学位論文要旨



No 127728
著者(漢字) 渡邊,征爾
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,セイジ
標題(和) ニューログロビンの細胞死抑制機構および細胞膜貫通特性の解析
標題(洋) Analysis of Neuroprotective Mechanism and Cell-membrane-penetrating Activity of Neuroglobin.
報告番号 127728
報告番号 甲27728
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1141号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 若杉,桂輔
 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 村田,昌之
 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 石浦,章一
内容要旨 要旨を表示する

最近、神経細胞に特異的に発現し、酸素と可逆的に結合するニューログロビン(Ngb)が発見された. Ngbは酸化ストレスから神経細胞を保護し、神経細胞死を抑制する働きがあることが報告されているが、その機構は明らかにはなっていなかった.ヒトNgbがヘテロ三量体タンパク質のαサブユニット(Gα(i/o))と特異的に結合してGDPの解離を抑制する、グアニンヌクレオチド解離阻害因子(GDI)としての活性に着目し、私は修士課程における研究でGDI活性がヒトNgbの細胞死抑制能に重要であることを明らかにした. また、私は同じく修士課程における研究で、ゼブラフィッシュNgbの新規機能として細胞外から細胞内へと自ら移行する、細胞膜貫通特性を発見し、その細胞膜貫通特性にはゼブラフィッシュNgbのモジュールM1が重要であることも併せて報告した.そこで、本研究ではNgbの細胞死抑制機構および細胞膜貫通機構の詳細を明らかにすることを目的として研究を行った.

酸化ストレス下においてNgbは他のグロビンと異なり、ヘムの両側からヒスチジンが配位する六配位構造へと立体構造を変化させることが知られている.この六配位型への立体構造変化が細胞死抑制に重要かどうか、配位するヒスチジンを変異させたH64V変異体およびヘムを亜鉛-プロトポルフィリンIXに置換したZn変異体を作製し、これら六配位型をとれないヒトNgb変異体の細胞死抑制能を調べることによって検証した.その結果、これらの変異体はいずれもほとんど細胞死を抑制できず、ヒトNgbによる神経細胞死抑制には酸化ストレスに伴う立体構造変化が重要であることが明らかとなった.次にGα(i/o)が酸化ストレス下において修飾されて活性化する事実に着目し、ヒトNgbが修飾されたGα(i/o)に結合して不活性型に維持することで神経細胞死を抑制しているという仮説を立て、その検証を行った.その結果、ヒトNgbは修飾されたGα(i/o)にも特異的に結合し、GDIとしても機能することが明らかとなった.ヒトNgbは脂質ラフトの構成因子であるフロチリン-1と相互作用することが報告されていたため、ヒトNgbは脂質ラフトにおいてGα(i/o)と相互作用して、その活性を制御していることが推測された.そこで、PC12細胞から脂質ラフトを単離したところ、ヒトNgbは酸化ストレス依存的に脂質ラフトへと局在することが判明した.更に、脂質ラフトをメチル-β-シクロデキストリンを用いて解離させたところ、ヒトNgbによる細胞死抑制効果が全く見られなくなった.従って、ヒトNgbによる細胞死抑制に脂質ラフトは重要であり、ヒトNgbが酸化ストレス依存的に脂質ラフトへと輸送され、Gα(i/o)の活性を制御することが示唆された. Gα(i/o)は細胞内でアデニル酸シクラーゼの活性を制御し、細胞内cAMP量を減少させることが知られている.従って、ヒトNgbはGα(i/o)の活性化を抑制し、細胞内cAMP量を維持することによって神経細胞死を抑制している可能性が考えられた.そこで、cAMPの活性型アナログであるSp-cAMPSおよび不活性型アナログであるRp-cAMPSを細胞に与えて検討したところ、Sp-cAMPSにより神経細胞死が顕著に抑制されることが判明した.また、ヒトNgbによる細胞死抑制能はRp-cAMPSを添加することで完全に失われた.これらの結果から、酸化ストレス下において細胞内cAMP量は神経細胞の保護に重要であり、ヒトNgbは細胞内cAMP量の減少を抑制することによって神経細胞を保護していることが示唆された.

また、本研究では細胞膜貫通特性をタンパク質工学的に応用し、新規の細胞膜貫通特性を持った機能性タンパク質として、ヒト・ミオグロビン(Mb)のN末端側にゼブラフィッシュNgbのモジュールM1を付加したキメラMbを作製した.このキメラMbの二次構造やヘムの結合状態はヒトMbとほとんど変化しなかったが、キメラMbはゼブラフィッシュNgbと同様に細胞膜貫通特性を示した.このことはゼブラフィッシュNgbのモジュールM1は、もとのタンパク質の立体構造に影響を与えることなく、細胞膜貫通特性を付加できることを示しており、今後、他のタンパク質に対しても同様に細胞膜貫通特性を付加できることが示唆された.

ゼブラフィッシュNgbの細胞膜貫通機構の詳細を明らかにするため、本研究では、まず細胞膜貫通特性に必須の残基を部位特異的変異の導入によって特定した.その結果、重要なのは魚類NgbのモジュールM1内で保存された各々 7, 9, 21, 23 番目のリジン残基であると判明した.一方、同じ魚類NgbのモジュールM1内で保存された塩基性アミノ酸残基にも関わらず、3番目のリジン残基と13番目のアルギニン残基は細胞膜貫通特性に全く影響しなかった.これらのことから、細胞膜貫通特性には単に塩基性アミノ酸の数が重要なのではなく、その立体構造上の配置が重要であることが示唆された.リジン残基は生理条件下において正に帯電しているため、細胞表面で負に強く帯電しているグリコサミノグリカン(GAGs)との相互作用を考え、その検証を行った.その結果、ゼブラフィッシュNgbは野生型CHO細胞に対しては効率よく導入されたのに対し、GAGsを合成できないD-677およびA-745の両CHO変異株に対してはほとんど導入されなかった.また、GAGsとの相互作用をキメラMbでも検討した結果、キメラMbもゼブラフィッシュNgb同様にGAGsを合成できない細胞には導入されなかった.以上のことから、細胞膜貫通特性にはゼブラフィッシュNgbのモジュールM1と細胞表面のGAGsとの相互作用が必須であることが明らかとなった.

今までヒトNgbの細胞死抑制機構には活性酸素の除去など、様々な仮説が提唱されてきたが、本研究によりヒトNgbがGDI活性を介してGα(i/o)に関係するシグナル伝達経路を制御する、細胞の酸化ストレスセンサーとして機能していることが明らかとなった.ヒトNgbの神経細胞死に関して、そのシグナル伝達経路を明らかにしたのは本研究が初めてである.また、ゼブラフィッシュNgbのモジュールM1が持つ細胞膜貫通機構においては、モジュールM1内のリジン残基とGAGsとの相互作用が重要であることを明らかにし、更に細胞膜貫通特性をモジュールM1の付加によって他のタンパク質に付与できることを示した.これらの結果は単にタンパク質を細胞内へ導入するのに有用というだけでなく、モジュールがタンパク質工学的に応用可能であることを実証した点で画期的である.今後、タンパク質のモジュール構造を利用して新規の機能性タンパク質をより容易に作成できるようになることが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

ニューログロビン(Ngb)は2000年に発見された酸素結合ヘム蛋白質であり、脊椎動物の神経細胞に発現している。哺乳類Ngbは、虚血・再灌流などに伴う酸化ストレスから神経細胞を保護する役割があることが明らかになっていたが、その作用機序については不明であった。そこで、本論文では、ヒトNgbの神経細胞死抑制メカニズムの解明を行った。また、本論文提出者は修士課程において、ヒトから最も進化的に離れた魚類Ngbが、細胞外から細胞質へと自ら移行できる「細胞膜貫通特性」を持っていることを発見しており、本論文では、魚類Ngb特有な細胞膜貫通特性の分子機構の解明も目指した。本論文は、以下の3つの研究からなる。

研究1では、哺乳類Ngbの細胞死抑制機構の解明に挑んだ。まず、Ngb特有の酸化ストレス時の構造変化に着目し、ヒトNgbの酸化ストレス下における立体構造変化が細胞死の抑制に重要であるか検討した。その結果、酸化ストレス下で立体構造を変化できないヒトNgb変異体は細胞死を全く抑制できず、酸化ストレス下でのヒトNgbの立体構造変化が神経細胞の保護に重要であることが判明した。次に、ヒトNgbがヘテロ三量体G蛋白質αサブユニット(Gαi/o)に対しGDP解離阻害因子として働くことに着目し、部位特異的アミノ酸置換体を用いた解析により、ヒトNgbのGDP解離阻害因子としての活性が細胞死抑制能に極めて重要であることを実証した。また、ヒトNgbの細胞死抑制に脂質ラフトが重要であることを発見し、ヒトNgbが酸化ストレス時に脂質ラフト構成蛋白質flotillin-1により脂質ラフトへ輸送され、Gαi/oの活性を抑制することによって細胞内のcAMP量の低下を抑え、神経細胞を保護していることを明らかにした。

研究2では、魚類ゼブラフィッシュNgbが持つ細胞外から細胞質へと自ら移行できる「細胞膜貫通特性」の分子機構の解明を行った。まず、様々な部位特異的アミノ酸置換体を用いた解析により、ゼブラフィッシュNgbのN末端モジュールM1内の4つのリシン残基が細胞膜貫通特性に重要であることを明らかにした。さらに、ゼブラフィッシュNgbの細胞膜貫通特性には細胞膜表面のグリコサミノグリカンが必須であることを示した。つまり、ゼブラフィッシュNgbはモジュールM1内の正電荷を帯びたリシン残基と細胞表面の負電荷を帯びたグリコサミノグリカンとの静電的相互作用を介して細胞膜表面に結合した後、マクロピノサイトーシスによって細胞内へ導入されることを明らかにした。

研究3では、ゼブラフィッシュNgbの細胞膜貫通特性を利用した蛋白質工学的応用に挑んだ。細胞膜貫通特性に重要なゼブラフィッシュNgbのモジュールM1をヒトのミオグロビン(Mb)のN末端に融合したキメラMbを蛋白質工学の手法を用いて作製した。キメラMbはゼブラフィッシュNgbに匹敵するほど高い効率で細胞内へ導入され、細胞膜貫通特性を持った新規の機能性蛋白質を作製することに成功した。この結果は、モジュールが蛋白質工学における機能的、構造的な単位として利用できることをも示唆しており、モジュールを利用した新規の蛋白質作製法の有効性を示したという点でも評価できる。

以上、本論文における研究は、ヒトNgbが酸化ストレス応答性のセンサー蛋白質として働き細胞内シグナル伝達系の制御を行うことにより神経細胞を保護するというヒトNgbの作用機序を初めて明らかにしたという点で評価できる。さらに、魚類Ngbが持つ細胞膜貫通特性の制御機構についても重要な知見を与え、今後の研究の突破口を切り開いたと判断する。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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