学位論文要旨



No 127708
著者(漢字) 藤森,千尋
著者(英字)
著者(カナ) フジモリ,チヒロ
標題(和) 英語授業における話しことばの学習過程 : 発話の正確さ・流暢さ・複雑さに基づく検討
標題(洋)
報告番号 127708
報告番号 甲27708
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第195号
研究科 教育学研究科
専攻 学校教育高度化専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 斎藤,兆史
 東京大学 教授 藤村,宣之
 東京大学 教授 佐藤,学
 東京大学 教授 恒吉,僚子
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,学校英語教育における話しことばの熟達に向けた学習過程を明らかにすることを目的とし,2つの研究上の問い,(1)英語の話しことばに熟達するとはどういうことか,(2)中等英語教育の実践場面ではどのような学習が行われているか,を追究した。3部9章で構成されており,第I部では研究目的と研究方法との関連について論じ,第II部では(1)を中心に,第III部では(2)を中心に検討した。本論文では,高校1年生の英語基礎学力相当の学習者を対象として9つの実証的研究が行われており,第II部で6研究,第III部で3研究が扱われている。

第I部第1章では,研究上の問い(1)に関して,「テクストの機能的二重性」(「適切な意味の伝達」と関連する「単声機能」,「新たな意味の生成」と関連する「対話機能」)の観点から,話しことばの熟達を捉え直す必要性,(2)に関しては,学習の概念及び実態を個人内の認知的変容だけでなく,社会的相互作用による行為として捉える必要性,について論じた。また実証的研究においては,認知的アプローチと社会文化的アプローチを併用し,3つの分析視点(個人,個人間,共同体)を用いることを提示した。

第I部第2章では,第二言語習得研究における研究テーマと研究アプローチとの関連について論述し,異なる研究方法の併用により,多角的に言語学習過程を捉える意義について論じた。また,従来,話しことばの習得が,主に正確さ,あるいは流暢さの概念で捉えられてきた点に言及し,複雑さの概念に着目する必要性を指摘した。更に,授業における対話による学習過程を「参加構造」の観点から分析する意義について述べた。

第II部第3章では,「単声機能」の観点から話しことばの熟達を捉えた先行研究をもとに,発話の正確さ・流暢さ・複雑さ(言語的三様相)を数量的に測定する3つの実証的研究を行った。

研究1では,事前タスク活動における処遇の違いがタスク中の発話に与える影響を調べた。処遇の異なる3群,形式群(事前タスク活動で言語形式に焦点を当てた場合),意味群(事前タスク活動で意味内容に焦点を当てた場合),及び統制群による絵の描写タスク中の発話を分析した。結果,形式群は流暢さと語彙的・統語的複雑さ,また,意味群は流暢さと語彙的複雑さが統制群よりも高いことが示された。正確さに関しては3群間に有意差が見られなかった。またタスク中の注意の指向性を調べた質問紙調査により,意味群は他の群よりもタスク本来の意味内容に注意を向けていたことが明らかになり,それが形式群よりも言語情報処理において不利に働いたことが示された。

研究2では,通時的な発話の変化に関する研究を行った。中学生や高校生を対象とした先行研究を考察した結果,例えば,流暢さが伸びる時期は統語的複雑さが伸びず,流暢さが停滞して統語的複雑さが伸びる時期があることから,言語的三様相すべてが同時並行的,直線的に向上するのではなく,他の様相の停滞を伴いながら特定の様相が伸びる時期があることを指摘した。また中学生では正確さの伸びが見られず,高校1,2年生でも3~4ヶ月という短期間では正確さの伸びが見られないとの先行研究の報告から,正確さが短期間で伸びるにはある程度の英語基礎学力が必要であると予想した。そこで,英語基礎学力の異なる2群(英検3級レベルと英検2級レベルの学習者)による短期的な発話の変化を調べた。結果,英検3級レベルでは流暢さと複雑さは伸びたが正確さには伸びが見られず,英検2級レベルでは言語的三様相すべてが伸びたことが分かった。したがって,短期間での正確さの伸びは,英語基礎学力が高校生の高いレベルに達した段階で起こる可能性が指摘された。

研究3では,教師が英語の話しことばの熟達をどのように捉え,評価しているかを明らかにするために,高校1年生のスピーチ発表授業での教師評価と,言語的三様相の測定値及び質問紙調査による生徒相互評価との相関を調べた。結果,教師評価は正確さのみと弱い相関が見られ,流暢さや複雑さとは相関が見られなかった。また教師評価は生徒相互評価の「話す態度」と強い相関,「正確さ・簡潔さ」と弱い相関が見られた。したがって,聞き手を意識した「対話機能」の観点からの教師評価は,「単声機能」から捉えた一方向的な言語情報処理能力として測定される言語的三様相とは,必ずしも一致しないことを指摘した。

研究3の結果を踏まえ,第II部第4章では,「対話機能」に焦点を当てた話しことばの熟達を具体的に捉え,生起状況を調べることを目的とした。意味の共有を図るために行う発話という観点から言語的三様相をそれぞれ措定し,正確さについては修正発話,流暢さについては繰り返し発話,複雑さについては言い換えの発話に着目した。

研究4では,対話参加者数や話題が異なる2つの教室談話データをもとに,言語形式の修正発話と対話の意味の共有に向けた修正発話,双方の生起状況を調べた。結果,言語形式の修正発話は,意味が通じた上で教師の訂正要求度に応じて生起していることが示された。一方,意味の共有に向けた修正発話は,対話参加者数が多くかつ解釈が多様に生じる話題を扱った対話場面において,意味のずれを修正する必要性から生起していることが示された。したがって,言語形式と意味の共有では,異なった対話場面が学習の機会となることが示唆された。

研究5では,研究4と同一データを用いて,繰り返し発話に着目して分析した結果,修正発話と同様,対話参加者数がより多く複雑な内容の対話場面において,意味の共有のための繰り返し発話がより多く生起していることが示された。

研究6では,言い換え発話に着目し,ディベート対話の立論と反論の対話ペアにおける生起状況を調べた。結果,全発言者が言い換え発話を行っていた(19名31箇所)。また,事例の解釈により,相手のことばに新たな意味を付与する言語形式の言い換え,更に,同じ言語形式に新たな意味を付与する意味転換の言い換えが生起していることを指摘した。言い換え発話が生起する場面では,他者のことばを取り込みながら自分のことばとして使用するということばの複雑さの学習が起こっていることを指摘した。

以上,第II部では,話しことばの熟達について,(1)数量的に測定可能な言語情報処理能力に関しては,言語形式の指導に焦点が当たり,意味の共有が容易で単純な対話場面が学習の機会となること,(2)対話の意味を共有する力に関しては,真正な意味の交渉に焦点が当たり,多様な意味が生成する複雑な対話場面が学習の機会となること,を指摘した。したがって,話しことばの熟達を,「単声機能」と「対話機能」の観点を合わせた「対話構築力」として捉えるならば,授業において多様な対話場面の創出が必要であることが示唆された。

第III部では,授業中の対話場面の特徴と言語学習との関連について,「参加構造」に着目して検討した。第5章研究7では,スピーチ発表授業の質疑応答場面において,教師主導の対話場面と生徒主導の対話場面から事例を抽出し,比較検討した。教師主導の対話場面では,一対一に閉じた一方向的で非対称的な対話が展開していた。しかし,生徒主導の対話場面では,教師及びクラス生徒が対話の成立に向けて協働する対称的な対話が展開していた。また,協働的で対称的な対話場面における意味の共有過程は,生徒と教師,母語話者と非母語話者との間の対等な営みであることを指摘した。

第6章研究8では,同一教師が担当している英文法授業において,参加構造の異なる2クラスから事例を取り上げ,英語自己表現を比較検討した。結果,典型的なIRF構造のAクラスでは,教師の授業計画通りに目標言語形式を自己表現に結びつける学習が起こっており,一方,生徒始発が多く,必ずしもIRF構造にならないBクラスでは,教師の授業計画とは別に,生徒の偶発的な自己表現を教師が目標言語形式に結びつける学習が起こっていることを指摘した。また,Aクラスでは内面指向型,Bクラスでは社交型の自己表現が典型的に観察された。したがって,参加構造の違いが英語自己表現の学習に影響を与えていることが示された。

研究7と研究8から,教師の発言の程度が生徒の言語学習を特徴づけることが示唆された。そこで第7章研究9では,教師主導の一斉授業形態における言語知識の学習と,生徒が自由に発言するグループ学習形態における言語知識の学習を比較検討した。各授業形態において協働的な学習が生起している対話場面を取り出し,事例をもとに解釈した。結果,一斉授業形態では,教師がIRF構造を通して適切に足場をかけながら計画的に言語知識の正確さやことばの複雑さの学習を導いていることを指摘した。一方,グループ学習形態については,生徒同士で対等な対話場面が形成されているグループにおいて,各自が他者のことばを足場として利用するという自律的学習が起こっていることを指摘した。

以上,第III部では,授業の対話場面は,参加構造を中心として教授目的や課題といった要因が絡み合って形成されており,生起する英語の話しことばの学習と力動的な関連があることを示した。教授的示唆として,参加構造,教授目的,課題に関する教授上の選択と「テクストの機能的二重性」に基づく話しことばの学習との関連を図で示した「教授選択上の意識化モデル」を提示し,バランスの取れた学習形成を行う必要性を提案した。今後の課題として,多様な言語形式に関して量的に測定される発話の複雑さと,他者との意味の共有という質的に捉える発話の複雑さとの関連をより明らかにする必要性,また,課題が授業の対話場面の形成と話しことばの学習に与える影響をより詳細に検討する必要性,について述べた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、中等教育段階の英語教育において、話し言葉が正確さ、流暢さ、複雑さの3観点からどのように熟達するのか、実際の高校英語授業場面でその学習がどのようになされているかの分析を、実験研究ならびに教室観察研究の両方法を用いて検討している。論文は、3部9章から構成されている。

第I部第1章では、意味伝達としての単声機能と新たな意味生成としての対話機能というテクストの機能的二重性概念から先行研究を概括し、対話機能を捉えるために社会文化的アプローチにより相互作用分析を行う必要性を指摘し、個人・個人間・共同体の3分析水準からの分析方法を提示している。続く第2章では、話し言葉の学習が正確さ、流暢さの概念を中心に捉えられてきた点を指摘し、複雑さの概念に着目する必要性、教室場面の参加構造分析から話し言葉の学習の複雑さをとらえる意義を論じている。

第II部第3章では単声機能に着目した実験研究を行っている。事前タスク課題として形式に焦点をあてた処遇群では流暢さと統語的複雑性が、また意味内容に焦点を当てた処遇群では流暢さと語彙的複雑さが統制群より高くなること(研究1)、英検3級レベル学習者では流暢さと複雑さに短期間の伸びがみられるが、正確さは英検2級レベル学習者水準に達した段階で伸びがみられること(研究2)、生徒の話し言葉に対する教師評価は正確さおよび、生徒相互による話す態度評価と相関がみられること(研究3)を明らかにしている。

続く第III部では対話機能に焦点を当てた観察事例分析研究を行っている。第4章では先行研究から対話機能について、正確さとして修正発話、流暢さについて繰り返し発話、複雑さについて言い換え発話分析の視点を導出し、第5章では参加構造の異なる2自己表現授業比較から修正発話の質に相違が生じていること(研究4)、対話参加者数がより多い複雑な内容の対話場面において、意味共有のための繰り返し発話がより多く生起すること(研究5)、言い換え発話生起場面では,他者のことばを取り込み使用する複雑さを伴う学習が生じること(研究6)、主導者により対話の対称性の変化が生じること(研究7)を明らかにしている。第6章では、英文法授業から参加構造において教師の発言の相違が生徒の異なる言語知識の学習を導くこと(研究8)を示し、第7章では一斉学習と小集団学習の形態の差異が言語知識の学習に与える影響(研究9)を事例に基づき明らかにしている。そして終章では、本研究の総括と今後の課題と教授への示唆が論じられる。

本論文は、英語教育において従来十分には検討されてこなかった中等教育英語授業場面での話し言葉の学習過程の分析について、多様な概念と方法を用いて包括的に取り上げている。この点で独自性が高く、今後の中等教育段階の英語授業分析に対して新たな視座を提示した論文であると評価された。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するにふさわしい水準にあるものと判断された。

UTokyo Repositoryリンク