学位論文要旨



No 127729
著者(漢字) 江間,有沙
著者(英字)
著者(カナ) エマ,アリサ
標題(和) 情報化社会におけるセキュリティとプライバシーの相克 : 監視に関する技術に対する人々の態度
標題(洋) Confrontation Between Security and Privacy in Information Society : Public Attitudes toward Surveillance-related Technologies
報告番号 127729
報告番号 甲27729
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1142号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤垣,裕子
 東京大学 教授 開,一夫
 東京大学 教授 山口,和紀
 東京大学 教授 植田,一博
 東京大学 准教授 廣野,喜幸
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、「監視する技術や仕組み」と「監視から逃れる技術や戦略」に対する、人々の態度を分析することである。

序論では、本研究の目的及び、本研究を科学技術社会論研究の中に位置づけることの意義について述べた。続く第2章では、情報化社会の監視問題を扱う上で重要なキーワードである「安全・安心」と「プライバシー」について整理した。また、人々の態度を分析するための理論的な先行研究である、科学技術社会論の技術研究やPUS論を整理した。

第3章では、本研究の枠組みを提示した。本研究は二部構成になっており、第I部では監視する技術や仕組み、第II部では監視から逃れる技術や戦略に対する人々の態度を調査した。また、本研究では、技術に対する態度を調べるためにシナリオを作成した。

第4章では、第I部として保護者による子供の監視技術に対する態度を調査した。本調査では、すでにICタグで子供の登下校を通知するシステムを導入している、私立小学校の児童の保護者333名(回収率78%)に対して質問紙調査を行った。登下校を通知するシステムをさらに発展させた「見守りシステム」のシナリオを6つ作成した。それに対し、(1)保護者がどのような態度を取るか、(2)何がその態度に関係しているのか、(3)「見守りシステム」を利用することで生じる懸念は何か、の三つのリサーチクエスチョンを検討した。結果、(1)保護者は現在利用している登下校通知システムに対して肯定的な評価をする一方で、本調査で作成したシナリオに関しての評価は割れるなど、監視技術の種類によって、受容の度合いが異なることが示された。(2)何がその態度に関係しているかを分析したところ、技術のメリットや情報セキュリティの保障の情報のみ与えられたシナリオに比べ、メリットとデメリット(子供の自律の保障といったプライバシー侵害の懸念)両方について与えられたシナリオを読んだ保護者の方が、シナリオに対する評価が相対的に低かった。また子育てへの不安や過干渉気味といった保護者の性格が、システムの評価に弱く相関をしていることが示された。一方で、保護者の技術に対する知識や、子供の環境、属性などとの関連性は示されなかった。最後に(3)「見守りシステム」を利用することで生じる懸念について、各シナリオに寄せられたコメントを質的に分類した。シナリオを肯定的に評価する保護者の懸念は、情報の管理・漏洩などの情報セキュリティの不備によるプライバシーの侵害であった。一方、シナリオに対して否定的、あるいは両義的な態度を取る保護者は、子どもの「自律の保障」が侵害されるのではないかを懸念するなどの違いが示された。

第II部では、監視から逃れる技術や戦略は、日本の情報教育でどのように教えられているのか(第5章)、また監視から逃れる戦略や技術に対する人々の態度(第6章)について調査を行った。第5章では、調査対象として、中学、高校そして大学の「情報」関連教科書を取り上げた。また参考として、日本の「現代社会」教科書と、プライバシー研究機関が充実しているカナダの情報教育の教材との比較を行った。結果、(1)日本の「情報」教科書では、プライバシーとは、情報システムの「不備」や、他者の「悪意」によって侵害されるとする受動的な記述傾向が強いのに対し、カナダの教材や日本の「現代社会」では、国や企業、他者による監視・管理可能性そのものをプライバシーの侵害とみなし、自らの権利を主張することと記述される傾向が示唆された。また(2)プライバシーを守る方法として、日本では情報セキュリティや法などシステムによる保護のほかは、自分の情報は出さないなどの消極的な対応が目立ち、匿名になることや、メールアドレスを使い分けるなど個人が積極的にプライバシーを自衛する方法について記載されている教科書は少なかった。日本では、監視から逃れる技術や方法については、教科書で積極的に取り上げられていないことが示唆された。

第6章では、インターネットや携帯電話などによる日常的な監視に対する態度を調査するため、オンラインによる質問紙調査を行った。調査対象は日本とカナダのネットユーザー500人と中国が601人の合計1601人である。監視から逃れる技術や戦略を示したシナリオは4種類作成した。それぞれ(A)名前やメールアドレスなどの個人情報、(B)現在の状況などの状態情報、(C)IPアドレスなどのアクセス情報、(D)携帯のGPSなどの場所情報を求められたが、その情報を提供したくないというジレンマ状態に陥った時、どのような態度を取るかを問うものである。選択肢の1つとして、曖昧あるいは偽の情報を提供することを、プライバシー保護戦略と名付け、人々がこの戦略を使用するかどうかを調査した。結果、(1)日本では、(B)状態情報に関してはプライバシー保護戦略を使うだろうと答えた人が約半数に上る一方で、(D)場所情報に関しては約1割しか使わないなど、情報の種類によってプライバシー保護戦略を使いたいと答える割合が異なった。また、カナダ、中国と比較すると、日本は状態情報をのぞきプライバシー保護戦略を使うだろうと答えた割合が相対的に低かった。(2)何がプライバシー保護戦略の使用に関係しているかを分析したところ、(A)個人情報や(B)状態情報といった、表現・アイデンティティ情報に関しては、個人の不安や匿名への意識の高さといった個人の性格や、SNSやtwitterなどの情報サービスの利用度合い、性・年齢などの属性と関係していることが示された。一方で、実際に情報漏洩などによるプライバシーの侵害に遭遇したかは、プライバシー保護戦略とは関係が見られなかった。また、(A)個人情報と(C)アクセス情報など、新しい利得を得るためにプライバシー保護戦略を用いる場面では、情報ハンドリング能力が高い人とプライバシー保護戦略の使用に関係が示された。最後に(3)プライバシー戦略を利用することで生じる問題の妥協点はどこかを探るため、自分がプライバシー保護戦略を使われることを許容するかを調査した。結果、表現・アイデンティティ情報である(A)個人情報と(B)状態情報に関しては、自分がプライバシー保護戦略を用いる人は、相手が使うことを許容する傾向があったが、場所・存在情報である(C)アクセス情報と(D)場所情報に関しては、許容する人としない人に分かれた。また、学校教育でプライバシー保護戦略を教えることの賛否について調査したところ、4割以上が情報教育でプライバシー保護戦略のメリットとデメリットについて教育することに肯定的であった。

第7章では、第I部と第II部の結果を総合的に考察し、第I部と第II部における技術に対する人々の態度の相違点と類似点を分析した。相違点としては、各技術に対する知識の有無があげられる。これには、第I部と第II部で人々の立ち位置が違うことが一つ要因として考えられる。第I部では「監視する側」の知識と評価、第II部では「監視される側」の知識と評価の関係を問うた。監視する側は、監視システムがどのような仕組みで成り立っているのかを知ることよりは、それが自身の要求を満たしてくれるかが重要となるからと考えられる。一方で、監視される側は、監視されていることを認識する、あるいはその監視から脱するための方法を知るために、情報を収集する能力やリテラシーが必要とされると考えられる。だからこそプライバシー保護戦略を情報教育で教えることやリテラシーとして知っておくことを人々が望むのではないだろうか。一方、類似点としては、監視技術とプライバシー保護戦略の必要性は、実際に危機に遭遇したり、情報が漏えいしたりするといった被害の有無とは無関係であること示唆された。ここから、監視技術やプライバシー保護戦略を開発・推進していく際には、それを個人的なこととして議論しないというのではなく、むしろ逆に、個人的であるからこそ軽視されてきた点を反省し、技術設計や政策、そして教育のなかに反映していくべきであると提言を行った。

最後に第8章では本研究の成果をまとめ、本研究の意義と今後の課題について述べた。

本研究の意義として、下記2点があげられる。

第一は、個人の監視に関する技術に対する態度を調査することによって、人々が自分自身でプライバシーを自衛する技術や戦略に焦点をあてたことである。これは、プライバシーをめぐる議論においては、情報セキュリティや法などのシステムや制度によっていかに「保護するか」ということを論じがちな日本の安全安心研究に対し、一石を投じるものである。

第二は、監視する技術や監視から逃れる技術や戦略に対する人々の態度と、それに何が関係しているかを実証的なデータから示したことである。また、第6章では、日本とカナダ、中国を比較することにより、日本の特徴を明らかにした。これらの研究結果は、今後の日本の技術設計や情報政策、そして情報教育の基礎研究としての役割を果たすことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、情報化社会における監視技術の受容と、監視技術によってプライバシーを侵害されることへの抵抗感とその対策とを意識調査によって明らかにしたものである。監視技術の浸透にしたがって欧米ではプライバシー強化技術(PET:Privacy Enhancement Technologies)が発達しつつあり、これは、個人が自衛として行うプライバシー保護戦略と密接に関連している。本研究は、監視技術およびプライバシー保護戦略に対する人々の意識を調査し、その国際比較を行い、日本における監視とプライバシー意識の特徴を明らかにした。

本論文は以下の8章からなる。

第1章では、本論文の背景と目的を述べている。第2章では、セキュリティおよびプライバシー概念を整理し、これらの問題に関する議論を整理した。

第3章では、本研究の枠組みと方法を提示している。本論文は二部構成になっており、第I部では、監視技術の受容に焦点をあてている。第II部では逆に、監視を逃れるための戦略やプライバシー保護技術に焦点をあて、それらがどのような形で評価されているのかを調査している。第I部、第II部ともに、質問紙調査を主に用いているが、そのなかでも「シナリオ」を利用する質問紙調査法を用いた。これは、「Aという技術が浸透した場合、Bということが起こる」という種類のシナリオをいくつか用意し、その受容あるいは拒否の度合いを計測するものである。

第4章では、第I部の監視技術の受容についての結果を示した。小学生にICタグを用いていて監視技術を導入している私立小学校を対象として保護者への調査を行い、333名の解答を得た(回収率78%)。その結果、1)監視技術の種類によって受容の度合いが異なること(例:現在の居場所情報の把握のためには受容するが、画像情報まで監視することには抵抗を示す)、2)技術的知識の有無と受容の度合いには相関がないこと、3)保護者の子育ての態度と受容との間に相関があること(例:育児不安がある保護者は監視技術をより高く受容する傾向がある)、4)シナリオの提示のしかたによって受容が異なること(例:メリットのみを示したシナリオでは、メリットとデメリットの両方を示したシナリオよりも受容度が高い)が示された。

第5章では、第II部の監視を逃れるための戦略やプライバシー保護技術に関する意識調査に先だって、それらの戦略や技術がどのように教えられているのかを調べるために、教科書分析を行った。「技術家庭」「情報」「現代社会」の高校教科書の分析の結果、特に日本とカナダでは監視の主体および戦略に関する記述が異なることが示された。日本では、個人の情報を監視(あるいは悪用)するのは、「情報」の教科書では「悪意ある他者」と表現され、また「現代社会」の教科書では「国家、企業、マスメディア」と表現されているのに対し、カナダの教科書では他者、国家、企業が同列に扱われていた。また、監視を逃れるための戦略としては、日本では情報セキュリティの強化など仕組みや制度による戦略が重点的に記述されているのに対し、カナダでは偽名を使うなど自衛の戦略が重点的に記述されていることが示された。

第6章では、第5章の教科書分析の結果を用いて、プライバシー保護戦略に対する意識を、シナリオ法を用いた質問紙分析を使って調べた。対象者は、日本、カナダ、中国のネットユーザーから任意に参加を募った結果得られた計1601人である(内訳は、日本500人、カナダ500人、中国601人)。その結果、1)情報の種類によってプライバシー保護戦略利用の積極性が異なること(例:名前や個人情報などにはプライバシー保護戦略を用いるが、位置情報に関しては使わないなど)、2)日本では、カナダ、中国と比較してプライバシー保護戦略を使うと答えた割合が低い傾向があること、3)各国ともプライバシー保護戦略を教科書で教えることに好意的であること、4)情報リテラシーが高い人ほどプライバシー保護戦略を高く評価する傾向があること、5)過去のプライバシー侵害の経験とプライバシー保護戦略の評価との間には相関がないこと、が示された。

第7章では、第I部と第II部の結果の比較考察を行い、第8章ではそのまとめを行った。本研究は、日本における監視技術の受容とプライバシー保護戦略意識の実態を明らかにし、カナダおよび中国と比較した場合の日本の特徴を明らかにした。これらの研究は、「自衛」という側面に焦点を当てることにより、日本のともすれば受動的な安全安心研究に一石を投じるものである。また、監視システムにおけるユーザーの意識の国際比較研究としても興味深い。これらの知見は、情報技術の社会的側面に焦点をあてた科学技術社会論の分野の発展におおいに資するものである。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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