学位論文要旨



No 127727
著者(漢字) 三浦,哲都
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,アキト
標題(和) 全身リズム動作による感覚運動同期の協調ダイナミクス : 熟練ストリートダンサーと非ダンサーの比較研究
標題(洋) Coordination dynamics of whole-body rhythmic sensorimotor synchronization : A study of skilled street dancers and non-dancers
報告番号 127727
報告番号 甲27727
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1140号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中澤,公孝
 東京大学 教授 深代,千之
 東京大学 准教授 柳原,大
 東京大学 准教授 工藤,和俊
 東京大学 准教授 村上,郁也
内容要旨 要旨を表示する

第1章:緒言

リズミカルな運動は人間にとって普遍的な運動のひとつである。リズミカルな運動の特性は音に運動を同期させる感覚運動同期によって明らかにされてきた。近年人間の感覚運動同期を非線形力学系理論により分析することで、従来の指標では評価し得ない複雑な運動の特性を記述することが可能となってきた。非線形力学系理論の身体運動への適用は、両手の指のリズミカルな協調運動から始まった(Kelso 1984)。その運動の特性は数理モデルで表現され(Haken et al. 1985)、近年ではその数理モデルを基に学習過程をモデル化し、両手のリズミカルな協調運動のパフォーマンスを予測することが可能となった(Fujii et al. 2010)。このように非線形力学系理論を用いたリズミカルな協調運動の研究は、指や手の運動を対象としたものが大部分を占める。しかしながら、非線形力学系理論はより広範な人間の運動特性の解明への適用可能性を秘めており、実際のパフォーマンスと関わるような全身リズム動作に適用することで、熟練者と初心者を分ける神経系の制約や、その克服方法の開発などにつながる可能性がある。そこで本研究は非線形力学系の方法論により、これまで調べられていなかったスポーツパフォーマンス、ダンスなどの実際的なパフォーマンスと関わる全身リズム動作を調べ、熟達度に関わる変数を特定することを目的とした。全身リズム動作の熟練者としてストリートダンサーを対象とし、全身動作の知覚-運動協調課題を行わせ、その運動の特性を定量化した。

第2章(実験1):全身リズム動作における協調モード

ストリートダンスでは基本練習として、2種類の膝屈伸動作(ダウン:膝屈曲とビート音を同期、アップ:膝伸展とビート音を同期)を行う。経験的にアップはダウンより難しいとされているが、これらの動作が体肢協調の力学系法則に支配されているとすれば、知覚―運動協調において速度依存的なパターン形成が生じる可能性がある。ストリートダンサー8名(ダンサー)とダンス未経験者9名(非ダンサー)に立位での2種類の膝の屈伸運動を、を8種類の周波数(40~180拍/分を20拍/分刻み)で行わせた。1試行につき1周波数で動作を行わせ、その動作パターンを維持するように指示した。また各試行後に課題動作の難易度を1(易しい)から5(難しい)で評価させた。ビート音と膝関節角度の相対位相を算出した。その結果、非ダンサーは180拍/分ではアップを行おうとしても、ダウンの位相角へと引き込み現象が生じたが、ダンサーは180拍/分でもアップを行うことができた。位相角のばらつきはダウンよりもアップのほうが、ダンサーよりも非ダンサーの方が有意に大きかった(p < .05)。課題動作の難易度評価では、両群ともに高周波において、ダウンよりアップの主観的難易度の方が有意に高かった(p < .05)。これらの結果は、全身動作においてもダウン(安定)、アップ(準安定)という2種類の協調モードが存在し、その組織化には関節の動き(屈曲・伸展)や重力が影響していることを示唆する。速度依存的なパターン形成が観察されたことは、全身の知覚―運動協調が自己組織化というリズミカルな運動に共通の力学系法則に従うことを示す1つの証拠である。また、ダンサーだけが引き込みに抵抗できたことは、リズミカルな運動の学習が生得的に内在する安定な協調パターンへの引き込みを克服する過程であることが示唆される。

第3章(実験2):全身リズム動作における自己組織化的なパターン形成

第2章(実験1)では、全身リズム動作における知覚―運動協調がリズミカルな運動に共通の力学系法則に従うことが示唆された。しかしながら、実験1ではビート音の周波数が連続的に変化しておらず、また参加者が教示された協調パターンを維持するように指示された。そのためリズム運動が力学系法則に従うことを示す他の証拠(相転移、ヒステリシスなど)を直接的に観察していない。そこで実験2では、ビート音の周波数が連続的に変化し、参加者が知覚―運動協調における自発的なパターン形成に逆らわないように指示する実験設定により、相転移やヒステリシスを観察することを目的とした。ストリートダンサー9名と非ダンサー9名に立位での2種類の膝の屈伸運動(ダウン、アップ)を、60拍/分から220拍/分までの20拍/分ごとに上昇/下降するビート音に合わせて行わせ、ビート音と膝関節角度の相対位相を算出した。その結果、ダンサーでは平均166拍/分、非ダンサーでは平均125拍/分でアップからダウンへの相転移現象が観察され、その相転移周波数はダンサーの方が有意に高かった(p < .05)。またアップでは上昇条件と下降条件の位相角のプロファイルが異なるヒステリシスが観察された。相転移やヒステリシスは、全身リズム動作における知覚―運動協調が自己組織化というリズミカルな運動に共通の力学系法則に従うことを示す証拠である。相転移周波数がダンサーの方が高いという結果は、自発的なパターンを生成するダイナミクス(intrinsic dynamics)が運動学習によって変化したことを示唆し、相転移周波数が熟達度と関わる変数であることを示す。

第4章(実験3):全身リズム動作の習熟度が関節間協調に与える影響

第2、3章(実験1、2)では全身リズム動作の熟達度を知覚―運動協調の観点から調べた。第4章(実験3)では、全身リズム動作の熟達度を関節間協調の観点から調べることを目的とした。参加者(実験1と同じ)に、ダウンのリズム動作を行なわせ、下肢関節角度(股関節、膝関節、足関節)間の相互相関を算出した。相互相関のピーク時刻の結果から、ダンサーは股関節と、膝関節および足関節の間に、非ダンサーよりも大きな位相差があることが明らかとなった(p < .05)。また相互相関のピーク値はダンサーの方が有意(p < .05)に大きかった。これらの結果はストリートダンスの運動学習における関節間協調の自由度の再組織化は、関節間の位相差の増大を伴う新しい協調パターンの安定化として特徴付けることが可能であり、ダンサーが関節間協調に存在する生得的に安定した協調パターンを変調したことを示唆する。すなわち関節間の位相差が全身リズム動作の熟達度と関わる変数であることが示唆される。

第5章(実験4):全身リズム動作の習熟度と筋の共収縮との関係

第5章(実験4)では、全身リズム動作の神経生理学的特徴を明らかにするために、その習熟度が下肢の拮抗筋間の共収縮に及ぼす影響について検討した。参加者(実験1と同じ)に、ダウンのリズム動作を行なわせ、下肢筋群の筋活動、および各関節の角度、角速度を計測した。膝関節ピーク時刻からリズム音までの時間変動はダンサーの方が有意(p < .05)に小さく、屈筋と伸筋の筋電位の相対差分信号から算出した共収縮レベルはダンサーの方が有意(p < .05)に小さかった。また重回帰分析では、共収縮の説明変数としてグループが有意(p < .01)となり、その他の独立変数(角度や角速度)に関わらず、習熟度が共収縮と関連していることが明らかとなった。これらの結果は共収縮レベルの低下が、これまで主に調べられてきた上肢の運動(Osu et al., 2002)に特異的ではなく、運動学習における一般原則であることを示唆する。

第6章:総括論議

本研究は全身動作の知覚-運動協調や関節間の協調には、生得的に安定または準安定の協調パターンが存在することを明らかにした。安定、準安定の協調パターン間の相転移や、動作周波数の上昇条件と下降条件で位相角のプロファイルが異なるヒステリシス現象は全身リズム動作がリズミカルな運動に共通の力学系法則に支配されていることを示す証拠である。またダンサーの相転移周波数の方が高かったことや、ダンサーだけが無意図的な引き込みに抵抗できたことは、人間のリズミカルな運動の学習が安定な協調パターンへの相転移や引き込み(神経系に内在する制約)を克服する過程である(Swinnen, 2002)ことを示す。また全身リズム動作熟達の神経生理学的背景には、筋の共収縮低下が存在することを明らかにした。熟達度を分ける相転移周波数や、共収縮指数を非線形力学系の数理モデル(Haken et al. 1986)に組み込むことで、全身リズム動作の熟達度を表現することが理論的には可能である。本研究で用いた課題動作は実際のパフォーマンスと関わるスキル動作であるために、パフォーマンスと関わる運動の学習プロセスの記述や、トレーニング方法の開発などへ応用が可能であると考えられる。また本研究は、ストリートダンスの運動制御研究として、ストリートダンサーやダンスの教育者に対して示唆を与える。熟練ストリートダンサーの特徴として、生得的に不安定な協調パターンの安定化があげられる。全身リズム動作の協調パターンの形成には動作周波数(速度)が関わっているため、速度に着目した練習が効果的であると考えられる。また熟練ダンサーは筋の共収縮レベルが低いことが観察されたことから、脱力、リラックスを含めた練習が効果的であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

人間が行う多様な身体運動の中に、音や他者の動きに合わせて一定周期の動きを繰り返す"リズミカル"な運動がある。楽器演奏やダンスにみられる運動がこれに相当する。これらの運動はいずれも聴覚や視覚から入力される感覚と運動を同期させる点で共通しているが、その背後にある運動制御機序はいまだ不明な点が多い。近年人間の感覚運動同期に対し非線形力学系理論を適用することで、従来の指標では評価し得ない複雑な運動の特性を記述することが可能となってきた。それらは、両手の指のリズミカルな協調運動などに適用されてきた。しかしながら、非線形力学系理論はより広範な人間の運動特性の解明への適用可能性を秘めており、実際のパフォーマンスと関わるような全身リズム動作に適用することで、熟練者と初心者を分ける神経系の制約や、その克服方法の開発などにつながる可能性がある。本論文は非線形力学系の方法論により、これまで調べられていなかったスポーツパフォーマンス、ダンスなどの実際的なパフォーマンスと関わる全身リズム動作を調べ、熟達度に関わる変数を特定することを目的とするものであった。

本論文を構成する4つの実験はすべて、全身リズム動作の熟練者(ストリートダンサー)と未熟練者(統制群)の比較研究である。

ストリートダンスでは基本練習として、2種類の膝屈伸動作(ダウン:膝屈曲とビート音を同期、アップ:膝伸展とビート音を同期)を行う。経験的にアップはダウンより難しいとされているが、これらの動作が体肢協調の力学系法則に支配されているとすれば、知覚―運動協調において速度依存的なパターン形成が生じる可能性がある。実験1(第二章)では、ストリートダンサーとダンス未経験者に立位での2種類の膝の屈伸運動を、を8種類の周波数で行わせた。その結果、非ダンサーは速いテンポ(180拍/分)ではアップを行おうとしても、ダウンの位相角へと引き込み現象が生じたが、ダンサーは180拍/分でもアップを行うことができた。位相角のばらつきはダウンよりもアップのほうが、ダンサーよりも非ダンサーの方が有意に大きかった(p < .05)。課題動作の難易度評価では、両群ともに高周波において、ダウンよりアップの主観的難易度の方が有意に高かった(p < .05)。これらの結果は、全身動作においてもダウン(安定)、アップ(準安定)という2種類の協調モードが存在し、その組織化には関節の動き(屈曲・伸展)や重力が影響していることを示唆する。速度依存的なパターン形成が観察されたことは、全身の知覚―運動協調が自己組織化というリズミカルな運動に共通の力学系法則に従うことを示す1つの証拠である。また、ダンサーだけが引き込みに抵抗できたことは、リズミカルな運動の学習が生得的に内在する安定な協調パターンへの引き込みを克服する過程であることを示唆するものであった。

実験2(第三章)は、実験2では、ビート音の周波数が連続的に変化し、参加者が知覚―運動協調における自発的なパターン形成に逆らわないように指示する実験設定により、相転移やヒステリシスを観察することを目的とした。ストリートダンサーと非ダンサーに立位での2種類の膝の屈伸運動(ダウン、アップ)を、60拍/分から220拍/分までの20拍/分ごとに上昇/下降するビート音に合わせて行わせ、ビート音と膝関節角度の相対位相を算出した。その結果、ダンサーでは平均166拍/分、非ダンサーでは平均125拍/分でアップからダウンへの相転移現象が観察され、その相転移周波数はダンサーの方が有意に高かった(p < .05)。またアップでは上昇条件と下降条件の位相角のプロファイルが異なるヒステリシスが観察された。相転移やヒステリシスは、全身リズム動作における知覚―運動協調が自己組織化というリズミカルな運動に共通の力学系法則に従うことを示す証拠である。相転移周波数がダンサーの方が高いという結果は、自発的なパターンを生成するダイナミクス(intrinsic dynamics)が運動学習によって変化したことを示唆し、相転移周波数が熟達度と関わる変数であることを示すものであった。

実験3(第四章)では、全身リズム動作の熟達度を関節間協調の観点から調べることを目的とした。参加者(実験1と同じ)に、ダウンのリズム動作を行なわせ、下肢関節角度(股関節、膝関節、足関節)間の相互相関を算出した。相互相関のピーク時刻の結果から、ダンサーは股関節と、膝関節および足関節の間に、非ダンサーよりも大きな位相差があることが明らかとなった(p < .05)。また相互相関のピーク値はダンサーの方が有意(p < .05)に大きかった。これらの結果はストリートダンスの運動学習における関節間協調の自由度の再組織化は、関節間の位相差の増大を伴う新しい協調パターンの安定化として特徴付けることが可能であり、ダンサーが関節間協調に存在する生得的に安定した協調パターンを変調したことを示唆する。すなわち関節間の位相差が全身リズム動作の熟達度と関わる変数であることが示唆された。

実験4(第5章)では、全身リズム動作の神経生理学的特徴を明らかにするために、その習熟度が下肢の拮抗筋間の共収縮に及ぼす影響を調べた。参加者(実験1と同じ)に、ダウンのリズム動作を行なわせ、下肢筋群の筋活動、および各関節の角度、角速度を計測した。膝関節ピーク時刻からリズム音までの時間変動はダンサーの方が有意(p < .05)に小さく、屈筋と伸筋の共収縮レベルはダンサーの方が有意(p < .05)に小さかった。また重回帰分析では、共収縮の説明変数としてグループが有意(p < .01)となり、その他の独立変数(角度や角速度)に関わらず、習熟度が共収縮と関連していることが明らかとなった。これらの結果は共収縮レベルの低下が、これまで主に調べられてきた上肢の運動に特異的ではなく、運動学習における一般原則であることを示唆する。

第五章の総合考察においては、実験によって得られた結果が総合的に論議された。

実験によって得られた結果をまとめると以下の3点に集約される。

1.全身動作の知覚-運動協調や関節間の協調には、生得的に安定または準安定の協調パターンが存在する

2.ダンサーの相転移周波数の方が非ダンサーに比べ高く、しかもダンサーだけが無意図的な引き込みに抵抗できる

3.全身リズム動作中の下肢拮抗筋間の共収縮レベルはダンサーの方が非ダンサーに比べて低い。

1の結果は次のように解釈できる。すなわち、実験1および2で確認された安定、準安定の協調パターン間の相転移や、動作周波数の上昇条件と下降条件で位相角のプロファイルが異なるヒステリシス現象は、全身リズム動作がリズミカルな運動に共通の力学系法則に支配されていることを示す証拠である。次に2の結果は、人間のリズミカルな運動の学習が安定な協調パターンへの相転移や引き込み(神経系に内在する制約)を克服する過程であることを示す。さらに3の結果から、全身リズム動作熟達の神経生理学的背景には、筋の共収縮低下が存在することが示唆された。

本研究を総じて、熟達度を分ける相転移周波数や、共収縮指数を非線形力学系の数理モデルに組み込むことで、全身リズム動作の熟達度を表現することが理論的には可能である、ことが示された。本研究で用いた課題動作は実際のパフォーマンスと関わるスキル動作であるために、パフォーマンスと関わる運動の学習プロセスの記述や、トレーニング方法の開発などへの応用が可能であると考えられた。

審査会での議論を以下にまとめる。

審査会では、本論文が、従来、手指の運動に適応されてきた非線形力学系理論を全身の身体運動に適用し、人間の運動に内在する本質的な法則を導き出そうとする新たな試みである点が評価された一方で、修正あるいは加筆が必要な複数の点が指摘された。以下に審査委員より指摘された点を列挙する。

1)本論文の教育・スポーツへの応用について記載した部分が散見されるが、いささか唐突で強引な論理展開との印象があり、特に、序論での必要以上の記述は不要である。

2)第2章、実験1においてコントロール群のスポーツ歴がバイアスとなって結果を歪めている可能性があるので、研究の限界としてこの点に言及すること。

3)第3章、実験2の序論において、ヒステリシスがなぜ自己組織化プロセスの証拠となりうるのかを記述すること。

4)第5章、実験4(熟達度と共収縮レベルの関係)では、二関節筋(大腿直筋、大腿二頭筋など)を対象として共収縮レベルを算出している。この場合三関節の仕事がダンサーと非ダンサーで異なっている可能性があり、それが筋活動パターンに影響している可能性がある。単関節筋を対象とする方が好ましかったと思われるが、この点についても言及すること。

5)第6章、総括にダウンとアップに対する重力の影響について言及すること。

6)第6章の力学系モデル(式6.1)を用いても、説明できない結果について記述すること。

以上が審査委員から修正・加筆が必要とされたポイントであった。これらの点は、論文の本質的価値にかかわる点ではなく、その価値が損なわれるものではないことから、結果の解釈にかかわる数箇所の修正が為されれば博士(学術)の学位に十分値することが全会一致で承認された。本論文の結果の一部は、既に当該研究領域の主要な国際誌であるHuman Movement Science誌に原著論文として掲載されており、さらに第23回トレーニング科学会におけるトレーニング科学研究賞を受賞している。この事実は関連する学会からもその学術的価値が認められたことの証左であって、本論文の学術的意義をゆるぎないものとしている。

以上を総合的に審議した結果、本審査委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと認定するものである。

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