学位論文要旨



No 127745
著者(漢字) 武市,泰男
著者(英字)
著者(カナ) タケイチ,ヤスオ
標題(和) Pd(001)上Fe超薄膜の構造および電子状態と磁性
標題(洋) Structure, electronic properties and magnetism of ultrathin Fe films on Pd(001)
報告番号 127745
報告番号 甲27745
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5748号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,修司
 東京大学 教授 小森,文夫
 東京大学 准教授 益田,隆嗣
 東京大学 准教授 松田,巌
 東京大学 教授 青木,秀夫
内容要旨 要旨を表示する

Fe、Co、Ni に代表される遍歴電子磁性体の強磁性を記述する有効モデルとして局在スピン描像に基づくものが古くから知られているが、電子の遍歴性に忠実なモデルの構築には至っておらずその統一的理解はまだ不十分である。一方で、ナノテク材料の開発と相まって磁性体超薄膜の研究が近年盛んに行われている。磁性体超薄膜は基板との格子ミスマッチや軌道混成、系の低次元性によりバルクとは異なる構造および電子状態を示し、磁気的性質も異なる。そのため、磁性体超薄膜は強磁性の発現機構を探る上でも興味深い物質系である。Fe 超薄膜の磁性の起源を理解するため、本研究ではPd(001)上に成長させたFe超薄膜に注目してその構造・電子状態と磁性の関係について系統的に調べた。

Pd(001)の格子定数はbcc-Fe とfcc-Fe の中間領域でややbcc-Fe 寄りに位置する。この系については電子状態の詳細な議論がほとんどなく、基板の影響による格子歪みを受けたFe超薄膜が膜厚に依存してどのような構造をとり、それによって電子状態がどう変化するかは明らかになっていなかった。またPd 4d 電子状態とFe 3d 電子状態との混成やFe の電子相関がFe 超薄膜の磁性にどのような影響を与えるか十分評価されておらず、Fe/Pd(001)の磁性に関する研究は多くあるもののFe とPd の合金化や薄膜のモーフォロジの問題があり過去の報告に食い違いが多かった。そこで、本研究ではlayer-by-layer 成長し、かつ合金化の生じていないFe/Pd(001)を作成して構造および電子状態と磁性の膜厚に依存した系統的な測定を行い、その関係について考察した。

サンプル作成は蒸着時の温度条件などを慎重に制御しながら行い、反射高速電子線回折やX 線光電子分光などを用いてサンプルの評価を行った。その結果、300 K で蒸着したFe/Pd(001)は合金化を起こしておらずFe がPd(001)上にlayer-by-layer で成長していることが確認できた。一方で3~4 原子層 (monolayer: ML) 以上ではテラス様の成長が徐々に進行していることが示唆されたほか、335 K 以上に昇温すると合金化の兆候が見られた。結晶構造の決定にはX 線光電子回折を用いた。その結果3 ML のFe 超薄膜はPd(001)の面内格子定数にコヒーレントに吸着しており、面内方向に縮み、面直方向に伸びたbct 構造をとることが分かった。また、膜厚の増加に伴ってbct 構造からバルクと同じbcc-Fe(001)に向かって格子歪みの緩和が進行することが明らかになり、18 ML でこの緩和がほぼ終了していることも示された。

続いて、スピンおよび角度分解光電子スペクトルを測定し電子状態を直接観察した。清浄Pd(001)の光電子スペクトルの詳しい測定により、Pd バルクバンドの分散とともに表面共鳴状態が観測された。さらに過去の報告と異なり光電子励起過程における多電子効果が観測されたとは言えず、その大きさを検討するにはスペクトルの解析に用いるバンド計算に注意が必要であることを指摘した。

Fe 超薄膜の電子状態については多くのことが明らかとなった。まず格子歪みの緩和が終了していると考えられる18 ML-Fe/Pd(001)は、bcc-Fe(001)と同じ電子状態をもっていることが示された。bct 構造をとる緩和の中間領域では格子歪みによって対称性が低下し、バルクFe では縮退していた3d バンドに分裂が起こっていることが示された。また光電子スペクトルにバルクFe と同様の電子-電子相互作用による多電子効果が見られることが明らかになった。1 ML-Fe/Pd(001)の角度分解光電子分光では、Fe 由来の電子状態がFermi 準位直下と結合エネルギー2 eV 付近に存在し、特に2 eV 付近のバンドは弱いながらも面内のバンド分散を示していることが明らかになった。

0.6~2.0 ML では光電子スペクトル強度に基板Pd からの寄与が大きいが、Pd の成分を差し引くことによってFe 由来の電子状態を得た。このような膜成長の初期過程でもFe の多数スピン状態は結合エネルギー2.4 eV、少数スピン状態はFermi 準位直下に存在し、バルクとさほど変わらない交換分裂をもっていることが明らかとなった。さらにより厚い膜厚領域との比較により、Fe 超薄膜が1 ML 以下の成長初期から膜厚が増加して三次元系に至るまで、電子状態は交換分裂を保ったまま遍歴性を増してバンド分散を獲得することを示した。

Fe/Pd(001)の磁性については、面内磁化が発現する1.6 ML 以上において光電子のスピン偏極度の温度依存性を測定することで評価を行った。その結果1.6、2.0 ML では磁化が温度に対し直線的に近い減少を示すのに対し、3.2、5.9 ML ではよりバルクに近い振る舞いをすることが明らかになった。これらの温度依存性に対して超薄膜におけるWeiss の分子場近似、およびスピン波の理論を用いた解析を行って、Heisenberg のJ パラメータやスピン波のstiffness constant を求めた。

以上の膜厚に依存した構造、電子状態、磁性の情報について横断的かつ他のfcc(001)上のFe 超薄膜と比較した考察を行った。まず本研究で作成したFe/Pd(001)は合金化がなくlayer-by-layer 成長しており、電子状態を大きく変えてしまわない程度の格子歪みをもったFe 超薄膜であるために、3.2、5.9 ML でバルクFe と同程度 (21 meV) のHeisenberg のJパラメータが得られている点を指摘した。またこのFe 超薄膜でもバルクと同程度の電子相関が働いていること、Fe の局所電子状態における交換分裂は格子ミスマッチや基板との混成に対し鈍感であることを明らかにし、Fe 超薄膜の磁性を有効モデルで表すためにはintra-atomic な相関項 (Hubbard のU ) および交換項 (Hund 則のJ ) を取り入れることが重要であることを示した。また1.6、2.0 ML で見られたスピン偏極度の温度に対する直線的な振る舞いは、a) Fe の膜厚そのものによるのではなく強磁性層の膜厚に依存して現れる、およびb) Fe/Pd(001)では基板との混成が強いために低次元性を感じにくく、比較的薄い膜厚で二次元的強磁性の性質が出る、という二つの可能性を提案し、その妥当性について検討した。

以上のように、Fe/Pd(001)の構造および電子状態と磁性を系統立てて調べることにより、これまで明らかになっていない点の多かったFe 超薄膜の構造と電子状態が磁性に与える影響について考察することができた。また、本研究で行ったように系の磁性を特徴づけるパラメータを構造および電子状態の観点から検討することが、Fe 超薄膜の磁性を理解するために重要であることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、鉄超薄膜の原子構造や電子状態およびスピン状態について、電子回折法、X線光電子回折法、スピン・角度分解光電子分光法などの最新の実験技術を駆使して系統的に調べた研究であり、そこで明らかとなった事実は、強磁性体超薄膜の磁気物性に関して明確な描像を与えるもので物性物理として重要であるだけでなく、ナノメータスケールの強磁性体を利用するデバイス等の基礎研究として重要な知見を与える、きわめて貴重な成果といえる。特に世界最高レベルの感度と効率を持つスピン分析器を自作して実用化し、それを用いた成果であることは特筆に値する。

本論文は5つの章から構成されている。第1章では本研究の背景として遍歴強磁性体およびその超薄膜に関する先行研究を概観し、その中から生まれた問題意識および本研究の目的が述べられている。第2章では、本研究で扱うFeのバルク結晶および超薄膜に焦点を絞って、今までに知られている事実と先行研究を詳述している。第3章では、本研究で中心的に用いられた実験手法である光電子分光について述べている。とくに、論文申請者が中心になって開発してきたスピン分析器を詳述している。第4章で、試料作製の詳細、および実験結果と考察が述べられている。まず、反射高速電子回折およびX線光電子回折によって、鉄超薄膜の成長様式および結晶格子構造が明らかにされた。次に、角度分解光電子分光法によって、基板のパラジウム清浄表面および、その上に成長した1~20原子層程度の厚さの鉄超薄膜の電バンド構造を明らかにした。最後に、スピン・角度分解光電子分光法によって、それぞれの鉄膜厚でのスピン分解状態密度およびスピン偏極度を測定し、鉄超薄膜の磁化状態の詳細を明らかにした結果が述べられている。それぞれの結果に関して、先行研究や他の手法による研究結果も考慮しながら考察を進めており、結晶構造と電子状態とスピン状態の相関を明らかにした。第5章において本論文で明らかにされた結果、その意義、および今後の研究の展望をまとめている。

基板結晶表面上にエピタキシャル成長した超薄膜の結晶格子構造および電子バンド構造や磁化特性は、バルク結晶とは異なる場合が多い。それは、下地結晶との格子ミスマッチよって薄膜に歪みが印加されて格子定数が変化したりバルクと異なる準安定な結晶構造をとったりすることに起因している。また、基板表面との軌道混成や系の低次元性も加わり、バルク結晶では見られない多彩な物性が発現することがある。そのような現象は物性物理として興味深いだけでなく、スピントロニクスなどのデバイス応用への基礎研究としても重要である。本研究の主たるテーマである磁気特性の測定手段として、論文申請者が所属するグループが開発した高効率・高安定のスピン分析器が実用の段階にはいり、超薄膜や表面のスピン状態をきわめて精緻に計測することが可能となってきた。本研究は、そのような最先端の実験技術を駆使して行われた。

本研究の成果は大きく分けて3つある。

(1)Fe超薄膜の成長と結晶構造:

反射高速電子回折による「その場」測定の結果、Pd(001)基板結晶上にエピタキシャル成長したFe超薄膜は、厚さ3原子層程度までは層状成長し、それ以降は島状成長に変わることがわかった。X線光電子回折の実験により、層状成長の段階では、Fe超薄膜の結晶格子は面内方向に縮み、面直方向には伸長したbct構造をとり、島成長に移るにしたがってバルク結晶構造であるbcc構造へと緩和が進行することを明らかにした。

(2)Fe超薄膜の電子状態

角度分解光電子分光の測定によって、bct構造の段階では、結晶構造の対称性の低下によって、バルク結晶では縮退している3dバンドが分裂していることがわかった。また、多数スピン状態は結合エネルギー2.4 eV付近に、少数スピン状態はフェルミ準位直下に存在し、バルク結晶と同程度の交換分裂を成長初期から示していることがわかった。しかし、それらのバンドは弱い分散しか示さない。18原子層のFe薄膜はbcc構造のバルク結晶と同じ電子状態を持つことがわかった。よって、交換分裂の大きさは変わらないが、膜厚の増加とともに遍歴性を増してバンド分散を獲得していくという描像が得られた。

(3)Fe超薄膜の磁性

スピン分解光電子分光の測定により、光電子のスピン偏極度の温度依存性および膜厚依存性を測定した結果、およそ2原子層以下で面内磁化が現れることがわかった。先行研究から、それ以下の膜厚では面直磁化であることを考慮すると、バンド構造を保ったままスピンの揺らぎによって磁化方向が変わると考えられる。また、膜厚が約3原子層以下とそれ以上でスピン偏極度の温度依存性が異なることを見出した。これは膜厚が薄い段階では、スピン波のstiffness constantがバルク結晶に比べて大幅に低下していることに起因すると考えられる。3原子層以上の膜厚になるとバルク結晶と同様の磁化特性を示すことがわかった。以上から、Fe超薄膜の磁性は、intra-atomicな相関項(HubbardのU )および交換項(Hund則のJ )を考慮した解析が必要であると言える。

以上のように、論文提出者は、Pd(001)結晶表面上に成長させたFe超薄膜という特定の系のみを研究したが、構造と磁気特性を関連づけることによって明らかになった物理は強磁性薄膜の物性研究に明確な指針を与えるものであり、物性物理学としての価値と独創性が認められた。そのため、博士(理学)の学位論文として十分の内容をもつものと認定し、審査員全員で合格と判定した。なお、本論文は、共同研究者らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験の遂行や結果の解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

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