学位論文要旨



No 127723
著者(漢字) 竹村,浩昌
著者(英字)
著者(カナ) タケムラ,ヒロマサ
標題(和) 運動視知覚における文脈効果の心理物理学的諸相と神経生理学的基盤
標題(洋) Psychophysical properties and neurophysiological bases of contextual modulation in visual motion perception
報告番号 127723
報告番号 甲27723
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1136号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 村上,郁也
 東京大学 教授 長谷川,壽一
 東京大学 教授 新井,仁之
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 岡ノ谷,一夫
内容要旨 要旨を表示する

背景・目的

私たちの視知覚は局所的な視覚入力の集合ではなく、視野上の異なる位置に入力される信号間の相互作用を経て成立している。例えば、周辺の刺激情報に依存して、色や明るさなどの知覚が変化することは心理学において広く知られてきた。このような知覚の変調は文脈効果と呼ばれ、様々な視覚属性に共通して見られる視覚処理の共通法則である。

本博士論文では、運動視知覚における文脈効果である誘導運動(induced motion, Duncker, 1929)に着目する。誘導運動とは、物理的には静止する刺激が、周囲の刺激が動くことで、周辺とは逆方向に動いて知覚される現象を指す。誘導運動は、運動するオブジェクトを背景から抽出するメカニズムを反映していると考えられ(Regan & Beverley, 1984; Tadin & Lappin, 2005)、誘導運動の理解は適応的な視覚機能を理解する上で重要と考えられる。

本博士論文の目的は下記の二点である。第一の目的は、誘導運動が知覚課題の成績に与える影響を検討することで、特に誘導運動により知覚課題の成績が向上する現象に着目する。このような現象の理解を通じて、視覚系が文脈手がかりをどのように効率的に利用し、運動視知覚を構築しているのかを明らかにできる。本博士論文では、誘導運動が最小運動検出感度(第2章)および運動透明視の知覚(第3章)に及ぼす影響を検討した。第二の目的は、誘導運動と神経活動との関連について検討することである。誘導運動は、マカクザルにおけるMT野ニューロンの特性と類似していると言われてきた(Murakami & Shimojo, 1993; 1996; Tadin et al., 2003)。しかし、主観的な誘導運動の知覚と神経活動の関係は未だに明らかになっていない。本博士論文では、機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging; fMRI)を用いて、視覚皮質における神経活動と主観的な誘導運動の知覚の関連について検討した(第4章)。

運動視知覚における文脈効果の心理物理学的諸相に関する検討

第二章:直交する錯覚運動が最小運動検出感度に及ぼす影響

非常に遅く運動する刺激は静止刺激として知覚され、運動を検出することは困難である。このような非常に遅い運動に対する検出感度を最小運動検出感度と呼ぶ。視覚運動情報は、局所的な要素運動の処理がなされる初期の段階、複数の運動成分が統合される後期の段階を経て処理されることが知られている(Adelson & Movshon, 1982)。最小運動検出感度と運動の統合の関連が検討できれば、視覚運動情報処理のどの段階で最小運動検出感度が定まるのかを知ることができる。第2章では、一見すると課題に無関連な直交方向の錯覚運動成分との統合が最小運動検出感度に与える影響を調べ、この問題について検討した。

実験では、視覚刺激の中心部に水平方向に運動するガボールパッチ (ガウシアン窓内に限局した正弦波縞)、周辺部に垂直方向に運動する正弦波縞を呈示した。誘導運動の影響で、中心部の刺激は誘導運動と物理運動が加算された斜め方向に動いて知覚される。この刺激を用い、中心部の刺激の運動方向(右または左)を弁別する運動検出課題を行い、周辺部の刺激が静止する条件と、一定の速度(0.01-2.34Hz)で運動する条件の成績を比較した。中心部の刺激の速度は条件間で同一であった。その結果、周辺が比較的遅い速度で運動する条件で、周辺が静止する条件よりも運動検出感度が向上することが明らかになった(図1)。

さらに、運動する刺激への順応によって生じる運動残効(motion aftereffect)と呼ばれる錯覚運動を用いて同様の検討を行った。この実験では、垂直方向の正弦波縞の運動に順応した直後に、テスト刺激として水平方向に運動するガボールパッチを呈示した。運動残効の影響で、物理的には水平に運動するテスト刺激が斜め方向に動いて知覚される。誘導運動を用いた実験と同様に、順応刺激が運動する条件と、静止する条件における、テスト刺激に対する運動検出感度を比較した。その結果、一定の強度の運動残効が起こる条件で、静止した刺激に順応する条件よりも運動検出感度が向上することが明らかになった。

これらの結果から、垂直方向の錯覚運動成分との統合を通じて知覚運動方向が変化することに伴い、通常では検出できない水平方向の運動が、検出可能となることが示された。この結果は、最小運動検出感度が、空間的・時間的な文脈情報との統合が生じるよりも後の処理過程で定まっていることを示唆する。

第三章:誘導運動が運動透明視に及ぼす影響

日常生活における視覚入力では多くの局所的な運動成分が含まれ、視覚系はこれらを単一のオブジェクトの運動情報として統合する必要がある。一方、複数のオブジェクトが同一視野上で動く場面では、入力された運動情報を2方向の運動として処理することが適応的である。

視覚系は様々な情報に基づき、これら2種類の知覚を切り替えている。例えば、同一視野上に2方向の運動成分を呈示した場合、運動方向の差が大きければ2つの運動が同時に知覚され(運動透明視)、小さければ1方向の運動に統合して知覚される(コヒーレント運動; van Doorn & Koenderink, 1982)。それでは、これらの知覚が成立する上で、文脈的な情報はどのように関わっているのだろうか。第3章では、運動透明視と誘導運動の関連について検討した。

実験では、刺激の中心部と周辺部に異なる運動パターンを示すランダムドットを呈示した。刺激の中心部には、近接した2方向(例:上方向を中心に±45°の方向)に運動するドットを呈示した。周辺部のドットに関しては、中心部に呈示される2方向の平均の方向(例:上方向)に運動するSame Surround条件、その逆方向(例:下方向)に運動するOpposite Surround条件、上方向と下方向の両者が半分ずつであるBidirectional Surround条件を設けた(図2)。実験参加者は、刺激中心部の運動が1方向に見えたか、2方向に見えたかを回答し、次に方向マッチング法により知覚運動方向を回答した。結果において、Same Surround条件では、2方向の運動が同時に知覚される割合が高くなった。加えて、知覚運動方向が周辺の運動と逆方向側に偏ることで、2方向の運動方向の差が大きくなって知覚された。一方、Opposite Surround条件では、1方向に統合された運動が知覚される割合が高くなった。これらの結果は、視覚運動情報が運動透明視として解釈されるか、あるいはコヒーレント運動として解釈されるかは、周辺の空間に存在する文脈手がかりを通じて変調した運動方向の表現に基づき定まっていることを示唆する。

運動視知覚における文脈効果の神経相関に関する検討

第四章:ヒト視覚皮質における誘導運動の神経相関

第4章では、主観的な誘導運動知覚と神経活動を直接比較するため、fMRIを用いて誘導運動知覚時のヒト視覚皮質の活動を調べた。

実験では、刺激周辺部に一定の速度で運動するランダムノイズ、中心部にガボールパッチを呈示した。中心部のガボールパッチについては、周辺と同方向あるいは逆方向に運動する条件、物理的に静止する条件を用いた。fMRI実験に先立ち、各実験参加者において中心部が主観的に静止する運動速度(キャンセレーション速度)を心理物理実験により求めた。BOLD信号変化率が誘導運動の知覚と相関する脳部位を同定するため、様々な速度で中心刺激を動かした際に生じる賦活量を記録した結果、視覚運動処理に関連するhMT+野の活動が、刺激周辺部と中心部が逆方向に動き中心刺激の知覚速度が最大になる条件で最も大きくなり、かつ、主観的に静止するキャンセレーション速度で中心部が動いている条件において最も小さくなり、誘導運動知覚との対応がみられた(図3)。この傾向はV1野など初期の領野に比べ、hMT+野において最も顕著に見られた。この結果は、hMT+野と主観的な誘導運動の知覚が関連すること、hMT+野が背景から運動するオブジェクトを検出する上で重要な役割を果たしていることを示唆する。

総合考察

第2章、第3章の研究により、最小運動検出感度および運動透明視の知覚が、周辺部の文脈手がかりによって変調した情報表現に基づいて定まることが示唆された。これら心理物理実験の結果は、マカクザルのMT野ニューロンの集団応答に基づく計算論的モデルによる予測ともよく一致する(Tajima et al., 2010)。しかし、主観的な誘導運動の知覚とニューロン活動の関連は実験的に実証されておらず、両者を単純に比較することには限界があった。

そのため、第4章ではfMRIを用い、主観的な誘導運動の知覚がhMT+野の活動と関連することを示した。このことから、hMT+野において運動情報の空間的な対比がなされ、その処理に基づき誘導運動の知覚が成立すると考えられる。今後包括的に誘導運動の神経基盤を解明するためには、第4章の成果に基づき、第2章・第3章で用いられた実験設定においてhMT+野がどのような賦活を示すのかを検討する必要がある。加えて、脳磁図など時間解像度の高い計測手法と組み合わせることで、意識的な誘導運動の知覚がどのような領野間の情報伝達によって成立するのかを将来的に検討することが可能となるだろう。

図1.誘導運動が運動検出感度に及ぼす影響。横軸は周辺刺激の速度、縦軸は正答率を表す。

図2.第3章の刺激条件の概念図。

図3.誘導運動知覚時のhMT+野における神経活動。横軸は実験条件、縦軸はBOLD信号変化率を表し、アスタリスクは統計的有意水準を表す(*, p<.05; **, p<.01, ***, p<.005)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、人間の視覚系のメカニズムについて心理物理学的アプローチおよび神経生理学的アプローチにて行った研究に関するものである。具体的には、運動視知覚におけるある運動対象の知覚がそれと同時的あるいは継時的に存在する視覚運動情報によってどのように影響されるか、またその神経基盤はどのようなものかを、多数の実験によって解明した研究である。

第1の研究では、「検出すべき運動と直交方向に生起する誘導運動の存在によって、運動検出感度が向上する」という新知見が得られた。誘導運動とは、周辺に存在する運動と反対方向に、中心の刺激が見かけ上バイアスされて動いて見える現象である。この現象と、検出すべき運動方向とが加算的にはたらくことにより、周辺刺激なしでは見にくい中心刺激の非常に遅い運動の方向判断の正答率が向上することがわかった。この発見は、見かけの運動方向の変容により信号雑音比が高くなるというモデルで説明でき、最小運動検出の成績を決めている処理過程が誘導運動の処理過程により影響を受けることがわかった。

第2の研究では、「検出すべき運動と直交方向に生起する運動残効の存在によって、運動検出感度が向上する」という新知見が得られた。運動残効とは、過去に観察して順応した運動方向と反対方向に、見かけ上バイアスされて動いて見える現象である。このように、誘導運動という現象を用いて得られた知見が別の運動錯視現象でもみられるかという問いを立て、やはり、物理運動と錯覚運動との加算的な効果による感度向上が認められた。

第3の研究では、「誘導運動の生じ方によって、誘導される側の図形に二方向の運動成分が混在する場合にそれらが運動透明視として分節化するかひとつの運動方向に統合するかが変わる」という新知見が得られた。運動透明視とは、ランダムドット・パターンなどでふたつの異なる方向に運動する成分が同じ場所に混在する場合に、ふたつの運動面であるかのように同時に二方向運動が知覚される現象であり、成分の運動方向の角度差がある程度より小さくなると運動透明視でなく運動の統合が生じ、ひとつの運動に見える。この研究では、物理運動がまったく同じであっても、誘導運動と物理運動との間の加算的効果によって、処理過程の内部表現における二方向の角度差が大きければ分節化、小さければ統合となることが示され、このことにより、誘導運動の処理過程の出力により運動透明視の処理過程の計算内容が影響を受けるという関係が示唆された。

第4の研究では、機能的磁気共鳴画像法 (fMRI) を用いた実証研究が行われた。視覚刺激観察中の大脳皮質の賦活を調べたところ、「誘導運動が生じる事態において物理的運動の速度というよりは知覚的運動の速度とより相関するような活動が、視覚運動中枢であるhMT+領域で生じる」ことがわかった。同心円状の視覚刺激において周辺図形は常に同じ速度で運動し、中心図形の速度が変化した。hMT+領域では、中心図形が実際に速く運動するときに活動が最大だったが、中心図形が物理的に静止し誘導運動錯視が生じるときには中庸の活動が得られ、誘導運動錯視をちょうど知覚的に相殺するために画像を物理的に動かしているときに活動が最も弱かった。これらの結果は、種間相同領野と目されるサルMT野における単一神経細胞の視覚応答特性と理論的に整合性がある。

本博士論文は大部な実験研究群を抱えていながら、運動視知覚における文脈効果というキーワードを基軸に論旨が整然と組み立てられ、一貫性を損なわない論文構成に仕上がっている。それぞれの実験研究に関しても、明確な研究動機の下に注意深い手続きで実験が行われ、明解な意味をもつ実験データが示されて、視覚系内部の情報処理メカニズムについて意義深い提案がなされた。これらの研究群を結ぶ論理は論文の最初と最後に綿密に記述されており、平易に理解できるように議論が尽くされている。すなわち、第1章では運動視知覚における文脈効果一般の理論的および現象学的背景が網羅的かつ緻密に語られ、明確な問題提起が示されており、また最終章では各研究からの結論同士が有機的に結合して論じられている。本審査会においては、審査委員の試問に対してすべて適切な返答がなされ、いずれの審査委員からも改稿要求点は指摘されず、全員一致で本論文が合格とされた。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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