学位論文要旨



No 127660
著者(漢字) 川上,達也
著者(英字)
著者(カナ) カワカミ,タツヤ
標題(和) DNAを分類形質とした浮遊性魚卵の種査定と初期発生に関する研究
標題(洋)
報告番号 127660
報告番号 甲27660
学位授与日 2012.02.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3734号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 准教授 山川,卓
内容要旨 要旨を表示する

魚卵の分布,出現時期や量に関する知見は,魚類の産卵生態の解明と資源変動機構の研究において重要な基礎情報となる.しかし,魚卵は特徴的な分類形質に乏しく,発生に伴い著しく形態が変化するため,形態形質に基づく種査定は極めて困難で,これが研究上の大きな障害となっている.一方,近年では,DNA情報に基づく新たな種査定法が様々な生物群で提唱されるようになった.しかし,DNAによる種査定法を実際のフィールド研究へ大規模に適用した例はまだない.そこで本研究では,まず,半閉鎖水域である浜名湖と開放的外洋域であるマリアナ海域で得られた成魚のミトコンドリアDNA (mtDNA) の配列を解析し,魚卵のDNA種査定法を開発することを目的とした.次にこれを浜名湖とマリアナ海域で得られた魚卵に適用し,魚類の産卵生態に関する新知見を集積した.さらに,本研究で初めて種が明らかになった魚卵の形態を詳しく記載することもねらいとした.

1. 形態形質の有効性の検討

魚卵のもつ形態情報の分類形質としての有効性を検討するため,種が既知の5目11種の魚類 (ニホンウナギ,ハモ,ニシン,オニオコゼ,クエ,アカアマダイ,ヒラメ,ババガレイ,ヌマガレイ,マツカワ,ホシガレイ) の受精卵を人工受精,または養成下の自発産卵によって得,卵の形態と胚発生過程を記載した.その結果,種間で卵径,油球の有無とその数,囲卵腔の広さ,胚の色素出現パターンに違いがあることがわかった.さらに,孵化仔魚では胸鰭,口,筋節の形成と眼の黒化の程度に差が認められ,孵化時の発生段階が大きく異なることもわかった.得られた形態に基づき上記11種の卵を分類したところ,ニシンは付着性の卵膜をもつことで,またニホンウナギ,ハモ,ヌマガレイ,オニオコゼは油球の有無と卵径で,他種と明確に識別できた.しかし,ヒラメ,アカアマダイ,クエから成るグループと,ホシガレイ,マツカワ,ババガレイから成るグループでは,胚の色素,または孵化仔魚の筋節数とサイズを比較しなければ種を識別できなかった.以上の結果から,発生が進めば識別できる可能性は高まるものの,形態のみによる魚卵の種査定は困難であると考えられた.

2. DNA種査定法の検討

種査定に用いる遺伝子領域を決定するため,まず,多くの魚類が含まれる条鰭類で,mtDNAの16S rRNA遺伝子 (16S) と,cytochrome c oxidase subunit I遺伝子 (COI) の既存の情報量を調べた.その結果,2011年6月22日時点で,16Sは42目383科2065属5469種の計13221件,COI は43目360科1794属4412種の計23126件の配列がGenBankに登録されていた.登録件数はCOIの方が多いが,分類学的・生態学的研究の基礎となる科,属,種の数に着目すれば,16Sの方で多くの分類群が揃っている.さらに,16SはCOIよりも条鰭類の分類群を識別する能力が高いことが報告されており,種査定に用いるには16Sが適切と考えられた.

次に,2004年4月~2005年9月に浜名湖で,2010年8~9月にマリアナ海域で採集した成魚計181個体を形態に基づき正確に分類し,16Sの部分配列を決定した.浜名湖で得た15目55科85種142個体 (778~1226 bp) とマリアナ海域で得た7目20科32種類39個体 (916~1181 bp) の配列をBLASTにより総当たりで比較したところ,種内相同性は浜名湖で98.35~100% (n=97),マリアナ海域で99.81~100% (n=3) だった.一方,種間相同性は,浜名湖で77.13~99.89% (n=2819),マリアナ海域で77.87~98.35% (n=188)だった.しかし,浜名湖では,1個体のボラと,種間相同性が高かったトラフグ属4種を除くと,種内相同性の最小値は99.05%,種間相同性の最大値は97.27%となり,種内と種間の相同性の範囲を明瞭に分けることができた.以上の結果から,浜名湖とマリアナ海域のいずれでも,16Sの配列間で99%以上の相同性を示す場合には,同種と判断できると考えられた.以降の種査定では,上記で得た16S配列とGenBankをデータベースとして,魚卵の配列をBLAST検索した.

3. 浜名湖に出現する魚卵の種組成と分布

浜名湖に出現する魚卵にDNA種査定法を適用して種組成と分布および季節性を明らかにするため,2004年8月~2005年11月に湖内8定点のプランクトンネット調査と潮汐を利用した湖口部のアンカーネット調査を実施し,浮遊性魚卵計6425個を採集した.これらの卵は形態で46タイプに分けられた.そのうち35タイプ340個の卵で16Sの部分配列 (840~1231 bp) が得られ,99%の相同性を基準として45クラスタに整理された.これらの配列をBLAST検索した結果,26クラスタ (58%) 299個の卵 (88%) が種に同定された.形態タイプとDNAクラスタが一致した12種 (セスジボラ,カタクチイワシ,ムシガレイ,クロサギ,メジナ,ササウシノシタ,イシガレイ,スズキ,ダイナンウミヘビ,アラメガレイ,クロウシノシタ,ギマ) のうち,カタクチイワシとアラメガレイの卵はほぼ周年出現したのに対し,スズキ,クロサギ,イシガレイ,ギマ,ササウシノシタの卵はその出現に明瞭な季節性がみられた.その他5種の出現数は1年を通じて少なかった.カタクチイワシ,イシガレイ,ギマの卵は,湖口部と満潮前後のアンカーネットではわずかしか出現しなかったのに対し,湖央部から湖奥部では多数出現したため,主に湖内で産卵していると考えられた.一方,アラメガレイ,スズキ,ササウシノシタ,クロサギの卵は湖口部の定点とアンカーネットに出現が集中したことから,湖口部周辺で産卵していると考えられた.以上の結果から,DNA種査定法は浜名湖に出現する魚卵に適用可能であり,魚類の産卵生態の解明に有効であることがわかった.

4. マリアナ海域に出現する魚卵の種組成と分布

西マリアナ海嶺の海山域を含む外洋域に出現する魚卵の研究におけるDNA種査定法の有効性を検討するため,2002年7~8月に西部北太平洋のマリアナ海域 (7°~18°N,137°~144°E) で採集した浮遊性魚卵に本法を適用し,種組成と分布の解明を試みた.得られた計5321個の卵のうち,死卵を除く2698個の卵は形態で108タイプに分けられた.そのうち88タイプからそれぞれ1個ずつ卵を無作為に選び,16Sの部分配列 (1037~1190 bp) を得た.これらの卵は,16Sの99%の相同性を基準として71クラスタに整理された.これらの卵の配列をBLAST検索した結果,28クラスタ (39%) 37個の卵 (42%) が種に同定された.種が同定できなかった43クラスタ(51個) のうち,6クラスタ (9個) の卵は,それぞれトビウオ科,ミサキソコダラ属,ユカタハタ属,マグロ属,マカジキ科,マカジキ属の複数種と高い相同性を示した.このうちマグロ属は遺伝子移入が起きているため99%の相同性基準では種レベルの識別ができなかったと考えられた.30個以上の卵が得られた種で分布を比較したところ,カツオ (n=982), ネズミフグ (n=50),ヨロイギンメ (n=46)は72~80%が海山域から採集されており,海山近傍で産卵していると考えられた.一方,マルバラシマガツオ (n=144),ムカシクロタチ (n=95),アカマンボウ (n=81),サヨリトビウオ (n=70),クサビフグ (n=54),テンガンムネエソ (n=42),スジコバン (n=30)は海山域で23~45%が採集されたが,海山域に集中する傾向はみられず,外洋域の広範囲で産卵していると考えられた.以上の結果から,マリアナ海域においてもDNA魚卵種査定法は適用可能で,これまでほとんど知見がなかった外洋性魚類の産卵生態の解明に有効であることがわかった.

5. DNA種査定法に基づく卵の形態記載

魚卵の形態と初期発生に関する知見を得るため,DNAを用いて同定できた浜名湖の26種とマリアナ海域の28種,計54種の卵の形態を記載した.これらのうち21種では,飼育実験をおこない孵化仔魚の形態も記載した.加えて,種まで判別できなかった卵についても16Sのクラスタで整理し,計62種類を記載した.さらにDNA解析をおこなえなかった31タイプの卵も記載した.その結果,浜名湖で計56種類,マリアナ海域で計91種類の卵の形態を記載し,両海域に出現する浮遊性魚卵の形態によるグルーピングを可能にした.以上の結果,魚卵を新規に記載できた種は,浜名湖で7種 (アラメガレイ,アカササノハベラ,ホシササノハベラ,クロサギ,ワニエソ,ササウシノシタ,ダイナンウミヘビ),マリアナ海域では15種 (テンガンムネエソ, マルバラシマガツオ, ネズミフグ, ネッタイユメハダカ, フサカザリホシエソ, モヨウモンガラドオシ, ヘラアナゴ, スジコバン, スジハナビラウオ, ヒシコバン, ムカシクロタチ, ヨロイギンメ, モトノコバウナギ, スミクイウオ,ソコイワシ科の1種) の計22種となった.

本研究は魚卵のDNA種査定法を確立し,それが半閉鎖水域と開放的外洋域のいずれでも魚類の産卵生態研究に有効であることを実証した.また計22種の新規記載を含む計54種の卵の形態を記載すると同時に,種不明卵を含む計116種類の卵でDNAによる識別を可能にした.これらの結果は魚卵の分類学の基礎を充実させると同時に,魚類の産卵生態の解明と資源変動機構の研究において力を発揮するものと期待される.

審査要旨 要旨を表示する

魚卵の分布,出現時期や量に関する知見は,魚類の産卵生態の解明と資源変動機構の研究において重要な基礎情報となる.しかし,魚卵の種査定は極めて困難で,これが研究上の障害となっている.本研究の目的は,魚卵のDNA種査定法を開発すること,さらにこれを浜名湖とマリアナ海域で得た魚卵に適用し,魚類の産卵生態と卵の形態に関する新知見を集積することである.

第1章の緒言に続く第2章では,ハモやヒラメなど,種が既知の5目11種の魚類の卵の形態と胚発生を記載し,魚卵の形態の分類形質としての有効性を検討した.その結果,種間で卵径,油球の有無とその数,囲卵腔の広さ,色素出現パターン,孵化時の発生段階に違いがあった.これら形態により上記11種の卵を分類したところ,卵径,油球の有無などの外部形態形質では種が識別できなかった.発生が進めば色素出現パターンと孵化仔魚のサイズで識別できる可能性はあるものの,形態のみによる魚卵の種査定は困難であると考えられた.

第3章では,ミトコンドリアの16S rRNA遺伝子 (16S) を対象領域とした魚卵のDNA種査定法を検討した.16Sは,もうひとつの候補であるCOI遺伝子よりも,DNAデータベース上の条鰭類の登録種数が多かった.次に,浜名湖で得た15目55科85種142個体とマリアナ海域で得た7目20科32種39個体の成魚で16Sの部分配列 (浜名湖: 778~1226 bp,マリアナ海域: 916~1181 bp) を決定し,BLASTにより相同性を比較したところ,一部の分類群を除いて99%で種を分けることができた.以上より,16Sの約1,200塩基を決定し,BLASTでデータベースを検索し,既存の配列との99%以上の相同性を基準として種査定する方法を提示した.

第4章では,浜名湖で採集した魚卵にDNA種査定法を適用し,その種組成と分布および季節性を明らかにした.2004年8月~2005年11月に計6,425個の卵を採集し,それらを形態で46タイプに分けた.そのうち35タイプ340個の卵で16Sの部分配列を得た.これらは配列により45クラスタに整理され,26クラスタ (58%) 299個の卵 (88%) が種に同定された.カタクチイワシとアラメガレイの卵はほぼ周年出現したのに対し,スズキなど5種の卵は出現に明瞭な季節性がみられた.また,イシガレイなど3種は主に湖内で産卵しており,アラメガレイなど4種は湖口部周辺で産卵していると考えられた.このように,DNA種査定法は浜名湖産魚類の産卵生態の解明に有効であることがわかった.

第5章では,西部北太平洋のマリアナ海域 (7°~18°N,137°~144°E) で採集した魚卵にDNA種査定法を適用し,種組成と分布の解明を試みた.2002年7~8月に計5,321個の卵を採集し,そのうち2,698個を形態で108タイプに分けた.そのうち88タイプから卵を1個ずつ選び,それぞれで16Sの部分配列を得た.これらは配列により71クラスタに整理され,28クラスタ (39%) 37個の卵 (42%) が種に同定された.そのうち,カツオ (n=982)など3種の卵は72~80%が海山域から採集されており,海山近傍で産卵していると考えられた.一方,マルバラシマガツオ (n=144) など7種の卵は海山域に集中する傾向はみられず,外洋域の広範囲で産卵していると考えられた.このように,DNA種査定法は過去にほとんど知見がなかった外洋性魚類の産卵生態を解明する際に有効であることがわかった.

第6章では,魚卵の形態と初期発生に関する知見を得るため,DNAで同定できた浜名湖の26種とマリアナ海域の28種,計54種の卵の形態を記載した.これらのうち,浜名湖の7種とマリアナ海域の15種が新記載であり,21種では飼育をおこない孵化仔魚の形態的特徴を記載した.加えて,種不明卵も16Sのクラスタで整理し,計62種類を記載した.さらにDNA解析をおこなえなかった31タイプの卵も記載した.その結果,浜名湖で計56種類,マリアナ海域で計91種類の卵の形態を記載し,両海域に出現する魚卵の形態とDNAによる識別を可能にした.

以上,本研究は,魚卵のDNA種査定法を確立し,浜名湖とマリアナ海域で魚類の産卵生態研究に有効であることを実証している.また計22種の新規記載を含む計54種の卵の形態を記載すると同時に,種不明卵を含む計116種類の卵でDNAによる識別を可能にした.本研究で得られたこれらの知見は,魚卵の分類学の基礎を充実させると同時に,魚類の産卵生態の解明と資源変動機構の研究において力を発揮するものであり,学術上,応用上価値が高いと判断されたので,審査委員一同は本論文が博士 (農学) の学位論文としてふさわしいものと認めた.

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