No | 127764 | |
著者(漢字) | 中島,正裕 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ナカシマ,マサヒロ | |
標題(和) | 宇宙背景放射による新たな基礎物理学の探求 | |
標題(洋) | Probing Signatures of New Physics in the Cosmic Microwave Background | |
報告番号 | 127764 | |
報告番号 | 甲27764 | |
学位授与日 | 2012.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5767号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本博士論文では、宇宙マイクロ波背景放射(Cosmic Microwave Background, 以下、CMB)観測から、既存の基礎物理理論、もしくはそれを土台とした宇宙論、を超えた新たな理論の痕跡を探ることを試みた。新たな理論は通常、(特定の結合を持った)新たな場(自由度)を伴う。これらの自由度が宇宙論的な揺らぎに与える特徴的効果を探るのが本論文の主題である。 CMBは宇宙全体を満たす黒体放射であり、宇宙開闢直後の高温状態の名残であるが、その発見以来、宇宙論の進展に多大な影響を与えてきた。特に2002年よりそのデータ公開が開始されたWilkinson Microwave Anisotropy Probe(以下、WMAP)による観測結果は、いわゆる標準宇宙論を確立する上で重要な役割を果たしてきた。さらに近年の観測技術の進展に伴って現在進行形で「精細宇宙論」が展開され、従来は無視されていた詳細な理論予言を精密観測で検証できるようになりつつある。 CMBは黒体放射と見なせる為に温度が定義できるが、その温度には天球面上の各方向によって違いが存在する。また、CMB光子は最終散乱以前に電子とトムソン散乱を通じて結びついていたが、その際、温度の四重極揺らぎを起源としてCMB光子に偏光が生じる。温度揺らぎと偏光は合わせて「CMB非等方性」と呼ばれるが、この非等方性は元を正せば、宇宙の極初期に起こったと考えられるインフレーションと呼ばれる宇宙の加速膨張期に生成された量子的な密度揺らぎを起源としており、その後の進化で銀河や星等の宇宙の構造の種となっていったと考えられるものである。インフレーション実現のメカニズムは未だ確定しておらず、多くのモデルが提唱されているが、いずれにしても、地上の加速器では到達不可能なエネルギースケールの物理が背後にあることは確実である。CMBは晴れ上がり直後の宇宙から到来した光であり、現時点で人類が観測可能な最古の信号であるため、CMB温度揺らぎは初期宇宙で実現していたインフレーションモデルを判定する上で欠かせない情報となる。揺らぎの起源が量子的なものであるため、その性質はパワースペクトル(もしくは、より高次のスペクトル)によって議論されるが、インフレーション理論は一般にほぼスケール不変なパワースペクトルを予言する。この予言は、最新のCMB観測からも支持されており、標準宇宙論の一角を為している。しかし、近年の精密観測によって、スケール不変な関数形からの微小なずれ、とりわけ波数空間で局在したずれ、が報告され始めている。このような「局在化した」ずれは、従来のインフレーションモデルの単純な拡張では生成できないと考えられている。 CMB非等方性は、このように宇宙初期の量子揺らぎの性質を受け継いでいるが、加えて、その後の宇宙の進化史の情報も含んでいる。実際、WMAPの観測によって、ビッグバン元素合成以後の宇宙史と、現在の宇宙の構成要素、その組成比が大枠で明らかになった。標準宇宙論、いわゆるΛCDMモデルである。しかしこのモデルは同時に宇宙の約96%が正体不明の暗黒成分で満たされていることを主張している。とりわけ70%以上を占める暗黒エネルギーは大きな謎であるが、超新星やバリオン音響振動等の相補的な観測と合わせてほぼ確定的となっている現在の宇宙の加速膨張を引き起こしていると考えられる。その説明には何らかのスカラー場(クインテッセンス)を導入するか、もしくは重力理論を宇宙論的スケールで変更する(修正重力理論)方法が主流であり、活発に研究が進められている。 上記のような現状を踏まえ、本論文では主に以下の4つの観点から、新たな基礎物理理論を、観測からいかに、どの程度検証できるかを議論した。 まず、CMB非等方性が、再結合過程とその後の宇宙進化に大きく影響を受けることを踏まえ、CMBによって物理定数の時間変化を制限できること、さらに高エネルギー物理理論に基づく特定のモデルに対しては特に厳しい制限が与えられること、を指摘した。物理定数の時間変化はクインテッセンスとゲージ場に結合があった場合には自然であり、また観測的にも遠方クエーサーの観測から微細構造定数(以下、α)の時間変化を検出したとする報告もあり、大きな注目を集めている。CMBのスペクトル形は、主に再結合過程を通じてαと電子質量に大きく依存するが、さらに本論文では、バリオン密度の依存性を通じてCMBスペクトルが陽子質量にも大きく依存することを指摘した。バリオン密度と陽子質量は酷似した影響をCMBに与えるため、両パラメータ間の縮退が非常に強いことが示唆されるが、実際には、再結合等の効果を考慮するとその縮退は完全ではなく、将来的な小スケールの観測がさらに進めば、陽子質量の時間変化に対して現在より有用な制限が得られることを特異値分解の手法を駆使して明らかにした。また、α、電子質量、陽子質量の三つの定数の時間変化がディラトンと呼ばれるスカラー場のみで統一的に記述される特定のモデルにおいては、現時点のWAMPのデータを用いた解析によって、その時間変化に対してある程度厳しい制限が与えられることも示した。この制限は、モデル依存性はあるものの、陽子質量の時間変化も考慮したことによって、従来知られていたCMB観測からのαの制限に比べて一桁厳しいものとなっている。 CMB非等方性に関して、現在、最もその観測が待ち望まれているのは、偏光のうち特にパリティが奇の成分として定義されるBモード偏光成分である。これは通常のシナリオにおいてはBモードがインフレーション起源の原始重力波(テンソルモード)によってのみ生成されるからであり、Bモード観測によって、インフレーションのエネルギースケールもしくはそのモデルの詳細を決定することが出来ると考えられているからである。ところで、仮に宇宙初期にテンソルモードと同じ振幅のベクトルモードが生成されていれば、そのベクトルモードはテンソルモードより効率よく、より大きな振幅のBモード偏光が生成されることが知られている。通常のインフレーションモデルではベクトルモードはインフレーション中に減衰するのみであるため観測可能ではないが、本論文ではダイナミカルなベクトルモード(エーテル)を含むような修正重力理論(アインシュタイン=エーテル理論)に着目し、どの程度のBモード偏光が生成されうるかを議論した。インフレーション中に量子的に生成されるエーテル揺らぎは、超ホライズンスケールスケールで成長し得るという特異な性質を持つ。この揺らぎはニュートリノ等の物質揺らぎと相互作用しながら発展するが、本論文では初期条件を注意深く特定し、数値計算を実行することで、アインシュタイン=エーテル理論においては既存の観測的制限を克服しつつテンソルモード起源のものを超えた振幅のBモードが生成されうることを示した。また、複雑な連立微分方程式系を強結合展開の手法を用いることで簡単化し、数値的に計算されたCMBスペクトル形が妥当なものであることを解析的に確認した。 インフレーション模型の構築に関して、近年、ストリング理論に基づいたブレーンインフレーションと呼ばれる模型が注目を集めているが、こういった模型の大きな特徴として、作用が正準形でない運動項を含む点が挙げられる。このような非正準運動項は、揺らぎの解析において音速と呼ばれる新たなパラメータを生みだすことが知られている。従来の揺らぎの計算においては音速がほとんど変化しない極限が扱われていたが、現実的にはインフレーションを引き起こす場(インフラトン場)は複雑な関数形もしくは他の場との結合を保有しており、従って音速も時間とともに変化することが考えられる。本論文では特に音速が急激に変化する極限を考察し、量子力学で良く知られた接続条件を音速の転移時刻に適用することで解析的に解を求め、パワースペクトルに振動やうなりが発生することを明らかにした。この振動は、通常の計算では初期条件の適切な選択により排除されていた解とのモード混合の効果であり、音速が変化する模型では一般に現れる兆候であると考えられる。本論文ではこのような振動が現在の観測結果においてどの程度顕在化しているか、もしくは将来観測でどの程度確認されうるかを定量的に評価した。 最後に、上述したような、既存の観測結果で明らかになりつつある初期揺らぎスペクトルの「局在化したずれ」に関して、本論文では音速が振動的に変化する場合に、共鳴の効果によってそのような特徴的なずれが生成されるというシナリオを提唱した。多くの高エネルギー理論においては、インフラトン場以外に非常に大きな質量をもった場がしばしば登場する。この重たい場はインフレーション中に振動しているが、仮にインフラトン場と微分結合していれば、背景時空のインフレーションを壊すことなく揺らぎの運動方程式に音速の振動として影響が表れ、特定の波数の揺らぎのみが共鳴的に増幅される。この機構によって、従来のモデルでは不可能だった非常に局在化した突起上のずれを生み出すことができた。さらに、この機構は近年注目を集めているモノドロミーインフレーションと呼ばれるブレーンインフレーションモデルに自然に組み込まれており、許容されるパラメータ範囲で有意な「ずれ」が発生しうることを指摘した。このモデルは、インフレーションのスケールより高いエネルギースケールをCMB観測で検証できる点を明らかにした点でも非常に興味深いものである。 以上、本論文では新たな基礎理論の枠内で登場する新たな場(自由度)とCMB非等方性との関係を理論・観測の両面から議論した。 | |
審査要旨 | 本論文は全部で8章からなる。第1章は序で、今回の論文で主たる観測データとして用いられる宇宙マイクロ波背景輻射(Cosmic Microwave Background;以下、CMBと省略する)の非等方性に関して簡単に紹介している。 第2章と第3章はレビューに相当する。第2章では標準宇宙論とインフレーション理論に関して、特に密度揺らぎの生成とその性質という観点から理論的枠組みを説明している。第3章は、密度揺らぎとCMB非等方性の進化を取り扱う理論的な一般論を詳しくまとめるとともに、観測データから宇宙論パラメータを推定する方法と現時点での結果を要約している。 第4章から第7章は、オリジナルな研究成果の部分である。第4章から第6章までは、論文提出者を筆頭著者としてすでに3本の査読論文としてそれぞれ出版済みである。第7章は、論文提出者を主たる著者の一人として2本の論文にまとめ、間もなく投稿する予定となっている。 第4章では、CMBによって物理定数の時間変化を制限できること、さらに高エネルギー物理理論に基づく特定のモデルに対しては特に厳しい制限が与えられること、の2点を指摘した。本章では、バリオン密度の依存性を通じてCMBスペクトルが陽子質量にも大きく依存することを指摘した。特に、α、電子質量、陽子質量の三つの定数の時間変化がディラトンと呼ばれるスカラー場のみで統一的に記述される特定のモデルにおいては、現時点の観測データを用いた解析によって、従来知られていたCMB観測からのαの制限に比べて一桁厳しい結果を得ることに成功した。 第5章では、CMB非等方性においてパリティが奇の成分として定義されるBモード偏光成分が将来観測された場合に、基礎物理理論に与える意義を考察した。通常のシナリオにおいては、Bモードはインフレーション起源の原始重力波(テンソルモード)によってのみ生成される。一方、仮に宇宙初期にテンソルモードと同じ振幅のベクトルモードが生成されていれば、そのベクトルモードはテンソルモードより効率よく、より大きな振幅のBモード偏光を生成する。本章ではダイナミカルなベクトルモード(エーテル)を含むような修正重力理論(アインシュタイン=エーテル理論)に着目し、Bモード偏光の生成を議論した。本章では、まず数値計算より、アインシュタイン=エーテル理論においては既存の観測的制限を克服しつつテンソルモード起源のものを超えた振幅のBモードが生成されうることを示し、さらに近似的な解析理論を構築することでその物理的理解を与えることに成功した。 第6章と第7章では、インフレーションを引き起こす場(インフラトン場)が複雑な関数形もしくは他の場との結合を保有することで、音速が時間とともに変化するモデルがどのような帰結を生むかを考察した。特に、第6章では音速が急激に変化する極限を考え、揺らぎパワースペクトルに振動やうなりが発生することを解析的に示した。さらに、このような振動の存在が現在および将来の観測データにおいて検証される可能性を定量的に評価した。第7章では、現在観測されている揺らぎスペクトルに存在することが指摘されている「局在化したずれ」を、音速が振動的に変化するモデルで説明できることを提案した。さらにこのモデルが、近年注目を集めているモノドロミーインフレーションと呼ばれるブレーンインフレーションモデルにおいて自然に組み込まれており、許容されるパラメータ範囲で有意な「ずれ」を説明できる可能性があることを指摘した。このモデルは、インフレーションのスケールより高いエネルギースケールをCMB観測で検証できる点を明らかにした点でも非常に興味深い。 最後の第8章は、本論文全体のまとめと結論にあてられている。 本論文は、現在および将来のCMB観測データにもとづいて、既存の基礎物理理論を超えた新たな理論の痕跡を探ることを試みた優れた研究である。なお、本論文の一部は、指導教官である横山順一、及び横山研の博士研究員・大学院生等との共同研究にもとづいているが、論文提出者が主体となって解析・議論を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって博士(理学)を授与できると認める。 | |
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