学位論文要旨



No 127709
著者(漢字) 朴,炫貞
著者(英字)
著者(カナ) パク,ヒョンジョン
標題(和) 韓国における専門大学院制度と法曹養成に関する実証的研究
標題(洋)
報告番号 127709
報告番号 甲27709
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第196号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,鉱市
 東京大学 教授 本田,由紀
 東京大学 准教授 中村,高康
 東京大学 准教授 李,正連
 東京大学 教授 山本,清
内容要旨 要旨を表示する

本研究は韓国で2009年度から導入された「法学専門大学院」制度を対象として、法曹養成をめぐる政策過程を実証的に分析し、韓国の高等教育の政治的構造と、そこに常に大きな影響力を行使してきたソウル大学法学部のヘゲモニーのロジックを解明し、ひいては戦後韓国の高等教育政策の底流を一貫して流れてきた心性や信念を浮き彫りにすることを目的としている。

本研究では、韓国における法学専門大学院制度は法曹養成・高等教育(政策)・政治体制といった三つの側面が重なるところに存在すると措定している。この戦略的視点に立ち、法学専門大学院の導入に至る政策過程を分析することにより、この三者ならびにそれぞれの関係を解明する。またこのような法学専門大学院制度を設計した各種の政府委員会を分析すると、ソウル大学法学部出身の法曹ならびに同法学部出身の教員がきわめて深く関わってきていることが浮かび上がってくるが、彼らが果たした政策起業家としての役割について分析する。本研究では、具体的な分析対象として法学専門大学院の導入に至る政策過程を取り上げるが、そこではKingdonの「政策の窓」モデルを援用する。このモデルは、政策過程には「問題の流れ」「政策の流れ」「政治の流れ」といった三つの流れが存在しており、各流れにおける参加者は「見える参加者のクラスター」および「隠れた参加者のクラスター」に分けられる。韓国では、各種の政府委員会が大統領選挙による政権交代のたびに新しく構成されマスコミで注目されるため、彼らは「見える参加者のクラスター」に属しており、その主要な役割を果たしたアクターはソウル大学法学部出身であった。またこれらの委員会構成は韓国の大統領制という政治体制下の法律体系によるものであり、その法律体系の頂点である憲法は、1948年韓国政府が樹立されてから9回にわたって改変されるなど、戦後韓国の憲政史は激変を繰り返してきたのである。こうした韓国の政治体制に鑑み、本研究で援用する「政策の窓モデル」は、その公共政策を分析する際にはきわめて有効である。

以下、各章の構成と概要を説明する。

まず本研究の政策過程分析に入る前に、上記のような韓国における憲政史と政府組織、そして立法体系を概観する(第1章)。また、そうした憲政史と政府組織のなかでソウル大学出身(とりわけソウル大学法学部出身)者が安定的かつ強力な影響力を行使してきたことを先行研究をもとにレビューする。この考察の結果、これまでの先行研究においては政治体制等におけるソウル大学(法学部)出身者の占有率の分析がほとんどであり、ソウル大学(法学部)出身者が政治体制や高等教育の政策過程に影響を及ぼすメカニズムが解明されてこなかったことを指摘する(第2章)。そこで、そのメカニズムの底流を一貫して流れてきた心性や信念をうかがうために、司法試験合格者たちが作成した受験回想録を活用して、そのメンタリティを分析する。その分析から明らかになった法曹選抜試験受験生の心性構造は、大学入試の結果ソウル大学法学部という「学閥」を取れたか否かをそのまま自分の「能力」であると信じ込むことによって構成されていた(第3章)。さらに第4章では、法曹選抜試験の制度変化と法曹選抜試験の合格者たちで構成される法曹界の特徴を、学校歴を中心に分析する。

第5章から第7章では、Kingdonの「政策の窓」モデルによる政策過程の分析を行う。Kingdonの「政策の窓」モデルを構成する「問題の流れ」「政策の流れ」「政治の流れ」の展開と構造そしてそこにおける参加者を分析することで、ソウル大学法学部のヘゲモニーが作動する方式とそのロジック、そしてそれが韓国の高等教育の政治的構造に影響を及ぼすメカニズムを考察する。第5章で分析した期間(戦後から1992年)では、「問題の流れ」における「問題定義」がソウル大学法学部の視点から行われていた。その視点と「問題定義」を根本的に問い直すことができる勢力は、法学界・法曹界には存在しなかった。つまりソウル大学法学部出身の教員や法曹が、自ら省察しない限り根本的な問い直しがされることはなかったのである。そして第6章では、この「問題定義」が法学界・法曹界の内部にとどまらず高等教育システムの全般を設計する政策コミュニティに出されたとき、この政策コミュニティではそうした「問題定義」を根本的に問い直すことができる参加者がおらず、この「問題定義」はそのまま受け止められたことを明らかにする。また、「問題定義」とともに、それまで法学部内部で自然に練り上げられていた法学教育の学制改編と、法曹養成制度の改編に関する政策代替案もそのまま政策コミュニティに持ち込まれた。これらの政策代替案に関しても、これらの政策代替案がなぜ主張され、どのような経緯を経て展開されてきたのかに関しては、根本的かつ客観的な視点からの見直しはされなかった。しかしながら、二つの政策代替案のうち一つだけ(法学専門大学院の設置)が生き残ったのは、「政治の流れ」が「政策の流れ」における政策コミュニティの方向性に影響を及ぼしたためである。つまり金泳三大統領の海外訪問とその途中で構想された結果(「世界化」)という偶然性により、高等教育システム全般としての「専門大学院設置」という方向性のベクトルが生成された。法学教育の学制改編に関する政策代替案のうち、法学専門大学院設置論のほうがこれに相応しくまた技術的に実現可能性が高いものとして受け止められた。しかしながら「政治の流れ」によって大法院(法曹)が政策コミュニティに割り込み、この議論は原点に戻ることになり、2002年度までに法学専門大学院は導入されなかった。この時期までに法学専門大学院は政府のアジェンダとしては確定されなかったため(決定されたことはあるが大法院等の割り込みによって決定が取り消された場合を含む)、戦後から1992年までの期間と合わせて「前決定」段階として理解できる。

政策アジェンダが「決定」された政権は、2003年からの盧武鉉政権時期である(第7章)。この時期には、それまでに法曹スキャンダル等の発生のため、国民から厳しい目線を浴びてきた大法院等の法曹が法学専門大学院の導入を肯定的に検討し始めた。これには日本における法科大学院設置が影響を与えたといわれる。構成員の絶対多数がソウル大学法学部出身である大法院では、大統領と協議し法学専門大学院の設置等を含む司法改革を構想するための司法改革委員会を設置する。政策コミュニティとしての司法改革委員会では法学専門大学院の設置のほかにも、さまざまな学制改編論が提案された。その提案のなかには、法学専門大学院の設置という政策代替案に対して根本的に問い直すものもあった。しかしながら、委員同士の間でバンドワゴンとチッピングが生じ、法学専門大学院制度が採択された。また、この過程では法曹人口を絞ろうとする思惑を持つ法曹との政治的取引も行われた。すなわち、法学専門大学院の入学定員規模に関する規定の方式をめぐる政治的取引である。したがってこの政策コミュニティも、「政治の流れ」から独立されているものとは言い難く、むしろ「政治の流れ」によって作られたものであるとみなせる。これによってはじめて「政治の流れ」における「窓」が開いたのである。しかしながら、法学専門大学院に関する法律案は国会で可決されなければならなかった。つまり「政治の流れ」におけるもう一つの「窓」が開くことが必要であった。この二つ目の「窓」は、法学教育の学制改編論などとは関係されない、国会における与野党の政治的取引の結果で開くこととなった。一方、この政治的取引に対して与党側は肯定的であった。それは法学専門大学院を設置することで「学閥」をめぐる序列体制で上位を占めようとする思惑を持つ各大学が、司法改革委員会が構成される以前から膨大な金額を投機的につぎ込んできており、世論はこのことを報道しながら国会に対して法律案の可決を促したという「政治の流れ」の影響である。

以上の分析で、ソウル大学法学部がその影響力を及ぼすメカニズムと政策起業家としての役割について、次のような特徴を析出することができる(第8章)。第一に「問題の流れ」における「問題定義」のプロセスで、ソウル大学法学部を牽制できるほどの参加者は存在していなかった。そのため「問題定義」は根本的に問い直されることなく、戦後から長い間にかけてソウル大学法学部出身による独占的舞台として定着されてきた。第二に、「政策の流れ」でも政策コミュニティはこの「問題定義」と、政策代替案として練り上げられたことを客観的に問い直すことができなかった。第三に、「政策の流れ」は「政治の流れ」のよる影響を極めて強く受けている流れであった。最高権力者である大統領は、政策コミュニティの主な構成員や責任者としてソウル大学法学部出身を選ぶ傾向があった。

このように牽制勢力が存在していないこと、そして大統領がソウル大学法学部出身を選ぶ傾向があることに関する原因として考えられるのは、第3章で分析した心性構造、そして「政治の流れ」における「国のムード」から考察できる。韓国ではマスコミや日常生活によって刷り込まれた「能力」観とその結果としての「学閥」意識が、絶対的な基準になって誰もがその基準を疑いなく受け止めながら、「学閥」の頂点は羨望の対象として捉えてきたという可能性がある。「能力」の頂点にいるソウル大学法学部の「正当性」はそのために確保されているのである。これが戦後韓国の高等教育政策の底流を一貫して流れてきた心性や信念であると考えることができる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、韓国の「法学専門大学院」の成立(2009年)に至る政策過程を、「政策の窓」モデルによって「政治」「政策」「問題」という3つの流れに弁別しつつ、それぞれを詳細に跡づけた上で、学歴主義的な国民の心性や固定観念を視野に入れながら、専門職養成に関わる韓国の高等教育の政治的構造と、そこに常に大きな影響力を行使してきたソウル大学法学部のヘゲモニーのロジックを解明した論文である。

本論文は2部構成をとり、8章から構成される。まず第1章では韓国の専門職養成と高等教育に関する先行研究の知見ならびに政策過程分析の方法論の一つであるKingdonの「政策の窓」モデルの援用の当否が検討される。第2章では、韓国における高等教育拡大の動態が考察され、学歴をめぐる国民の固定観念の特徴が析出される。第3章では、法曹の合格体験記の内容分析により、彼らの心性構造と大学間格差の意識形成のプロセスが考察され、第4章では法曹人名録をソーシャル・インデックスとして利用した計量的分析から、学校歴とキャリアパスを中心に法曹界の構造的特徴が解明され、ソウル大学法学部を頂点とする大学間格差が浮き彫りにされる(以上、第1部)。第2部では、以上の知見と分析結果を踏まえつつ、「政策の窓」モデルを援用して法学専門大学院設立に至る政策過程の詳細な分析が行われ、上記3つの流れの展開と構造、そしてそこにおける参加者が分析される。第5章では、終戦直後から「文民政府」以前(1993年2月まで)の法学教育の学制をめぐる議論が対象とされ、その問題定義が常にソウル大学法学部教員のイニシアティブの下に展開されてきたことが考察される。第6章では、「文民政府」から「国民の政府」までの時期(1993年2月~2003年2月)に、前期間の問題定義と学制改編論が踏襲され、法学専門大学院の導入が構想されたものの、法曹界の介入の結果、それが失敗に終わる経緯が解明される。第7章の盧武鉉政権以降(2003年~)において、政策関連の諸委員会での合意、法曹との政治的取引、与野党・大学・世論の支持などによって、3つの流れの窓が開いた結果、法学専門大学院の設置が決定される過程が詳細に分析される。終章の第8章では、以上の知見が整理された上で、いずれの流れにも重要な役割を果たし、偶然性の高い政治状況においても常に影響力を行使してきたソウル大学法学部関係者の存在が析出され、政策起業家としての特徴が考察されている。

本論文は、ソウル大学法学部関係者のより子細な腑分けや、政策過程モデルへの理論的なフィードバックなどについて課題は残されているものの、政治・政策・社会意識が渾然一体化した韓国の高等教育のあり方について、それぞれを切り分けて実証的に分析したものである。アジア諸国の高等教育の特徴を把握する上でも意義ある論文であり、今後の高等教育研究に重要な布石となると期待できる。以上により、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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