学位論文要旨



No 127749
著者(漢字) 安藤,康伸
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,ヤスノブ
標題(和) 固液界面に生じる電気二重層とそのキャパシタンスの第一原理分子動力学による研究
標題(洋) Ab initio molecular dynamics study of the electric double-layer and its capacitance formed on solid-liquid interfaces
報告番号 127749
報告番号 甲27749
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5752号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 杉野,修
 東京大学 教授 高田,康民
 東京大学 教授 渡邉,聡
 東京大学 教授 長谷川,修司
 東京大学 教授 福山,寛
内容要旨 要旨を表示する

1序

固液界面に生じる電気二重層は電気化学反応の基礎過程やデバイス利用など、基礎・応用の双方で非常に重要な系であり、その研究は古くからなされている田。電気二重層とは、溶液内のイオンと金属表面に生じる誘起電荷が界面近傍でキャパシタのように整列する、界面特有の現象である。特に固液界面は、電気二重層に起因して高い静電容量をもつことが知られており、応用上もこの現象を利用した電気二重層キャパシタが、出力密度の高い新たな二次電池として期待されている[2]。

現在用いられている電極電解質水溶液界面における電気二重層の基本モデルは、Helmholtz,Gouy,Chapman,Sternらによって構築された[図1】。彼らの理論によると、電気二重層がもつ静電容量はHelmholtz層と拡散層がもっ静電容量の直列接続によって求められる。Helmholtz層とは水和構造などによってイオン自身がもつ有限サイズによって生じる電極再近接イオン間の領域のことで、この領域現在用いられている電極電解質水溶液界面における電気二重層の基本モデルは、Helmholtz,Gouy,Chapman,Sternらによって構築された[図1】。彼らの理論によると、電気二重層がもつ静電容量はHelmholtz層と拡散層がもっ静電容量の直列接続によって求められる。Helmholtz層とは水和構造などによってイオン自身がもつ有限サイズによって生じる電極再近接イオン間の領域のことで、この領域で急激な電圧降下が起きていると考えられている。そしてHelmholtz層の外側を拡散層と呼ぶ。拡散層がもっ静電容量は解析的に求められることが知られているが、実験結果から、高バイアス下における静電容量は拡散層ではなくHelmholtz層の容量が支配的であることがわかっている。しかしHelmholtz層の静電容量は経験的パラメータとして取り扱われており、電極材料などの特性が容量に与える影響など、どのような要因で制御できる量か理解されていなかった。また基本モデルはHelmholtz層では水の誘電率は一桁にまで小さくなることを指摘しており、その原因も謎であった。そこで本研究ではHelmholtz層の静電容量を非経験的に決定し、電気二重層の構造や、静電容量の大きさを決める要因をナノスケールから理解する事を目的とした。

2.手法

固液界面のシミュレーションには密度汎関数法〔Density functional theory:DFT)に基づく第一原理分子動力学を用いた。さらに電気二重層のシミュレーションを行うにはバイアス電圧を印加した固液界面を取り扱う必要があるため、有効遮蔽媒質(Effective screening medium:ESM)法を組み合わせて利用した[3,4]。我々は第一原理分子動力学法の高速計算を実現するために、平面波基底擬ポテンシャル法を利用した並列化された第一原理計算コードxTAPPへESM法を実装した。その結果、従来の400倍以上の計算速度を実現し、今回の研究が可能になった。実際に計算した系は、グラフェンーナトリウムイオン水溶液,グラフェンー塩化物イオン水溶液、そして白金一ナトリウムイオン水溶液の3種類である。電極一ナトリウムイオン水溶液界面は陰極側を、電極塩化物イオン水溶液界面は陽極側のシミュレーションに対応している。

Helmholtz層の静電容量を見積もるには外場によって誘起された、界面に働く静電ポテンシャルを解析する必要がある。一般に、第一原理計算によって求められる静電ポテンシャルには原子がつくる深い静電ポテンシャルが含まれているために、界面に誘起された電場の情報はその中に埋もれてしまっている。そこで原子が作るポテンシャルを取り除くために、水や電極を同じ原子配置に保った状態で、イオンを含む系と含まない系の静電ポテンシャルを計算し、両者の差分をとった[図2(右)]。これは分子内の電子分極によって遮蔽された外部電場を表している。10A周辺に見られるディップはイオンのポテンシャルによるものであり、この解析法では取り除く事ができない。

また物質に外部電場を印加すると、外部電場は電子分極と分子が持つ双極子配向によって遮蔽され弱められる。さきほどの方法では水分子の双極子配向による効果を考慮する事ができていないので別途計算する必要がある。そこで我々は系に含まれる水分子ひとつひとつがつくる静電ポテンシャルを改めて計算し直した。1分子の静電ポテンシャルにも双極子配向によるポテンシャル変化と原子がっくるシャープなポテンシャルが表れている。そこで原子の作るポテンシャルを取り除くために相補誤差関数を用いて双極子配向によるポテンシャルを抽出した。それらの結果を図3(左)に示す。青い破線が水分子がつくる全静電ポテンシャルであり、赤線が相補誤差関数を用いて抽出した双極子配向によるポテンシャル変化を表している。この操作を系が含むすべての水分子に対し行い、和をとる事で系全体に働く、双極子配向がつくる界面垂直方向の静電ポテンシャルを得る事ができる。その結果を図3(右)に示す。

最後に図2(右)と図3(右}の和をとることで、界面内部に働く外場によって誘起されたポテンシャルを求めることができる。実際にHelmholtz層の静電容量を見積もる際には、第一原理分子動力学によって得られた各スナップショットに対してこの解析を行い、それらの結果の統計平均を界面内部に働く外部電場によって誘起されたポテンシャルとして用いている。また計算したすべてのポテンシャルは界面平行面内で平均をとっている。

3.結果

以上の方法で解析したグラフェンーナトリウムイオン水溶液の誘起された静電ポテンシャルを図4(左)に示す。青線が双極子配向が作る静電ポテンシャルであり、赤線が電子分極によって遮蔽された外部ポテンシャル、その和をとったものが黄線である。イオンの位置は矢印で表している。この結果をみると、ポテンシャル変化は古典モデルのように電極イオン間ではなく界面近傍でのみ起きており、水が存在する領域では外部ポテンシャルはほとんど遮蔽されて平坦になっていることがわかる。電極とポテンシャルがフラットになった部分の電位差を取ると約0、6Vであり、電極に導入した面電荷密度6.8μC/cm2から静電容量は11μF/cm2と見積もられた。これは実験結果と同じオーダーであり、非経験的に静電容量を見積もる事に成功したといえる。

界面近傍を拡大した図4(右)をみると、電極から2A程度までの領域で双極子配向がつくるポテンシャルが、遠方のそれに比べて小さい事がわかる。この領域は、水分子が存在しない電梅最近接水分子間に生じる隙間である。水分子が存在しないために双極子配向による遮蔽が行えずまた電子密度が低いために誘電率も低い。そのため界面近傍での静電ポテンシャル変化は主にこの隙間で起きていると理解することができる。この領域はこれまでの理論では認識されておらず今回の第一原理分子動力学計算による解析によって初めて明らかになった。

グラフェンー塩化物イオン,白金一ナトリウムイオン水溶液界面に対しても同様の計算を行った。外部電場によって誘起された界面内部のポテンシャル分布を図5に示す。静電ポテンシャル変化に定量的な差はみられるものの、いずれの系でも界面近傍でのみ大きなポテンシャル変化が起きている事がわかる。

以上の結果から、電気二重層における急激なポテンシャル変化は電極一イオン間ではなく、電極一水分子間にある空間で起きている、という新しい電気二重層のモデルを構築することができた[図6(下)1。このモデルに基づくと、これまでのモデルとは異なりHelmholtz層で水の比誘電率が著しく小さく見積られることはない。また、静電容量は電極表面と電極に最近接した水分子の構造に大きく依存することがわかる。

次に、電極材料や陰極一陽極の差が静電容量に与える影響を議論するために3系の比較を行った。まず陰極・陽極をそれぞれ模したグラフェンーナトリウム、グラフェン塩化物イオンを比較すると、陰極側と陽極側で界面近傍の水の構造が異なるために、陰極側で双極子配向による遮蔽が弱まり静電容量が小さくなることが確認された。また電極材料の違いという観点から白金電極とグラフェン電極の計算を比べると、白金の場合54軌道に電荷が誘起されるため、2P軌道に誘起されるグラフェンより実効的な電極表面位置が電極の最表面原子核位置から遠くなり、界面に働く全静電ポテンシャルに影響を及ぼすことも解析によって明らかになった。このように電極材料や水の役割などを原子スケールで明らかにすることが出来た。

最後に、静電容量のイオンー電極間距離に関する依存性をイオンの初期位置を変えた計算を行うことで議論した。その結果、イオンが電極に非常に近づき、水和構造によって最近接水分子の構造に影響を与える場合、双極子による外場遮蔽が弱まり、間接的に静電容量を低下させることも本研究によって明らかになった。

4.結論

今回新たに構築したモデルから、電気二重層がもっ静電容量は電極表面と電極に再近接した水分子の構造に大きく依存することが示された。これは電極表面の形状や電極の親水性・疎水性などといった性質を制御することで電気二重層キャパシタの性能を向上させる可能性を強く示唆している,今後の展望として、イオンの電極表面への特異吸着や、電極表面形状が界面の電極一水分子間の層に与える影響の解析が期待される。

[1]G. Gouy, J. Phys. (France) 9,457 (1910); D. L. Chapman, Philos. Mag. 25,475 (1913).[2]P. Simon and Y. Gogotsi, Nature Mater. 7,845 (2008).[3]M. Otani and 0. Sugino, Phys. Rev. B 73, 115407 (2006).[4]M. Otani et. al., J. Phys. Soc. Jpn. 77, 24802 (2008).

図1 Gouy-Chapman-Sternの電気二重層モデル

図2(左)グラフェンー水溶液界面の全静電ポテシャル。赤線がイオンを含む場合、青線がイオンのみ取り除き他は同じ原子配置のもとで計算した全静電ポテンシャル。{右)両者の差分として得られる、イオンによって誘起された静電ポテンシャル。

図3(左)水1分子がつくる全静電ポテンシャルと、相補誤差関数によって抽出された分子配向がっくる静電ポテンシャル(右)水全分子がつくる全静電ポテンシャルと、水1分子の配向がつくるポテンシャルを足し合わせたもの。それぞれ青破線、赤線。

図4(左)グラフェンーナトリウム水溶液界面における各種ポテンシャル。矢印でイオン位置を示している。(右)右図の点線枠部分を拡大したもの。

図5グラフェンーナトリウムイオン,塩化物イオン水溶液界面および白金ナトリウムイオン水溶液における外部電場に誘起された静電ポテンシャル

図6{上)これまでの電気二重層モデル(下)今回の計算結果によって明らかになった電気二重層モデル.青破線が今回の計算モデルで扱った部分に対応している。

審査要旨 要旨を表示する

電荷二重層の物理は、19世紀のHelmholtzの研究に端を発し、20世紀初頭のGouy, Chapman, Stern(GCS)らの研究に受け継がれて発展した。しかし、未だ原子レベルの解明には至っていない。電荷二重層の大容量コンデンサとしての利用が注目を集めるにつれて、微視的理論の重要性が高まっている。GCS理論における電荷二重層は、電極に誘起された表面電荷と水和イオンが作る並行平板コンデンサという単純化されたモデルで捉えられるにすぎない。そうすると、界面近傍での水の比誘電率を2-3と低いものに設定せざるを得ないという問題等が生じる。これは、水が配向を全く変えないということを意味することとなり、不自然な設定となってしまう。本学位請求論文では、第一原理分子動力学計算を用いて炭素および白金電極の水溶液界面のシミュレーションを行うことにより、整合性の高い描像が確立できたというものである。なお、同系に対しては、類似研究は行われているものの、電荷二重層のコンデンサ機能という観点から解析を行った例はないという点で初めての研究である。

本論文は七章よりなる。まず第一章では、電荷二重層の古典論が紹介されている。第二章で密度汎関数理論、第一原理分子動力学法、有効遮蔽体法等の計算手法についての説明がなされた後、第三章では電荷二重層のモデリングについての説明がされている。第四章から第六章にわたり論文の主要な結果がまとめられており、第七章ではそれらの結果がまとめられている。

第四章では、固液界面付近の水の構造や拡散係数、イオンの水和構造などの関する解析が行われている。界面が良好にモデリングされていることがこれらの結果から示されている。

第五章では、界面付近のポテンシャル分布の解析が示されている。ポテンシャル分布は電位分布と同じことなのであるが、第一原理計算で用いられるポテンシャル分布そのものは、原子核付近の電荷分布の影響を強く受け、その結果、(連続体理論の)電位分布とは直接対応しない。その結果、そのままのポテンシャル分布からcapacitanceの値を得る事はできない。これまで、先行研究が無かった理由も、この解析のしづらさに起因している。本学位請求論文では、原子核付近の電荷分布の影響を差し引くための有効な方法が提案され、その結果、電位分布を求めるのに成功している。また、同様な方法で、(連続体理論に対応する)過剰電荷分布を求めることができる。これらの方法を用いることにより、capacitanceの計算が可能になった。この手法開発が本章の主題である。

第六章では、新手法を用いて計算された電位分布やcapacitanceの計算結果が述べられている。計算から、(1)電位は電極表面原子と表面第一層の間の2A程度の空間で専ら変化しており、(2)電極の内部や水の内部では、それぞれ伝導電子と水の配向により遮蔽され、ほとんど変化していないことが分かった。これらの結果は、これまでの古典的な描像(上述)と定性的に異なるものであり、微視的な計算をして初めて解ったものである。このモデルでは比誘電率が2-3という小さな値を想定する必要が無い。さらに、Capacitanceの値は、溶液中のイオン種にはよらず、それを決めているのは水の配置と電極側の軌道の分布である事も明らかになった。これに基づきCapacitanceの値を大きくするための材料開発指針が示唆された。

本論文は電気二重層の微視的描像を与え、それがこれまで提案されてきた古典的な描像と定性的に異なるものである事を示した重要な研究であるといえる。以上の評価により、審査員全員が学位論文として十分なレベルにあり、博士(理学)の学位を授与できると判断した。

なお、本論文の内容は、Physical Review B誌で公表予定である。この論文は、論文提出者が主体となって計算および結果の解釈を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。またこの件に関して、共同研究者の常行真司氏、合田義弘氏から同意承諾書が提出されている。

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