学位論文要旨



No 127711
著者(漢字) 岩田,佳久
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,ヨシヒサ
標題(和) 世界資本主義の景気循環 : クレマン・ジュグラーの景気循環論とクズネツ循環
標題(洋)
報告番号 127711
報告番号 甲27711
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第307号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 経済理論専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴田,徳太郎
 東京大学 教授 小幡,道昭
 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 丸山,真人
 新潟大学 准教授 大森,拓磨
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、景気循環論において一般に中長期循環としてあげられる「ジュグラー循環」と「クズネツ循環」を世界経済的な連関の中で読み直し、明確な方法で世界的な景気循環の運動を実証的に示すことを課題とする。

内生的な景気循環論は偶発的な要因を排除するだけでなく、対外関係も捨象して一国内部で恐慌あるいは景気循環が発生するかのように論じられることが多い。経済学原理論では、対外関係を捨象し、あらゆるものが資本主義的に生産されても労働力だけは資本主義的に生産できない特殊な商品であり、本質的には労働力供給の限界が資本主義的生産における好況の進展に限界を画することになる、と論じる。たしかに、そう考えることで恣意的な与件を排除し、資本主義的でないものを労働力商品に絞り込むことで恐慌の必然性を理論的に説くことも可能となる。

しかし現実の資本主義を分析する場合、純粋理論で労働力と絞り込まれたものは、労働力以外の資本主義的ではないもの、あるいは資本主義の発達程度の違いなどとして、開かれて解釈される必要がある。

通常、「ジュグラー循環」は設備投資を起動力とする約10年周期、「クズネツ循環」は建築や技術革新を起動力とする約20年周期などとして理解されている。しかしその名前の由来となった19世紀のクレマン・ジュグラーや、サイモン・クズネツと1950-60年代クズネツ循環論者たちは景気循環を一国内で完結するものとはとらえず、世界的な連関の中で景気循環を論じていた。

本稿はそうした議論を再評価し、その成果から実証分析の焦点を定める。そして当時の論者の不十分な実証方法ではなく、新しいデータとより適切かつ直感的に理解可能な方法で世界的な連関をもつ景気循環を実証する。

第I章では、ジュグラー没後100年の2005年を契機に活発化したジュグラー研究の成果を踏まえた上で、ジュグラーの景気循環論の基礎には英仏通貨論争があることを出発点におく。そして19世紀の英仏通貨論争の対抗関係を読み解くことによってジュグラーが銀行学派として景気循環論における非貨幣的分析の立場に立っていたことを明らかにする。そしてジュグラーに先行し、おそらく大きな影響を与えたと思われるフランス・フリーバンキング派Ch.コクランの周期的恐慌論とジュグラーの恐慌論との違いが銀行原理の適用の違いにあることを論じる。コクランは優れた銀行原理的信用論を述べながらも特権銀行と預金の理解で通貨原理へ至り、貨幣的恐慌論を主張した。これに対してジュグラーは銀行原理を徹底させ、非貨幣的分析を堅持した。

一般的に非貨幣的分析の論者は、ジェームズ・ウィルソンやA.シュピートホフなどのように実物的過剰投資論を説く論者が多い。しかしジュグラーは非貨幣的分析のまま、投機的価格上昇において生じる「相殺の欠如」から恐慌を説いた。その際、一国内では投機的価格上昇はとどまることがないかのように続くため、相殺の欠如が生じる必然性は、信用システムが発達し恐慌が発生する英米仏などの地域(以下では便宜上「中枢」と呼ぶ)と、未発達で投機が進まない地域(同じく「周辺」と呼ぶ)との価格上昇のギャップに求められた。こうしてジュグラーの恐慌論は異質な要素から構成される世界経済へと進んでいくことになる。

第II章では、景気循環論の方法から、シュムペーターのジュグラー批判を通して、ジュグラーの景気循環論の性格を検討する。シュムペーターはキチン・ジュグラー・コンドラチェフの3つの異なる長さの循環としてとらえる立場からジュグラーの「単一波動」を批判したが、ジュグラーの「単一波動」とは、景気循環があらゆるものを同調した運動に巻き込んでいくことを強調するものであった。しかしあらゆるものの同調はそれ自体に矛盾を生じることになる。ジュグラーは好況末期に相殺の欠如から外国為替相場が悪化し金属正貨が流出し恐慌になると論じるが、あらゆる国で同時に為替が悪化することはありえない。ここでジュグラーは信用システムの発達の違いから「中枢」と「周辺」とに世界を分割することになる。この為替関係についてジュグラーの実証分析には混乱があるので、整合的に再構成して実証分析の焦点を以下のように定めた。中枢諸国の中央銀行のバランスシートにおける同調性、それに対する周辺国の中央銀行のバランスシートにおける異質性、次に為替分析による中枢-周辺の相互関係の分析、さらに中枢内もロンドンと他の都市とに区別されることから世界経済の多層的な関係を実証的に検討した。II章の最後では世界経済の異質性を貨幣制度において示す複本位制の問題を検討した。

第III章では、実体経済における世界経済論としてクズネツ循環論を取り上げる。1950-60年代のクズネツ循環の議論では20年という周期や建築という一変数のみを対象とするものではなかった。建築投資とその他の投資の交替、投資の国内外での交替、英米間の建築投資の逆相関、英米景気の相補関係=「大西洋経済」説など、グローバルな視点で各系列が相互に連関・規定し合う景気循環論が提起されていた。

当時のNBERを中心とした米国クズネツ循環の論者たちはクズネツ循環を一般的な景気循環としてではなく、アメリカにおける資本主義の歴史的形成過程において現れる特殊的な循環形式と見なしていた。つまり相対的に遅れて資本主義的生産様式を導入した地域、特に、労働力の弾力的供給源となる非資本主義的外囲(農村など)を歴史的に引き継いでいない新興開発国が、資本主義的生産設備形成と、ラグを伴いながら移民という労働力の存在基盤形成とを交互に作り出していくものとして理解されていた。こうした新興開発国の発展は旧来の資本主義へ反作用しており、イギリスにおけるクズネツ循環の存在を巡る議論の要となった。さらに反作用から相互作用が生じ、その関係をB.トーマスは「大西洋経済」と呼びクズネツ循環論の世界資本主義的理解を示した。

米国クズネツ循環論の理解では移民による大きな人口移動の終わる第一次大戦でクズネツ循環は終了する。しかしイギリスでのクズネツ循環を巡る議論では先進国の流動的な金融市場で国内・外国との投資の交替、あるいは住宅・産業との投資がありうることも示している。現代においてこの関係を明瞭に示したのが2000年前後のアメリカ経済だった。つまり2008年頃からの米国不況はサブプライム住宅ローン破綻として住宅循環でもあり、91年の鋭い不況から2001年の緩やかな不況を挟み20年弱のクズネツ循環にも見える。またその際、2000年のITバブル崩壊からサブプライム(とプライム)ローンによる住宅建設増加へと引き継がれ、産業投資から住宅投資への交替が生じていた。

また現代における新興工業国つまりアセアン諸国やBRICsなどと呼ばれる地域では、19世紀のアメリカと異なり移民流入はないものの、農村から資本主義セクターへの労働力の移動があり、先進工業国から資本・資本財の輸入もあった。本稿でさしあたりデータのそろうタイとマレーシアの経済発展過程、そして両国とアメリカとの関係を対象にかつてのクズネツ循環論が如何に適用可能かを検討する。

このIII章では、異質な要素を伴う世界経済編成としてのクズネツ循環論として諸研究の論理的再構成を行なうとともに、多くの論者が対象とした1870-1914年と、投資規制が緩和された1980年頃からの「新自由主義」の時代の実証分析を行なった。

【実証分析の方法について】

ジュグラーも指摘したように恐慌は2週間ほどのごく短期間なので年次データでは分析不能である。利用可能性の問題もあり、19世紀の銀行・為替データは月次データを用いた。その際、恐慌周辺だけの分析ではそれが恐慌特有のものなのか分からないので、長期に渡る同質のデータを用いた(通貨制度の変更で非連続なものもある)。データ期間が長くなり上昇トレンドを持つ場合、GDPのHPフィルタでトレンド除去した。GDPは年次しか存在しないので必要な場合はGDPトレンドをスプライン補間して月次GDPを作成した。

第III章のクズネツ循環論ではもっと長期の実体経済に関するものなので年次データを用いた。ただし可能な場合は四半期データを用いた。トレンドの処理は上記と同じ。クズネツ循環のような長期循環で問題になるのは、過剰な移動平均で架空の周期性を出してしまうことだ。本稿では過剰な移動平均は避け、平滑化が必要な場合は頂点がずれにくい2項フィルタを用いた。もう一つ長期循環で問題になるのは循環の数の少なさだ。2、3個のピークの間隔が約20年だったとしてもそれを規則的な周期と呼ぶには標本が過少である。しかし5、6個必要とすると、20年周期だと80-100年となり、その間の経済構造が同質性を保っているとは考え難い。本稿では周期の長さに固執せず、世界的な景気循環の内的根拠、つまり諸系列の相互補完性を重視した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、景気循環論において一般的に中長期循環としてあげられる「ジュグラー循環」と「クズネツ循環」を世界経済的連関の中で読み直し、明確な方法で世界的な景気循環の運動を実証的に示すことを課題としている。

本論文の構成は以下の通りである。

はじめに

第I章 19世紀英仏マネタリーオーソドキシーにおけるジュグラーとその景気循環論

第II章 ジュグラーの世界経済的枠組みとその実証

第III章 世界資本主義としてのクズネツ循環論

終章

まず、本論文の構成に従って内容の要旨を示しておこう。

第I章は、ジュグラー没後100年の2005年を契機に活発化したジュグラー研究の成果を踏まえて、ジュグラー景気循環論を19世紀英仏通貨論争の対抗関係の中に位置づける試みを行っている。そして、英仏通貨論争の対抗関係を読み解くことによって、ジュグラーが銀行学派として景気循環論における非貨幣的分析の立場に立っていたことを明らかにする。そして、ジュグラーに先行し、彼に大きな影響を与えたフランス・フリーバンキング派コクランの周期的景気循環論とジュグラーの恐慌論との違いが、銀行原理の適用の違いにあることを解明する。コクランは優れた銀行原理的信用論を述べながらも特権銀行と預金の理解では通貨原理を採用し、貨幣的恐慌論を主張した。これに対してジュグラーは銀行原理に徹し、非貨幣的分析の立場を堅持した。非貨幣的分析の論者は実物的過剰投資論を説く者が多いが、ジュグラーは非貨幣的分析のまま、投機的価格上昇において生じる「相殺の欠如」から恐慌を説いた。その際、相殺の欠如が生じる必然性は、信用システムが発達し投機が進む英米仏などの地域(中枢)と、信用システムが未発達で投機が進まない地域(周辺)との価格上昇のギャップに求められた。こうしてジュグラーの恐慌論は、異質の要素から構成される世界経済の不均衡の論理として解釈された。

第II章では、ジュグラーの為替分析を独自の実証分析によって再構成し、「中枢-中枢内周辺‐周辺」という世界資本主義の異質な要素の多層的な相互関係を解明している。ジュグラーは好況末期に相殺の欠如から外国為替相場が悪化し金属正貨が流出し恐慌になると論じるが、あらゆる国で為替が同時に悪化することはありえない。そこでジュグラーは、信用システムの発達の違いから「中枢」と「周辺」に世界を分割する。だが、為替関係に関するジュグラーの実証分析には混乱があるので、整合的に再構成して実証分析を行い、次のような結果を得た。(1)中枢諸国の中央銀行バランスシートの循環的変動に関しては、金属準備と手形割引・貸出の逆相関、恐慌との対応関係について1830年代から1860年代までは同調関係が見られた。(2)周辺諸国の中央銀行(ノルウェイ銀行)バランスシートの変動は、1850-1910年に中枢諸国と異質性、あるいは非同調性を示した。(3)イギリスを媒介とした金と銀の複合的な関係、フランスを媒介とした銀の国際的移転関係、さらに東洋銀世界への銀流出の重要性が示された。最後に、金銀複本位制の意義が論じられている。複本位制を金本位制に収斂していく過渡的なものであるという見方はイギリス好況末期の金流出という一国主義的観点に対応するものであると批判し、本章では最近の研究を踏まえて、1850-75年頃には金銀複本位制がそれ自体の根拠を持つシステムとして成立していたことが示されたと論じている。

第III章では、実体経済における世界経済論としてクズネツ循環論の現代的意義が理論的実証的に解明されている。1950-60年代のクズネツ循環に関する議論は、20年という周期や建築という一変数のみを対象とするものではなかった。建築投資とその他の投資の交替、投資の国内外での交替、英米間の建築投資の逆相関、英米景気の相補関係=「大西洋経済」説など、グローバルな視点で各系列が相互に連関・規定し合う景気循環論が提起されていたのである。この論点について本章は実証研究を行い、次のような結果を得ている。(1)1870年代後半~1900年代にイギリスでは「国内投資の高水準・対外投資の低水準」と「国内投資の低水準・海外投資の高水準」の交替が見られた。(2)投資交替説はアメリカでは1880年代前後には適合しない点があるが、1900年代前後には適合が見られた。(3)1979-80年までの現代アメリカ景気循環では投資切り替えによる長期循環は見られない。だが、1980年代には好況中に住宅投資と事業投資の下落傾向が続き、2000年頃には事業投資の増加が急落に転じ住宅投資が増加する切り替えが起こった。(4)タイ・マレーシアとアメリカの投資には逆相関関係が見られる。(3)(4)に見られるクズネツ循環復活の背景は新自由主義に求められる。(1)投資の非固着性、(2)国際金融センターの安定性、(3)国際通貨金融体制、という三要因がクズネツ循環復活に貢献したと結論付けている。

終章では、これまでの章における実証研究の結果と主張が要約され、今後の課題が述べられている。

本論文の貢献は以下の点にある。

第1に、シュンペーターによる紹介以降、10年周期の中期的景気循環の提唱者として理解されてきたジュグラー像を批判し、恐慌の発生メカニズムを分析した論者として性格づけている。そして、通貨学派対銀行学派という従来の19世紀英通貨論争の二項対立の枠組みを、19世紀仏通貨論争を合わせて再検討し、セントラルバンキング派対フリーバンキング派という観点を持ち込むことによって、二種類の二項対立の組み合わせに拡張している。この構図に基づきジュグラー景気循環論を銀行原理セントラルバンキング派として位置付け、非貨幣的景気循環論として再評価し、資本主義と非資本主義の世界的不均衡から恐慌発生を説く理論であることを明らかにした。この研究は、国内外の先行研究に対して、その総合性と包括性において独自性を有している。

第2に、為替分析におけるジュグラーの混乱を正し、独自の実証分析を実施することによって、中枢―周辺という世界資本主義の異質な要素の相互関係としてジュグラー景気循環論を再構成したことは高く評価できる。金銀複本位制がそれ自体の根拠を持つシステムとして成立していたことを明らかにした論理も説得的である。

第3に、クズネツ循環に関する諸学説を検討整理することを通じて、クズネツ循環が国内における性格の異なる投資の切り替えという側面と、国内投資と対外投資の交替という世界資本主義的連関の側面を併せ持っていることを明らかにし、第1次大戦前と現代の世界経済からこの両側面を検出することにある程度成功している。

このような成果の反面、本論文にはいくつかの問題点が存在することも指摘しておかなくてはならない。

第1に、第1章・第2章と第3章の関連が明確ではない。このことは、著者の景気循環論の全体像が明らかでないことと関連している。世界経済編成との関連については論じられているものの、ジュグラー景気循環論とクズネツ景気循環論が理論的にどのような関係にあるのか、世界資本主義の発展段階(産業構造の変化、信用システムの発達)との関連については必ずしも明確に論じられているわけではない。

第2に、「貨幣的」と「非貨幣的」あるいは「実物的」という景気循環論分類の方法には疑問がある。この分類では、通貨原理によらない信用システムの能動性を評価する景気循環論(たとえば宇野弘蔵の恐慌論)は「実物的」景気循環論に分類されてしまう。また、「非貨幣的」と「実物的」の区別も曖昧である。

第3に、ジュグラー理論のサーヴェイはかなり錯綜しており、説得性に欠ける面が存在した。たとえば、銀行学派的であるジュグラーがなぜ主観的には英国銀行学派よりも『地金報告』(モデレート地金派)を継承していると考えていたのか、という問いに対する解答は、ジュグラーが『地金報告』を銀行学派的に読み替えていたというものであった。だが、この解答では問いに全面的に答えたことにはならないだろう。

しかし、このような問題点があるとはいえ、本論文に示された先行研究に対する批判的な検討と、実証的な研究の優れた成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を持っていることを明らかにしている。したがって、審査委員会は全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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