学位論文要旨



No 127698
著者(漢字) 恵上,知人
著者(英字)
著者(カナ) エガミ,トモヒト
標題(和) 麹菌由来のグルタミン酸脱水素酵素遺伝子を導入したバレイショの生理・生態的研究
標題(洋)
報告番号 127698
報告番号 甲27698
学位授与日 2012.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3737号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 根本,圭介
 東京大学 准教授 山岸,徹
 東京大学 准教授 山岸,順子
 東京大学 准教授 吉田,薫
内容要旨 要旨を表示する

窒素は植物にとって必須栄養素であり,窒素施肥は作物の成長や収量に重要である.近年,作物の増収を目指して大量の窒素が投入されているが,過剰な窒素は水系に流亡したり,大気中に放出されたりして環境汚染を引き起こす要因として懸念されている.このため,作物の窒素の吸収,同化,利用に関わる能力を改善し,低窒素施肥でも収量が維持されるような品種,あるいは,多窒素施肥でも土壌の残留窒素が少なくなるような品種の開発は,多量の窒素施肥が引き起こす環境問題を解決しつつ作物の生産拡大を図る方策の1つである.

グルタミン酸デヒドロゲナーゼ(GDH)は,2-オキソグルタル酸のアミノ化におけるグルタミン酸の生成とグルタミン酸の脱アミノ化による2-オキソグルタル酸の生成を可逆的に触媒する酵素である.これまで,大腸菌や麹菌のGDH遺伝子を導入したトマト,イネ,タバコにおいて,アミノ酸含量や窒素含量,更には収量の増加等が報告されている.

本研究では,麹菌Aspergillus nidulans 由来のGDH遺伝子(gdhA)をこれまで報告のない栄養繁殖性作物であるバレイショ(GDHバレイショ)に導入し,GDH遺伝子導入が生理・生態的特性に与える影響について検討した.

第1章:麹菌Aspergillus nidulans由来のグルタミン酸脱水素酵素(GDH)遺伝子を導入したバレイショ形質転換体における光合成およびバイオマス生産の解析.

本章では,GDHバレイショの1系統(TG8)を用いて,通常の窒素条件の標準区と,標準区の5分の1の窒素条件にした低窒素区の2処理区を設け,閉鎖系温室内にてポット栽培を行なった.開花期に光合成速度,呼吸速度,葉面積,塊茎数,ストロン数,塊茎新鮮重,各部の乾物重を測定した.また,地上部の完全に枯死した時期を収穫期として,塊茎数,塊茎新鮮重,乾物重,塊茎の窒素・炭素含量を測定し,塊茎の炭素含量と窒素含量の割合(C/N)比を算出した.

その結果,非形質転換体(WT)に比べてTG8は,開花期の光合成速度は特に低窒素区において有意に高く,葉面積は標準区,低窒素区ともに有意に大きかった.開花期のストロン数や開花期および収穫期の塊茎数は増加し,開花期の各部位の乾物重も標準区,低窒素区ともに増加していた.収穫期の塊茎のC/N比は,TG8において高い傾向がみられ,特に低窒素区においては有意で高かった.

以上の結果より,麹菌由来のGDH遺伝子を導入することによりソース機能が向上し,そのため開花期の地上部,塊茎のバイオマス生産,更には収穫期の収量が向上することが明かとなった.また,GDH遺伝子の導入は,低窒素区において,より効果的であることが示唆された.

第2章:GDH遺伝子を導入した複数系統のバレイショ形質転換体における光合成,バイオマス生産,窒素利用効率および葉,塊茎の代謝産物の解析.

前章では,GDHバレイショ1系統を用いた検討を行い,GDH遺伝子導入による様々な効果が確認できた.本章ではGDHバレイショを複数系統(TG1,2,3,5,8)用い,前章で得られた効果を再確認するとともに,GDH活性,開花期におけるソース葉の可溶性タンパク質濃度,ソース葉および塊茎の代謝産物等について詳細な検討を行なった.

その結果,GDHバレイショ5系統全てにおいて, NADP(H)-GDH活性の有意な上昇が認められ,導入したGDH遺伝子が機能していることが確認された.開花期において,GDHバレイショでは光合成速度が高くなり,葉の可溶性タンパク質濃度は増加していた.塊茎肥大期において,GDHバレイショの塊茎数は増加の傾向が見られ,塊茎乾物重は増加した.塊茎への窒素および炭素の分配はGDHバレイショで増加しており,塊茎乾物重に対する窒素利用効率(塊茎の乾物重 / 総窒素吸収量)もGDHバレイショで高い傾向が見られた.塊茎のグルタミン酸およびアスパラギン濃度はGDHバレイショで増加傾向が認められた.

以上の結果より,バレイショに麹菌由来のGDH遺伝子を導入することで,ソース能力および塊茎乾物重等が向上することがGDHバレイショの複数系統において確認された.また,塊茎への窒素および炭素の分配が増大し,窒素利用効率が向上することが新たに明らかになった.

第3章:圃場栽培におけるGDH遺伝子を導入したバレイショ形質転換体のバイオマス生産,窒素利用効率,塊茎の代謝産物の解析.

前章までは,閉鎖系温室内におけるポット栽培でのGDH遺伝子導入の効果について検討した.前章までに得られた導入遺伝子の効果が一般の畑圃において同様に得られるかどうかは,遺伝子の有用性を評価するうえで重要である.本章では,導入したGDH遺伝子の効果が隔離圃場においてもポット栽培と同様に得られるかどうかを検討した.

材料にはWTとGDHバレイショ2系統(TG3,8)を用いた.一般にバレイショを圃場栽培する際の施肥条件である標準区と窒素施肥を行わない無窒素区の2処理区を設けた.開花約4週間後にソース葉のSPAD値,地上部・地下部の新鮮重および乾物重,塊茎数,地上部・地下部の窒素・炭素含量,塊茎の代謝産物を測定した.

その結果,SPAD値は標準区および無窒素区ともに,WTとGDHバレイショで差は認められなかった.また,塊茎数も同様であった.地上部の新鮮重および乾物重は標準区では両者で差がなかったが,無窒素区ではGDHバレイショで有意に低かった.地上部の窒素含量は乾物重の影響を受けて,無窒素区においてGDHバレイショで低かった.塊茎に関しては,標準区の新鮮重はWTとGDHバレイショで違いは見られなかったが,無窒素区ではTG3がWTより有意に高かった.乾物重は,標準区では,GDHバレイショで高い傾向がみられ,TG8は有意に高かった.炭素含量は標準区,無窒素区ともにWTと比較してTG3で増加する傾向が見られた.塊茎への乾物分配率および窒素・炭素分配率は標準区,無窒素区ともにGDHバレイショがWTより高かった.また,塊茎乾物重に対する窒素利用効率(塊茎の乾物重 / 総窒素吸収量)もGDHバレイショはWTより増加傾向にあった.塊茎の代謝産物は,標準区ではグルタミン濃度および総アミノ酸濃度に,無窒素区ではアスパラギン濃度にGDHバレイショで有意な増加が見られた.

以上の結果より,GDHバレイショは塊茎へ乾物を分配する能力および塊茎乾物重に対する窒素利用効率が向上していることが圃場栽培においても確認された.また,塊茎のアミノ酸濃度においても影響を与えていることが圃場栽培でも認められた.

第4章:GDH遺伝子を導入したバレイショ形質転換体の徒長茎の解析

第1章の結果,GDHバレイショは萌芽時期が早い傾向にあった.このことからGDHバレイショは種芋の出芽から土壌表面への萌芽までの成長に違いが生じていることが示唆された.本章では,出芽したバレイショの芽を暗黒下で生育させることで徒長茎を作成し,その徒長茎の地上部と地下部(根)の新鮮重および乾物重を調べることでGDHバレイショの出芽後の生育について検討した.

材料は第3章同様,WTとGDHバレイショ2系統(TG3,8)を用いた.約10mmに出芽した芽を含んだ直径15mm,高さ20mmの円柱状組織片を作成し,それをバーミキュライトに移植して,23℃に設定したバイオトロン内にて暗所下で生育させた.施肥条件は,標準区と標準区の5分の1の窒素濃度に設定した低窒素区の2処理区を設けた.バーミキュライトから1cm萌芽した時点を0日と考え,そこから3週間後の徒長茎の長さ,新鮮重および乾物重,根の新鮮重および乾物重を測定した.

その結果,GDHバレイショでは根の新鮮重および乾物重が有意に増加した.また,地上部と根の乾物重からTop / Root比を算出した結果,GDHバレイショではWTと比較して有意に低下した.

以上の結果より,GDHバレイショは出芽から初期成長の時期において,根の成長を優先的に促進させていることが明らかになった.これによって,土壌からの栄養吸収が向上し,地上部および塊茎の成長につながる可能性が示唆された.

以上のことから,麹菌A. nidulans 由来のGDH遺伝子を導入したバレイショにおいて,ソース機能の向上,塊茎乾物重の増大,塊茎への窒素・炭素分配の向上,窒素利用効率の向上などが認められた.塊茎乾物重の増大以外のこれらの優れた特徴は本研究で初めて明らかにされたものである.これらの結果から,麹菌A. nidulans由来のGDH遺伝子は施肥窒素の効率的利用を図ることの出来る作物を開発するために有効な手段の1つであることが明らかになった.

審査要旨 要旨を表示する

窒素は植物にとって必須栄養素であり、窒素施肥は作物の成長や収量に重要である。しかし、近年、作物の増収を目指して大量の窒素が投入されており、過剰な窒素は水系に流亡したり、大気中に放出されたりして環境汚染を引き起こす要因として懸念されている。このため、作物の窒素の吸収、同化、利用に関わる能力を高めた品種の開発は、多量の窒素施肥による環境問題を解決しつつ作物の生産拡大を図る方策の1つとして重要である。グルタミン酸デヒドロゲナーゼ(GDH)は、微生物のアンモニア同化に関わる酵素であり、これまで、大腸菌や麹菌のGDH遺伝子を導入したトマト、イネ、タバコにおいて、アミノ酸含量や窒素含量、更には収量の増大等が報告されている。本研究では、麹菌Aspergillus nidulans 由来のGDH遺伝子を、これまで報告のない栄養繁殖性作物であるバレイショに導入し、GDH遺伝子導入が生理・生態的特性に与える影響について検討した。

第1章:麹菌由来のGDH遺伝子を導入したバレイショ形質転換体における光合成およびバイオマス生産の解析

本章では、GDH遺伝子を導入したバレイショ(GDHバレイショ)1系統(TG8)を用いて、通常の窒素条件である標準区と5分の1の窒素条件である低窒素区の2処理区を設け、閉鎖系温室内にてポット栽培を行なった。その結果、非形質転換体(WT)に比べてTG8は、開花期の光合成速度が特に低窒素区において有意に高く、葉面積は標準区、低窒素区ともに有意に大きかった。開花期の各部位の乾物重も標準区、低窒素区ともに増加していた。収穫期の塊茎乾物重もTG8で有意に増加した。このように、麹菌由来のGDH遺伝子を導入することによりソース機能が向上し、開花期の地上部、塊茎のバイオマス生産、更には収穫期の収量が向上することが明らかとなった。また、GDH遺伝子の効果は、低窒素区において、より効果的であることが示唆された。

第2章:GDH遺伝子を導入した複数系統のバレイショ形質転換体における光合成、バイオマス生産、窒素利用効率および葉、塊茎の代謝産物の解析

本章ではGDHバレイショを複数系統(TG1、2、3、5、8)用い、前章で得られた効果を再確認するとともに、GDH活性、開花期におけるソース葉の可溶性タンパク質濃度、ソース葉および塊茎の代謝産物等について詳細な検討を行なった。その結果、GDHバレイショ5系統全てにおいて、NADP(H)-GDH活性の有意な上昇が認められ、導入したGDH遺伝子が機能していることが確認された。開花期において、GDHバレイショでは光合成速度が高くなり、葉の可溶性タンパク質濃度も増加していた。塊茎肥大期では、GDHバレイショの塊茎数と塊茎乾物重が増加した。塊茎への窒素および炭素の分配はGDHバレイショで増加しており、塊茎乾物重に対する窒素利用効率(塊茎の乾物重 / 総窒素吸収量)もGDHバレイショで高い傾向が見られた。塊茎のグルタミン酸およびアスパラギン濃度はGDHバレイショで増加傾向が認められた。このように、バレイショに麹菌由来のGDH遺伝子を導入することで、ソース能力が向上し、塊茎乾物重等が増大することがGDHバレイショの複数系統において確認された。また、塊茎への窒素および炭素の分配が増大し、窒素利用効率が向上することが新たに明らかになった。

第3章:圃場栽培におけるGDH遺伝子を導入したバレイショ形質転換体のバイオマス生産、窒素利用効率、塊茎の代謝産物の解析

閉鎖系温室内でのポット試験で得られた導入遺伝子の効果が一般の畑圃において同様に得られるかどうかは、遺伝子の有用性を評価するうえで重要である。本章では、導入したGDH遺伝子の効果を隔離圃場において検討した。その結果、塊茎への乾物および窒素分配率は標準区、無窒素区ともにGDHバレイショがWTより高かった。また、塊茎乾物重に対する窒素利用効率も増加傾向にあった。 このように、GDHバレイショは塊茎へ乾物を分配する能力および窒素利用効率が向上していることが圃場栽培においても確認された。

第4章:GDH遺伝子を導入したバレイショ形質転換体の徒長茎および根の解析

第1章の結果からGDHバレイショは種芋の出芽から土壌表面への萌芽までの成長に違いが生じていることが示唆された。本章では、出芽したバレイショの芽を暗黒下で生育させた徒長茎と根の新鮮重および乾物重を調べた。その結果、GDHバレイショでは根の新鮮重および乾物重が有意に増加していた。また、地上部乾物重/根乾物重比は、GDHバレイショではWTと比較して有意に低下した。このように、GDHバレイショは出芽から初期成長の時期において、根の成長を優先的に促進させていることが明らかになった。また、このことを通じて、土壌からの栄養吸収が向上し、地上部および塊茎の成長につながる可能性が示唆された。

以上本研究において、麹菌A.nidulans 由来のGDH遺伝子をバレイショに導入することで、ソース機能の向上、塊茎乾物重の増大、塊茎への窒素・炭素分配の向上、窒素利用効率の向上などが認められることを明らかにした。一連の研究結果は、麹菌A.nidulans由来のGDH遺伝子が施肥窒素の効率的利用を図ることの出来る作物を開発するために有効な手段の1つであることを示したもので、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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