学位論文要旨



No 127713
著者(漢字) 北浦,貴士
著者(英字)
著者(カナ) キタウラ,タカシ
標題(和) 企業統治における株主と債権者 : 戦前期日本の電力会社を中心として
標題(洋)
報告番号 127713
報告番号 甲27713
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第309号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 岡崎,哲二
 東京大学 准教授 中林,真幸
 一橋大学 教授 橘川,武郎
内容要旨 要旨を表示する

本稿の課題は、戦前期日本の株式会社における資金調達の仕組みを、企業統治を巡る株主間及び株主・債権者間の利害対立という観点から明らかにすることである。戦前期日本の株式会社の資金調達において、戦前期を通じて株式の比重が最も高かったが、戦間期には社債・借入金といった負債の比重が高まった。このような資金調達の特徴を踏まえて、戦前期日本における株式会社の企業統治に関する研究は、主に株主と経営者との関係を対象としていた。先行研究は、大株主が自ら経営に関与するとともに、配当政策を自身の意向に基づいて決定することによって、株主と経営者間の利害対立を調整していた点を明らかにした。しかし、戦間期に負債の比率が高まっていったという事実からすると、株主と経営者との関係に加えて、債権者と株主や債権者と経営者の関係性についても考察する必要があるだろう。また、大株主が自ら経営に関与することが多かった戦前期日本の株式会社において、株主・経営者間の利害対立に代わって生じる問題は、経営に関与する大株主と経営に関与しない少数株主の間の利害対立であると考えられる。ここから、本稿では、少数株主が、株式会社に投資するようになった理由及び債権者が戦間期に株式会社に対する融資額や社債引受額を増加させた理由を、株主間及び株主・債権者間の利害対立という観点から考察している。本稿の主な分析対象は、戦前期に最も多額の資金を調達した電力大手5社であり、分析対象時期を、国立銀行条例が制定される1872年から、商法が改正され、電力管理法等が制定される前年の1937年としている。

第1章では、1890年商法の会社部分施行前において、地方官庁が実施した株式会社に対する設立規制の内容とその意義を、株主有限責任という観点から明らかにしている。会社設立認可に関する府県史料を用い、具体的な規制の運用を検討した結果、東京府・大阪府ともに先行研究において明らかにされていなかった規制(発起人身元調及び定款訂正指示)が、地方官庁の裁量の下で実施されていた。規制の目的は、株式会社の設立時に、発起人の確実な払込を担保することにあった。地方官庁による規制は、当時株式会社が必ずしも有限責任が認められるわけではなかった状況で、株主有限責任を社会的に機能させることを企図して実施され、東京控訴院の見解を変更させたという点で効果を有したのである。

第2章では、1887年~1917年の東京電灯の資金調達と企業統治を解明している。まず、当該期の商法・税制と、東京電灯の資金調達及び企業統治の関係を見た。その結果、東京電灯は商法の分割払込制度を利用し、時価額面差額を株主に付与することによって、円滑に株式を発行していた。また、株主と経営者が一致するようにした商法上の経営組織設計の結果として、役員の27%~40%が10大株主であった。さらに、税制は、1918年まで企業の減価償却行動に対して無差別であった。以上の法制度の下で、東京電灯は高収益・高配当性向の下で、高率配当を実施していた。減価償却は、固定資産に対して規則的に実施されず、利益の一定割合を積み立てることで実施された。また、1898年上期にその割合が20%から10%に引き下げられることによって、配当性向が高められていた。

第3章では、高配当政策を可能にした電力大手5社の会計行動を検討することを通じて、1918~24年の電力大手5社の資金調達と企業統治を考察している。当該期の主要な資金調達手段は株式発行であった。株式発行は大株主の比率を引き下げたが、それでもなお大株主の中心は個人であった。個人株主からの株式による資金調達により、電力大手5社は高配当性向を維持せざるをえなかった。このような配当政策が、電力大手5社の会計行動に与えた影響を、税制と東京電灯の関東大震災の対応及び合併会計処理の側面から検討した。まず、1918年に整備される減価償却税制は、資本金額が大きかった電力会社に適用される税率が低かったため、電力大手5社に節税目的の減価償却を実施させる誘因とはならなかった。一方、東京電灯は、関東大震災時の損失に対する固定資産評価益の計上、減価償却の一部停止及び利益を減少させない合併会計により、配当原資を確保した。他社も、初期の償却額を抑える償却方法の採用や減価償却の一定期間停止によって配当原資を確保した。以上から、当該期の電力大手5社は、高配当維持という目的を達成することを前提に、採用すべき会計行動を決定していたと結論付けられる。

第4章では、1923~31年にかけて発行された電力外債における会計に関する契約条項が、電力会社の減価償却行動に与えた影響を明らかにしている。電力外債発行に際しては、社債引受会社と電力大手5社の間で、減価償却会計に関する契約条項が、締結された。これらの契約条項は、外債発行電力会社の減価償却行動に対して、以下の影響を与えた。東邦電力では、遅くとも1926年4月期以降、減価償却会計条項と社債引受会社による監視の下で、東邦電力の経営者は契約条項を遵守する減価償却を実施していた。次に、東京電灯では、契約条項の違反に対して、社債引受会社が経営介入により会計処理を修正させ、社債権者保護を図った。大同電力・日本電力・信越電力では、外債発行に伴って、継続的な減価償却が実施されるようになった。電力会社が、減価償却会計条項を遵守して減価償却を実施しているかどうかを監視していたのは、社債引受会社であった。そして、社債引受会社に対して判断材料を提供していたのは、会計プロフェッションによる継続的な監査であった。

第5章では、1930年以降の国内金融機関の電力大手5社の配当政策及び償却行動に対する経営介入が、配当政策及び償却行動に与えた影響を明らかにしている。電力大手5社が、自社株式を取得した結果、個人大株主の比率は減少し、個人大株主の電力大手5社に対する影響力を低下させていったと推測される。対して、国内金融機関は、電力大手5社に対して度々減価償却率の引上げと配当率の引下げを要求するとともに、経営状態のモニタリングを目的に役員を派遣していた。その結果、1930年代前半の電力大手5社の減価償却率が上昇していったことと対照的に、配当率は低下していった。電力大手5社は、金融機関からの要求を受け入れることによって、借入や社債発行が可能となったのである。

第6章では、両大戦間期日本において、会計プロフェッション監査の果たした役割を、債権者による規律との関係から明らかにしている。まず、法制度との関係を見ると、会計監査は法制度(1927年の計理士法)整備以前から利用され、法制度は、利用実態を追認する形で整備された。次に、会計監査の果たした役割については、分析の結果、会計プロフェッションは、事前(融資前及び社債発行前)及び事後(融資後及び社債発行後)の継続的モニタリング活動を債権者から委託され、監査結果を債権者に報告していた点が判明した。

以上の分析の結果、株主が電力大手5社に投資できるようになった理由として、まず、株主有限責任制度が挙げられる。また、分割払込制度と、時価額面差額の株主への付与は、円滑な株式発行に貢献した。それは同時に、新株発行・追加払込時に高株価を維持する必要性を生じさせ、高株価のための高配当性向政策と裁量的会計行動が、電力大手5社によって実行された。高配当性向政策は、大株主経営者と経営に関与しない中小株主の間の利害調整に役立っていたと考えられる。それは、1930年の東京電灯の配当率引下げに際して、中小株主が配当率引下げに反対し、配当率引下げを受け入れる代わりに、大株主経営者を退陣させたという点に如実に現れているといえる。次に、債権者が1920年代後半以降、電力大手5社に資金を提供するようになった理由として、債権者が電力大手5社に対して、継続的かつ規則的な減価償却を実施させ、内部留保を厚くさせたことが挙げられる。それは、債権者と経営者間の会計に関する契約条項と会計監査や役員派遣というモニタリングの仕組みによって可能となった。規則的な減価償却の実行による内部留保は、債権者にとって担保と同様の機能を果たしたためである。それは、同時に、1930年代前半の電力会社の収益性が低下している時期に、配当率を引下げさせることとなった。

戦前期の電力大手5社の資金調達に関する仕組みの下で、電力大手5社は、各局面で資本コストを引き下げるように資金調達方法を変化させていった。電力大手5社の資金調達構造の変化は、企業統治構造をも変化させていった。すなわち、1924年までは個人大株主が経営を行っていたが、1925年以降債権者の発言力が徐々に増加していった。同時に、1930年以降の自己株式取得の結果として、個人大株主の発言力が低下し、役員に占める大株主の割合も低下していった。このような電力大手5社の資金調達方法と企業統治の変化は、戦間期の負債残高と総資産残高の増加という戦前期日本の株式会社の資金調達の特徴から鑑みると、他の株式会社にも当てはまると推測されるが、その詳細は、今後の課題としたい。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、戦前期日本の株式会社における資金調達の仕組みを、企業統治をめぐる株主間及び株主・債権者間の利害対立という観点から解明することを課題としている。論文の構成は以下の通りである。

序 章 課題と分析視角

第1章 日本における株式会社の成立と会社規制

―旧商法施行前における地方官庁の果たした役割―

第2章 1887年~1917年における東京電灯の資金調達と企業統治

第3章 1918年~1924年における電力大手5社の資金調達と企業統治

―高配当性向政策と裁量的会計行動―

第4章 電力外債発行による電力大手5社の償却行動の変化

第5章 1930年以降の国内金融機関による経営介入と電力大手5社の配当政策・償却行動

第6章 会計プロフェッション監査と債権者による規律

終 章 総括

序章では、株式会社の基本的性質が株式発行と株主有限責任にあり、それが資金提供者(株主と債権者)と経営者間、および株主と債権者間で利害対立を発生させること、この利害対立が調整されないと、株主や債権者は株式会社に資金を供給することができないことが指摘される。この認識を前提に、資金調達における利害を調整する契約と、その契約をモニターするシステムがどのように構築され、機能していたのかを解明することが、本論文の課題として設定される。

第一章は、株式会社を特徴づける有限責任制の成立に、地方官庁の規制が果たした役割を考察している。1893年の旧商法(会社法部分)の施行前には、司法は債権者保護の観点から一般会社の株主の有限責任を認めていなかった。そうした状況下での株式会社の設立については、地方官庁による許認可行政の意義がおもに布令・布達の検討を通じて論じられてきたが、本章は東京府および大阪府の会社設立認可文書の渉猟によって、これら地方官庁が自らの判断で発起人身元調べや定款訂正指示を実施し、株式会社の資本充実を促していたことを明らかにした。これら地方官庁による裁量的な規制が、株主有限責任制の社会的な定着に道を開き、府県認可会社の有限責任を認める下級審(東京控訴院)の新見解(1892年)をもたらしたとされている。

次の第2章から第5章までの4つの章は、1880年代から1930年代にいたる電力会社における資金調達を、時期別に分析したものであり、本論文の中核部分となっている。

第2章では、1887年~1917年の東京電灯が、大株主による所有と経営の一致を前提とした企業統治のもとで高率配当を実施し、それが株主割当増資による資金調達を可能にしていたことが明らかにされる。この高率配当は、当該期の電力事業の高収益と高率配当性向によって実現するものであったが、高率配当性向の背後には、固定資産残高に対する規則的な償却ではなく、償却前・利益処分前利益の一定割合(当初は20%、1898年に10%へ切り下げ)を償却費とする減価償却行動があった。

電力会社の資金調達は、引き続き1920年代前半にも株式発行を中心としていたが、収益性は低下傾向をみせた。第3章はこの時期に出揃った電力大手5社が、大株主中心の役員構成を維持する中で、収益性の低下にも関わらず高配当性向政策を志向していたことを指摘する。それを可能としたのは、電力会社が押しなべて採用した償却の中止を含む減価償却額の抑制政策や、関東大震災による損失を固定資産評価益の計上によって処理した東京電灯の事例などに示される、裁量的な会計処理政策であった。先行研究が重視する減価償却費を損金と認定する1918年の税制改正も、会社利益への賦課税率の低さから減価償却費増額へのインセンティブとしては働いていなかった。高配当維持が、当該期の電力会社の会計行動の目的であった。

しかし、1925年以降の積極的な電力外債の発行は、配当政策及び会計行動を一変させる契機となった。第4章が注目したのは、電力外債発行時に締結された減価償却会計に関する契約条項が、会計行動に与えた影響である。東邦電力は遅くとも1926年以降、減価償却会計条項の存在とアメリカの社債引受会社による監視の下で、契約条項に則った減価償却を実施している。一方東京電灯では、契約条項に違反する減価償却の計上不足が、社債引受会社による経営介入を招くことになった。来日したギャランティ社の副社長に対して、同社は配当率の引き下げと契約条項を遵守した減価償却の実施を約さざるを得なかったのである。契約実施の監視にあたっては、会計プロフェッションによる継続的な監査が大きな役割を果たしていた。大手電力会社の減価償却行動には、引受会社を通じた社債権者によるガバナンスが機能していたといえる。

第5章は、1930年代の国内金融機関による経営介入が、配当政策及び償却行動に与えた影響を解明している。電力会社への金融機関の経営介入については、それが経営支配を意図するものであったか否かをめぐって論争がなされてきた。これに対して本章は、三井銀行・日本興業銀行の電力会社との関係を分析し、これら国内金融機関は東京電灯など経営危機に陥ったケースに経営介入を行うが、それは債権者および社債発行の担保受託会社としての立場に基づくものであり、経営支配を目的とするものではなかったこと、一方で東邦電力などにも監査役を派遣し、必要に応じて配当政策や償却行動に対する介入を行っていたことを明らかにしている。この国内金融機関による監視と規律付けは、電力会社にとっても低利・長期の社債発行を可能とするメリットがあり、それ故、電力大手5社も積極的に受け入れていたのである。

このような債権者による規律付けには、経営情報の的確な把握を必要とするが、それを可能とする一つの方策が、会計プロフェッションによる監査であった。第6章は、このような視角から、戦間期において会計プロフェッションが果たした役割を検討している。日本における会計プロフェッションの制度化については、1927年の計理士法が重視されてきたが、本章では、すでに1910年代から会計事務所の開設があり、また、英国勅許会計士による監査も行われていたことが明らかとなっている。会計プロフェッショナル監査を先駆的に導入したのは、電力・電鉄など多額の負債を有していた企業であったが、それは監査受け入れが外債発行や追加融資を可能とするためであった。このように戦前期日本の会計プロフェッション監査は、債権者から委託された継続的なモニタリング活動としてとらえられること、それが配当原資の縮小にもつながるために、株主はプロフェッション監査を導入するインセンティブを欠いていたことが指摘されている。

終章は、本論文で明らかにしてきた電力会社の資金調達の特徴を、株式による資金調達から負債による資金調達への変化としてまとめ、資本コストの引き下げにつながるこのような変化を可能としたのが、大株主の発言力の低下を条件とし、会計プロフェッションの関与によって実現する、債権者による規律付けであったことを主張している。

このような内容をもつ本論文については、まず、配当政策と減価償却の関係に着目し、減価償却費の取り扱いについて一貫した分析を行うことで、企業の会計行動の特質とその変化を明快に描きだしている点が、高く評価される。このような分析の背後には、著者の企業会計に関する正確かつ的確な理解があり、それが公刊された財務諸表に基づきながら、企業の会計行動を復元することを可能にしている。資料操作の困難さから先行研究が回避していたキャッシュ・フロー表の作成に取り組み、電力大手5社の資金調達の全容を明らかにしている点にも、それを伺うことができる。

負債契約のガバナンスの仕組みの解明によって、外債導入後の電力会社の経営が、債権者(社債権者とその委託をうけた社債引受会社)による規律付けによって律せられていることを明らかにしたことも、研究史に対する大きな貢献である。株式会社における債権者の位置づけを明確にした本論文の成果は、株主と経営者の関係に視点が限定されがちであった戦前期日本の企業統治をめぐる議論に対して、一石を投じるものといえる。また、社債引受会社および会計プロフェッションの役割を、外債を引受ける英・米側の資料の渉猟によって明らかにしたことも、国内での未利用資料の博捜とともに、評価に値する成果といえよう。

もっとも本論文にも、いくつかの物足りない点が残されている。電力会社の資金調達をめぐる2章以下の分析と、第1章の有限責任の成立過程を論ずる議論とには、やや乖離があり、また有限責任制成立以降の株式市場に関する議論がなされていないために、第1章の論文構成上の位置づけを分かりにくくしている面がある。また各章は手堅い分析結果を示しているものの、各章をつなぐ、変化をもたらすメカニズムが明示的に論じられていないために、分析が静態的なものに留まっている印象も拭えない。本論文での実証作業を通じて、戦前期日本の資本市場がどのように描かれることになるのか、その見取り図を示す議論が試みられることが望ましい。「負債によるガバナンス」への変容が、外債発行を契機とした外からの介入の結果として扱われている点にも物足りなさが残った。日本の電力社債を消化する英米の資本市場側の事情も、検討に値する論点といえよう。

しかしこれらの点は、本論文の問題点というよりも、著者の今後の検討課題というべきものである。本論文に示された優れた研究成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を備えていることを十分に示している。したがって審査委員会は、全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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