学位論文要旨



No 127697
著者(漢字) 平林,ルミ
著者(英字)
著者(カナ) ヒラバヤシ,ルミ
標題(和) デジタルペンを用いた時間分析による書字困難に関する研究
標題(洋)
報告番号 127697
報告番号 甲27697
学位授与日 2012.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第7627号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中邑,賢龍
 東京大学 准教授 針生,悦子
 東京大学 准教授 巖淵,守
 東京大学 准教授 渡邉,克巳
 東洋大学 教授 川口,英夫
内容要旨 要旨を表示する

本研究は読み書きが困難な子ども達の分類・評価・指導を教育的観点からとらえ直すことを目的として,デジタルペンによる書字行動の量的評価手法の開発を行った。小学1~6年生約600名の書字行動の時間データを収集し,書字の運動時間/停留時間の分離,漢字/仮名の分離,文字間停留/文節間停留の比較,書字パターンの分類を行った。その結果,各指標が変化する段階は均一でなかった事から,各要素の認知プロセスを推測し,書字行動の発達の背景要因を考察した。また書字パターンは3つに分類でき,各学年でそれぞれの型を示す児童の割合が異なっていた。次に,書字に困難のある小学生9名を対象として,認知心理評価と書字行動評価を行い,両者の関連性の検討を行った。書字行動の時間的な特徴から児童を分類し,各グループの書字困難の背景要因を書字困難モデルと照合し,考察した。結論と今後の展望として,行動評価に基づき,その行動を補償するための学習環境を整える代替アプローチの重要性を述べた。

1.論文の内容の詳細

第1章では序論として,読み書き困難のある子どもたちを対象とした研究を行う動機および用語の定義を述べ,本研究における読み書き困難の児童に対するとらえ方を述べた。

第2章では,読み書き困難のある子どもたちの分類と教育,評価に関するレビューを行った。まず,米国における教育・医学におけるとらえ方の歴史的背景(MBI(Minimal Brain Injury)→MBD(Minimal Brain Dysfunction)→LD(Learning Disabilities),SLD(Specific Learning Disorder,Dyslexia)をレビューし,関連用語が多数存在するこの領域の用語について整理を行い,その用語の歴史的背景を知ることが,読み書き困難のある子どもたちの適切な理解のために不可欠であることを論じた。また,日本における読み書き困難評価のテストバッテリーについておよび日本における読み書き困難児童への指導法のレビューを行った。レビューから,教育においては読み書き困難な原因を特定して治療するアプローチとは異なる枠組みが必要であることが浮かび上がった。

第3章では第2章までのレビュー明らかとなった読み書きに困難のある児童の分類と評価における問題を解決するための方法として,行動の量的評価を行うことを提案した。これまでの書字の行動評価に関する先行研究から日本語を対象とした独自の研究が必要であること,また,書字プロセスを測定する研究は,そのデータ収集にパソコンが必要であり,大きなサンプルを対象とすることが困難であるという方法論的制約が存在することがわかった。そこで本研究ではデジタルペンを用いた書字行動の量的評価手法を開発することを提案し,その具体的手続きについて述べた。

第4章では,第3章で提案したデジタルペンによる書字行動の量的解析を,小学校の通常学級に在籍する1年~6年までの児童600名を対象として行い,書字行動における運動時間/停留時間の分離,自然な国語の文章における漢字/仮名の分離を行い,それぞれが学年間でどう変化しているかを述べた。その結果,漢字/仮名という文字によって,学年間で運動時間/停留時間のどちらにリソースが割かれているかが異なるという結果が得られた。

第4章では漢字/仮名の文字単位での分析であり,書字の連続性については検討してこなかったため,第5章では,書字の連続性に着目し,書字行動がどこで止まっていうるのかという観点から,通常学級児童の書字行動から文字間停留と文節間停留について抽出し比較を行った。その結果,1年生と6年生においては文字間停留と文節間停留に差の見られない児童の割合が高く,他の学年においてはその差が有意な児童の割合が高いことが明らかになった。このことから,文節でより長く停留し,文節を活用するか否かについては発達が逆U字型になっている可能性が示唆された。次に,書字の連続性を検討するために,書字を行っている行動の塊(1度にどれくらいの文字を書いているか;書字スパンと定義した)について検討した。個人の書字スパンを算出し,書字スパンから書字行動の型を,1文字ずつ書いている「A型:粒書きパターン」,複数文字をまとめて書いている「B型:まとまり書きパターン」,停留せずに連続して書いている「C型:連続パターン」の3つに分類した。その結果,1・2年生においてはA型・B型の児童の割合が高かったのに対して,次第にA型の児童が減り,C型の児童が増え,6年生では2%がA型,62%がB型,36%がC型を示した。このことから,書字行動の効率化の背景にはまとまりで書けることに加え,見ながら書けるという行動の変化があることが明らかになった。また2%のAを示した児童に関しては書字障害との関連を検討する必要性が示唆された。

第6章では,読み書きの困難を主訴として相談があり,書字に困難のある小学生を対象として,認知心理学的評価と書字行動評価を行い,両者の関連性の検討および書字行動の時間的な特徴から児童を分類し,そのグループにおいて書字行動を困難としている要因を書字困難モデルと照らし合わせながら考察した。音韻情報処理と書字行動における停留時間に負の相関があるという結果が明らかとなり,逆説的ではあるが音韻の操作に困難をもつ場合には,音韻経路を通さずに見て書くという処理をしている可能性が示唆された。また,書字行動のプロセスを検討することで認知心理学的評価からは明らかにならなかった別の背景要因が存在する可能性が示唆され,行動評価の重要性が明らかとなった。

第7章では結論と今後の展望として,行動評価に基づき,その行動を補償するような学習環境を整える代替アプローチの重要性を述べた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「デジタルペンを用いた時間的分析による書字困難の研究に関する研究」は、デジタルペンを用いて小学生の書字行動プロセスを量的に分析する事で、読み書きが困難な子ども達の評価・指導方法を教育的観点からとらえ直すことを目的とした研究である。

第1章では、読み書き困難のある子どもたちの 教育、評価に関するレビューを行った。米国における教育・医学におけるとらえ方の歴史的背景を中心に多くの論文をレビューし、読み書き障害の関連用語が多数存在し混乱しているこの領域の用語について整理を行っており、多くの研究者が参照するに値する内容になっている。

第2章では、日本における読み書き困難評価テスト、および、日本における読み書き困難児童への指導法のレビューを通じ、教育においては読み書き困難な原因を特定して治療するアプローチとは異なる枠組みが必要であることを浮き彫りにした。読み書き困難の評価が時間やエラーなどの測度で静的にとらえることしかなかったアプローチの中、工学的手法を用いて動的に行動プロセスを明らかに出来るのではいう斬新なアイデアを提案している。

第3章では、デジタルペンを用いた書字行動の量的評価手法を提案し、その具体的手続きについて述べた。同時に、デジタルペンの形状やサイズが書字行動に影響を及ぼさない点、ここで用いた視写課題が年齢に影響されない点を検証し、本研究で得るデータの信頼性が高いことも示している。

第4章ではデジタルペンによる書き写し行動の量的解析を、小学校の通常学級に在籍する1年~6年までの児童618名を対象として行った。これだけ多くの子どもの書字プロセスをデジタルデータで記録・分析した研究は国内外を通じてこれまで無く、小学生の書字の標準データとして非常に価値の高いものである。第1節では、書字行動における運動時間/停留時間の分離、漢字/仮名書字の分離を行い、漢字/仮名という文字によって、運動時間と停留時間の比が発達的に変化することを明らかにした。第2節では、書字の連続性に着目し、文字間停留と文節間停留について抽出し比較を行った。その結果、1年生と6年生においては文字間停留と文節間停留に差の見られない児童の割合が高く、他の学年においてはその差が有意な児童の割合が高いことが明らかになった。文節を活用するか否かについては発達が逆U字型になっているという知見は発達的に非常に興味深い発見である。さらに、この現象を説明するために、1度にどれくらいの文字を書いているかについて行動パターンを分析し、1文字ずつ書いている「粒書きパターン」(A型)、複数文字をまとめて書いている「まとまり書きパターン」(B型)、停留せずに連続して書いている「連続パターン」(C型)の3つに分類した。1,2年生においてはA型・B型の児童の割合が高かったのに対して、次第にA型の児童が減り、C型の児童が増え、6年生では2%がA型、62%がB型、36%がC型を示した。このことから、1年生と6年生の文字間停留と文節間停留の差の無さは質的には全く異なるものであることを明らかにした。こういった新しい知見の提供は、本論文の提案した書字行動プロセスのデジタル分析が有効である事を裏付けていると言える。

第5章では、書字に困難のある小学生9名を対象として、認知心理学的評価と書字行動評価を行ない、両者の関連性の検討および書字行動の時間的な特徴から書字困難要因を書字困難プロセス図と照らし合わせながら考察した。そして、書字困難には「視覚系」「聴覚系」「運動出力系」の3つのタイプが存在する事を明らかにした。こういった行動上からの分類は、問題の所在と補償する工学的代替手段の選択を誰にも分かりやすい形で明示できるため、医学的知識に乏しい教師や親にも理解しやすいものと言える。この学際的・独創的な研究視点は年間40例近い読み書き困難児の相談に応じる平林氏の言語聴覚士としての日常臨床活動に基づく部分が大きく影響している。

第6章では結論と今後の展望として、原因を解明し治療手段を考えるアプローチだけではなく、行動評価に基づきその行動を補償するような学習環境を整える代替アプローチが、即効的で子どもの学習の遅れを最小限にする上で重要である事を述べた。現在、読み書き障害を脳機能の不全という視点からその原因を診断し、治療教育を行うアプローチが主流である。その中で本論文は、子どもの行動上の困難さという視点から読み書き困難をとらえ、書字行動のプロセスを解析したデータから工学的代替技術を用いたアプローチを科学的エビデンスに基づき提案している。研究者にもならず教師や親にも非常に説得力のある研究であり、特別支援教育分野の研究や臨床活動に大きく貢献すると考えられる。

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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