学位論文要旨



No 127685
著者(漢字) 福島,篤仁
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,アツヒト
標題(和) 赤痢菌の病原性タンパク質OspD2の機能に関する分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 127685
報告番号 甲27685
学位授与日 2012.03.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3786号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 教授 森屋,恭爾
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 講師 吉田,晴彦
 東京大学 特任准教授 加藤,直也
内容要旨 要旨を表示する

赤痢菌は細菌性赤痢の起因菌で自然宿主はヒトとサルである。赤痢菌は経口感染すると潜伏期1~4日後に、発熱、下痢、腹痛を発症する。開発途上国では年間1億人以上が罹患し数10万人が死亡している。細菌性赤痢の発症は日本では年間200例程度に過ぎないが、赤痢菌は感染力が強く、衛生環境が劣悪な開発途上国では今も細菌性赤痢を制御することは困難であり、開発途上国での乳幼児死亡原因の一つとなっている。細菌性赤痢の治療は多剤耐性株との戦いの歴史でもある。1950年代の段階で葉酸合成阻害薬耐性株が出現し、1960年代にはストレプトマイシン、クロラムフェニコール、テトラサイクリンが耐性に加わり、4剤耐性が一般的となり、その後導入されたアンピシリンやカナマイシンに対する耐性も獲得し、現在の流行株では5剤、6剤に耐性である。近年ニューキノロン薬耐性株が急激に増加し、流行地では社会的問題となっている。このような状況下で赤痢菌の感染戦略を分子レベルで明らかにすることは、ワクチンを含めた細菌性赤痢の予防および治療法を開発する上で非常に重要である。

赤痢菌感染において重要な役割を果たす病原因子は、主に赤痢菌の保有する230 kbの巨大プラスミド(病原性プラスミド)上にコードされている。そのなかでも特に31 kbにわたる病原遺伝子塊(pathogenicity island : PAI)と呼ばれる領域が病原性と密接に関わっている。PAIにはIII型分泌装置およびこの装置を通じて宿主細胞へ分泌されるエフェクターと呼ばれる機能性タンパク質がコードされている。またPAIにこれらのエフェクターの安定性と分泌に関わる一群のシャペロンもコードされている。III型分泌装置は病原因子に特化した分泌装置であり、多くの病原性グラム陰性桿菌が保持している。III型分泌装置は、ニードル構造とべん毛基部に類似した基部構造からなり、菌体の内膜と外膜を貫くようにして多数存在し、ニードルの先端部が宿主細胞へ接触すると細胞膜に小孔が形成され、その小孔を通じて一連のエフェクターが宿主細胞へ分泌される。

III型分泌装置より分泌されるエフェクターの個々の機能を解析することは菌の宿主感染戦略を知る上で重要な手がかりとなると考えられる。本研究では機能が解明されていないエフェクターの一つであるOspD2に着目した。その結果、OspD2は病原細菌の既知のエフェクターとは異なるユニークなメカニズムによって宿主の炎症応答を抑制していることを明らかにした。

OspD2欠損赤痢菌を用いて上皮細胞への侵入効率、細胞内増殖性、隣接する細胞への拡散能の評価を行ったが、いずれも野生株と比較して差は認められなかった。上皮細胞でのOspD2の作用を検索するため病原性プラスミドからPCRによりクローニングを行いospD2の遺伝子断片を哺乳類細胞発現ベクターに挿入しヒト培養細胞に異所的に発現させたが、その発現を確認することができなかった。そこでヒトのコドンに最適化したospD2のDNA配列を人工的に合成し、哺乳類細胞発現ベクターに挿入し、ヒト培養細胞に異所的に発現させた結果、ヒト培養細胞でOspD2を発現させることが可能となり、以下に示す機能解析が可能となった。

宿主の炎症反応は病原細菌に対する自然免疫機構として機能しており、それに対して赤痢菌をはじめとする多くの粘膜病原細菌は感染を持続・拡大するために、宿主炎症応答を積極的に抑制している。上皮細胞に侵入した赤痢菌は、細胞内で分裂増殖する過程で多量のリポポリサッカライドとペプチドグリカンを細胞質内へ遊離する。特にペプチドグリカンは、細胞質の病原体認識受容体であるNod1を活性化する。これにRip2とIKK-αβγ複合体が結合すると、その下流でNF-κBが活性化され、炎症性サイトカインの産生を通じて、腸管粘膜に激しい炎症が引き起こされる。これまでに赤痢菌ではIpaH9.8、OspF、OspG、OspZなどのエフェクターが炎症の活性化に必要なNF-κBシグナルを抑制していることが報告されてきた。そこでOspD2のNod1-NF-κB経路への影響を検討するため、NF-κBルシフェラーゼレポーターアッセイを行った。その結果OspD2発現細胞ではNod1過剰発現によるNF-κBの活性化が抑制されることが明らかになった。次に、NF-κBシグナル経路におけるOspD2の作用点を解明するために、Nod1-NF-κB経路における上流と下流のシグナル対するOspD2の抑制作用についてNF-κBルシフェラーゼレポーターアッセイにより精査した。その結果TNFα刺激や、TRAF2、IKKβ過剰発現によるNF-κBの活性化はOspD2の発現によって抑制されたが、その下流に位置するp65過剰発現によるNF-κB活性については抑制作用が認められなかった。

NF-κBはRelA(p65)/p50からなる二量体であり、無刺激状態の細胞内では活性化抑制因子IκBαと結合することによって細胞質に存在する。TNFαやNod1などの上流からの刺激が入ると、IKK複合体のIKKβがリン酸化されシグナル経路における一連の分子が活性化される。IKKβはIκBαをリン酸化し、リン酸化されたIκBαはユビキチン・プロテアソーム系により分解され、その結果IκBαでマスクされていたNF-κBの核移行シグナルが露出することによりNF-κBは細胞質から核に移行し、特定のプロモーター領域に結合して標的遺伝子の転写を促進する。そこで、OspD2発現によるNF-κBシグナル経路の抑制をさらに詳細に確認するために、免疫染色法を用いてNF-κB(p65)の核移行を評価した結果、TNFα刺激によるp65の核移行をOspD2が抑制することが明らかになった。次にTNFα刺激により引き起こされるIκBαの分解についてOspD2発現細胞を用いてウエスタンブロット法により評価した結果、OspD2発現細胞ではIκBαのリン酸化が起きるにもかかわらず、IκBαの分解が抑制されていた。以上の結果から、OspD2はNF-κBのシグナル経路に抑制的に作用し、さらにOspD2はリン酸化されたIκBαの分解に直接的に作用している可能性が示唆された。

リン酸化されたIκBαはユビキチン・プロテアソーム系を介して分解されることが知られている。ユビキチン・プロテアソーム系はE1(活性化酵素)/E2(結合酵素)/E3(ユビキチンリガーゼ)の3種類の酵素群の働きによりATP依存的に標的タンパク質にユビキチンを連続的に結合させてポリユビキチン鎖を形成し、そのポリユビキチン鎖が標識となって標的タンパク質がプロテアソームにより選択的に識別されて分解に至るシステムである。そこで、OspD2のユビキチン・プロテアソーム系に与える影響を調べるため、OspD2発現細胞を用いて、ポリユビキチン鎖を認識する抗体(FK2)で免疫染色し観察した結果、OspD2発現細胞ではFK2陽性の凝集塊を多数認めた。FK2陽性凝集塊は、プロテアソーム阻害剤MG132で処理した細胞においても観察されたことから、OspD2発現細胞ではプロテアソームの機能が阻害され、ユビキチン化されたタンパク質が分解されずに凝集していることが推測された。

プロテアソームはユビキチン化されたタンパク質を分解するための巨大なプロテアーゼ複合体であり、真核細胞において必須な役割を果たしている。プロテアーゼ活性を有する複合体である20Sプロテアソームの両端に制御因子である19Sが会合し、26Sプロテアソームとなってはじめてその機能を発揮する。19S制御因子は、6個のATPase活性を有するサブユニットから成るリングと、10種類近くのnon-ATPaseサブユニットが会合した複合体である。GST-OspD2プルダウンアッセイを用いて19S 制御因子構成成分に対する結合能を調べたところ、リングを形成するRpt5がOspD2と直接結合することが明らかになった。OspD2の各種トランケート体を用いたGSTプルダウンアッセイの結果、569アミノ酸からなるOspD2配列のうち、N末端領域である1-65アミノ酸までの配列がRpt5との結合に重要であることが示された。実際に、この領域を欠損するOspD2を発現する細胞では、Nod1-NF-κB、TNRα-NF-κBシグナル経路に対する抑制作用は完全に消失した。これらの結果からOspD2はプロテアソーム阻害作用を介して、NF-κBシグナル経路を抑制することが明らかになった。

本研究の結果、OspD2はプロテアソーム阻害作用により、IκBαの分解を抑制することでNF-κBの活性化を抑制することが明らかになった。赤痢菌が炎症抑制機能を担う遺伝子を複数保持している事実は、腸管感染において炎症抑制という戦略がいかに重要であるかを示している。さらに、赤痢菌のみならず、サルモネラ、エルシニア、病原性大腸菌など多くの病原性細菌が炎症抑制という共通の戦略を持つことが知られているが、この事実は「病原菌が腸管粘膜に定着するためには、炎症反応の抑制が重要である」という事実の一般性を示している。本研究では、病原性細菌のエフェクターの1つであるOspD2がプロテアソーム複合体を標的としIκBαの分解を抑制することでNF-κBの活性化を抑制することを世界で初めて見いだすことが出来た。OspD2は全く新規なタイプの病原因子であり、本研究の知見は低炎症型赤痢菌ワクチン開発に貢献するのみならず、OspD2を解析ツールとして用いることはプロテアソーム・ユビキチン系タンパク質分解システムの分子機構および生理機能の解明に貢献し、抗癌剤や抗炎症剤の開発において新たな角度から光を当てるものであると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

細菌性赤痢は開発途上国では未だ制御のできていない感染症疾患の1つであり、乳幼児を中心に毎年多くの死者を出している。赤痢菌の感染成立にはIII型分泌装置と呼ばれるニードル様の構造物を通して宿主細胞へ分泌される病原因子(エフェクター)が重要な役割をしている。そのため個々のエフェクターの機能を解析することは菌の宿主感染戦略を知る上で重要な手がかりとなると考えられる。本研究は機能が解明されていない赤痢菌の病原因子であるOspD2に着目し、分子生物学的、細胞生物学的な手法を用いて下記の結果を得た。

1. OspD2が赤痢菌のIII型分泌装置から分泌されるタンパク質であること

2. 上皮細胞に異所的に発現させたOspD2は、Nod1、TNFαの刺激により誘導されるNF-κBの活性化を抑制する

3. OspD2にはTNFαの刺激により誘導されるIκBαの分解を抑制する作用がある

4. OspD2発現細胞ではタンパク質の分解機能が阻害され、ユビキチン化されたタンパク質が細胞内に蓄積する

5. OspD2とプロテアソームを構成する因子の1つであるRpt5と結合し、その結合にはOspD2のN末端の65アミノ酸が必須である

6. Rpt5結合領域を欠失させたOspD2発現細胞では、全長OspD2発現細胞認められるユビキチン化されたタンパク質の細胞内蓄積は認められない

7. Rpt5結合領域を欠失させたOspD2発現細胞では、全長OspD2発現細胞で認められるTNFα刺激によるIκBαの分解抑制が認められない

8. 全長OspD2発現細胞で認められるTNFα刺激やNod1過剰発現によるNF-κB活性化の抑制作用もRpt5結合領域を欠失させたOspD2発現細胞では認められない

赤痢菌の40以上あるエフェクターの中で、感染時の過剰な炎症反応を抑制する働きのあるものがいくつか報告されているが、OspD2もそれら炎症反応を抑制するエフェクターの1つである可能性を本研究で見出した。赤痢菌が腸管の上皮細胞に感染する時には、赤痢菌の菌体成分であるペプチドグリカンがNod1に認識され、Rip2、IKK複合体、IκBα、NF-κBと連なる一連の経路が活性され宿主に過剰な炎症反応が引き起こされる。本研究では炎症反応に必須なNF-κBの活性化をOspD2がこれまで他の病原細菌では報告のされていないユニークなメカニズムで抑制していることを明らかにした。OspD2は巨大複合体であるプロテアソームを構成する因子の1つであるRpt5と結合することで、プロテアソームのタンパク質分解機能を阻害し、その作用を通じて、NF-κBαの活性化に必須なIκBα分解を抑制していた。病原細菌のエフェクターは宿主細胞に対して様々に働きかけることが知られているが、プロテアソームに直接作用し、その機能を制御しているようなエフェクターは、OspD2がはじめてである。本研究により得られた知見は細菌性赤痢の征圧に寄与するのみでなく、OspD2を解析ツールとして用いることで、真核生物において様々な生命現象に関わっているプロテアソーム・ユビキチン系タンパク質分解システムの分子機構および生理機能の解明の足がかりになることが期待される。本研究は、感染症領域のみならず様々な分野の医学の発展に貢献するもので、学位の授与に値するものと考えられる。

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