学位論文要旨



No 127688
著者(漢字) 古賀,光生
著者(英字)
著者(カナ) コガ,ミツオ
標題(和) 西欧右翼ポピュリスト政党の政策転換と党組織
標題(洋)
報告番号 127688
報告番号 甲27688
学位授与日 2012.03.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第262号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馬場,康雄
 東京大学 教授 中山,洋平
 東京大学 教授 大串,和雄
 東京大学 教授 水町,勇一郎
 東京大学 教授 飯田,敬輔
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,西欧における右翼ポピュリスト政党の帰趨について分析することを目的とする.具体的には,1980年代までに全国規模で支持獲得に成功した6つの政党について,90年代以降にも勢力が維持されたか,あるいは,一層拡大した3つの政党(オーストリア自由党,フランスの国民戦線,ノルウェーの進歩党)と,支持を失った3つの政党(ベルギーのフランデレン民族同盟,ドイツの共和党,デンマークの進歩党)の差異を説明することを主眼とする.さらに,分析枠組の検証のためベルギーとデンマークの分派政党(フラームス・ブロックとデンマーク国民党),およびイタリアの2つの政党(北部同盟とイタリア社会運動)についても,扱うこととする.

本稿は,90年代以降の西欧の政治状況の変化を重視し,右翼ポピュリスト政党が依拠した「選挙市場」の流動化を前提とする.具体的には,各国で進行した行財政改革や労働市場政策の変更によってこれらの政党が80年代までに主張した自由化や民営化の主張が独自性を失うと共に,主な支持層が,先行研究が「近代化の敗者」層と呼ぶ階層に変化したことを念頭に置く.その後に,従来の主張を転換して,移民排斥を社会保障の問題と結びつけるいわゆる「福祉排外主義」の主張に移行できたか否かが,これらの党の帰趨を左右したと結論付ける.これらは,いくつかの先行研究が主張したところであるが,本稿はこれらを補強するための定量的な分析を行った.

さらに,これらの政策的な移行の有無を左右した要因として,本稿は各党の組織構造の差異を挙げてこれを分析する.具体的には,党の意思決定過程において党首の下に権力を一元化する集権的な組織構造を有することが,これらの政党が政策を転換しうる条件であるとの仮説を提示する.これまで多くの右翼ポピュリスト政党研究は政党組織の充実を党勢維持の条件として重視するあまり,党組織が意思決定を制約しうる条件であることを看過した.本稿では,得票拡大を最優先する執行部に対して,他の政治目標を重視する党の構成員が,政策変化への抵抗を示したことを明らかにする.各党の内部には,政策の追求や政権獲得など,福祉排外主義とは矛盾しうる政治目標を重視する様々な行為主体が存在したが,これらの主体の意思決定への関与の度合いは大きく異なった.

本稿では,集権的な党組織の構築を規定する要因として,党中央主導の組織整備と党勢拡大のタイミングを重視する.具体的には,党中央主導の組織整備が規模の拡大に先行したか否かが,後の党内統制と党首への権力一元化を左右したとの仮説を提示する.組織化が先行すれば,議席の拡大に際して執行部はその配分に関与して,執行部の方針を支持する候補者らを議員団など組織の中核に据えることが可能となるためである.

本稿は,以下の構成をとる.まず序論において,本稿の問題意識を提示し,次いで第一章においてこれらの問題をめぐる先行研究を概観する.ここでは,右翼ポピュリスト政党の政策内容とそれへの支持については先行研究が厚いものの,組織の影響についてはこれまで十分な検討がなされてこなかったことが示される.さらに第二章においては,具体的な政策変化の時期と内容について,前章における先行研究の整理に従って定量的な手法で分析を行う.ここでは,それまで新自由主義的な経済政策を掲げていたポピュリスト政党が,90年代以降,労働者層の支持が拡大したことを受けて経済政策を中道化させ,「福祉排外主義」に象徴される権威主義的な姿勢に転換したことが明らかとなる.

第三章では,これらの政策転換を左右した要件としての党組織の条件について検討する.既に述べた党中央主導による組織化のタイミングについて検討するとともに,比較すべき事例の組合せについても明示する.具体的には,党の成立時期と中核的な主張の類似性を根拠として,ノルウェーとデンマークの進歩党,フランスの国民戦線とドイツの共和党,オーストリア自由党とベルギーのフランデレン民族同盟を比較する.イタリアの北部同盟とイタリア社会運動については,例外的な扱いとして党の組織構造の検証にとどめる.

第四章では,ノルウェーとデンマークの進歩党を比較する.両党は,反税政党として同じ年に創設された.ただし,ノルウェーでは90年代後半以降に進歩党が大きく支持を伸ばしたのに対して,デンマークでは党は分裂し,進歩党は支持を失った.その原因となった政策転換の差異は,組織構造の違いに由来した.デンマークでは急激な議席の拡大にもかかわらず組織整備が遅れたことで,地方組織が自律性を高めて候補者擁立を左右して議員団を制約したのに対して,ノルウェーでは,80年代に党首の主導で地方組織が整備され,候補者擁立を掌握した党首が自身の支持者を中心として議員団を構成した.この結果,90年代半ばの政策転換期において議員団内部の対立の結果に違いが生じた.執行部が新自由主義的な争点に固執する勢力を排除したノルウェーに対して,デンマークでは,むしろ党首が党を追われたのである.

第五章では,フランスの国民戦線とドイツの共和党を比較する.いずれも,極右的な傾向を持つ政党として党内にはイデオロギー的急進派が多数存在したものの,地方議会を中心とした得票拡大により極右勢力の比重は低下した.ただし,党の組織化の過程については対照的であった.党の執行部が主体的に地方組織を整備した国民戦線においては,人事においても党中央が主導権を発揮して集権的な組織構造を構築した.たしかに,地方議員の一部は公的資源を獲得することで自律性を高めた.しかし,党中央の意思決定過程においてその意向を表明する公式の経路を有さなかったため,党の政策転換への抵抗は排除された.一方,共和党においては,地方組織の拡大に党中央の対応が間に合わず,地方組織は独自の組織化を進めることとなる.各州の組織における路線対立は党大会を通じて党全体の意思決定過程にも反映され,党は度重なる内紛に悩まされることとなった.そのため,統一後の政治状況の変化に対応しきれず,党勢が低迷した.

第六章では,イタリアの事例を扱う.90年代前半における大規模な政党システムの再編のため,イタリアにおいては必ずしも政策転換が右翼ポピュリスト政党の党勢を左右したわけではなかった.ただし,党首の主導の下で組織化が進んだ北部同盟が政治情勢の変化に対応して政策を大きく変化させたのに対して,イタリア社会運動においては,成立以来の多様な党内構成に加えて70年代の組織拡大により,執行部の構成は党内バランスを意識したものとならざるを得なかった.そのため,80年代末から90年代初頭にかけて一貫した方針を打ち出せず,支持を伸ばすことができなかった.同党の議席拡大と組織再編は政党システムの変化と連合戦略という,党外部の要因によるものである.

第七章では,ベルギーとオーストリアの事例を扱う.ベルギーのフランデレン民族同盟は中央の議員団および地方議員を中心とした意思決定構造を有したことで,福祉排外主義への移行に失敗してフラームス・ブロックの支持を奪われた.これに対して,オーストリアでは,自由党が政策を転換して支持を拡大した.自由党も80年代までには州組織を中心とした分権的な組織構造を有したものの,86年にイェルク・ハイダーが党首に就任して以降,組織改革が進んだ.具体的には,州組織の人事に介入して,若手政治家の抜擢や党外からの人材の登用を行うことで議員団の構成を刷新した.このことで,彼は反対派の抵抗を押し切って党の政策を変化させることに成功した.自由党においてこのような組織再編が可能であったのは,90年代初頭までに党の議席が2倍以上に拡大したためである.ハイダーは,新たに増加した議席を自身の支持者に配分して党内で主導権を握り,最終的には反対派を追放することで権力を独占した.

以上のように,福祉排外主義の主張は90年代後半以降の右翼ポピュリスト政党の党勢の維持・拡大を左右したが,従来の姿勢からの方針転換には抵抗が伴った.党内の反対を押し切って政策を変更しえたか否かは,党の組織構造に由来した.さらに,集権的な組織を構築するためには,党勢の拡大に先立って党中央が組織化を主導することが条件であった.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、移民排斥を旗印に今日の西ヨーロッパ諸国の政治を揺るがし続けている右翼の諸政党を比較分析し、1990年代以降、党によって、政党システムに定着できたか否かが分かれたのは、支持基盤の変化に対応した政策転換を可能にするような党内の組織構造を備えていたか否かに原因があったと論証しようとしている。

本論文が「右翼ポピュリスト政党」と呼ぶこうした政党については、過去20年間、様々なアプローチの研究が量産されてきたものの、党によっては20%を超える大量の得票をどう説明するかは未だに決着がついていない。既成政党への不信感・不満を煽る抗議票の受け皿にすぎないのか。デマゴギーを操る「カリスマ」的党首の動員力で説明できるのか。

様々な説明の中から、著者は、90年代に「右翼ポピュリスト政党」が躍進したのは、80年代に採用していた経済自由主義を放棄し、移民を排斥しつつ「自国民」に対する社会保障の維持・充実を掲げる、いわゆる「福祉排外主義」の主張に移行することで、「近代化の敗者」、つまり雇用不安に直面した労働者などの新たな支持基盤を獲得し維持(固定化)できたからだとする所説を取り上げ、これを党組織の分析と結合することで独自の視点を提起するに至った。

本論文は、まず、各国の「右翼ポピュリスト政党」の政策位置の経時的変化を計量的に明らかにし、この所説の妥当性を確認する。その上で、こうした政策路線の転換を実現するには、党首の下に意思決定権限を集中する集権的な組織構造が不可欠だったのであり、結局、選挙での党勢拡大(政党システムへの参入)に先立って、党中央主導の組織整備=集権化が進んでいたかどうかが、福祉排外主義に移行して政党システムに定着できるか否かの最も重要な分岐点となる、という新たな仮説を提示する。第4章から第7章において、7カ国の9つの「右翼ポピュリスト政党」を成功例と失敗例の対に束ね、それぞれの党の組織構造の形成や政策転換の過程を跡付けることで、この仮説を裏付けた。

以下、各章毎に本論文の要旨を紹介する。

まず序論においては、「右翼ポピュリスト政党」の概念と共に、上記の問題設定が提示される。その際、先行研究を「需要側」、即ち、票を投じる有権者の側の要因を分析するものと、「供給側」、即ち、政党の側のリーダーシップや政策路線、党組織などに注目するものとに分け、本論文は相対的に研究蓄積の乏しい後者に焦点を据えると述べられる。

次いで第一章では、相対立する先行研究の見解を整理し、本論文の拠って立つところを提示する。

第一に、「右翼ポピュリスト政党」の支持基盤とその政策路線の関係に関して、「右翼ポピュリスト政党」への投票を非合理的な不満の表出・抗議票に過ぎないとする見方に対して、90年代以降、選挙での支持を維持して「定着」した政党の場合、得票が一定の安定性を示している以上、移民問題を中心とした政策への積極的支持への切り替えがあったと考えるべきだという立場を鮮明にする。本論文の分析はこの立場に立って初めて可能になる。

第二に、「右翼ポピュリスト政党」の党組織構造に関しては、「供給側」に関する様々な側面の中でも特に研究が手薄であり、しかも、量的な組織拡大の失敗や党の分裂が選挙での停滞を招くとする見解は現実に合致せず、党首の「カリスマ」にばかり注目する議論は、党立ち上げの時期は説明できても、政党システムへの定着に至るまで党指導者が党内の支持を安定的に再生産できるための組織的条件を明らかにしていない、などと批判し、むしろ党組織構造の集権性こそが選挙での盛衰に直結するとの対抗仮説を提示する。

続く第二章は、本論文の仮説のうち、各党の政策変化と支持層の拡大の間の関係に関する部分を計量的に検証することを目的とする。「比較マニフェスト研究」の政党の政策位置に関するデータから8項目を抽出して主成分分析を行い、市場指向(経済自由主義)と権威主義の2本の軸からなる座標平面上に各党の政策位置の変化を描き出した。その結果、いわゆる「新自由主義的」な経済政策を掲げていた「右翼ポピュリスト政党」が、90年代以降、労働者層の支持が拡大したことを受けて経済政策を中道化させ、同時に反移民など、権威主義的な姿勢を強化し、「福祉排外主義」の路線に移行していったことが明らかとなる。但し、多くの事例で支持層の拡大が政策変化に先行したため、福祉排外主義への移行は、一旦獲得した支持を固定化し維持する上で貢献したと結論付けている。

第三章では、仮説のうち、党組織と政策転換に関する部分がより立ち入って提示される。「右翼ポピュリスト政党」の場合、党首や執行部が政策転換を試みるのに対して、党組織がこれを制約するのは、党首らが目指す「得票最大化」の目標に対して党内でコンセンサスが欠けており、福祉排外主義の採用は、伝統的なイデオロギーとの間に矛盾を来す、あるいは逆に、既成政党との連合による政権入りの可能性を損なうといった抵抗が強いからだという。そのため、論文後半の事例分析では、こうした政策転換への障害の大きさを左右すると考えられる2つの変数(党の成立時期と中核的な主張)が近似しているにも拘らず、90年代に政党システムへの「定着」の成否で明暗を分けた2つの政党を組み合わせて比較する方法が採られる。

まず第四章では、ノルウェーとデンマークの進歩党を比較する。両党は共に反税政党として72年に創設され、翌年の総選挙で揃って躍進を果たした。しかしノルウェーでは党首の主導の下、福祉排外主義に転換して大きく支持を伸ばしたのに対して、デンマークでは政策転換を巡って党は分裂し、転換を拒否した進歩党は支持を失った。対照的な帰結は、2つの進歩党が90年代初頭の時点で持っていた組織構造の違いに由来した。デンマークでは創設者の意向もあって中央主導の組織整備が遅れた結果、地方組織が国政選挙の候補者選考を握って党中央の議員団の意思決定を制約した。これに対してノルウェーでは、創設者の急死と党の内紛によって中央の議席をほぼ全て失ったため、70年代末から80年代初頭にかけて、新たな党首ハーゲンが自らの統制の下にゼロから地方組織を再整備した。その結果、党首が国政選挙の候補者選考を掌握したため、90年代半ばの政策転換に際して、新自由主義的な争点に固執する反対派を難なく排除できた。対照的にデンマークでは、議員団内部の対立から逆に党首ケアスゴーが党を追われ、新党・デンマーク人民党を創設して初めて福祉排外主義への移行が実現した。

第五章では、フランスの国民戦線とドイツの共和党を比較する。共に極右勢力を起源に持ち、その影響力削減を共通の課題としていたが、党の組織整備の過程は対照的であった。党の執行部が主体的に地方組織を整備した国民戦線においては、集権的な組織構造が構築された。90年代の党勢拡大に対応した福祉排外主義への政策転換、特に移民排除を前面に打ち出す「国民優先」の路線に対しては、既成の右派政党との連合関係を危うくするとして、首長や地方議員を含む地方組織が強く反発したが、党中央の意思決定は党首ルペンとごく少数の側近にほぼ独占されていたため、抵抗の術もなく、分裂に追い込まれた。他方、共和党においては党組織の拡大に党中央の対応が間に合わず、地方は独自の組織化を進めた。しかも極右勢力が根強く残ったため、地方組織の路線対立により党中央は度重なる内紛に悩まされた。89年の西ベルリン市議会選挙では、新たに労働者・失業者層の票を得て躍進した。これを受けて、党首シェーンフーバーは政策転換を図ったが、極右的傾向を弱めることには成功したものの、福祉排外主義への転換は党組織に拒絶された。シェーンフーバーは辞任に追い込まれ、逆に経済自由主義の路線が強化され、以後、党勢が回復することはなかった。

第六章はイタリアの2つの党を比較する。党の権力を独占する党首ボッシが党組織の整備も主導した北部同盟では、福祉排外主義への移行など、機動的な政策転換を実施したが、ベルルスコーニから競合を受け、選挙での勢力伸張には繋がらなかった。他方、イタリア社会運動では、70年代の穏健路線に伴う党勢拡大の結果、集権的な組織構造が緩んだため、党首フィーニは80年代の経済的新自由主義への転換すら実施できず、以後も一貫した方針を打ち出せなかったが、93年以降の政党システム再編の波の中で、党名(国民同盟)と路線を一変させ、政権党の一角を占めるに至った。このように、イタリアでは、90年代前半の大変動のため、政策転換が必ずしも「右翼ポピュリスト政党」の選挙での盛衰に直結したわけではなかったが、93年以前の段階に限れば、組織構造が政策転換の成否を分けたという点では、本論文の仮説を裏付けている。

第七章では、ベルギーとオーストリアの事例を扱う。ベルギーのフランデレン民族同盟は、急進的な民族主義の主張で65年総選挙以後、躍進したが、77年の政権参加以降、大幅に穏健化した。これに反発して分裂した急進派が結成したフラームス・ブロックは、80年代半ば以降、労働者層の支持が集まる前から福祉排外主義の立場を明確化していたため、90年代になっても政策転換の必要がなかった。比較的集権性の低い組織構造のまま政党システムへの定着に成功したのはそのためである。フラームス・ブロックに圧倒されたフランデレン民族同盟では、福祉排外主義への転換によって活路を開こうとする党首が現れたが、議員団中心の分散的な意思決定の構造を持ち、しかも地方自治体での政権参加を重視する勢力が強かったため、政策転換の試みは大きな抵抗に遭い、デンマーク同様、党分裂後の新党で初めて実現した。

これに対して、オーストリア自由党は、ハイダーの下で党の組織構造の抜本的な再編による集権化に成功した結果、福祉排外主義へと政策を転換して90年代に支持を急激に拡大した。自由党も80年代までは州組織を中心とした分権的な組織構造を有し、イデオロギー的にも「ナショナル」派と「リベラル」派に二分されていた。しかし、86年にハイダーが党首に就任するや、地元のケルンテンの州議会選挙や86年総選挙などでの勝利による威信を活用して、州組織の幹部人事や国政選挙候補者の選定に介入し、若手の抜擢や党外の人材の登用によって、党幹部や国会議員に忠実な配下を増やした。特に、90年総選挙で党の議席が2倍以上に膨れ上がったのが決定的な転機となり、連邦中央主導の集権的な構造への再編が進んだ。そのため、91年のウィーン市議会選挙以降、ハイダーが党の移民排斥の姿勢を急激に強めると、反発する党内のリベラル派は離党に追い込まれ、その後に福祉重視への政策転換が行われた。

最後に、結論では、第4~7章の事例比較の結果を要約し、いずれの事例においても本論文の提示した仮説が裏付けられたことを確認した。他方、本論文の限界として、「需要側」の要因を分析の対象外にしたため、(1)民営化などの行財政改革のスピード次第で、「右翼ポピュリスト政党」躍進の前提となる既成政党の支持基盤の流動化のあり方が国毎に違ってくるのを無視していること、(2)福祉排外主義を支持する有権者層を巡る他の新興政党との競合関係を無視していること、などを挙げている。

本論文への評価は以下の通りである。

1990年代に政党組織(類型)論に新たな息吹が吹き込まれて以来、選挙における政党間競合の分析に党組織論を有機的に結合する可能性が示唆されてきたが、実証的な分析としては未だ十分な蓄積がなされているとは言い難い。その中で本論文は、党首の「カリスマ」の動員力ばかりが強調されてきた「右翼ポピュリスト政党」について、実は党の組織構造のあり方が選挙での成功、就中、選挙での最初の躍進の後で党が政党システムに定着できるかどうかに決定的な意味を持つことを明らかにした。定量分析と定性分析を組み合わせつつ、西ヨーロッパ各国で90年代に台頭した「右翼ポピュリスト政党」のほぼ全てを網羅した分析の説得力は充分である。しかも、選挙での突破(breakthrough)を達成する前に党組織の集権化を進めることが福祉排外主義への移行、即ち政党システムへの定着の必要条件だ、という本論文の定式化は簡明で、比較政党研究全般にインパクトを持ちうる。これが本論文の第一の長所である。

同時に、「右翼ポピュリスト政党」に関する研究としても、いくつかの点でこの分野の研究の進展に大きく貢献したと言える。

まず、本論文は、少なくとも90年代の「定着」期以降に関しては、「右翼ポピュリスト政党」の支持者は、他の党の支持者同様、党の政策位置に基づいて投票先を選択しており、党執行部も、定着に成功した党の場合は、得票最大化を目指して政策位置を移動させている、という前提に立つことで、有権者の支持の増減と党の路線転換との関連を過不足なく説明できることを示した。つまり、「抗議票か、イデオロギー/政策選好に基づく支持票(support vote)か」という「右翼ポピュリスト政党」を巡る最も重要な論点について、後者の立場に新たな根拠を定量分析と定性分析の組み合わせを通じて提供したと言える。これが本論文の第二の長所である。

また、90年代前半を境に「右翼ポピュリスト政党」の路線や支持基盤が明らかに変化しているにも拘わらず、先行する比較研究の多くは、この変化を正面から取り上げず、静態的な分析に留まっていた。これに対して本論文は、福祉排外主義への政策転換を、党首らへの集権化という党組織の再編と結び付け、党の変容のメカニズムを理解する視座を多くの事例から導き出した。これが本論文の第三の長所である。

しかも本論文は、これだけの数の政党を扱っていながら、一部の党については内部資料をも使用し、相対的に高度な実証を達成していることも、プラスに評価できよう。

もっとも本論文に短所がないわけではない。

第一に、「需要側」と「供給側」、どちらにも区分し切れない要素、特に、他の政党との連合可能性が政策位置の選択や党の選挙での盛衰に与えた影響が軽視されている。この問題は、伝統的な極右勢力との連続性の問題が本論文では捨象されていることにも起因していると思われる。

第二に、政党システムへの定着に関する本論文の定式化では、党組織の集権化・政党システムへの参入・福祉排外主義への政策移行という順序が予定されているが、扱われているケースの中には、この順序がずれているように見える事例がある。

第三に、叙述は読みやすく明快ではあるものの、図表の提示などに配慮の足りない部分が残る。また、誤字・脱字や綴りの誤りなどが目立つ。

しかし、これらの問題点も、長所として述べた本論文の価値を大きく損なうものではない。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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