学位論文要旨



No 127732
著者(漢字) 森嶋,俊行
著者(英字)
著者(カナ) モリシマ,トシユキ
標題(和) 鉱工業都市における近代化産業遺産の保存と活用に関する経済地理学的研究
標題(洋)
報告番号 127732
報告番号 甲27732
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1145号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 准教授 梶田,真
 岐阜大学 教授 富樫,幸一
内容要旨 要旨を表示する

第二次世界大戦後先進工業国社会では,脱工業化とサービス経済化を背景に,近代化産業遺産の保存と活用に関する議論が浮上した.近代化産業遺産とは,「産業文化の遺跡や遺物,そしてその集合」を指すもので,その概念は1950年代のイギリスの建築学界で生まれ,時代を下るにつれ,旧鉱工業地域の再開発や経済振興の手段として,日本を含む多くの先進工業国で,公共政策にも取り入れられるようになった.現実に実践されている近代化産業遺産の保存活用は,グローバルな社会変革の影響を受けながらも,地域の歴史的,経済的状況により多様な形をとっている.

本研究ではこれを踏まえ,日本の旧鉱工業企業の企業城下町において,脱工業化による都市構造や産業構造の再編の中で起こされている,近代化産業遺産の保存活用の実践を研究対象とする.そして,こうした近代化産業遺産に対する価値が認識され,その認識が多くの主体に広まり,多様化していく過程を示し,その過程の歴史的,経済的,社会的要因を分析することを研究目的とする.ここで研究対象として注目する近代化産業遺産は,上記の産業文化の遺跡・遺物の中でも,特定の産業や場所に関連付けられることによって価値を持つもの,例えば旧生産施設や特定企業の社宅といった建造物である.旧鉱工業企業系企業城下町に注目する理由は,この種の都市では脱工業化の社会的経済的影響が先進工業地域の中でも特に大きく,近代化産業遺産が,鉱工業に代わる産業としての観光振興策の手段として,また鉱工業を背景とした地域文化の独自性を見直す上での象徴として,域内の「地域振興」や「まちづくり」をめぐる重要な論点となりうるからである.保存活用運動の在り方を規定する要因として,特に企業の社会戦略の一環としての対地域施策,そしてこれに対する,自治体や住民など,地域内各主体の行動の相互作用に注目する.

既存の近代化産業遺産に関する研究は,文化的価値の面と経済的価値の面からなされてきた.文化的価値の面では,近代化産業遺産は文化遺産,文化財の一類型として,社会学,文化人類学,文化地理学を中心に扱われてきた.この研究群では,文化的価値を論ずる時の分析視角として,景観論や「まなざし」論,記憶論,市民運動論から得られる視角が挙げられ,集合的記憶やアイデンティティの確立に近代化産業遺産の果たしてきた役割が主に論じられている.経済的価値に注目する研究においては,近代化産業遺産は文化資本として扱う文化経済学,保存運動に着目した環境社会学,産業観光の観点から近代化産業遺産を捉えたツーリズム論などによる研究蓄積を見ることができる.本稿では,これらの先行研究で見ることのできる諸概念を,経済学,経営学,経済地理学でこれまで行われてきた企業―地域間研究に当てはめる.ここでは,企業の対地域施策と地域社会構造の関係,そして,鉱工業企業自身による近代化産業遺産の価値づけが議論の対象である.

現在の日本において,近代化産業遺産を含む産業観光資源について,網羅的なデータはまとめられていない.そこで本研究においては,産業観光資源に関する複数の既存データベースを基に,本研究の対象となるような旧鉱工業都市の近代化産業遺産の,日本の産業観光資源全体の中での特徴,位置付けを分析する.産業観光資源として,近代化産業遺産の他に「生産施設」「博物館」を分析する.産業ごとに産業観光資源の特徴を見ると,相対的に近代化近代化産業遺産の件数の多い産業,生産施設の件数の多い食料品工業と窯業,企業博物館の多い機械工業や電気業に分けることができる.そのほか,管理運営者,用途による類型を示せる.産業遺産以外の産業観光資源が,産業観光の需要に合わせて立地を決定しやすいのに対し,産業遺産は大抵の場合産業観光の需要とは全く関係のない場所に立地するので,産業遺産は非大都市圏に立地する割合が高いが,その程度は元々の産業の立地特性に大きく影響される.さらにこの需給の場所の不一致によって,公共団体が所有運営する割合が高くなり,所有運営者や用途の変更も多くなる.本研究ではこの所有運営者,用途の状況を対象事例の選定基準の一つとし,3つの対象事例地域を実際に調査した.

第一の事例である大牟田・荒尾地域は1890年代頃から1960年代頃まで石炭産業都市として発展した.この発展の中核となったのは,東京の商業資本を母体とする財閥企業であった.当該地域において中核企業は石炭産業,そして将来的にはそのほかの産業の振興を目的として,域内への産業・社会基盤への積極的投資を行った一方で,文化資本など,本来的活動に直接的関係のないところへの投資は企業内福利厚生を除き積極的には行われなかった.労使関係は,大事故の多発や炭鉱労働者の組織の強力さを一因として,対象時期全体を通じてしばしば不安定化した.

当該地域における近代化産業遺産の保存活用は,このような企業の対地域施策を背景に,炭鉱閉山を契機としてはじまった.自治体が,全国的な近代化産業遺産の価値づけの流れにも沿って当初文化財,後に観光資源としての価値を見出したのに加え,都市景観の変化に対するノスタルジーや地域文化振興の立場から,市民各団体の活動も始まった.これらの主体の主張する近代化産業遺産の価値は,「国家」「地域」「経済」「文化」と様々な観点からのものとなっている.これに対し,旧中核企業は,自ら積極的に近代化産業遺産の価値づけを行うことはなかったが,これら地域各主体や国からの働き掛けもあって,間接的に近代化産業遺産保存活用に対し費用をかけることとなった.

第二の事例である倉敷地域は1890年代頃から1960年代頃まで繊維工業都市としての性格を強く持つ都市であった.そしてその中核企業は,当該地域周辺の地主と商業資本家の設立した企業であったことも一因として,地域内で,社会・産業基盤に加え,創業家による土地所有を背景とした文化資本に対する投資を行った.また時代が下るにつれて創業家は経営家族主義的経営理念を主張するようになり,労使協調策がとられるようになった.

第二次大戦後,域内繊維工業就業者数の減少に並行し当該地域は観光化した.この中で,中核企業は閉鎖した工場の建物に再投資を行い,観光施設として新たに活用した.第二次大戦以前に建設された福祉・文化施設は,中核企業から関連諸法人へ所有が移り,地域の観光化に合わせて運営が継続された.結果,当該地域において自治体や中核企業による総括的な近代化産業遺産の保存活用施策が不在の中で,各法人の目的に照らした運営が現在まで続けられている.

第三の事例である日立地域は,1900年代頃から1950年代頃まで金属鉱業都市として張発達し,1910年代以降は機械工業都市としての性格も強く持つようになった.中核企業は金属鉱山を中心に財閥を形成し,その後,金属鉱山から派生した機械工業企業が,鉱山に代わり地域社会への影響力を強めた.これらの企業は,当該地域において産業・社会基盤に加え,企業内福祉・文化に対して継続して投資を行ってきた.さらに当該地域を「創業地」と位置付け,高度経済成長期以降,労使関係が安定していく中,企業博物館の建設や社員研修のための投資を当該地域内で行った.

1990年代以降,このような企業が域内において投資し生み出した文化施設に対し,中核企業OBの団体や商工会議所などの地域内主体が,新たに地域的文脈から文化的価値の主張を行うようになった.当該地域においては,機械工業企業の生産施設が未だ多くの収益と雇用を生み出し,地域経済・社会に大きな影響力を持っているという現状の下,これら企業の持つ文化施設を地域の文脈で新たに価値づけしようという動きが起こっている状況である.

本研究では最後に,これらの事例における近代化産業遺産保存に活用運動の実践のあり方に差異が生じた歴史的・地域的要因を考察する.まず,日本の近代化産業遺産の保存と活用において,企業が脱工業化以前から継続的に行ってきた,生産施設以外への対地域施策の影響を確認できた.影響の程度は,企業が「創業の地」と認識しているかどうかなど,企業の価値認識の程度による.1990年代から始まった近代化産業遺産の保存活用運動は,この価値づけに対し,「近代化遺産」,「産業遺産」と言う概念を新たに持ち出し,国家文脈で文化的価値づけを新たに行おうとした行為であったとも捉えられる.自治体と地域住民によるその実践の仕方は,地域の経済状況と観光化の土壌により変化した.地域文脈での価値づけ度合いもこれらにより決められた.今後近代化産業遺産を複数の価値づけの観点から展示しようという場合,各主体が価値づけを明らかにする場と,矛盾する価値づけが並列していても,各主体が損せず,価値づけの目的を実行できる状況をつくり出す必要がある.さらに,特定の場所と結びつき,企業固有の,極めて代替性の低い資産を用いるという近代化産業遺産の独自性を企業が認識しつつ,他主体による価値づけをよりはっきり認識することによって,近代化産業遺産をさらに戦略的に活用した対地域施策を考えることもできると思われる.

審査要旨 要旨を表示する

1970年代以降、欧米の先進工業諸国では、脱工業化が進む一方で、近代工業化に貢献した産業遺産の保存と活用を積極的に図る動きが進められてきた。こうした動きは、日本でも21世紀に入り、経済産業省による近代化産業遺産群の指定などにみられるように、活発化してきているが、学術的な研究成果に関しては、きわめて手薄な状況にある。

本論文の目的は、近代化産業遺産の保存と活用がどのように進められてきたか、その過程を地域産業の歴史と地理をふまえながら、産業遺産を通した企業の地域への関わり方に注目して、明らかにすることにある。本論文では、企業や自治体、市民など、主体による価値づけの差異という新たな視点を導入し、社史や地域史などの文献史料の分析、関係主体へのヒアリング調査を行うことにより、近代化遺産の保存と活用をめぐる政策的課題を検討した点に大きな意義がある。

本論文は、7つの章から成る。まず第1章では、対象である近代化産業遺産のとらえ方が整理され、本研究の目的と方法が述べられる。第2章では、産業遺産に関する内外の研究成果が整理され、企業の対地域施策に注目するという本研究独自の視点が導き出される。

日本では近代化産業遺産に関するデータベースの整備は未だ十分とはいえないが、第3章では、「全国地域観光情報データベース」、「企業博物館一覧」、「近代化産業遺産群リスト」といった3種類の資料を再整理し、3,000近い産業遺産を対象に、類型化を行うとともに、地域的分布、所有関係、運営状況などが明らかにされている。巻末の一覧表とともに、膨大な資料を整理した貴重な研究成果といえる。

第4章、第5 章、第6章の3つの章は、本論文の中心をなす地域実態分析の成果である。第4章では、石炭産業都市としてかつて栄えた九州の大牟田・荒尾地域が対象地域として取り上げられている。財閥系企業の企業城下町として知られる同地域では、炭鉱閉山とともに、企業側は遊休不動産の売却と産業遺産の取り壊しを進めようとしたが、自治体や市民による保存運動が発生し、文化財登録から記念公園の建設、ファンクラブの結成や記録映画の作成など、運動主体が多様化するとともに、企業側の姿勢も変化をみせ、多様な価値づけが産業遺産になされていく過程が詳細に明らかにされている。

第5章では、大原家による紡績業で成長した岡山県倉敷地域が対象地域になっている。そこでは、比較的早い時期から創業者一族による文化的価値に重点を置いた産業遺産の保存と活用がなされてきた点が特徴としてあげられる。産業遺産の多くは、現在でも大原家の関係企業や財団により所有・管理され、倉敷美観地区の観光資源として活用されている。その一方で、自治体や市民による保存・活用の動きは相対的に低調である、という指摘は興味深い。

第6章では、日立鉱山と日立製作所の企業城下町として知られる茨城県日立地域が対象地域とされている。同地域では、日鉱記念館や小平記念館といった企業博物館が建設され、企業にとって創業の地を象徴するものとして、また社員とその家族や関係企業の意識を高めるものとして、産業遺産が重視されている。加えて、NPO法人による芝居小屋の復元運動や自治体や商工会議所、企業OBによる産業観光運動など、教育面、観光面から産業遺産を位置づけようとする動きも把握されており、複雑な現象が手際よく整理されている。

最後の第7章では、3地域における事例研究の比較がなされるとともに、産業遺産の保存と活用をめぐる主体間の関係とそれぞれの価値づけの変化がまとめられている。また、自治体による産業遺産を活かした地域政策の今後の課題についてもふれられている。

以上のように本論文は、日本の鉱工業都市における近代化産業遺産の保存と活用を取り上げ、ポスト工業化時代の企業と地域との新たな関係に焦点を当てたもので、工業化や工業地域の変化を扱うことが多かった従来の経済地理学に対して、新たな領域を切り開く研究成果として、高く評価することができる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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