学位論文要旨



No 127736
著者(漢字) 嶋岡,大輔
著者(英字)
著者(カナ) シマオカ,ダイスケ
標題(和) 主観的視知覚に関わる巨視的神経ダイナミクス
標題(洋) Macroscopic neural dynamics associated with subjective visual perception
報告番号 127736
報告番号 甲27736
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1149号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 准教授 福島,孝治
 東京大学 准教授 澤井,哲
 東京大学 教授 多賀,厳太郎
 理化学研究所 ユニットリーダー 北城,圭一
内容要旨 要旨を表示する

結局のところ物理的なシステムにすぎない脳から、意識という主観的な経験がどのように生じるのだろうか。本研究では意識を次のように定義する。ある存在が、質的な感覚を持っているとき、ある存在が意識的な状態にあるということにする。意識という言葉は日常的な場面ではさまざまな意味で使われる。チャーマーズによると(Chalmers, 1996)、覚醒状態、内省、報告可能性、自意識、注意、意識的な制御、知識、気づきとして用いられる。それらの内で、気づきを認知科学・神経科学の観点から明らかにすることで、意識を理解することを目指す。気づきとは、意識の機能的・あるいは心理的な側面を指している。つまり、何らかの情報にアクセスできて、その情報を使って行動を制御することができるという心的な状態を指す。気づきは上に述べた意識の様々な意味を内包し、それらの基礎になると考えうる。

意識的な経験は必ず何らかの方法で第三者へ報告することができる。意識のこの性質を利用して、意識に相関する神経活動(Neural Correlates of Consciousness, NCC)が探求されてきた。NCCはある特定の意識的な経験を生じさせるのに必要最小限の神経系の活動様式と定義される(Crick and Koch, 2003)。NCCを探索する研究パラダイムで用いられる典型的な方針は、意識的な経験が生じているときと生じていないときの神経活動を比較するということである。本研究でも用いるように、この方針に従った研究では頻繁に錯覚を使って実験が行われる。錯覚によって、被験者へ提示する刺激がほとんど、あるいは全く同一にも関わらず、被験者の内的な知覚が全く別のものに変わる状況を作ることができる。この時の神経活動の違いは、外部からの刺激の違いでなく、知覚の違いによるものと考えられる。

神経科学、認知科学においてNCCは様々な観点から議論されてきたが、本論文では、どのような神経ダイナミクスが主観的な知覚と相関するか、という観点から研究を行う。これはあるニューロンあるいはニューロン集団が発火するかどうかではなく、ニューロンが他のニューロンとどのように係わり合うかということを問題にするということである。第二章と第三章ではこの観点から議論をする。

さらに本研究では既に調べられているNCCの候補が互いにどのように関係しているのかにも取り組む。この見方は、単に既知のNCCの候補を全部つなげる以上の意味がある。例えばNCCの候補XとYを考える。XとYはどちらかが活動しているときにどちらかが活動していないということがありうる。こうした情報から、複数のNCC間の因果的なつながりを推測できる可能性があり、意識を構成するメカニズムが全体としてどのように働いているかの理解につながる。この意味で、我々のとるアプローチでは、ある神経活動が意識と相関するのかを問うというよりも、ある神経活動が他とどのように関係して主観的な知覚を構成するのかを問うものであると捉えることができる。第四章ではこれを具体的な系で議論する。

NCCの同定を試みる過去の研究では、神経活動の二段階の性質について議論されてきた。一つは外部刺激に対して潜時の短い(<200ms)活動で、主に初期感覚野で観測される。もう一つは潜時の遅い(> 430ms)活動で、皮質上の様々な領野に広く分布して活動が見られるものである。本研究ではこれらの神経活動をそれぞれ第一段階、第二段階の神経活動と呼ぶことにする。本研究では第二章と第三章でそれぞれ第一段階の神経活動と第二段階の神経活動のダイナミクスに注目して研究を行った。第四章では第一・第二段階の神経活動がどのようにつながっているかに着目して研究を行った。

第二章では両眼視野闘争の一種であるContinuous Flash Suppression(CFS, Tsuchiya and Koch, 2005)について数理モデル研究を行った。両眼視野闘争とは、左右眼に異なる視覚刺激を提示すると、被験者の知覚が左右眼で交互に切り替わって、両眼からの刺激を同時には知覚しないという心理現象である。この現象は主に初期感覚野における神経細胞集団間の相互抑制と発火頻度順応により多安定性を形成する神経ネットワークが担うと考えられてきた。近年、両眼視野闘争と類似な心理現象としてCFSという現象が報告された。これは片眼に数百ミリ周期のフラッシュ刺激、反対眼に静止刺激を提示することで、静止刺激の知覚がフラッシュ刺激によって抑制されるという現象だが、これが両眼視野闘争と同じく初期視覚野のネットワークとして説明されるかどうかを検討した。

両眼視野闘争のモデルで標準的に用いられる相互抑制と順応という枠組み(Shpiro et al., 2007)を踏まえて、空間次元を取り入れた数理モデルを構築し、数値計算と解析計算によってモデルの振る舞いを調べ、CFSの神経回路レベルでの説明を試みた。

この拡張モデルの数値計算と解析計算を通して、静止刺激・フラッシュ刺激の知覚が優勢な時間がそれぞれ減少・増加するという振る舞いが見出された。さらに、フラッシュ刺激の間隔が短いほどフラッシュ刺激が優勢な時間が増加した。またモデルの素子数を増やすことで、フラッシュ刺激が反対眼を抑制する強度が増大することも見出された。これらの結果はCFSの心理物理実験結果(Tsuchiya and Koch, 2005; Tsuchiya et al., 2006) と定性的に一致し、CFSの多くの振る舞いが、初期視覚野のネットワークの拡張により説明されることが示された。

第三章では、第二段階の遅いEEG活動を、ネッカーキューブ知覚交代前後において解析した。第二段階の活動においては離れた領野間の大域的な同期活動と主観的な知覚との相関が議論されてきたが、大域的同期活動がどのような神経メカニズムによって成り立つのかについての知見は乏しかった。双安定図形の一つ、ネッカーキューブの知覚交替前後で、θ帯域での大域的同期活動が報告されている(Kitajo et al., 2007)。そこで本研究ではこのデータを使って大域的同期活動に至るまでの過程を詳細に解析することで、大域的同期を支える神経メカニズムの理解を目指した。EEG記録よりヒルベルト変換を用いて位相を抽出し皮質間の位相同期活動をPhase Locking Value(PLV, Lachaux et al., 1999)により定量化し、階層的クラスタリングを用いて、同程度に位相同期活動する電極を時刻毎にグループ分けした。過去にも安静状態におけるデフォルトネットワークのクラスタリングは行われている(Hagmann et al., 2008)が、大域的同期活動へ至る一過的な過程においてクラスタリングを適用することで、位相同期モジュールの動的性質を明らかにしようとしたところが本研究の着眼点である。

まず時間によらず安定した位相同期活動にクラスタリングを行った。その結果、デフォルトネットワークのモジュールパターン(Hagmann et al., 2008)と類似の構造が確認された。さらに時間変化する成分にクラスタリングを適用したところ、このモジュールが動的に繋がったり離れたりするという、離れた皮質間の過渡的なダイナミクスが観察された。特に特徴的なのは、知覚の切り替わる時刻に先立って、局所的に同期した神経活動のグループが次々に統合して大域的な同期へと至った後に崩壊するという過程であった。また、この「動的クラスタリング」の時空間パターンが、被験者の内的状態によって異なることも示唆された。被験者が解釈の交代を受動的に報告する条件では主に視覚野内でクラスタが生成されたのに対し、どちらかの解釈にバイアスをかける条件では前頭と後頭を繋ぐ大きなクラスタが生成された。この結果から、被験者の内的な注意あるいは意識状態によって、第二段階の神経活動における大域的位相同期モジュールの時空間構造が異なることを示唆された。

第四章では、第一段階と第二段階の中間にあたる時刻のEEG活動を解析した。ここでは被験者に閾値上の弱い光刺激を提示し、被験者が刺激を検出した場合と、検出できなかった場合の神経活動を比較した。第一段階と第二段階の神経活動の関係を理解するために、第一段階で感覚野において処理された情報が、前頭野へと伝えられ、それが第二段階の活動を引き起こすのでないかと考えた。情報の流れはEEGで観測される伝搬波に反映されるとの仮定に基づいて、外部刺激知覚と、EEGの伝搬波の向きとの関係を調べた。EEGの伝搬波は位相勾配と大域的位相同期解析という二種類の方法で別々に定量化された。

それぞれの方法から、刺激検出の有無によって、刺激提示後300ms、頭頂葉を中心として10Hz伝搬波の向きが異なることが示された。特に、刺激検出時に顕著に後頭から前頭に向けての「ボトムアップ」型の波が観測された。しかしながらこの時刻、領野、周波数において事象関連電位(ERP)には刺激検出の有無で有意な違いが見られなかった。これらの解析に加えて、第一段階の神経活動を固定した際のボトムアップ波が第二段階の活動に及ぼす影響を検討した。その結果、第一段階の活動が強く、かつボトムアップ波が生じているときにのみ第二段階の活動への増強がみられた。これらの結果から、第一段階の活動の情報がボトムアップ波として伝えられ、第二段階の活動が引き起こされることが示唆された。

これらの一連の研究により、各段階におけるダイナミクスの特徴が詳細に調べられた。さらに各段階がどのように因果的に関係しているかの一端が明らかにされた。この研究は意識を支える神経活動を一連のプロセスとして理解するための、NCCを繋げる研究の端緒となるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

嶋岡大輔氏の博士論文Macroscopic neural dynamics associated with subjective visual perception(主観的視知覚に関わる巨視的神経ダイナミクス)は意識(気づき、awareness)に相関する神経活動の解明を目指したものである。博士論文は5章124ページからなる。第1章の序の後、第2章では両眼視野闘争に関する理論モデル、第3章では多義図形の視覚の際の脳波の解析、そして第4章では見えたと気づく際の脳波の実験と解析が述べられて、第5章へのまとめに至る。

視覚の気づきについては、外部刺激に対して200ms以内の、主に初期感覚野で観測される初期の活動、そして430ms以降の、脳の様々な領野に広く分布した後期活動の2段階の研究がなされている。本論文では第2章では第一段階、第3章では第二段階の神経活動のダイナミクス、そして第4章では第一・第二段階の神経活動の連関に着目した研究結果が与えられている。

第2章では両眼視野闘争の一種であるContinuous Flash Suppression(CFS)に関する数理モデル研究の結果が与えられる。両眼視野闘争とは、左右眼に異なる視覚刺激を提示すると、被験者の知覚が左右眼で交互に切り替わって、両眼からの刺激を同時には知覚しないという心理現象であり、本章で調べられているCFSという現象は片眼にのみ(数百ミリ秒周期の)フラッシュ刺激を提示すると、反対眼の静止刺激の知覚が抑制されるという現象である。この実験結果は、相互抑制と順応による従来の両眼視野闘争モデルでは説明できない。嶋岡氏は、相互抑制と順応に加えて空間次元を取り入れたモデルを導入し、その数値計算と解析計算によってCFSの心理実験結果を説明することに成功している。

第3章では、第二段階の遅い脳活動の解析がなされる。これまで第二段階の活動では離れた領野間の脳活動の同期と主観的な知覚との相関が議論されてきているが、この大域的同期活動の過程はいまだ明らかではない。本章ではネッカーキューブという、どちらが前方かに関して2つの見え方がある図形の知覚に関して、北城らにより測定された脳波の解析が行われる。この実験は、2つの知覚の交代において脳波活動がいかに変化するかを調べたものである。嶋岡氏はこの実験データを洗練された統計手法を用いて解析することで、脳波のθ帯域で位相同期したクラスターが時間とともに形成されていく過程が明らかにしている。その結果、局所的に同期した神経活動のグループが次々に統合して大域的な同期へと至り、その後に崩壊するという過程が見出された。更に、この「動的クラスタリング」は、被験者が解釈の交代を受動的に報告する条件では主に視覚野内でクラスタが生成されたのに対し、どちらかの解釈にバイアスをかけた条件下では前頭と後頭を繋ぐ大きなクラスターが形成されている。この結果をふまえ、第二段階の神経活動における大域的位相同期モジュールの時空間構造は被験者の内的な注意によって異なり、気づき(awareness)に対する神経活動のひとつの指標となっていることが示唆された。なお、この第3章は非線形力学系で発展してきたクラスター化の概念をふまえて統計解析を行った成果である。

第4章では、被験者に見えるかどうかの閾値上の弱い光刺激を提示し、その際の脳波測定の被験者が刺激を検出した場合と、検出できなかった場合の神経活動を比較することで、第一段階での視覚野の情報処理が第二段階の領野間をつなぐ情報へといかに結びつくか調べられている。特に、脳波のα波の成分に着目して、領野間を伝わる伝搬波を位相勾配と大域的位相同期解析という2つの側面から、徹底した統計解析を行っている。

その結果、見えたと答えられた時には後頭から前頭に向けての「ボトムアップ」型の伝搬波が顕著に観測された。この伝播波はこれまで調べられてきたfeed-forward sweepと呼ばれる初期視覚の応答とは、時間的にも機能的にも異なるものである。さらには、第一段階で強い神経活動が存在し、かつボトムアップ波が生じているときに第二段階の活動が増強されていた。これらの結果から、第一段階の活動の情報がボトムアップ波として伝えられ、第二段階の活動が引き起こされると示唆される。

第5章は結果をまとめ、今後の課題が議論されている。

以上、嶋岡氏の論文は、気づき(awareness)と神経活動のつながりを理論モデル、実験の両面から調べたものである。特に、見えたという気づきが脳神経のマクロな活動でいかに表現されるかを2種類の実験によって探求している。ネッカーキューブの双安定知覚では、脳波の同期クラスターの形成過程とその広がりが一つの指標として示唆され、次いで、第4章の、見えが確認できたか否かの実験では、見えたという場合に選択的に、後頭から前頭へ伝搬される脳波(α波)を見出し、これが感覚野の処理をより後期の領野を連関する役割を担うという仮説を提示している。これらの結果は非線形力学系の同期、クラスター化の概念、そして最先端の統計手法を駆使して得られたものである。

もちろん、意識に対応した神経活動(neural correlates of consciousness)を同定するという問題は一朝一夕に解決される問題ではない。さらに、現在の測定技術、そして人間を用いた実験固有の限界も存在している。その点で、本論文による結果と、意識の特性を記述する神経活動の同定にはまだ大きな距離があることは否めない。とはいえ、高度な統計解析を駆使し、「見えた」と被験者が感じた時に特徴的なEEGの伝搬波の性質を明らかにしたことは、意識(awareness)の神経活動による理解につながる重要な貢献をしたと認められる。

本論文のうち第2章は,金子邦彦との共同研究、第3,4章は北城圭一、山口陽子両氏の理研グループとの共同研究の結果であるが,第2章については論文の提出者が主体となってモデル化、シミュレーション、理論解析を行ったもの、第3章は,論文提出者が共同研究者の実験データの解析を行ったもの、そして第4章については論文提出者が実験から解析まですべておこなったものであり、論文提出者の寄与が大であると判断する。

よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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