学位論文要旨



No 127695
著者(漢字) 山下,崇博
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシタ,タカヒロ
標題(和) 表面間力の定量的評価に基づくスティクション防止膜に関する研究
標題(洋)
報告番号 127695
報告番号 甲27695
学位授与日 2012.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7625号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須賀,唯知
 東京大学 教授 川勝,英樹
 東京大学 准教授 一木,正聡
 東京大学 准教授 三田,吉郎
 九州大学 教授 澤田,廉士
内容要旨 要旨を表示する

微小電極の機械的な開閉により駆動するオーミックコンタクト型MEMS(Micro Electro Mechanical System)スイッチにおいて,可動電極が対向電極や隣り合う構造体に固着し動作不良を起こすスティクションが問題となっている.MEMSの一般的な構成材料であるシリコンや通常の金属などは,大気中ではその表面は酸化され親水性となる.そのため,スイッチ接点間隙に水分が毛管凝縮し水メニスカスが形成され,それにより発生する表面間力の一種である毛管力がデバイス動作中に発生するスティクションの主因とされる.ここで,微小物体間における表面間力を定量的に測定する方法として,原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscope, AFM)によるフォースカーブ測定を用いる方法が知られている.通常,AFMは先端に探針(ティップ)を備えたプローブが使用されるため,従来の研究ではその多くでティップ先端と試料間の表面間力を測定している.しかしながら,物体間に発生する表面間力の大きさはそれら物体の表面形状に強く依存するため,一般的に可動電極が平板構造であるMEMSスイッチで発生するスティクションを検証する場合,平板間における表面間力の測定が重要となる.そこで,本研究では先端にティップを備えていない平板型プローブを用いて,様々な金属薄膜,及び疎水性の低表面エネルギー膜を自律的に形成する有機化合物による,自己組織化単分子膜(Self-Assembled Monolayer, SAM)試料の表面間力を測定する.また,使用したプローブの先端形状を詳細に反映させた水メニスカスモデルを用いて,測定された表面間力を定量的に評価する.さらに,それら薄膜試料の低荷重領域における接触抵抗を測定することで,MEMSスイッチのスティクション防止膜としての応用を検討する.

第2章では,スティクションの発生防止に向けた指針を得るため,その原因の表面間力を定量的に測定することを目的とし,MEMSデバイスで用いられる様々な薄膜材料や微小形状間の表面間力をAFMにより調査した.具体的には,親水性であるSiO2,Al2O3,Cu2O,CuO酸化膜,疎水性であるSi,大気中では表面の酸化がほとんど進行しないAu,Pt薄膜,並びに疎水性SAMを形成するペルフルオロデシルトリクロロシラン(FDTS, CF3(CF2)7(CH2)2SiCl3),オクタデシルトリエトキシシラン(OTE, CH3(CH2)17Si(OCH2CH3)3)試料における表面間力を,標準的な形状のSiO2プローブティップ,あるいはより鋭利な形状のSiO2スーパーシャーププローブティップを備えたプローブ,さらに平板形状のSiO2ティップレスプローブを用いて,湿度10~85%の範囲で測定した.また,標準プローブティップとティップレスプローブについては,表面にFDTSとAuをそれぞれ堆積させたものも使用した.親水性のSiO2プローブを用いた実験では,先端形状に関わらず親水性試料においては湿度の上昇と共に毛管力が発生した.ティップを備えたプローブでは,湿度60~70%付近で表面間力は最大となり,その値は100~150nN程度であったが,ティップレスプローブでは湿度85%までその上昇に伴い表面間力も単調増加し,最大値はティップを備えたプローブと比較して10倍以上の値となった.よって,平板形状の構造体から構成されるMEMSデバイスでは,その多くでAFMプローブティップを用いて行われている従来の表面間力測定研究で得られた値よりも遥かに大きい表面間力が発生することを確認し,その低減技術の重要性を改めて示した.また,親水性試料であっても水接触角や表面粗さの大きい試料では,それらが小さい試料と比較すると表面間力は低減した.このことから,表面粗さの制御による表面間力の低減技術の可能性が示された.具体的には,平板の表面粗さをRMS値で1nm程度とすることで,先端曲率半径が10nm程度の形状をした構造体との間では,湿度が50%前後まで増加しない限り毛管力は発生しないことを確認した.一方,FDTSやAuをコーティングしたプローブを用いた実験では,プローブ先端形状や試料表面のぬれ性に関わらず,毛管力は測定されなかった.よって,2つの表面のうちの少なくともどちらか一方をそれら薄膜で覆うことで,毛管力の発生を回避できることが示された.また,FDTSやAuをコーティングしたティップレスプローブを用いた実験では,毛管力は発生しないものの,試料によって測定される表面間力の大きさは顕著に異なる結果となった.これは,平板形状のプローブは試料との接触面積が大きいため,試料の表面粗さの違いによる影響が顕著に表れた結果と考えられる.よって,平板形状の可動構造を備えたMEMSデバイスにおいては,その表面を疎水性とし,さらにその表面粗さを大きくすることで,発生する表面間力を大幅に減少できることが示された.

第3章では,微小構造体間で発生する表面間力を湿度の関数として高精度に算出することのできる水メニスカスモデル,及び式の導出を目的とし,従来用いられてきた表面間力の理論式を,微小構造体のより詳細な形状を反映させられるように修正した.その修正式を用いてAFMプローブ先端と試料間の表面間力を算出し,第2章で測定された実験値と比較することで,提案した式の汎用性や妥当性を確認した.まず,第2章で使用した先端曲率半径約10nm,開き角約20°の標準的なプローブティップは,赤道半径62nm,極半径380nmの縦長の回転楕円体と仮定し(このとき回転楕円体の先端曲率半径は約10nm,開き角は約19°となる),また,先端曲率半径数nm,開き角10°以下のスーパーシャーププローブティップは,赤道半径35nm,極半径700nmの縦長の回転楕円体と仮定し(このとき回転楕円体の先端曲率半径は1.75nm,開き角は約5.7°となる),ティップ先端と試料間の距離を試料の表面粗さRMS値とし,フォースカーブ測定でティップ先端が試料に繰り返し押し付けられたことによる変形を考慮したモデルを構築して計算を行ったところ,算出した表面間力の最大値や湿度に対する挙動は実測値と高精度に合致した.一方,ティップレスプローブを用いて測定された表面間力については,ファンデルワールス力はプローブのAFMへの取り付け角(約10°)による垂直方向の傾き,並びに水平軸からの微小な傾きを考慮した平板間モデルを提案し,毛管力はプローブの幅35μmという平板形状とその傾きを同時に満たす水メニスカスモデルとするため,プローブ先端を赤道半径17.5μm,極半径2μmの横長の回転楕円体と仮定し(このとき回転楕円体は直径35μm,開き角約167°となり,開き角と水平軸間の角度は6.5°となる),プローブ先端と試料の表面間距離に試料の表面粗さRMS値を反映させて表面間力を算出したところ,この場合も実測値の湿度に対する挙動や最大値を高精度に再現する結果となった.

第4章では,オーミックコンタクト型MEMSスイッチのスティクション防止膜としてSAMの適用を検討し,導電性,及び疎水性のSAM形成が期待されるチオフェノール(TP, C6H5SH),並びに2-ナフタレンチオール(2-NT, C10H7SH)を金薄膜上に成膜した試料を作製し,導電性の金コーティングティップレスプローブを用いてMEMSスイッチのスイッチング荷重と同程度の接触力範囲で接触抵抗を測定した.また,同プローブによる106回の連続的な繰り返し接触実験や,約2年の経年劣化に相当する加熱加速劣化試験を行い,それらコーティングの耐久性や長期信頼性を評価した.まず,表面間力測定結果より,TP,あるいは2-NTコーティングを用いることで湿度環境下における毛管力の発生を防ぐことができ,またファンデルワールス力についても,MEMSスイッチの一般的な電極材料であるAu薄膜と比較して30~40%の値となることを示した.具体的には,その表面粗さをRMS値で1nm程度とすることで,一般的な大きさ(数十μm×数十μm)の可動電極を備えたMEMSスイッチであれば,スイッチ電極間に発生する表面間力を120nN以下とできる.次に,接触抵抗測定結果より,TP,及び2-NT試料では4μN程度の接触力で安定的な導通が確認され,接触抵抗値はAu試料と同程度の約1Ωとなった.一方,Au試料では導通までに約16μNの接触力が必要であったことから,Au薄膜表面における汚染物堆積による絶縁性膜の形成が示唆された.そこで,TP,及び2-NT試料の集中抵抗を算出したところ,実験で得られた接触抵抗値とよく一致したため,高抵抗性の汚染物の吸着が発生していないこと,すなわちそれらコーティングによる防汚性が示された.また,大気中で約2×104~7×104回の繰り返し接触まで電気的な導通不良に至ることはなかったため,約7×103回の繰り返し接触で導通不良に至ったAu薄膜よりもデバイスの信頼性を向上させることができると言える.さらに,機械的な外力のない環境下であれば,TP,及び2-NTコーティングは少なくとも2年程度はデバイス表面から容易に脱離せず,疎水性や防汚性を維持し続けることを確認した.

以上の結果から,疎水性SAMの低ファンデルワールス力性,及び毛管力発生防止効果を表面間力測定実験,及び理論式による表面間力算出値から定量的に確認し,導電性,防汚効果を兼ね備えたSAMが大気中におけるMEMSスイッチのスティクション防止膜として有効であることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,MEMS(Micro electro mechanical system)デバイスで発生するスティクションの防止を目指し,原子間力顕微鏡(Atomic force microscope, AFM)を用いた様々な微小形状,及び材料間で発生する表面間力の測定と,実験で使用したAFMプローブ先端の微小形状を反映させた水メニスカスモデルによる表面間力の算出を行い,MEMSと同程度のスケールで発生し得る表面間力を系統的かつ定量的に評価し,それらの結果に基づいたオーミックコンタクト型MEMSスイッチおけるスティクション防止膜の検討を示したものである。

[AFMを用いた湿度環境下における表面間力測定]

スティクション防止に関する指針を得るため,MEMSデバイスの一般的な構成材料であるシリコンや様々な金属,及びそれらの酸化膜,さらに疎水性表面を形成する自己組織化単分子膜(Self-assembled monolayer, SAM)を成膜した試料を準備し,AFMフォースカーブ測定によりそれら材料表面で発生する表面間力を系統的に求めた。接触部分の形状の違いが表面間力に与える影響を定量的に調査するため,先端曲率半径数十nm程度のティップを備えたAFMプローブの他に,ティップを備えていない平板型のプローブも使用し,平板型の可動構造体で構成されることの多いMEMSデバイスで発生する表面間力の評価にも適用可能な測定結果を取得した。これら測定は,湿度制御システムが構築されたAFMチャンバー内で行われており,湿度環境下で発生するスティクションの最も大きな原因とされる毛管力を湿度の関数として評価した。測定結果より,大気中では表面の酸化がほとんど進行しない金や白金,あるいは疎水性SAMの成膜により,構造体の形状に関わらず湿度環境下において毛管力の発生を回避できること,すなわち,毛管力に起因するスティクションを防止できることを見いだした。また,ハマカー定数の小さい疎水性SAMは,金や白金膜よりもファンデルワールス力が小さく,スティクション防止膜としてより高性能であることが明らかとなった。

[湿度環境下における表面間力の高精度な算出式の導出]

AFMを用いて測定された湿度環境下における表面間力の発生メカニズムを理論的な観点から探るために,実験で使用したAFMプローブの先端形状の違いごとに適切なプローブ先端と試料間の水メニスカスモデルを提案し,それらモデルから導出した新規のファンデルワールス力と毛管力の理論式を用いて表面間力の算出を行った。従来の研究では,湿度の関数として表した表面間力の計算値がAFMによる実測値と高精度に合致することはほとんどなかったため,構造体の水接触角と表面粗さのみ既知であれば,先端に任意の曲率半径を備えた錐体,あるいは回転楕円体形状の構造体と平板間,さらには傾きを備えた平板同士間の湿度環境下における表面間力を,湿度の関数として高精度に算出することのできる汎用モデル,及び理論式を提案した点は高く評価できる。さらに,本手法を適用して算出された表面間力は,従来の研究で示されているAFMによる測定結果とも良く合致することから,提案した算出式が広い一般性を持ち,表面間力の評価において非常に有効であることを示している。

[MEMSスイッチのスティクション防止膜の検討]

導電性が期待されるπ電子共役系分子から構成され,疎水性SAMを形成する有機化合物であるチオフェノール(Thiophenol, TP),及び2-ナフタレンチオール(2-naphthalenethiol, 2-NT)に着目し,オーミックコンタクト型MEMSスイッチのスティクション防止膜としての適用を検討した。湿度環境下における表面間力測定から,それらSAMは毛管力の発生を防止し,ファンデルワールス力についても,金薄膜の値の30~40%であることが示された。具体的には,表面粗さをRMS値で1nm程度とすることで,一般的な大きさ(数十μm×数十μm)の可動電極を備えたMEMSスイッチであれば,電極間に発生する表面間力を100nN以下とできることが明らかとなった。また,一般的なMEMSスイッチのスイッチング荷重領域(100μN以下)における接触抵抗を測定したところ,金薄膜試料と同程度の約1Ωであった。なお,金薄膜試料では導通までに16μN程度の接触力が必要であったが,SAM試料では4μN程度の接触力で安定的な導通が確認されたため,防汚性も明らかとなった。さらに,大気中で約2×104~7×104回の繰り返し接触まで導通不良に至ることはなく,約7×103回で不良に至った金薄膜試料よりも機械的な荷重に対する安定性が高いことを確認した。加えて,外部からの大きな負荷などのない環境下であれば,それらSAMは少なくとも約2年はデバイス表面から容易に脱離することはなく,疎水性や防汚性の効果を保ち続けることが分かった。これまで,SAMを用いたオーミックコンタクト型MEMSスイッチのスティクション防止技術は報告が無く,導電性と疎水性を兼ね備えたSAMの大気中におけるMEMSスイッチのスティクション防止膜としての適用性を示す結果が得られた点は非常に新規性が高い。

以上の結果から,本研究では,様々な形状や材料間で発生する表面間力を定量的に評価し,その値を湿度の関数として高精度に算出できる新規理論式を提案し,それらの知見に基づき導電性SAMによるMEMSスイッチのスティクション防止技術を明確に示したものであり,その独創性が高く評価された。

本研究で得られた工学的知見は極めて大きく,また,工学の発展に寄与するところは多大である。よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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