学位論文要旨



No 127679
著者(漢字) 森岡,拓郎
著者(英字)
著者(カナ) モリオカ,タクロウ
標題(和) 居住地選択と交通選択
標題(洋) Residential choice and transportation choice
報告番号 127679
報告番号 甲27679
学位授与日 2012.03.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第303号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 大橋,弘
 東京大学 教授 田渕,隆俊
 東京大学 教授 三輪,芳朗
 東京大学 教授 佐々木,弾
 政策研究大学院大学 教授 金本,良嗣
内容要旨 要旨を表示する

本論文は家計の居住地・交通選択を実証的に分析することにより家計の土地アメニティおよび交通インフラに対する金銭的価値の定量化を行うことを目的としており、四章から構成されている。第一章では理論的研究で用いられる単一中心都市モデルと実証分析で用いられる離散住宅選択モデルの関係性について実証分析に先だって概観している。続く第二章から第四章でデータを用いた実証分析を行っている。各章の内容は以下のとおりである。

第二章では家計の土地アメニティに対する金銭的価値を定量化している。家計の土地アメニティに対する金銭的価値を知ることは都市の魅力を高めたい都市交通政策担当者にとって重要である。また家計にとっても魅力的な地点がどこであるのかは重要な関心事である。この研究は居住地選択モデルを関東のメッシュデータを用いて推計することにより都市内の土地アメニティの空間的分布を定量化している。従来の推計と大きく異なるのは土地の周辺属性の土地の魅力への寄与度だけでなく分析者に見えない土地の魅力の異質性についても金銭的に評価を行っている点である。また地代の内生性に対して操作変数として大規模従業地との近接性を表す指標を用いることで対処している。

第三章では第二章の居住地選択モデルに交通選択を加えて推計を行い、土地の需給均衡モデルを使って鉄道新線の敷設の便益が土地に資本化されるか(土地資本化仮説)を検証している。土地資本化仮説の理論的分析により公共プロジェクトの便益が土地に資本化されるかどうかは家計の嗜好の異質性およびモビリティが重要であることが分かっている。このため本研究で推定している家計の効用関数は異質性を許容しており、また外生的な変化に対して居住地を移動しうるように設定されている。そして関東のメッシュデータを用いて推計された効用関数を用いてつくばエクスプレスの新線敷設の便益が土地にどの程度資本化されているかをシミュレーションによって定量化している。シミュレーションの結果、新線周辺の地代の上昇分は新線の便益の35%にとどまり、更に遠隔地も含めた関東全域の地代収入は逆に減少しており、土地資本化仮説が成り立たないことが分かった。

第四章では家計の交通ルート選択を分析することにより、時間価値を分布として推計している。時間価値は交通インフラ整備の費用便益分析において重要な役割をはたすためこれまでにも多くの推計結果が報告されているが、推計方法や推計が行われる地域、時期によって結果が大きく異なることが知られている。この研究ではアクアライン社会実験のデータを用いて南関東の高速道路交通の時間価値を計測している。この研究の特徴はサンプルセレクションバイアスに対応してモデルをカスタマイズしている点である。期間中ETC搭載車に対してのみアクアライン通行料金割引が実施されたことを利用して推計しているが、ETC搭載車の方が時間価値が高く、また期聞中ETCが普及していった時期であったためサンプルセレクションが発生した。サンプルセレクションバイアスに対応するため家計はルート選択の前にETC搭載選択を行うようモデル化し推計を行っている。推計された時間価値の分布より大部分の家計は国土交通省の費用分析マニュアルで用いられる63円1分よりも小さいことが分かった。この結果は交通需要予測が過大になっている可能性を示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は家計の居住地や交通モードについての選択を定量的に分析することを通じて、土地アメニティや交通インフラに対する経済的な価値を評価することを目的としている。都市再開発や社会インフラの整備に対する投資の費用対効果を判断する上で、需要家である家計に発生する便益を定量的に評価することは1つの重要な作業となる。こうした作業を定量的に行う際には、一般的に2つのアプローチが存在する。ひとつは消費者あるいは生産者が実際の経済活動の中で選択した結果を記録したデータを用いて推定するアプローチ(顕示選好に基づくアプローチ)であり、もうひとつは消費者あるいは生産者が感得する金銭価値をアンケートなどの方法を用いて直接的に解答した結果をデータとして用いるアプローチ(表明選好に基づくアプローチ)である。本研究では、わが国の都市経済学分野においては未だ研究の蓄積の乏しい顕示選好に基づくアプローチを使い、構造推定手法による定量分析を行った成果となっている。本論文は4つの章からなり、第1章は本研究の概観と文献のサーベイとなっている。以下では、第2章以降の内容を要約する。

第2章では家計の居住地選択に関するデータを用いて、当該家計の土地アメニティに対する金銭的価値を明らかにする分析を行っている。土地アメニティは(1)従業地までの通勤距離の近さ、(2)地代支払いの安さ、(3)小売の充実度や周辺の森林面積などの分析者に見える土地アメニティ、(4)景観などのように分析者に見えない土地アメニティ、そして(5)家計特有の土地への愛着、の5つにカテゴライズされたうえで、それぞれのカテゴリーに対して付与される金銭的価値を推定した。

データの特徴として関東全域の1kmメッシュの全数調査を使っている点にある。空間計量経済学にて知られるクリギング手法によって近隣ポイントの加重和を踏まえた1kmメッシュの地価を作成し、土地の選択として定式化を行うために居住地の場所だけでなく敷地面積も選択できるようモデルを組み立てた。推定結果から、従業地と居住地との間の距離や商業密度が家計の土地選択に与える影響が明らかになるなど、既存の研究では見られない幾つかの定量的な結果が明らかになった。

第3章では土地の需給均衡条件を用いてつくばエクスプレスの開通が家計の居住地選択と地代をどのように変化させるかをシミュレーションによって分析した。従来の研究においては、土地資本化仮説が成立すると仮定して新規交通インフラの整備の便益を地代の上昇によって定量化する研究は数多くなされてきたが、そもそも土地資本化仮説が成り立つのかを実証の俎上に載せた研究は少なかった。本研究では、つくばエクスプレス沿線の従業者の居住地選択に絞るのではなく関東全域の従業者の居住地選択を分析している。つくばエクスプレスの開通によって、つくばエクスプレス沿線の土地の需要は増加するが、沿線から遠く離れた土地の需要は逆に減少し地代も下落することが予想される。本研究では、このような沿線から離れた土地に対する需要の影響も加味した分析を行った。また1kmメッシュデータという地理的に小さい単位に土地を分割したデータを用いて分析しているが、これは交通インフラのように近接性が重要である財の分析に適しているものと評価できる。分析の結果、つくばエクスプレス開通の便益のうち地代の上昇に反映されるのは便益の35%のみであり、土地資本化仮説は成り立たないことが明らかになった。

第4章では、木更津近辺の4つのICと都心の間の高速道路交通について、アクアラインルートと首都高速ルートの2つのルートの選択を分析することによって、個人の時間価値の分布を推定している。アクアラインルートは首都高速ルートと比べて時間が節約できるものの費用が高いため、この2つのルートの選択行動を分析することによって時間価値を定量化することが可能となる。また2002年8月より「東京湾アクアラインの利用促進に関する現行社会実験」によりETC搭載車のみを対象に通行料金の割引がなされている点も、分析の含意を豊かにしている。

ETC搭載の意思決定を明示的にモデル化することでETC搭載に係る内生性をコントロールしたうえで離散選択モデルを推定したところ、その時間価値はIC国土交通省の費用便益分析マニュアル(2003)の普通車の時間価値原単位(62.86円/分)と比較して低い数字となった。この結果は甘い交通需要予測に基づき交通インフラ整備が過剰になっている可能性を示唆している。また時間価値の標準誤差は時間価値の平均とほぼ同じ大きさとなり、時間価値は個人の間で大きく異なることが分かった。

評価と審査結果

以上で要約したように、森岡氏の論文は構造推定手法を、家計の居住地選択(具体的には、つくばエクスプレスの存在を考慮した関東一円を対象とする分析)や交通モードの選択(アクアラインにおける分析)に応用したものである。都市経済はもとより、ミクロ経済学の分野において顕示選好を用いた定量的な評価・検証を行う研究者が少ないなかで、構造推定を用いた取り組みを地道に行う研究には価値があるものとの評価を受けた。

なお審査の過程では、内生性を含む推定における識別についての議論を更に深めるべきとの指摘や、土地アメニティに係るカテゴリーの仕分けにおける恣意性に対する懸念、土地資本化仮説の検定における地代帰属の推定に係るバイアスの存在の可能性などの指摘がなされたが、これらは本論文の本来の価値を損なうものではなく、本論文の貢献をさらに明確化するための課題というべきものであろう。従って、本審査委員会は全員一致をもって、本論文が博士(経済学)の学位を授与するに値するものと判断した。

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