学位論文要旨



No 127762
著者(漢字) 田村,亮
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,リョウ
標題(和) フラストレート連続スピン系における新奇な磁気秩序
標題(洋) Novel Magnetic Orders in Frustrated Continuous Spin Systems
報告番号 127762
報告番号 甲27762
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5765号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 常行,真司
 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 教授 常次,宏一
内容要旨 要旨を表示する

フラストレーションはスピン間相互作用の競合によって生じる.フラストレーションのある系では,全ての相互作用エネルギーを最小化することができない.その影響で従来型の磁気秩序が抑えられる.このように,低温まで磁気秩序が抑えられることにより,新奇な相転移や非従来型の磁気秩序の出現など興味深い物性が出現する.近年,新奇な磁気秩序の出現が報告されたフラストレート物質である三角格子磁性体NiGa2S4[S. Nakatsuji et al., Science 309, 1697 (2005).] およびランダム磁性体Sr(Fe1-xMnx)O2[L. Seinberg et al., Inorg. Chem. 50, 3988 (2011).] に着目し,フラストレーションが引き起こす相転移や磁気秩序に関する理論研究を行った.実験結果や第一原理計算の先行研究および,Goodenough-金森則から総合的に考察し,磁性体の格子構造や相互作用の特徴をそれぞれ反映した有効的な連続スピンモデルを構築した.これらの連続スピンモデルでは,フラストレーションの効果によって以下の磁気構造が出現する.

(i) 格子の離散的回転対称性が破れたスパイラルスピン状態

(ii) 面間ランダム相互作用の効果によって現れるランダムファンアウト状態

これらの磁気秩序における共通の特徴は,フラストレーションの効果によってスピン配置に空間異方性が現れることである.また,構築したモデルが示す磁気秩序の特徴から現れる有限温度相転移をモンテカルロ法を用いて調査した.さらに,実験結果と得られた数値計算の結果の整合性について考察し,両者の関連について議論した.その結果,構築したモデルはNiGa2S4 で観測された磁気ピークの波数を再現できるが,有限温度の性質に関しては説明できないことが分かった.一方で,Sr(Fe1-xMnx)O2 の低温相のスピン配置は,ランダムファンアウト状態で説明できることが分かった.

格子の離散的回転対称性が破れたスパイラルスピン状態(学位論文第二章)

NiGa2S4 はS = 1 のハイゼンベルクスピンを持つ二次元性の高い三角格子磁性体である.この物質では,低温においてスピンの非整合な短距離秩序(数サイト程度のスピン相関)の存在を示す磁気ピークが観測されている.この非整合な磁気秩序を記述する波数ベクトルは,強磁性的最近接相互作用(J1) と反強磁性的第三近接相互作用(J3) の競合によって説明することができる.これらの相互作用のある三角格子上の連続スピンモデルのハミルトニアンは以下のように書ける.

このモデルの基底状態は解析計算によって厳密に求めることができ,格子の離散的回転対称性が破れたスパイラルスピン状態(図1) が基底状態である.

このスピン配置では,一つの軸に沿ったスピン間の角度が他の軸と異なっており,スピンの連続回転によって移り変わることのできない三重縮退が存在している.つまり,このスピン配置は格子の120° 回転対称性が破れたスパイラルスピン状態である.私はこのモデルの先行研究として,相互作用比がJ1/J3 = -1/3 の場合について調査した[R. Tamura and N. Kawashima, J. Phys.Soc. Jpn. 77, 103002 (2008).].しかし,この相互作用比では,現れるスピン構造が非整合なスパイラルスピン状態であるため,熱力学極限の議論において困難が生じる.そのため本論文では,このモデルが示す本質的な物性を明らかにするために,整合なスパイラルスピン状態が基底状態となる相互作用比J1/J3 = -0.73425685 を用いた研究を行った.モンテカルロ法によって得られた比熱に対する有限サイズスケーリングの結果(図2) から,熱力学極限における有限温度一次相転移の存在を確かめた.また,一次相転移温度以下では,スピン相関長は数百サイト以上の長さになることが分かった.さらに,この一次相転移点では,モデルの秩序変数空間に関連したZ2 渦対の解離および格子の離散的回転対称性の破れが同時に起こる.つまり,このモデルで起こる一次相転移は,基底状態の性質(離散的回転対称性が破れたスパイラルスピン状態)を直接反映した有限温度相転移である.

このモデルの基底状態のスピン配置は相互作用比の値を調節することによって三角格子磁性体NiGa2S4 で観測された磁気ピークの波数を説明できる.しかし,NiGa2S4 は相転移を示さず,また低温における相関長は数サイト程度と短いため,NiGa2S4 における非整合な短距離秩序はこのモデルでは説明することができないと考えられる.以上の結果は以下の出版論文において報告した.

[1] R. Tamura and N. Kawashima, J. Phys. Soc. Jpn. 80, 074008 (2011).

面間ランダム相互作用の効果によって現れるランダムファンアウト状態(学位論文第三章)

ランダム磁性体Sr(Fe1-xMnx)O2 は平面四配位構造を持つSrFeO2[Y. Tsujimoto et al., Nature 450, 1062 (2007).] のFe イオンをMn イオンにランダム置換することによって合成される.Mnイオン濃度の値を30 % (x = 0:3) にすると,低温で(πππ) と(ππ0) の磁気ピークが同時に観測される混合相が出現する.しかし,これまでの理論研究では,この二つの波数ベクトルによって記述される磁気秩序の存在は報告されていなかった.したがって,Sr(Fe1-xMnx)O2 の磁気秩序の理解には,同様の磁気ピークの波数を再現できる理論モデルの構築および解析が必要であると考えた.平面四配位構造では,面内(ab 面内) と面間(c 軸) 方向で相互作用の起源が異なるため,これらの相互作用を区別した有効モデルを導入する必要がある.有効モデルとしてこれらの相互作用の特徴を捉えられる立方格子上のサイトランダム連続スピンモデルを構築した.構築したハミルトニアンは以下のように書ける.

このモデルは二種類のイオンを立方格子上にランダムに配置することによって形成される.δijはイオンの配置に依存して±1 の値をとる.モンテカルロ法を用いた数値計算の結果,相図中に(πππ) と(ππ0) の波数ベクトルが共存する混合相を発見した(図3).

この相図から,温度を下げることによって,常磁性相→ (πππ) または(ππ0) 反強磁性相→ 混合相という逐次相転移が起こることが分かる.このとき,高温側および低温側の二次相転移はそれぞれ三次元ハイゼンベルクモデルおよび三次元XY モデルのユニバーサリティクラスに属している.また,この混合相のスピン配置は図4に示したランダムファンアウト状態である.

スタッガード磁化ベクトルを用いて描いたスピン配置は図4 (a) のような磁気構造であり,面内(ab 面内) はNeel 秩序を形成している.このスピン配置の特徴は,面間(c 軸) 方向の磁化ベクトルが平行または反平行に揃わず,Mn 濃度に依存した角度〓 だけ傾いている点である.さらに,面間ランダム相互作用の影響から,各スピンは磁化ベクトルの周りに扇状に分布する(図4 (b)).このように,このモデルではバルクのスピン配置によって(πππ) と(ππ0) の波数ベクトルが共存する.この磁気構造はフラストレーション系においてしばしば現れるスパイラルスピン状態とは異なり,ランダム相互作用の効果によって誘発される新しい種類の磁気秩序である.また,リートベルト解析から,このスピン配置はSr(Fe1-xMnx)O2 (x = 0:3) の中性子散乱の磁気強度をよく再現できることがわかった.したがって,Sr(Fe1-xMnx)O2 の混合相では,ランダムファンアウト状態が出現していると予想している.以上の結果は以下の出版論文において報告した.

[1] R. Tamura and N. Kawashima, J. Phys.: Conf. Ser. 320, 012025 (2011).[2] R. Tamura, N. Kawashima, T. Yamamoto, C. Tassel, and H. Kageyama,Phys. Rev. B 84, 214408 (2011).

図1: J1=J3 = -0:73425685 の場合の離散的回転対称性が破れたスパイラルスピン状態の模式図.軸1に沿った最近接スピン間の角度が100°,その他の軸に沿った角度が50° になっている.

図2: 各格子サイズL における比熱の最大値Cmax(L) に関する有限サイズスケーリングプロット.格子サイズL の2乗(空間次元)でフィッティングすることができ,これは熱力学極限で一次相転移が起こることを示している.このフィッティング線の傾きから潜熱lを求めることができ,l/J3 = 0.070(1)と見積もられる.

図3: Mn 濃度(x)- 温度(T/J) 相図.赤丸は,(πππ) 秩序変数で特徴づけられる相境界,青五角形は,(ππ0) 秩序変数で特徴づけられる相境界をそれぞれ表している.また,混合相は(πππ)と(ππ0) の波数ベクトルが同時に観測される相である.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。第1章は序論であり,フラストレートスピン系に関する過去の理論研究をまとめ,本研究の目的,位置づけが述べられている.第2章では格子の離散的回転対称性が破れたスパイラルスピン状態に関する研究結果が,また第3章では面間ランダム相互作用の効果によって現れるランダムファンアウト状態に関する研究結果が示されている.第4章は本論文のまとめである.

スピン問相互作用の競合によってすべての相互作用エネルギーを最小化できない系,すなわちフラストレーションのあるスピン系では,強磁性や反強磁性といった従来型の磁気秩序が低温まで抑えられることにより,新奇な相転移や非従来型の磁気秩序など興味深い物性が出現する.本研究は,近年新奇な磁気秩序の出現が報告されたフラストレート物質である三角格子磁性体NiGa2S4およびランダム磁性体Sr(Fe1-xMnx)O2に着目し,フラストレーションが引き起こす相転移や磁気秩序に関する理論研究を行ったものである.

NiGa2S4はS=1のハイゼンベルクスピンを持つ二次元性の高い三角格子磁性体である.この物質では,低温においてスピンの非整合な短距離秩序(数サイト程度のスピン相関)の存在を示す磁気ピークが観測されている.田村氏は本論文に先立つ研究で,相互作用のある三角格子上の連続スピンモデルを用いた理論解析を行っているが,設定したスピン相互作用パラメータではシミュレーションで用いた周期境界条件とは非整合なスパイラルスピン状態が現れることから,熱力学極限の議論を行うことができなかった.そのため本論文の第2章では,このモデルが示す本質的な物性を明らかにするために,整合なスパイラルスピン状態が基底状態となる相互作用パラメータを用いた研究を行った.その結果,モンテカルロ法によって得られた比熱に対する有限サイズスケーリングにより,熱力学極限における有限温度一次相転移の存在が確かめられた.また一次相転移温度以下では,スピン相関長は数百サイト以上の長さになること,さらにこの一次相転移点では,モデルの秩序変数空間に関連したZ2渦対の解離および格子の離散的回転対称性の破れが同時に起こることが確認された.

第3章でとりあげたランダム磁性体Sr(Fe1-xMnx)O2は,平面四配位構造を持っSrFeO2のFeイオンをMnイオンにランダム置換することによって合成される.Mnイオン濃度の値を30%(x=0.3)にすると,低温で(πππ)と(ππ0)の磁気ピークが同時に観測される混合相が出現する.しかしこれまでの理論研究では,この二つの波数ベクトルによって記述される磁気秩序の存在は報告されていなかった.本論文では,面内(ab面内)と面間(c軸)方向で相互作用の起源が異なることから,これらの相互作用を区別した立方格子上のサイトランダム連続スピンモデルを構築して,モンテカルロ法を用いた数値計算を行った結果,Mn濃度と温度を軸とする相図中に(πππ)と(ππ0)の波数ベクトルが共存する混合相を発見した.この相図によれば,温度を下げることによって常磁性相→(πππ)または(ππ0)反強磁性相→混合相という逐次相転移が起こることが分かる.このとき,高温側および低温側の二次相転移はそれぞれ三次元ハイゼンベルクモデルおよび三次元XYモデルのユニバーサリティクラスに属している.またこの混合相のスピン配置は,面間(c軸)方向の磁化ベクトルが平行または反平行に揃わず,Mn濃度に依存した角度で傾き,さらに面間ランダム相互作用の影響から各スピンが磁化ベクトルの周りに扇状に分布した構造(ランダムファンアウト状態)を持つことが明らかになった.この磁気構造はフラストレーション系においてしばしば現れるスパイラルスピン状態とは異なり,ランダム相互作用の効果によって誘発される新しい種類の磁気秩序である.また,リートベルト解析から,このスピン配置はSr(Fe1-xMnx)O2(x=0.3)の中性子散乱の磁気強度を良く再現できることがわかった.

以上のように本論文では,フラストレート古典連続スピン系の新奇な磁気秩序を,有限温度のモンテカルロ法とその結果の解析を用いて明らかにし,物理的に重要な新たな知見が得られた.なお本論文は指導教員である川島直輝氏ほか,田中宗氏,山本隆文氏,Cedric Tasse1氏,陰山洋氏との共同研究の成果を含んでいるが,論文提出者が主体となって理論計算と解析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって,審査員全員の一致により,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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