学位論文要旨



No 127765
著者(漢字) 中島,正道
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,マサミチ
標題(和) 鉄系高温超伝導体の光学スペクトル : 磁気・構造秩序相の面内電子異方性
標題(洋) Optical Spectra of Iron-Based Superconductors : In-Plane Electronic Anisotropy in the Magnetostructural Ordered Phase
報告番号 127765
報告番号 甲27765
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5768号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 島野,亮
 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 准教授 上床,美也
 東京大学 教授 小形,正男
 東京大学 准教授 溝川,貴司
内容要旨 要旨を表示する

鉄系超伝導体の母物質は正方晶から斜方品への構造相転移、ストライプ型反強磁性状態への磁気相転移を起こす。相図を見ると、この磁気・構造秩序相と超伝導相は隣接しており、磁気秩序状態にドーピングを施すことによって超伝導が発現するという点で銅酸化物高温超伝導体と類似している。しかし、銅酸化物の場合とは異なり、鉄系化合物は5つのFe3d軌道全てがフェルミ面の構成に関与しているマルチバンド系であり、しかも母物質は絶縁体ではなく金属である。そのため、鉄系超伝導体の電子状態を明らかにするためには、まずどのようなキャリアが輸送現象に寄与しているのかをはっきりさせ、そのキャリアが母物質の磁気・構造相転移によりどのような影響を受けるのか、ドーピングとともにどのように変化していくのかを調べることが肝要である。

鉄系超伝導体の中でもBaFe2As2を中心とする一連の物質群は単結晶試料を作製することが比較的容易であるため、最も研究が進んでいる系である。しかしながら、.FeとAs以外の組み合わせの3d遷移金属ニクタイドBaTM2Pn2(TM=Fe,Co,Ni、Pn=As,P)は超伝導体となったとしても低い超伝導転移温度Tcしか示さないが、なぜBaFe2As2のみが磁気・構造秩序相を示し、高いTcを持つ超伝導体の母物質たり得るのかについての解答は与えられていない。磁気・構造秩序相では格子、スピンともに4回回転対称性を破っており、異方的電子状態が形成されている。この電子状態がドーピングにしたがってどのように変化していき、どのように超伝導相につながっていくかについても、根本的でありながらも見過ごされてきた問題である。

以上を踏まえ、本研究では、(1)マルチバンド系であるこの系ではどのようなキャリアが輸送現象を支配していて、Fe-Asの組み合わせがなぜ磁気・構造秩序を示し高い現を持つ超伝導体になり得るのか、(2)磁気・構造秩序相ではどのように異方的な電子状態が実現しているのか、(3)超伝導相とはどのようにつながっていくのかを明らかにすることを目的とした。実験手法としては、BaFe2As2とその類縁物質BaTM2Pn2の単結晶合成、結晶の良質化、ドーピング制御を行い、電子輸送現象、光学スペクトルの測定を行った。そして、これらの結果を俯瞰的に眺めることで、上に挙げたような疑問を解決することを試みた。

FeとAsの組み合わせの特殊性

BaFe2As2とその類縁物質BaFe2P2、BaCo2As2、BaNi2As2、BaNi2P2の電気抵抗率の温度依存性を図1(a)に示す。常磁性相の電気抵抗率を比較すると、BaFe2As2のみがかなり大きな値を示していることが分かる。それ以外の物質は温度依存性の違いこそあれ、抵抗率が低いという点においては一致している。図1(b)は室温での光学伝導度スペクトルである。BaFe2As2以外の物質では、高温領域での電気抵抗率が低いことを反映してω=0でのピークの高さがBaFe2As2のそれをはるかに凌駕しており、大きなドルーデピークが存在している。それに引き換え、BaFe2As2はドルーデピークが非常に小さく、直流伝導度に寄与しているキャリアの数が少ないことが分かる。

BaFe2As2の低エネルギー領域光学伝導度スペクトルは、図2のように小さなドルーデ成分(青)と散乱の非常に強いインコヒーレント成分(灰)に分解できる。図を見ると、BaFe2As2ではインコヒーレント成分が直流伝導度に支配的であることが分かる。このような強く散乱されたキャリアの存在は、強相関電子系の超伝導体に広く共通する性質である。それに対して、図1(c)から明らかなようにFeとAs以外の組み合わせを持つBaTM2Pn2の低エネルギー領域はほとんどコヒーレントなドルーデ成分によって占められていて、ドルーデ成分が支配的となっており、キャリアの数も多い。このため、電気抵抗率もBaFe2As2だけ高い値を示し、他は低い値になると考えられる。インコヒーレント成分の示す強い散乱は電子とボソン(軌道揺らぎまたはスピン揺らぎ)が強く結台していることを示している。これがクーパー対形成の強い相互作用になっていると推測される。

磁気・構造秩序相の異方的電子状態

本研究により、BaFe2As2の磁気・構造秩序相における本質的な異方性は電気抵抗率にではなく、有限エネルギー領域に現れ、しかも約2eVという高いエネルギーまで続いていることが分かった(図3)。この異方性の原因は、秩序形成に伴う大幅な電子構造の再構成とインコヒーレント成分に異方的なギャップが開くからである。b軸方向に開くギャップはα軸方向よりも大きくなっていることが明らかになった。また、α軸方向のインコヒーレント成分には完全にはギャップが開かず、直流伝導度への寄与が低温でも残っている。結果としてb軸の低エネルギー領域光学伝導度はα軸よりも低くなり、電気抵抗率がわ軸の方が僅かに高くなることも説明できる(図4)。しかし、ドルーデ成分は磁気・構造秩序相でも等方的であり、低温では散乱も非常に小さくなるため直流伝導度への寄与をほぼ独占してしまう。このため、電気抵抗率には大きな異方性は現れない。

Coをドープしていくと、母物質に現れる有限エネルギー領域の異方性は弱まっていくが、今度は低エネルギー領域に異方性が出現する。ドルーデ成分を調べてみると、α軸とb軸で重み自体に異方性はないものの、散乱の強度を表すドルーデ幅が有意な違いを持っていることが分かった。ARPESや量子振動ではほぼ等方的なフェルミが画観測されていること、残留抵抗率の異方性の大きさがCoドープ黒と比例していることを考えると、Feサイトに導入したCo原子が異方的な散乱体として働くことによりドルーデ成分が異方的になっていると結論付けることができる。

磁気・構造秩序相と超伝導相

BaFe2As2はどのサイトに元素置換を行っても磁気・構造秩序が抑制されていき、超伝導が発現する。超伝導が現れると、磁気・構造秩序は急速に壊れていく。この観点からは、両者は競台しており、磁気・構造秩序相を壊しさえすれば超伝導相を得られることになる。実際に、本研究の結果も超伝導組成の一歩手前であるx=O.04の試料では母物質由来の高エネルギー領域の異方性はかなり小さくなっており、この考えを支持している。

光学伝導度スペクトルの成分分解で得られた結果に基づいた電気抵抗率の解析から、超伝導転移温度はコヒーレントなドルーデ成分の幅(1/T)を決めているTに比例する項の大きさと相関していることが明らかになった。図5に示すようにオーバードープ領域からドーピングが減少するにつれ、T-linearを示す項が現れると同時に超伝導が現れる。この出現は高いTcを示す領域と一致しており、しかもこの項の大きさとTcは良い相関を示す。最適組成よりもさらに母物質に近づくと磁気・構造相転移を起こすようになり、超伝導相は抑制されていく。アンダードープ領域から母物質にかけての組成ではインコヒーレント成分が低エネルギー領域の伝導度を支配している。秩序相でのギャップがインコヒーレント成分に選択的に開くことから、秩序揺らぎがインコヒーレント成分に深く関わっていると推量される。

以上のように、鉄系化合物において超伝導を得るためには、強い散乱を示すインコヒーレント成分に加えて、ドルーデ成分の幅にT-Linear項が現れてくることが必要であることが分かった。

図1 BaFe2As2とその類縁物質BaTM2Pn2の(a)電気抵抗率の温度依存性(BaFe2As2のみ右軸)、(b)光学伝導度スペクトル

図2 BaFe2As2の室温での光学伝導度スペクトルの成分分解

図3 デツインしたBaFe2As2を用いて測定した光学伝導度スペクトルの異方性

図4 BaFe2As2のa軸、b軸光学伝導度スペクトルの5Kでの成分分解

図5 (a)Ba(Fe1-xCOx)2As2の相図、(b)ドルーデ成分による温度依存性のT、T2項の係数

審査要旨 要旨を表示する

2008年に発見された鉄系超伝導体は、銅酸化物高温超伝導体に次ぐ高い臨界温度(Tc)を示す物質として多くの注目を集めている。鉄砒素系超伝導体の母物質の基底状態は反強磁性状態であり、これに元素置換(ドーピング)を施すことで超伝導が発現する。相図上では超伝導相は反強磁性磁気秩序相に隣接しており、銅酸化物との類似性も示唆されるが、一方でFeの5つの3d軌道がフェルミ面の形成に寄与するマルチバンドの系であること、母物質が絶縁体ではなく金属であることは銅酸化物とは全く異なる。鉄系超伝導体の研究はその発見以来、急速な勢いで進められているが、多くの根本的な問題が未解決である。例えば、鉄系超伝導体の中では、Fe-As以外の3d遷移金属元素とニクトゲンの組み合わせを持つ類縁物質は、超伝導になったとしてもTcが低い。なぜ、Fe-Asの組み合わせのみが高いTcを示すのか、についての十分な理解はなされていない。さらに、FeとAsの組み合わせでは、正方晶から斜方晶への構造相転移、ストライプ型反強磁性状態への磁気相転移を起こし、異方的な電子状態が実現する。この異方的電子状態における電子構造や、それがドーピングとともにどのように超伝導相につながっていくのかについての明確な理解は得られていない。本論文は、これらの問題を解明することを目的として、鉄系超伝導体の典型的な母物質であるBaFe2As2及びその類縁物質BaTM2Pn2(TM=Fe, Co, Ni, Pn=As,P)に焦点を当て、その単結晶合成、結晶の良質化、ドーピング制御を行い、光学スペクトル、電子輸送現象測定を行ったものである。

本論文は7章からなる。第1章は序論であり、鉄砒素系超伝導体の研究の歴史と現状が簡潔に述べられ、本論文の構成が記されている。

第2章では、本論文の背景として、BaFe2As2を中心に、類縁物質、元素置換系の輸送現象、バンド構造、光学測定に関するこれまでの研究がまとめられ、問題点が整理されている。

第3章は実験技術に関する記述であり、結晶育成、X線回折による結晶構造の評価、試料アニールの方法、一軸性圧力印加による非双晶化(デツイン)の方法、電気抵抗率測定、光学測定とクラマースクローニッヒ(K-K)変換による光学伝導度解析の手法、について述べられている。

第4章は、まずアニールによる残留抵抗率の低減について記されている。続いて、良質の単結晶試料で行った面内電気抵抗率の測定から、各元素置換系Ba(Fe1-xCox)2As2、BaFe2(As1-xPx)2、(Ba1-xKx)Fe2As2の相図が決定されている。さらに、BaFe2As2とその類縁物質BaTM2Pn2の光学伝導度スペクトルの比較がなされ、FeとAsの組み合わせの場合に限り、コヒーレントなドルーデ成分が非常に少なく、強い散乱を示す幅広のスペクトル(インコヒーレント成分)に支配されていることが明らかにされている。

第5章では、BaFe2As2へのCoドーピングによって、どのように磁気・構造秩序相から超伝導相に変化するのかを光学伝導度スペクトルから調べている。電子ドープに対応するCoドーピングによりコヒーレントなドルーデ成分が増加することから、このドルーデ成分に寄与するキャリアは電子であると解釈された。一方、正孔ドープに対応するKドープ系の場合は、高温域でインコヒーレント成分が支配的になることから、インコヒーレント成分は正孔由来であることが推察されている。超伝導相では、コヒーレント成分、インコヒーレント成分双方に超伝導ギャップが開くという観測結果を得た。このことは、高いTcを示すFeとAsの組み合わせの特徴として、インコヒーレント成分及びドーピングによって増加するコヒーレント成分両者が超伝導発現にとって重要であることを示唆する。電気抵抗の温度依存性の詳細な解析からは、コヒーレントなドルーデ成分の幅(t--1)を与える温度に比例する項の存在が、超伝導相発現、さらにはTcと強く相関していることが示されている。

第6章では、インコヒーレントな成分の起源とその磁気・構造秩序との相関を解明することを主眼として、デツインしたBaFe2As2単結晶試料の電気抵抗率測定及び光学測定から、その磁気・構造秩序相における電子状態の異方性について調べている。その結果、磁気・構造秩序相においては、インコヒーレント成分のみに異方的なギャップが開くことが明らかにされた。この有限エネルギーに現れる異方的なギャップはCoドーピングとともに小さくなり、超伝導組成の一歩手前のx=0.04の試料では異方性はほぼ消失する。即ち、インコヒーレント成分にみられるギャップ形成が、ドーピングによる磁気・構造秩序形成の抑制によって妨げられ、超伝導相発現へと至ることが明らかにされている。母物質、或いは低ドープ領域に見られる異方的な光学伝導度スペクトルは、バンド計算の結果とも整合し、ストライプ型反強磁性スピン配列に伴うFeの3dxz及び3dyz軌道の軌道縮重の解消を考慮することによって説明されている。しかし、実験で明らかになった高エネルギー領域(~2 eV)まで及ぶ光学伝導度の異方性や、光学フォノンの異方性、Coドーピングに伴う低エネルギードルーデ成分の異方性の増加、即ち電子分極の異方性は、スピン自由度のみでは説明できないことから、異方的電子状態の形成にとって軌道自由度が影響していることも述べられている。

第7章は本論文の総括である。

以上、本論文では、鉄系超伝導体BaFe2As2 及びその類縁物質BaTM2Pn2を対象として、電気抵抗率測定、光学測定から、磁気・構造秩序と超伝導の競合、光学伝導度スペクトルのコヒーレント及びインコヒーレント成分の存在とその起源、超伝導及び磁気・構造秩序相との相関について明らかにしたものであり、鉄系超伝導体の物性解明に高く貢献したものと評価される。本論文の一部は指導教員らとの共同研究に基づくものであるが、論文提出者が自ら主体となって行ったものであり、その寄与は十分であると判断する。以上より、審査員全員が学位論文として十分なレベルにあり、博士(理学)の学位を授与できると判断した。

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