学位論文要旨



No 127724
著者(漢字) 谷邊,美早紀
著者(英字)
著者(カナ) タニベ,ミサキ
標題(和) レチノイン酸関連遺伝子の神経パターニングにおける機能解析
標題(洋) Functional analysis of the retinoic acid-related genes on neural patterning.
報告番号 127724
報告番号 甲27724
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1137号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 村田,昌之
 東京大学 准教授 奥野,誠
 東京大学 教授 松田,良一
 東京大学 准教授 道上,達男
内容要旨 要旨を表示する

I. 研究の背景と目的

形態形成の機序の解明は発生生物学における主要な課題の1つである。多細胞生物の形態形成においては、細胞の配置を三次元的に制御しなければならない。そのため発生初期における適切な体軸(頭尾軸・左右軸・背腹軸)の形成が不可欠となる。脊椎動物の脳は機能や形態の異なる様々な領域で構成されており、このような脳の複雑な構造を作り出すために、神経前後軸形成に伴う神経管の分節化が重要な働きをしている。

過去の研究より、神経前後軸の形成にはシグナル分子の濃度勾配が必要であることが示唆されている。神経前後軸形成に関わる因子としてはWnt、FGF、レチノイン酸の3つのシグナル分子が知られており、これらの濃度の違いが神経パターニングに影響を及ぼすことが示されている。しかし、これらのシグナルが実際どのように脳の分節化を制御しているかはあまり明らかになっていない。そこで私はシグナル分子の制御下で分節化に関与する遺伝子を同定し、それらの機能解析によって脳形成の仕組みを解明しようと考えた。そのため本研究に先立ち、DNAマイクロアレイ解析を用いてWntによって発現制御を受け頭部で強く発現する遺伝子を探索した(Tanibe et al., 2008)。発生初期での操作が容易なアフリカツメガエル胚を使用した。そしてこの解析で見出された候補遺伝子のうち、私はxCyp26c1とxCOUP-TF-Bに注目して機能解析を行った。

xCyp26c1はレチノイン酸を不活性化する酵素であり、またxCOUP-TF-Bはレチノイン酸による標的遺伝子の発現制御を阻害する機能をもつ核内レセプターである。このように、Wntによる発現制御を受ける遺伝子としてレチノイン酸関係遺伝子が候補に上がったことから、私は神経前後軸形成においてWntシグナルがレチノイン酸の濃度を調節するのではないかと考えた。

II. 結果と考察

II-i. xCyp26c1の機能解析

過去に私が行った研究において、xCyp26c1は後脳領域にてレチノイン酸濃度を調節していることが示唆されていた(Tanibe et al., 2008)。そのため本研究では、xCyp26c1が神経パターニングに及ぼす影響を明らかにするために、過剰発現・機能失欠実験を行った。xCyp26c1 mRNAの顕微注入による過剰発現実験では後脳のパターニングのみに影響が表れたが、モルフォリノアンチセンスオリゴヌクレオチド(MO)による機能欠失実験においては頭部の広い範囲で後脳パターニングの消失が認められた。これらの結果から、胚後方で合成されるレチノイン酸が後脳よりも前方の領域に拡散しないよう、xCyp26c1が後脳で防波堤のような働きを担っているのではないかと考えられた。従って、xCyp26c1が後脳で正常な領域に発現することは、後脳だけでなく頭部全体の神経パターニングに重要であると推測された。

xCyp26c1の機能において発現領域が重要な役割を果たすと考えられたことから、次にxCyp26c1の発現を制御する因子について解析を行った。以前に行った遺伝子上流配列における転写因子結合配列の検索では、脳形成に関与する転写因子の結合配列を見出すことが出来なかった。そのため、初期発生における神経系の誘導に倣い、頭部誘導因子によるxCyp26c1の発現量の変化を確かめた。BMPシグナルの阻害因子であるtBRを顕微注入したとき、外胚葉片でのxCyp26c1の発現量は30倍に増加したが、tBRの注入量を増やしてもその効果は変わらなかった。このことからBMPの抑制はxCyp26c1の発現において必要条件ではあるが、発現領域決定には直接関与しないことが推測される。一方、WntのアンタゴニストであるDkk-1の顕微注入では、濃度に依存した発現量の変化が観察された。すなわち、xCyp26c1の発現制御には、BMPの抑制による未分化な外胚葉の神経外胚葉化と、Wntの適切な抑制の2つの仕組みが関与することが示唆された。

II-ii. xCOUP-TF-Bの機能解析

過去の研究結果により、xCOUP-TF-Bはレチノイン酸レセプターに結合し、レチノイン酸シグナルを阻害する機能を持つことが推測されている。本研究では、xCOUP-TF-Bの過剰発現解析によって、xCOUP-TF-Bが神経パターニングにおいて重要な役割を持つことを確かめた。xCOUP-TF-Bは前方神経マーカーの拡大や後脳マーカーの消失を引き起こしたが、これはレチノイン酸による後方化(前方神経領域の縮小・消失)とは反対の結果となった。さらにxCOUP-TF-Bがレチノイン酸に引き起こされる後方化の影響を、神経マーカー遺伝子の発現レベルで軽減することも示された。これらの結果より、xCOUP-TF-Bはレチノイン酸シグナルの調節を介して神経パターニングに影響を与えていると考えられる。

またxCOUP-TF-BがWnt制御下の候補遺伝子として同定された経緯から、カノニカルWntシグナルの構成分子であるβカテニンの過剰発現・機能欠失実験を行い、xCOUP-TF-Bの発現量に及ぼす影響を調査した。その結果、xCOUP-TF-Bの発現がWntシグナルによって抑制的に制御されていることが明らかになった。これらの結果は、Wntシグナルが抑制されている領域においてxCOUP-TF-Bがレチノイン酸シグナルの伝達を阻害していること、すなわちWntシグナルの濃度勾配がxCOUP-TF-Bの発現制御を介してレチノイン酸の濃度勾配を調節していることを示唆している。

II-iii. xCyp26c1とxCOUP-TF-Bの発現制御を介したWntとレチノイン酸の相互作用

xCyp26c1とxCOUP-TF-Bは共に後脳で発現しているレチノイン酸関連遺伝子であるが、レチノイン酸シグナルに対する阻害経路はそれぞれ独立である。しかし、xCyp26c1とxCOUP-TF-B mRNAの共注入実験では、それぞれ単独での注入実験よりも効果が増大することが観察された。またxCOUP-TF-B mRNAの過剰発現がxCyp26c1の発現量を増加させる効果を持つことが明らかになった。よって、神経パターニングにおいて2つの分子が協調的に働いていることが示唆された。後脳におけるレチノイン酸シグナルの調節は、これらの遺伝子の働きによって相乗的に抑制されていると考えられる。またどちらの遺伝子もWntシグナルの抑制強度に依存した制御を受けると示唆されたことから、WntシグナルがxCyp26c1とxCOUP-TF-Bの発現制御を介してレチノイン酸の濃度勾配を調節していることが示唆された。従って、Wntシグナルの抑制によって決定される神経パターニングを、Wntシグナル制御下のレチノイン酸濃度勾配がより強固に決定していることが推測された。

本研究では、レチノイン酸関連遺伝子を介してWntシグナルがレチノイン酸濃度を制御するという、新たなシグナル分子間の関係性を明らかにした。これまで神経前後軸形成におけるシグナル分子の役割はそれぞれ独立に解析されることが多かったが、本研究ではxCyp26c1とxCOUP-TF-Bを介したWntシグナルとレチノイン酸の協力関係から神経パターニング決定の仕組みの一端を明らかにした。これまでの結果により、後脳においてWntの濃度勾配がレチノイン酸の濃度勾配を調節していること、すなわち神経パターニングの決定においてはレチノイン酸がWntの制御下にあることが推察される。シグナル分子による神経前後軸形成の仕組みの全体像を解明するためにはさらなる研究が必要であるが、本研究で得られた知見は脳形成機構を解明する一助となることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、神経パターニング決定におけるWntシグナルとレチノイン酸シグナルの関係について、2つの研究から明らかにしている。研究1ではレチノイン酸不活性化酵素であるxCyp26c1の機能解析、研究2ではレチノイン酸シグナルを阻害するxCOUP-TF-Bの機能解析を行った。

神経パターニングに重要な神経前後軸決定にはFGF, Wnt, レチノイン酸の濃度勾配が必須であると知られている。しかし、それらのシグナル分子がパターニングを決定するメカニズムは明確になっていなかった。そのため本研究に先立ち、Wntシグナルの制御下で神経パターニング決定に関与し得る遺伝子をDNAマイクロアレイ解析によって探索した。その結果同定された候補遺伝子の中に前述のxCyp26c1, xCOUP-TF-Bといったレチノイン酸関連遺伝子が見出された。このことより、本研究では神経前後軸決定においてWntシグナルとレチノイン酸シグナルは独立に寄与するのみならず、Wntシグナルはレチノイン酸シグナルの強度を調節しているのではないかと推測された。

研究1では、xCyp26c1の機能解析を行った。Cyp26c1はレチノイン酸の不活性化を行うことが過去に報告されており、以前に論文提出者が行った研究においては、xCyp26c1が頭部のレチノイン酸濃度を調節することで神経パターニングに影響を与えていることが示唆された。そのため、過剰発現実験と機能失欠実験を行い、アフリカツメガエル胚でxCyp26c1が神経パターニングに及ぼす影響を確認した。その結果、xCyp26c1 mRNAの顕微注入による過剰発現では後脳マーカーの発現を後方にシフトさせ、モルフォリノアンチセンスオリゴの顕微注入による機能欠失では頭部の神経マーカー全体が消失するという広範囲な影響が確認された。このことから、論文提出者は後脳で発現したxCyp26c1は、胚後方で合成されるレチノイン酸が頭部前方に流入しないための防波堤の働きをしていると推測した。

神経パターニングに関するxCyp26c1の機能において、xCyp26c1の発現領域決定が重要ではないかと論文提出者は考えた。そのためxCyp26c1の発現制御機構の解析を行った。初期発生における神経誘導を模倣し、様々なシグナル分子の抑制条件を比較した結果、xCyp26c1の発現量の顕著な増加には、(1) BMPシグナルの阻害による未分化な外胚葉の神経外胚葉化、(2) Wntシグナルの適切な強度での抑制、が重要な働きをしていることが明らかとなった。この結果は、レチノイン酸の濃度調節を行うxCyp26c1の発現領域がWntシグナルの濃度勾配によって制御されうることを示していた。

研究2では、核内レセプターの1つであるxCOUP-TF-Bの機能解析を行った。この遺伝子も前述のDNAマイクロアレイ解析によって見出されたことから、β-catenin(カノニカルWntシグナルの構成因子)によるxCOUP-TF-Bの発現量の変化をRT-PCRによって確認したところ、この遺伝子の発現もまたxCyp26c1のようにWntシグナルによって制御されることが明らかとなった。またCOUP-TFはレチノイン酸シグナルに対して阻害的な機能を持つことが過去に報告されており、本研究においてもレチノイン酸による後方化(前方頭部領域の縮小)の影響を、神経マーカーの発現レベルでは軽減することが確かめられた。

xCOUP-TF-BとxCyp26c1はどちらもレチノイン酸シグナルを抑制する機能を持つが、その抑制経路はそれぞれ独立している。しかしxCOUP-TF-BとxCyp26c1を共注入すると頭部形成における効果が強められることが明らかになった。この結果により、この2つの遺伝子間の関係性を明らかにするためにxCOUP-TF-B mRNAの過剰発現を行ったところ、xCyp26c1の発現量を増加させることが確かめられた。これらの結果から、xCOUP-TF-BとxCyp26c1には相乗作用があることが示唆された。

研究1と研究2の双方において、レチノイン酸シグナル伝達を抑制する働きを持つ遺伝子の発現がWntシグナルによって制御されることが明らかになった。またxCOUP-TF-BがxCyp26c1がレチノイン酸シグナルの抑制に相乗的な効果を持つことが示唆された。これらの結果から論文提出者は、神経前後軸形成において、WntシグナルはxCyp26c1, xCOUP-TFを介してレチノイン酸シグナルの濃度を調節し、脳形成に寄与すると推定した。本研究で明らかにされたシグナル分子の関係は神経パターニング決定においては新規性があり重要な知見であり、今後の脳形成の仕組みの理解においても貢献することが期待できる。

本論文は石浦章一、浅島誠、道上達男らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び検証を行ったものである。そのため論文提出者の寄与が十分であると判断し、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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