学位論文要旨



No 127705
著者(漢字) 末木,新
著者(英字)
著者(カナ) スエキ,ハジメ
標題(和) インターネットを活用した自殺予防に関する研究 : オンライン・コミュニティの現状と効果的運用方法の調査に基づいて
標題(洋)
報告番号 127705
報告番号 甲27705
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第192号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下山,晴彦
 東京大学 准教授 高橋,美保
 東京大学 講師 石丸,径一郎
 東京大学 教授 牧野,篤
 東京大学 教授 佐々木,司
内容要旨 要旨を表示する

第1部 序論(問題意識)

わが国では1998年以降,年間の自殺者数が3万人超で高止まりをしており,大きな社会問題となっている。自殺予防を目的とした活動には様々なものがあるが,その中の重要な活動の一つとして「いのちの電話」などに代表される,メディアを活用したインターヴェンションが挙げられる。しかしながら,こうしたサービスの電話受信率は10%程度となっており,高まる相談需要に必ずしも応え切れていない。

こうした現状に対し,インターネットという新メディアを活用した自殺予防活動を構築しようとする動きがある。これまで,インターネットの持つ自殺への影響には,効果的な自殺方法の伝播及び模倣が生ずる,ネット心中を誘発する,といった指摘がなされてきた。その一方で,こうしたやり取りが行われるインターネット・コミュニティが自殺に関心の高い者の自助グループとして機能をしてきたという指摘もあり,ここに,インターネットを活用した新たな自殺予防活動の萌芽を見てとることができる。しかしながら,その影響あるいはコミュニティの効果的な運用方法に関する先行研究は少なく,自殺予防を目的とした臨床実践を開始するにはエビデンスが不足していると考えられる。

そこで,インターネットを活用した自殺の危険の高い者の自助グループ活動の影響及びコミュニティの効果的な運営方法について検討するため,先行研究をレビューした上で,本研究の目的を以下のように設定した。

(1)自殺の危険の高い者のアクセスを効率的に集めるため,自殺に関するロボット型検索エンジンの利用状況について調査する。(→第2部)

(2)自殺の危険の高い者のアクセスを集めるためのホームページのコンテンツとなる「自殺予防に関する情報提供・心理教育」を行い,その影響を検証する。(→第2部)

(3)インターネットを活用した自殺の危険の高い者の自助グループ活動の影響及び予防効果の創出要因について検証する。(→第3部)

(4)インターネットを活用した自殺の危険の高い者の自助グループ活動の問題点について検討する。(→第4部)

第2部 インターネット・コミュニティの運営に向けたプラットフォームの構築

第2部では,自殺予防を目的としたインターネット・コミュニティの運営に向けたプラットフォームの構築に関する研究が行われた。

第5章では,自殺の危険の高い者が検索する可能性が高い検索語を明らかとすることを目的とし,自殺関連語の検索状況・自殺関連語間の関連及びこれらと自殺率との時系列的な関連を検討した(2004-2009年,72カ月)。その結果,月別検索ボリュームの関連を多次元尺度構成法により検討したところ,自殺関連語は,「うつ関連」「予防・客観情報」「希死念慮関連」「自殺方法関連」の4種類の検索語に分類された。また,これらの検索語の検索量と自殺率との時系列的な関連を検討した結果,「うつ」の検索量が自殺率と有意な関連を示していた。しかしながら,自殺関連語に関する検索量と自殺率との間の関連は,自殺率の変化が検索の変化に先行していたため,自殺の危険の高い者が検索する可能性の高い検索語の種類については明らかにならなかった。

第6章では,前章で明らかにならなかった問題である「どの検索語を検索する者の自殺の危険が高いのか?」という問いを明らかにするため,インターネット調査会社の保有するアンケート・モニター1000名へオンラインでの質問紙調査を実施した。その結果,検索エンジンにて自殺に関する検索語を検索したことのある者はない者に比べ自殺念慮・抑うつ/不安傾向・孤独感が高いことが示唆された。また,特に,「自殺方法」「死にたい」に加え「うつ」関連語の検索経験のある者のメンタルヘルスの状態が悪く,これらの語を検索したことがある者は自殺の最大のリスクファクターである自殺企図の経験がある確率が高いことが明らかになった。

第7章では,第5~6章を通じて明らかとなった自殺関連語を用いて,自殺に関する予防的情報提供サイトを実際に作成し,サイトを閲覧することの影響を検討した。これは,コミュニティ運営開始時に必要となるコミュニティ利用者を集めるためのインターネット上のコンテンツの有害性を検証するためである。サイトのアクセス解析と閲覧者108名に対して行われたウェブ上での質問紙調査の結果を分析した結果,サイト閲覧者の中にはネット心中相手や効果的な自殺方法を探す最中に立ち寄り閲覧をする者が少なからずいることが示唆された。また,サイト閲覧前後の自殺念慮の強さに関して分散分析を行った結果,サイト閲覧により自殺念慮が悪化することはないことが示唆された。

第2部の研究を通じて,インターネット・コミュニティの運営を開始するにあたって必要となるプラットフォームを構築するために必要なコンテンツの構成語が明らかとなり,また,そのコンテンツの非有害性が実証された。

第3部 インターネット・コミュニティの影響と自殺予防効果の創出要因

第3部では,自殺予防を目的とした自助グループ活動を実際に行っているインターネット利用者を対象にした,自助グループ活動の影響を検討した。また,その影響が概ね自殺予防的なものであると考えられたことから,自殺予防効果を創出する要因について検討した。

第8章では,日本における代表的自殺関連サイトの協力を得てオンライン質問紙を実施し(N = 137),自殺予防を目的とした自助グループ活動の影響を検討した。利用者を「援助群」「目的不明確群」「自助グループ群」「相談・自殺念慮高群」の4つに分類し,サイト利用前後の自殺念慮の変化を分散分析で検討したところ,有意に自殺念慮が減少していること,特に「自助グループ群」においてその傾向が顕著であることが示唆された。

第9章では,「自助グループ群」において自殺念慮の減少度が大きかったことを受け,自殺に関する相談をした際にどのような反応を返してもらうことが自殺念慮の減少につながるかを検討した。調査方法は第8章と同様であり,掲示板の書き込み内容を元に,書き込み方法の有効性を評価する尺度を作成した。各書き込み方法の評価と評価者の自殺念慮の強さの関連を分析した結果,自殺の危機が高まっている者への対応としては基本的には共感的対応を基調とすることが望ましいこと,問題解決的働きかけは自殺念慮が低くなってから行う方が効果的であることが示された。

第10章では,相談という観点のみならずより包括的な視点からこうした活動の持つ自殺予防のメカニズムを検討した。自殺系掲示板・SNSの利用者と管理者計28名に対してメールによる調査を行い,得られた言語データをグラウンデッド・セオリー・アプローチを用いて分析した。分析の結果,前章までに見られた相談を中心とする自助グループ活動としての癒しの効果に加えて,過去ログを読むことによって生じる予期共感(例:自分は相談をすれば,おそらく共感をしてもらえるだろう)がコミュニティ成員間の直接的な相互作用を介さずとも生じ,これによって自殺念慮が減少するというもう一つの癒しのメカニズムが見出された。

第4部 インターネット・コミュニティの問題点

第3部では,インターネットを活用した自殺の危険の高い者の自助グループ活動において,自殺予防効果が創出可能であることが示唆された。しかし,自殺が不可逆的な現象であることを考慮すれば,コミュニティの運営には慎重であるべきだと考えられる。そこで,第4部では,実際のコミュニティ利用者・管理者が感じている問題点を明らかとした。

第11章では,利用者に対する調査を通じて自殺予防を目的として運営されているインターネット・コミュニティ内のコミュニケーションに関する問題点を明らかにした。自殺系掲示板やSNSの自殺系コミュニティの利用者22名に対してメールによる調査を行い,得られた発話データをグラウンデッド・セオリー・アプローチを用いて分析した。分析の結果,サイト利用の長期的なリスクとしては,共感等の一時的な心理的メリットを得るために依存的な利用をすることにより,自殺関連事象を自らのアイデンティティとする傾向があることが挙げられた。

第12章では,利用者ではなく管理者へのメール調査を実施し,管理・運営上の問題点を明らかにした。管理者3名の語りから得られた問題となった出来事をまとめたところ,利用者の抱える精神障害に関する知識の不足,利用制限を行う場合の技術的な限界,情報の不明確さに由来する諸問題,ネット心中の募集への対応,危機介入の難しさ,などが管理・運営上の問題点となっていることが示唆された。

第5部 総括と今後の課題

第5部では,上述の知見に関する臨床心理学的な意義をまとめるとともに,これらの知見をもとにインターネットを活用した自殺の危険の高い者の自助グループ活動の今後のあり方に関する提言を行った。具体的には,コミュニティが居場所や安心感を提供する機能を持つのみならず,自殺念慮を一時的に和らげた上で外部の援助資源との「つなぎ」としての機能を持つ必要性,トレーニングを受けたボランティアによる書き込みの監視やコミュニケーションの補助が提案された。また,コミュニティ成員への教育活動の必要性とその内容についても本研究の知見を元にした提案がなされた。

今後の研究課題としては,コミュニケーションのプラットフォーム(例:電子掲示板)から受ける制約や影響の検討,コミュニティ内でのコミュニケーション規範の生成過程やその影響の検討などが挙げられた。

審査要旨 要旨を表示する

自殺者数が年間3万人を超える我が国において自殺予防は国家的課題となっており、様々な対策がとられているが、充分な効果が得られていない。そのような中でインターネットを活用した自殺予防が模索されている。しかし、ネット心中などの危険性もあるため、その有効活用に向けての基礎研究が必要となっている。そこで本論文では、インターネット・コミュニティが自殺の危険の高い者の自助グループとして有効に機能する要因を検討することを目的とした。論文は、問題と目的を示す第1部、オンライン相互援助グループ(OMHG)のサイト構築のための基礎研究となる第2部、OMHGの予防効果を検討する第3部、OMHGの問題点を検討する第4部、総合的考察を行う第5部から構成される。

第1部では、第1章でインターネット利用による自殺予防の可能性を論じ、第2章で先行研究を概観し、第3章でCMC(Computer-Mediated Communication)理論に基づいて自殺関連サイトの影響に関する先行研究の意味づけを行い、第4章で研究の目的と方法を示した。第2部では、第5章で2004‐2009年の間の自殺関連語検索状況を分析し、関連語の検索量と自殺率との間で有意な時系列的関連性があることを示した。第6章では、1000名のオンライン調査によって自殺関連語検索経験者は未経験者に比較して自殺念慮、抑うつ・不安傾向、孤独感が高く、しかも自殺関連行動の経験率が高いことを示した。第7章では、自殺に関する予防的情報提供サイトを作成・公開し、利用者108名の閲覧前後の自殺念慮の変化を検討し、サイトのコンテンツの非有害性を実証した。第3部では、第8章で自殺関連サイト利用者137名へのオンライン調査により、利用動機として「援助」「相談・打ち明け」「克服・治療」「自殺準備」があり、サイト利用によって自殺念慮が有意に減少すること、「援助」動機が自殺念慮の減少に関連していることを明らかにした。第9章では、掲示板書き込み内容に関する調査により、自殺危機の強い者には共感的対応が有効であることを見出した。第10章では、自殺系掲示版SNS利用者と管理者計28名に対するメール調査により過去ログを読むことによる予期共感も予防要因となっていることを明らかにした。第4部では、第11章で自殺系コミュニティ利用者22名へのメール調査の質的分析から長期的リスクとしてサイトの依存的利用があることを明らかにし、第12章で管理者3名へのメール調査の質的分析から精神障害に関する知識不足などの管理運営上の問題点を明らかにした。第5部では、これまでの知見を統合し、自殺念慮のある者に関」するインターネットを活用した自助グループ活動の今後の在り方についての提言を行った。

本論文は、自殺関連のインターネット・コミュニティ利用者と管理者への調査及び著者自らのサイトの開発・運営を通して、自殺関連行動の発展過程及びインターネットを利用した自助活動の実態とそのメカニズムを明らかにし、今後の自殺予防活動の新たな方法を提案した点で特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。

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