学位論文要旨



No 127721
著者(漢字) 高野,慶輔
著者(英字)
著者(カナ) タカノ,ケイスケ
標題(和) 自己注目の適応的・不適応的側面 : 抑うつの早期予防に向けて
標題(洋) Adaptive and Maladaptive Aspects of Self-focused Thinking : Toward Early Prevention of Depression
報告番号 127721
報告番号 甲27721
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1134号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 岡ノ谷,一夫
 東京大学 教授 石垣,琢麿
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 准教授 村上,郁也
内容要旨 要旨を表示する

博士論文の背景と目的

抑うつは,その有病率,自殺率,そして経済的損失の大きさから現代社会の直面する深刻な病理のひとつである。抑うつに関する心理学的研究では,「自己」に関する認知の問題がその脆弱性としてしばしば取り上げられてきた。特に社会心理学では,自己の内面や感情に注意を向けること,あるいはそうしやすい性格特性は「自己注目」と呼ばれ,抑うつをはじめとする精神的不適応との関連が指摘されている(Ingram, 1990)。近年では,持続的・慢性的で,ネガティブなタイプの自己注目である「反芻」が,うつ病の最も重要なリスクファクターのひとつであるとされている(Nolen-Hoeksema, Wisco, & Lyubomirsky, 2008)。その一方で,ある種の自己注目は,自己理解や問題解決を促進し,ネガティブな感情反応を低減させるという機能的側面を備えていることが指摘されており,こうしたタイプの自己注目は,うつ病に対する予防介入法として臨床的応用が可能であるとの見方もある(Watkins, 2008)。

ところが,従来の自己注目研究では,質問紙を用いて自己注目を特性的に捉えた研究が多く,実際に生活を送る中で,自己注目がどのようにして生じているのか,またどのように心理的適応あるいは不適応と関連しているのかについては不明な点が多い。また適応的なタイプの自己注目を介入のターゲットとした研究はまだ例が少なく,今後の臨床的応用のためにもエビデンスの蓄積が必要である。

そこで本博士学位論文では,こうした自己注目の2面性に着目し,(1)不適応的なタイプの自己注目である反芻は,日常生活の中でいかにして生じているのか(第2章),(2)また反芻はどのように不適応と関連しているのか(第3章),(3)適応的な自己注目スタイルを獲得することで,心理的適応を促進することは可能か(第4章)について検討を行い,抑うつの基礎的なメカニズムと予防介入法への示唆を与えることを目的とした。

第2章:日常生活における反芻第2章では,実生活における反芻の非機能性とその実態を明らかにするため,経験サンプリング法を用いて,反芻と感情状態や抑うつ,社会的活動との関連を検討した。経験サンプリング法とは,日常生活を送りながら,1日数回ランダムなタイミングでそのときに行っている活動・思考・感情状態などを記録する手法である。この手法によって高い生態学的妥当性を保ちながら,思考や感情が行動や環境とどのように関連しているかを捉えることができる。

研究1では,大学生68名を対象に経験サンプリングを実施し,1週間にわたり1日8回そのときの思考や感情状態を記録してもらった。分析の結果,反芻的思考を経験しているときは,高いレベルのネガティブ感情が生じることが明らかとなった。また反芻は,朝と晩に生じやすく昼に生じにくいことが示された。さらに抑うつとの関連では,高いレベルの抑うつ傾向を有する人は,1日を通じて高いレベルの反芻を維持し,抑うつの低い人と比較すると,特に夕方から夜にかけて反芻を経験しやすいことが示唆された(図1)。

研究2では,反芻が日常場面のどのような状況で生じやすい,あるいは生じにくいかを検討するため,研究1と同様の手法を用いて大学生49名を対象に調査を行った。分析の結果,食事や趣味などの活動に従事しているときには反芻が生じにくいことが示された。また,対人的接触やテレビ鑑賞などの活動は感情状態を媒介として低いレベルの反芻と関連していることが示唆された。

以上の結果から,反芻は感情的な問題と強い関連を有していること,またその生起には食事などの日常的活動を含む基本的な生活習慣が関連していること,そして夜に反芻を経験することが特に心理的不適応と関連している可能性が示唆された。

第3章:反芻と不適応 - 睡眠との関連

こうした結果を踏まえ,第3章では夜間の反芻に着目し,反芻が睡眠に及ぼす影響について検討した。睡眠の変性は抑うつの主症状のひとつであり,不眠は将来のうつ病を予測するリスク因としても知られていることから,睡眠の問題は抑うつを考える上で最も重要な要因のひとつとされる。不眠に対する認知的アプローチは古くからその重要性が指摘されながらも,まだ研究数が限られており,ネガティブな認知や感情が睡眠とどのような関連を有しているかは不明な点が多い。

そこで研究1では,特性的な反芻傾向と主観的睡眠感との関連を検討するため,大学生208名を対象として2時点の縦断調査を実施した。分析の結果,反芻傾向は3週間後の主観的睡眠感の悪化を予測した。またこの関連は,不安障害に特有な心配性傾向によって調整されており,抑うつ的な反芻は不安特有の心配と組み合わさることで,より深刻な睡眠障害のリスクとなる可能性が示唆された。

研究2では,日常場面で生じる反芻に焦点をあて,客観的な睡眠の質との関連を検討した。大学生40名を対象に経験サンプリング法による調査を行い,1週間の間,朝・昼・晩の反芻のレベルを測定した。また,調査期間中の睡眠についてはactigraphを用いて活動量から定量的に評価を行った。分析の結果,夜に高いレベルの反芻が見られた日ほど,入眠潜時が長くなり,睡眠効率が悪くなることが示された。睡眠には身体的な問題が大きな影響を与えることが知られているが,これらの結果は,反芻のような認知的な問題もまた関与している可能性を示唆するものであり,反芻は心理的にも身体的にも抑うつのリスクとなっていると考えられる。

第4章:思考の具体性 - 自己注目の適応性

第2章,第3章では,自己注目の不適応的側面である反芻に焦点を絞り,日常場面における実態と心理的不適応との関連を示した。一方で,近年提唱された「処理モード理論」によれば,自己注目にも適応的な機能が存在するとされ,思考の具体性-抽象性の次元がこの適応性を決定する重要な要因であるという(Watkins, 2008)。この理論では,抑うつ的な反芻には,思考内容が過度に一般的で抽象的な解釈に偏るという特徴があるとされており,反芻はこの高い抽象性のためにネガティブな感情反応を増大させ,その結果抑うつ症状を慢性化させると考えられている。逆に,自己の問題に対しより具体的な考え方を適用することで,ネガティブな感情反応を抑えつつ問題解決を促進することができるため,心理的健康の維持につながるとしている。そこで第4章では,思考の具体性が自己注目とネガティブ感情との関連に及ぼす影響を調査するとともに(研究1),具体的な思考法をトレーニングすることで,ネガティブな感情反応を抑制できるようになるかを検討した(研究2)。

研究1では,日常場面において,思考の具体性,自己関連度,そしてネガティブ感情がどのように関連するかを検討するため,大学生34名を対象に経験サンプリングによる調査を行った。調査参加者は1週間にわたり1日8回その時々の思考と感情状態などを記録した。分析の結果,抑うつ傾向が高い人の思考では,調査期間を通じて高い抽象性が見られた。さらに,自己に関連する思考は,高いレベルのネガティブ感情と関連していたが,思考内容が十分に具体的であった場合には,この関連が弱まることが示された。このことから,具体的なタイプの自己注目は,ネガティブな感情を伴わないより適応的な自己注目であると考えられる。

研究2では,実際に具体的な思考法を認知トレーニングによって身につけることにより,ネガティブな感情反応を低減させることが可能かを検討した。大学生43名を対象に思考法のオンライントレーニングを実施し,3日間の間,抽象的思考法または具体的思考法を練習してもらった。また,トレーニングの前後では,実験室においてネガティブな出来事について考えてもらい,その前後における抑うつ気分の反応性を測定した。分析の結果,具体的思考法を練習した群では,トレーニングの前後で抑うつ気分の反応性が低下することが示された(図2)。また,反芻の傾向が高い人において,トレーニングに対する高い反応性が見られた。これらのことから,具体的な思考を獲得することで,反芻の不適応的機能を低減させ,ネガティブなことを考えたときでも,抑うつ気分が生じにくくなるものと考えられる。

第5章:総合考察

本博士学位論文では,日常場面において,不適応的なタイプの自己注目である反芻がどのようにして生じ,またネガティブ感情などの心理的問題とどのように関連しているかを明らかにした(第2章)。さらに,反芻は抑うつ症状のひとつである睡眠の問題とも関連が見られ,反芻は心理的にも身体的にも抑うつのリスクとなることが示唆された(第3章)。また,思考の具体性は自己注目とネガティブ感情との関連に影響を与え,この具体性をトレーニングによって高めることで,ネガティブ思考時の感情反応を抑制できるようになることが示された(第4章)。以上の結果は,処理モード理論へ有力な根拠を与え,抑うつの認知的メカニズムの解明に寄与するとともに,抑うつの予防的介入への示唆となるだろう。

図1. 抑うつ傾向高低に見た反芻と時間帯との関連. 実線・破線は平均,点線は標準誤差を表す. 縦線は各曲線の底を示す.

図2.トレーニング前後での抑うつ気分反応性.エラーバーは標準誤差を表す.

審査要旨 要旨を表示する

自己の内面や感情に注意を向けること,あるいはそうしやすい性格特性は「自己注目」と呼ばれ,抑うつや不安をはじめとする精神的不適応との関連が指摘されてきた。特に,持続的・慢性的で,ネガティブなタイプの自己注目である「反芻」は,将来のうつ病の発症・維持を予測することから,抑うつの脆弱性要因として注目を集めている。その一方で,自己への注目は,自己理解や問題解決を促進するという機能的側面を備えていることが指摘されており,こうした適応的なタイプの自己注目を利用することで,抑うつに対する予防介入法として活かすことができると考えられている。しかし,従来の自己注目研究では,特性質問紙や実験室実験などによって自己注目を検討したものがほとんどであるため,実際に生活を送る中で,自己注目がどのようにして生じているのか,またどのように心理的適応あるいは不適応と関連しているのかなど,その機能や実態については生態学的妥当性の観点から疑問が多い。また,自己注目には適応的な機能があるとされながらも,それを対象とした介入的な研究は未だ数が限られており,臨床的応用のためにもエビデンスの蓄積が必要である。

そこで本博士論文では,こうした自己注目の2面性に着目し,不適応的なタイプの自己注目である反芻は,日常生活の中でいかにして生じているのか,また,適応的な自己注目スタイルを獲得することで,心理的適応を促進することは可能かを検討し,抑うつの基礎的なメカニズムと予防介入法への示唆を与えることを目的とした。

第1章では,抑うつの現状と自己注目の諸理論を概観した。特に自己注目が心理的健康に対して及ぼす機能的・非機能的な影響についてまとめ,これを序論とした。

第2章では,実生活において,不適応的な自己注目である反芻的思考がいつ,どのようなときに生じやすいのかを検討した。研究1では,反芻の持つ日内変動に着目し,1日の中でも反芻はどの時間帯に生じやすいかを抑うつとの関連で検討した。その結果,抑うつが低い人においては,昼から夕方にかけて反芻のレベルが低減するのに対し,抑うつが高い人においては,昼から夜にかけて高いレベルの反芻を維持することが示された。また,研究2では,どのような日常的な活動を行うことで,反芻が生じやすいまたは生じにくくなるかを検討した。その結果,食事や趣味,テレビ鑑賞などの活動に従事しているとき,および対人的接触があるときには反芻が生じにくいことが示された。以上の結果から,反芻の生起にはリズムが存在し,少なからず生活習慣の影響を受けていること,また,特に夜間に反芻を行うことによって,心理的不適応が生じていることが示唆された。

第3章では,特に夜の活動に着目し,反芻と睡眠との関連について検討を行った。研究1では,特性的な反芻傾向と主観的睡眠感との関連を縦断調査によって検討した。その結果,反芻傾向は3週間後の主観的睡眠感の悪化を予測した。またこの関連は,不安障害に特有な心配性傾向によって調整されており,抑うつ的な反芻は心配性傾向と併存することで,睡眠の問題とより強く関連する可能性が示唆された。研究2では,日常場面で生じる反芻と睡眠の問題に焦点をあて,1週間の間,日中の反芻のレベルを測定するとともに,活動量の測定から睡眠の質を定量的に評価した。その結果,夜間の反芻は,特異的に長い入眠潜時および悪い睡眠効率と関連していることが明らかとなった。このことは,反芻を行う時間帯が心理的健康にとって重要であるということ,そして睡眠の問題のような抑うつの身体症状にも一定の寄与を果たしていることを示唆する。

第4章では,思考の具体性に着目し,自己注目の機能的側面について検討を行った。先行研究では,自己の抱える問題について考える際に,その意味や意義,評価といった抽象的な次元にフォーカスを当てるよりも,出来事や体験を詳細に分析し,将来の行動に対するプランニングを行う(具体的に考える)ことによって,問題解決が促進され,情動制御に寄与するとされている。そこで研究1では,実生活において,思考の具体性,自己注目,そしてネガティブ感情がどのように関連するかを調査し,思考の具体性の持つ適応性について検討を行った。その結果,抑うつ傾向が高い人は抽象的な思考傾向があることが示された。さらに,思考内容が十分に具体的であった場合には,自己注目とネガティブ感情の関連が弱まることが示された。このことから,具体的に考えることができるか否かが自己注目の適応性に関与していると考えられる。研究2では,認知的トレーニングによって,具体的に考えるための思考法を獲得することにより,反芻に伴うネガティブな感情反応を低減させることが可能かを検討した。大学生を対象として介入を行ったところ,具体的思考法を練習した群では,トレーニングの前後で,反芻時における抑うつ気分の反応性が低下することが確認された。すなわち,具体的な思考を獲得することで,反芻の不適応的機能を低減させ,ネガティブなことを考えたときでも,抑うつ気分が生じにくくなるものと考えられる。

第5章では,以上の結果を総括し,反芻と抑うつの発生機序に関して,既存の自己注目理論である自己制御理論と対応付け,行動的・認知的問題の双方から考察を行った。さらに,こうした考察を基に,自己注目の適応性の観点から抑うつに対する予防介入法への提言を行った。

審査会では、測定法論上の手続きについての議論や具体性・抽象性の用語についての議論があったが、それらは適切に修正されたうえ、本論文においては次の点が高く評価された。

1) 自由行動下において心理行動的変数の測定を行い,実生活の中で自己注目が心理的適応および不適応とどのように関連しているかを明らかにすることで,自己注目の現象論に関してより生態学的妥当性の高いエビデンスを提供したこと。

2) 反芻は睡眠の問題と関連することを示し, 抑うつの認知・感情的症状のみならず,身体的な問題にも一定の寄与がある可能性を示したこと。

3) 実証的なデータに基づいて,自己注目による抑うつの発生維持メカニズムを提案するとともに,自己注目理論に基づいた認知的トレーニングの効果を確認し,抑うつ予防法への応用可能性を示唆したこと。

なお、第2章の一部はEmotion誌に公表済みであり,第3章の一部はConsciousness and Cognition誌に公表済みである。

これらの成果により,本論文は,博士(学術)の学位に値するものであると,審査員全員が判定した。

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