学位論文要旨



No 127726
著者(漢字) 藤木,克則
著者(英字)
著者(カナ) フジキ,カツノリ
標題(和) PPAR γ のエピジェネティックな制御と脂肪細胞機能
標題(洋) Epigenetic Regulation of PPAR γ and Adipocyte Function
報告番号 127726
報告番号 甲27726
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1139号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村田,昌之
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 太田,邦史
 東京大学 教授 松田,良一
 東京大学 准教授 道上,達男
内容要旨 要旨を表示する

脂肪細胞の分化の過程は、その前駆細胞における脂肪細胞特異的な遺伝子の発現活性化の過程である。この過程において中心的な役割を果たすのが、配列依存的な転写因子として働く核内受容体ペルオキシソーム増殖剤活性化受容体γ(PPARγ)である。PPARγは脂肪細胞分化の初期において数百に上る標的遺伝子の発現をリガンド依存的に誘導し、前駆脂肪細胞からの脂肪細胞分化を誘導する。これまでの研究において、PPARγをノックアウトしたマウスでは脂肪組織重量の減少がみられる、PPARγの強制発現が終末分化した細胞を脂肪細胞様に形質転換するとの報告があるなど、PPARγは脂肪細胞分化を誘導するのに必要かつ十分な唯一の『脂肪細胞分化のマスター制御因子』として位置づけられている。

個体を構成する様々な種類の細胞はすべて共通のゲノムを保有しており、それぞれの細胞が固有の形質・機能を継続的に発揮するためには、必要な遺伝子の発現のON/OFFを細胞ごとに、また細胞世代を通じて調節・記憶しておく必要がある。エピジェネティクスと呼ばれるDNAメチル化やヒストン修飾を介したクロマチンの構造変化によって制御されるこの遺伝子発現調節機構は、個々の遺伝子発現から発生・分化をはじめとした様々な生命現象の基盤となっており、この調節機構の破綻は癌をはじめとする様々な疾患を引き起こすことが明らかにされている。

数々の先行研究により、脂肪細胞分化におけるPPARγ遺伝子の発現活性化機構について多くの知見が得られているが、エピジェネティックな発現制御機構、とりわけDNAメチル化による発現制御については報告が皆無であった。はじめに本研究では、このPPARγ遺伝子の発現がそのプロモーター領域のDNAメチル化よって制御を受けていることを初めて示した。

脂肪細胞分化のモデル細胞であるマウス3T3-L1細胞において分化の前後のPPARγプロモーターのメチル化状態を測定したところ、前駆脂肪細胞ではPPARγプロモーターが高度にメチル化されており、脂肪細胞への分化を誘導するとプロモーターの脱メチル化が進行することが観察された。また、DNAメチル化の阻害剤処理によってPPARγプロモーターを脱メチル化したところ、PPARγの発現が濃度依存的に上昇する様子がみられた。さらに、PPARγプロモーターをもつレポーターコンストラクトを作製し、このプロモーターの活性をメチル化の有無で比較したところ、メチル化したPPARγプロモーターでは下流のレポーターの発現が抑制されていた。これらの結果から、脂肪細胞におけるPPARγの発現がDNAメチル化の制御を受けていることが示された。

脂肪組織は生体中においてエネルギーを脂質として貯蔵する組織であるとともに、アディポカインと総称される様々な生理活性物質を分泌し、全身の代謝を制御する内分泌組織としても働いている。そして、この脂肪組織の肥満はアディポカインの分泌の撹乱を引き起こし、これが糖尿病を始めとしたメタボリックシンドロームの病態形成の一因となっていることが指摘されている。PPARγは多くのアディポカインの発現を直接制御しており、したがって脂肪細胞内におけるPPARγの量と活性の変化は、アディポカインの分泌プロファイルに大きな影響を与えることが予想される。そこで本研究では次に、2種類の糖尿病モデルマウスの脂肪組織においてPPARγのDNAメチル化状態に健常なマウスにはない何らかの変化が生じていないかを検証した。

+Lepr(db)/+Lepr(db)マウス(db/dbマウス)および高脂肪食負荷糖尿病マウスという2種類の糖尿病マウスから、皮下脂肪組織・内臓脂肪組織(精巣上体部位)を摘出しPPARγプロモーターのメチル化状態を解析した。その結果、皮下脂肪組織では肥満による脂肪組織重量の増加、すなわち分化した脂肪細胞の増加に伴ってPPARγの脱メチル化が進行していた。一方で、内臓脂肪においては、肥満により組織重量が増加しているにもかかわらず、糖尿病マウスでPPARγのメチル化が健常マウスよりも亢進しており、これを反映しPPARγ発現量が糖尿病マウスで減少している様子も観察された。

この糖尿病マウスの内臓脂肪においてメチル化が亢進しているという実験結果は、メタボリックシンドロームの病因となる脂肪組織のアディポカイン分泌プロファイルの撹乱が、内臓脂肪のPPARγプロモーターのDNAメチル化亢進によるmRNAの発現低下によって引き起こされていることを示唆している。肥満した内臓脂肪においてメチル化の亢進が観察されたことは、メタボリックシンドロームの病態が内臓肥満のある症例でより顕著であることとも矛盾しない。これらの結果により、本研究は初めて2型糖尿病の病態形成の要因のひとつが脂肪細胞のエピジェネティックな遺伝子発現制御システムの変化であることを明らかにした。

さらに本研究では、PPARγそれ自体がもつエピジェネティクス制御因子としての働きにも注目した。PPARγは核内においてRXRという別の核内受容体とヘテロダイマーを形成してPPAR応答配列(PPRE)と呼ばれる特定のDNA配列に結合し、PPRE上に様々なコアクチベーターと複合体を形成することにより下流の脂肪細胞特異的遺伝子の転写を活性化する。このコアクチベーターには遺伝子のエピジェネティックな制御にかかわる分子も含まれており、発現に際しクロマチンの様々な制御を行うことが知られているが、DNAのメチル化の制御についてはこれまでには報告がない。そこで本研究では、このPPARγ複合体による脂肪細胞特異的遺伝子のDNAの脱メチル化に注目して研究を行った。

脂肪細胞特異的な遺伝子がもつPPRE周辺のDNAメチル化状態を、3T3-L1細胞の分化前後で比較したところ、分化前には高メチル化状態にあったPPRE周辺のDNAが、分化後には脱メチル化している様子が観察された。この現象は、本研究でメチル化状態を調べたすべての遺伝子のPPREで例外なく観察された。そこでさらに、PPARγのPPREへの直接の結合が脱メチル化領域を決定したことを示すため、野生型PPREおよび変異を加えたPPREを持つPerilipin1プロモーターをレトロウイルスを用いて3T3-L1前駆脂肪細胞へ導入し、脂肪細胞分化のこの領域へのメチル化の影響を観察した。その結果、ウイルス導入10日後には野生型/変異型ともに約半数弱が細胞の防御機構によりメチル化によるサイレンシングを受けていたが、その後の分化誘導により、野生型PPREをもつプロモーターではメチル化の進行が有為に遅くなった。一方、変異によりPPARγが結合できなくなったプロモーターではそのままサイレンシングが進む様子が観察された。これらの結果から、PPREの脱メチル化は、PPARγのPPREへの結合が直接引き起こしていることが示された。

最近の研究により、DNA脱メチル化にはTET1タンパク質による5'メチルシトシン(5mC)の5'ヒドロキシメチルシトシン(5hmC)化とその後の塩基除去修復機構が作用していることが示唆されている。そこで、PPARγによるDNA脱メチル化におけるこれらのメカニズムの関与を検証した。その結果、3T3-L1の脂肪細胞分化の5~7日目において一過性の5hmCの増加が見られることがわかった。さらに、NIH/3T3におけるPPARγの強制発現は細胞内の5hmCの増加を引き起こすことがわかった。またこのとき、脱メチル化領域の周辺で5hmCが特異的に増加している様子が、抗5hmC抗体を用いたDNA免疫沈降により観察された。shRNAによるTET1のノックダウンは、この領域における5hmCの生成にはTET1が関与していることを示した。

脂肪細胞分化の過程はポリADPリボース合成酵素(PARP)の阻害剤によって抑制されることが知られている。ポリADPリボシル化(PAR化)はDNAの複製や損傷に反応して起きるタンパク質修飾であり、DNA修復関連酵素などの損傷部位へのリクルートや周辺部位でのクロマチン構造の変化に関与しているとされている。また先行研究において、PARPがPPARγ複合体中に含まれ、その働きを調節していることも示されている。このPAR化のPPARγによる領域限定的な脱メチル化への影響をPARP阻害剤を用いて検証したところ、阻害剤濃度依存的な脱メチル化の抑制が引き起こされる様子が観察された。さらにPARPの阻害はPPARγによるPPRE周辺の5hmCの増加を妨げることも明らかとなった。すなわちこの結果は、PPARγ複合体中のPARPによるPAR化が、PPRE周辺のTET1による5hmC化に関与をしていることを示唆している。

DNAの脱メチル化を引き起こす刺激が加えられた際に、膨大な遺伝子の情報の中から標的となる遺伝子を選び出すという、エピジェネティックな変化の領域決定の過程がどのようになされるのかに関してはこれまでに報告がない。分化誘導に際して核内受容体PPARγがその結合配列PPREに結合することにより、PAR化を介した領域限定的な5mCの5hmC化によって脱メチル化領域を決定しているという今回の報告は、DNA脱メチル化の領域決定機構の解明の端緒となる重要な発見である。

審査要旨 要旨を表示する

ひとつの個体を形成する数百種類の細胞はそれぞれに異なった特徴的な形質をもっているが、一方でどれも基本的には同じ配列のゲノムを有している。この共通なゲノムからの遺伝子発現を様々に調節し、それぞれの細胞における遺伝子発現パターンを決定しているメカニズムのひとつが、エピジェネティクスと呼ばれるクロマチン制御システムである。本研究ではPPARγというタンパク質を通じ、そのエピジェネティックな調節機構における役割、さらに疾患との関連を明らかにした。

脂肪細胞の分化の過程の過程において中心的な役割を果たすのが、配列依存的な転写因子として働く核内受容体・ペルオキシソーム増殖剤活性化受容体γ(PPARγ)である。PPARγは脂肪細胞分化の初期において数百に上る標的遺伝子の発現をリガンド依存的に誘導し、前駆脂肪細胞からの脂肪細胞分化を誘導する。本研究ではまず、この分化の過程において、PPARγ遺伝子のプロモーター領域に遺伝子の脱メチル化が見られることを明らかにした。さらに、下流のPPARγ遺伝子の発現がそのプロモーター領域のDNAメチル化によって制御を受けていることを実験的に示した。臨床研究から、メタボリックシンドロームではPPARγの発現・活性の減少が見られ、それにより脂肪細胞の性質が変化し全身の代謝異常に作用していることが知られている。そこで本研究では、糖尿病モデルマウスの脂肪組織においてPPARγのDNAメチル化状態に健常なマウスにはない何らかの変化が生じていないかを検証した。その結果、糖尿病マウスの内臓脂肪においてPPARγのDNAメチル化が健常マウスよりも亢進しており、これを反映しPPARγの発現量が糖尿病マウスで減少していることを発見した。これにより本研究は初めて、2型糖尿病の病態形成の要因のひとつが脂肪細胞のエピジェネティックな遺伝子発現制御システムの変化であることを明らかにした。

本研究ではまた、脂肪細胞の分化時において、PPARγがその結合配列である PPAR応答因子(PPRE)に結合することによって、その周辺のDNAの脱メチル化を誘導する能力を持つことを発見した。特定の遺伝子のDNA脱メチル化時に、その脱メチル化領域の決定がどのようになされるのかはこれまでのところ不明であり、この発見はPPARγがその領域決定能力を持つ分子であることを初めて示した。本研究ではこのPPARγによる領域限定的なDNA脱メチル化現象を足がかりに、DNA脱メチル化の領域決定機構を解析した。このPPARγによる脱メチル化は、メチルシトシンヒドロキシル化酵素であるTet1による、PPRE周辺での局所的なヒドロキシメチルシトシン産生により媒介されることを示した。さらに、Tet1がタンパク質修飾のひとつであるポリADPリボースに結合する能力を持っており、PPARγの活性化によるコアクチベーター形成によってPPRE上のPPARγがポリADPリボシル化されることによりTet1を誘引し、PPRE周辺の局所的な脱メチル化を引き起こしていることを明らかにした。これにより本研究は、DNAの脱メチル化領域の決定が、配列依存的な転写因子のポリADPリボシル化という翻訳後修飾によって誘導されることを初めて示した。

以上、本研究の明らかにしたところは極めて重要であり、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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