア・ウラマー協会に関して、実証的総合的な考察を試みた研究である。本論文は、同協会の政治思想と社会活動という二つの側面の分析を通じ、イスラーム改革主義の思想と運動の歴史的な位置づけ、および近代国家とイスラームの関係性を考察することを目指した。その狙いの一つは、序論で示されているように、アルジェリア・ウラマー協会とナショナリズムに関する通説の批判にある。従来の通説的な解釈では、同協会がアルジェリアの独立闘争において、ナショナル・アイデンティティの形成などという文化面での補佐的な役割を演じたものの、最終的にはFLNを中心とするナショナリズム運動に吸収されていったとする。これに対し、本論文は、アルジェリア・ウラマー協会の指導者たちの言説を内在的な視点から分析し、彼らがナショナリズム運動とは異なる別個の世界観をもち、政治的領域とは独特の距離認識をもって運動を展開してきた点を明らかにした。本論文は二部構成を取り、第1部(第1章・第2章)では同協会の政治思想を、第2部(第3章・第4章・第5章)ではその社会的活動を扱っている。

第1章「ウラマー協会の思想とナショナリズム」では、アルジェリアのネイション概念の基礎となった独自の集合的な主体概念「アルジェリア・ムスリムのウンマ」について論じ、この概念がフランスの植民地政策への対抗と、エジプトのマナール派の思想の影響という二つの文脈の中から生まれてきたことを論証した。

第2章「ウラマー協会における「政治」:ナショナリストへの接近と批判」では、イスラーム政治思想の伝統をふまえて、同協会がナショナリスト政党との関係をどのように認識していたかについて考察した。そこで中心となるのは、同協会が自らを「神の党」と位置づけ、ウンマを分裂させるナショナリストに対して、ウンマを統合する宗教を司るウラマーとしての優位な立場にあると考えていたとする認識である。

第3章「自由アラブ教育運動」では、アルジェリア・ウラマー協会の社会活動の一つとして教育活動を取り上げ、フランスの植民地教育制度から自立したアルジェリア・ムスリムのウンマのための自由マドラサの教育体系について分析した。

第4章「ウラマー協会の経済基礎」では、同協会の支援者の経済人の活動の分析を通じて、同協会の経済に関する理念がウンマの経済的復興を目指す経済ナショナリズムとして機能したという考察を示した。

第5章「アルジェリア・ムスリム・スカウト運動とウラマー協会」では、ナショナリストの活動とも密接な関係をもったスカウト運動に関して、同協会が政治党派を超越した立場から積極的に関わった点を考察し、第1部で検討した政治とウラマーとの関係に関する理念がこの社会活動の分野に反映されている点を明らかにした。

結論部分では、以上の分析をふまえ、アルジェリア・ウラマー協会が、植民地主義支配と独立闘争という歴史的文脈の中で、すなわちフランス植民地主義当局およびナショナリスト政党という二重の関係の中で、国家と宗教、政治と宗教との関係性に対する独自の認識を育て上げていったと総括した。この認識の発展過程は、近代国家に対するウラマーの専門領域である「宗教」を再定義する試みであり、そこにイスラーム改革主義の歴史的な役割を見出すことができたというのが本論文の結論である。

本論文は、フランス植民地行政資料およびアルジェリア・ウラマー協会の刊行物・指導者の著作、定期刊行物資料などの膨大なアラビア語一次資料を用いたきわめて実証的な水準の高い研究である。また通説批判に見られるように、ナショナリズムとイスラームとの関係、さらには近代国家における政治と宗教の領域の再確定などに関する問題意識も明確であり、目的とした主題の分析を越えて、射程距離の長い諸問題に対しても大きな示唆を与えた論文である。

審査委員会では、その実証性のレヴェルにおいて世界に誇れる研究である、先行研究のまとめ方を含め、日本のイスラーム政治思想研究の発展に大きな貢献をなした、アルジェリアの事例研究に留まらない普遍的な理論的問題提起をしている、などの高い評価の意見が示された。

その一方で一部にアラビア語資料の理解に正確さを欠くという指摘があったほか、固有名詞などの翻訳、事実関係の誤解などについて若干の問題点の指摘があった。また、内容面では多くの建設的なコメントと質問が審査委員から示された。ウラマー協会の指導者の交代を通じた思想的展開があったのではないか、同協会の政治理念はイランのイスラーム共和国体制の先行的な政治モデルとしての歴史的意義があったのではないか、アルジェリア・ナショナリズムにおけるベルベル問題に対するウラマー協会の態度、マナール派の影響が過大評価されていないか、イスラーム改革主義の教育思想における訓育(タルビヤ)の重要性についての言及が必要である、ウラマー協会の他の国々などとの比較史的重要性への言及、政治や宗教の概念の認識変化とともにウラマー概念自体の自己認識における発展はなかったか、イスラーム世界概念の使用の問題、帰化問題をめぐるチュニジアとの比較(とくに集団的帰化と個人的帰化をめぐる問題)、協会の経済的基盤に関する説明の不足、社会運動としてのイスラーム復興運動との比較の可能性などの諸点について、審査委員からコメントと質問が出された。これらの質問に対する論文提出者の回答は、いずれも誠実なものであり、またそのほとんどにおいて論理的な議論を展開し、論文の内容のいっそうの理解を進めるのに役立った。

本論文は、そのわずかな部分に瑕疵は認められるものの、アルジェリア・ウラマー協会に関し、従来の研究水準を超えた優れた実証分析であり、またイスラーム改革主義の歴史的な位置づけや、また今日のイスラーム復興運動の研究の中心的課題である政治=宗教関係に関しても優れた洞察を示しており、学術的貢献度も高いと判断する。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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