学位論文要旨



No 127673
著者(漢字) 新井,邦明
著者(英字)
著者(カナ) アライ,クニアキ
標題(和) 放射光光電子顕微鏡による強磁性/反強磁性交換結合系の静的および動的磁気特性の研究
標題(洋) Study of static and dynamic properties of ferromagnetic/antiferromagnetic exchange coupled system by synchrotron radiation photoemission electron microscopy
報告番号 127673
報告番号 甲27673
学位授与日 2012.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5739号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小森,文夫
 東京大学 教授 川島,直輝
 東京大学 教授 金道,浩一
 東京大学 准教授 益田,隆嗣
 東京大学 教授 長谷川,修司
内容要旨 要旨を表示する

反強磁性層の上に強磁性層を成長させた系(交換結合系)では、強磁性層単体と比べて、より大きな磁気異方性および保磁力をもつ現象が生じる。交換結合系の磁気物性は、強磁性/反強磁性界面で生じる強磁性スピンと反強磁性スピンの磁気的相互作用(交換結合)、および反強磁性磁区構造に依存することが知られている。しかしながら、界面は埋もれているため、詳細な観測が困難である。そのため、強磁性スピンと反強磁性スピンがコリニア結合であるという報告や、スピン間のなす角度が90度である報告がなされており、交換結合状態について統一的見解が得られていない。また、反強磁性体はマクロな磁化をもたないため、微小領域の磁区構造を観察する実験手法は限られている。そのため、磁壁内スピン構造、磁壁幅、磁壁エネルギーについて異なる報告がなされており、統一的見解が得られていない。したがって、交換結合系の磁気物性について明らかになっていないのが現状である。

そこで、本研究では、高い空間分解能と元素分解能をもつ放射光光電子顕微鏡(PEEM)を用いて、反強磁性磁壁内スピン構造、反強磁性磁区構造内のスピン方向と内部エネルギーの関係および交換結合状態を明らかにすることを目的とした。

ネール温度が室温より高いと、測定時において温度変化に伴う試料位置のドリフトがないため、磁区構造をより明瞭に観察できると期待される。また、コリニアなスピン配列をもつ反強磁性体では、1方向のスピンをもつ強磁性体の磁区構造と比較しやすく理解しやすい。これらの条件を満たすのは、典型的な反強磁性体であるNiOである。そのため、本研究の測定試料としてNiOを選んだ。交換結合系の強磁性体には、基板NiOとの格子定数の差が小さいFe薄膜を用いた。強磁性体と反強磁性体の格子定数の差が小さい場合、格子定数の差が交換結合に及ぼす影響が小さく、純粋にスピン間の相互作用を議論できると期待される。

交換結合系の磁気構造は、基板である反強磁性体の磁区構造に依存する。上述したように、反強磁性体の磁壁に関する知見は少ないため、最初に反強磁性磁区構造を観察し、磁区および磁区内のスピン方向を決定する必要がある。

実験では、PEEM、X線磁気線二色性(XMLD)、及びX線線二色性(XLD)を組み合わせた手法を用いて、NiOの磁区構造を観察した。反強磁性スピンに由来する磁区(Sドメイン)と結晶歪に由来する磁区(Tドメイン)は、それぞれNi L2吸収端のXMLDとO K吸収端のXLDにより観測した。その結果、SドメインのXMLDは、これまでに説明されてきた1原子モデルではなく、結晶対称性と原子間相互作用を考慮した理論計算で説明できることを初めて明らかにした。この結果は、1原子モデルでは始状態と終状態の波動関数が球対称であるのに対し、NiOでは結晶対称性を反映した原子間相互作用により3d電子の波動関数は局在しかつ異方性をもつことに起因する。これにより、高い空間分解能(100 nm以下)でNiOのスピン方向の3次元的決定が可能になった。

一方、TドメインのXLD強度を測定した結果、XLDは偏光ベクトルとTドメイン内の磁化容易面のなす角度に依存し、双極子終状態でO 2p軌道の異方性は、Tドメイン内の磁化容易面と平行に存在することを新たに見出した。このTドメインのXLDの規則性を見出したことにより、XLDを用いて直接Tドメインをアサインすることが可能になり、TとSドメインの区別が容易になった。これらの知見は、複雑な反強磁性磁区構造を理解する上で有効であり、結晶歪に由来する磁区をもつ他の反強磁性酸化物(例えばCoO)の磁区構造を理解する上でも重要である。

さらに、XLDとXMLDを用いTとSドメインを区別して観察し、磁壁内のXMLD強度と結晶対称性を考慮した理論計算を比較することにより、全ての種類の磁壁内スピン構造を決定した。Tドメイン境界に形成する磁壁(T-wall)は、異なるTドメインの磁化容易面{111}の境界に相当するため、スピン方向は磁化容易面に存在せず、磁気弾性の影響を受けていた。一方、Sドメイン境界に形成する磁壁(S-wall)では、{111}面内の結晶磁気異方性の影響を受けて、スピン方向は、磁化容易面に存在していた。さらに、全ての種類の磁壁幅は100 nmのオーダーであること、および<100>方向と<110>方向のTドメイン間境界に形成する磁壁(T-wall)の磁壁エネルギーに差異があることを初めて明らかにした。これらの結果から、Tドメイン構造の形成は、磁気弾性効果による異方性に由来すると考えられる。また、1つのTドメイン内におけるSドメイン構造内では、磁化容易面{111}面内の結晶磁気異方性エネルギーは、{111}面外の結晶磁気異方性エネルギーよりもはるかに小さいことが影響し、スピンは磁化容易面{111}内を容易に回転する。

本研究で得られた反強磁性磁壁内のスピン方向、磁壁幅、磁壁エネルギーの差異に関する知見は、反強磁性体の磁気物性を理解する上で重要である。

NiOの磁区構造について得られた知見をもとに、交換結合系Fe/NiO(100)の強磁性、界面、および反強磁性磁区構造の関係を調べた。強磁性および界面の磁区構造は、それぞれFe L3 吸収端およびNi L3吸収端のX線磁気円二色性(XMCD)を用いて観察した。その結果、Feの磁区構造は基板NiOの磁気構造の対称性を反映して形成し、Fe薄膜は<100>と<110>方向の2種類の磁化容易軸をもつことが新たに分かった。Fe薄膜の2種類の磁化容易軸は、NiO(100)表面とのなす角度が2種類の反強磁性Niスピン方向に対応する。さらに界面ではFeスピンとNiスピンがコリニア結合をしていた。これらの結果は、基板NiOの磁区構造との交換結合によりFe薄膜の磁気異方性が生じることを意味しており、交換結合系における強磁性薄膜の磁気異方性を理解する上で重要である。

なお、付録A、Bに、磁区構造の動的特性に関して重要である、微小強磁性体のスピンダイナミクスの研究内容を記した。

審査要旨 要旨を表示する

反強磁性体の磁区構造と強磁性体反強磁性界面での磁気相互作用は、磁性発現機構を解明するために重要であるばかりでなく、微小な磁気デバイス開発に向けた基礎学理としても興味が持たれている。本論文は、放射光光電子顕微鏡を用いて、反強磁性体のNiO(100)面の磁区構造および鉄薄膜とNiO(100)面の界面近傍の磁区構造を明らかにした。論文は全6章からなる。

第1章は序論で、本研究の背景として,反強磁性体の磁区構造および反強磁性体と強磁性体の界面近傍における磁区構造の特徴とその起源に関して、これまで行われた研究が説明されている。そして、研究目的と本研究で対象とするNiO(100)面およびそれと鉄薄膜との界面に注目した理由が述べられている。第2章では、本研究の基礎となる反強磁性体と強磁性体の磁区構造について説明されている。

第3章では、この研究で行った実験手法が説明されている。測定装置である光電子顕微鏡(PEEM)と磁区を調べる手法である円偏光を用いたX線磁気二色性(XMCD)および直線偏光を用いた非磁性二色性(XLD)の詳細が述べている。そして、これらを組み合わせることにより磁区構造が観察できる原理についてまとめられている。

第4章では、NiO(100)面での磁区観察結果とそれを用いた解析および考察が述べられている。ここでの第一の成果は、ニッケルL2吸収端のXMCDと酸素 K吸収端のXLDの顕微観察によって、反強磁性スピン容易軸が異なる磁区(Sドメイン)と磁化容易面の方位が異なる磁区(Tドメイン)を識別したことである。そして、結晶対称性と原子間の相互作用を考慮した理論計算の結果と観察結果とを比較することにより、合計12種類ある磁区におけるニッケルスピンの向きを決定した。この際、TドメインのXLD強度が、入射光の偏光ベクトルとTドメイン内の磁化容易面のなす角度に依存することをみいだし、XLDを用いて直接Tドメインを決定する独自の手法を確立した。第二の成果は、磁区の境界である磁壁におけるスピン回転方向を決定したことである。異なるTドメインの境界2にある磁壁(T磁壁)では、スピン方向は磁化容易面に存在しない。一方、Sドメイン境界にある磁壁では、スピン方向は磁化容易面に存在している。また、全ての種類の磁壁幅は数100 nmであった。さらに、複数存在するT磁壁の分布が熱サイクルによって変化することから、<100>方向と<110>方向の二つのT磁壁のエネルギーに差異があることを明らかにした。

第5章では、NiO(100)表面上に蒸着した鉄薄膜からなる系を対象とした実験結果と考察が述べられている。鉄とNiOの界面近傍の強磁性磁区構造および反強磁性磁区構造は、それぞれ鉄L3 吸収端およびニッケルL3吸収端のXMCDを用いて観察された。そして、界面では鉄スピンの向きとニッケルスピンの向きが共直線性を示すことを明らかにした。界面におけるスピン交換結合のために、鉄薄膜の磁区構造は基板NiOの磁区構造を反映して形成される。その結果、鉄薄膜は<100>方向と<110>方向の2種類の磁化容易軸をもつ。界面でのニッケルスピンの向きとNiO結晶内部でのスピン向きが異なるという観測結果は、界面から結晶内部に向かってスピンが回転するモデルを用いて定性的に説明できる。また、鉄薄膜の磁化過程において、NiOのSドメインのスピン方向に依存した磁区反転が観察され、界面スピン交換結合により鉄薄膜の保磁力が磁区ごとに異なるようすが明らかとなった。第6章では、研究結果がまとめられている。

以上のように、本論文は、反強磁性体とその上に強磁性金属薄膜を形成した系の磁区構造を元素選択的に顕微鏡手法によって観察した結果を、新たに発展した理論と比較して解析し、反強磁性体の磁区および磁壁内のスピン方向、磁壁幅および磁壁エネルギーの差異、そして強磁性体と反強磁性体の界面での相互作用に関する新しい知見を与えたものである。これらは、反強磁性磁区構造の形成機構および交換結合系における界面の磁気状態を理解する上で重要な結果である。

なお、本論文の第4および5章は木下豊彦氏、柿崎明人氏らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、結果の解析、考察を行ったものであり、本論文が示す研究成果に関して論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上の理由により、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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