学位論文要旨



No 127772
著者(漢字) 宮武,広直
著者(英字)
著者(カナ) ミヤタケ,ヒロナオ
標題(和) アタカマ宇宙論望遠鏡探査で発見された高赤方偏移SZ銀河団ACT-CL J0022-0036のすばる望遠鏡データを用いた弱重力レンズ効果測定及び質量推定
標題(洋) Subaru weak-lensing mass measurement of a high-redshift SZ cluster ACT-CL J0022-0036 discovered by the Atacama Cosmology Telescope Survey
報告番号 127772
報告番号 甲27772
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5775号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 大内,正己
 東京大学 教授 須藤,靖
 東京大学 教授 高橋,忠幸
 東京大学 准教授 浅井,祥仁
 東京大学 准教授 吉田,直紀
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究の背景・目的

近年の天文学における観測技術の飛躍的進歩によって、標準宇宙論とも呼べるΛCDM模型が確立された。この模型において、宇宙の加速膨張を引き起こすものとして宇宙定数Λ、またはより一般化したものとして暗黒エネルギーが、宇宙の構造形成において冷たい暗黒物質(Cold Dark Matter)が大きな役割を果たしている。これにより、宇宙は小さな構造から大きな構造へと進化し、星、銀河、銀河団という豊かな階層構造が存在する。

現在、宇宙論パラメータにより厳しい制限を課し、暗黒エネルギーの正体に迫ることを目指して、Atacama Cosmology Telescope(ACT)やSouth Pole Telescope(SPT)などの高感度・高角度分解能望遠鏡を用いた宇宙背景放射サーベイが行われている。これらの計画では、Sunyaev-Zel'dovich(SZ)効果を用いて銀河団を検出し、これによって宇宙論パラメータに制限を付けることを目指している。銀河団は宇宙の中で最大質量の自己重力束縛系であり、質量と赤方偏移の関数としての銀河団の個数分布(質量関数)は宇宙論模型に敏感である。また、SZ効果は宇宙背景放射光子が銀河団内の高温ガスによって逆コンプトン散乱されることによりエネルギーを受け取る効果で、銀河団の赤方偏移に依らない。つまり、遠方の銀河団も近傍の銀河団と同じように、容易に検出することが可能である。よって、SZ効果サーベイは他のX線などのサーベイと違い、暗黒エネルギーにより宇宙が加速膨張し始める高赤方偏移(z~0.7)の宇宙論探査を容易に行うことができる。

しかし、SZ信号の大きさから銀河団質量を見積もるのは簡単ではない。暗黒物質による重力とガス圧力の間の均衡という静水圧平衡状態などの物理的仮定が必須であり、質量推定に大きな系統誤差が含まれる可能性が指摘されてきた。そこで、他の信頼性の高い手法を用いて銀河団の質量を求め、SZ信号-銀河団質量関係を確立することが必要である。高い信頼性で銀河団質量を求める手法として、弱重力レンズ効果がある。銀河団による弱重力レンズ効果は銀河団が作る重力場によって、銀河団の背景にある銀河像が系統的に歪められる効果であり、銀河団質量の大部分を占める暗黒物質の質量を含む全質量を直接測定することができる。この点において、暗黒物質を直接観測することができず静水圧平衡や力学平衡などの仮定が必要なSZ効果、X線や銀河団のメンバー銀河の速度分散などの観測量と、重力レンズは本質的に異なる。ACTは2013年から大規模深宇宙可視光サーベイを行うHyper Suprime-Cam(HSC)と協力関係にある。HSCはすばる望遠鏡の次期超広視野主焦点カメラであり、その高集光能力、高結像性能により弱重力レンズ効果をより正確に測定することが可能である。よって、HSCの撮像データを用いて弱重力レンズ効果測定し、ACTによりSZで発見された銀河団の質量を推定することによって、信頼性の高いSZ信号-銀河団質量関係を確立することができる。

すばる望遠鏡の現主焦点カメラSuprime-Camによって、近傍(z~0.2)および中間赤方偏移(z~0.5)の弱重力レンズ測定の方法論が確立されてきた(Okabe et al. 2010, PASJ, 62,811 及びOguri et al. 2011, arXiv:1109.2594)。HSCはその視野の大きさ以外は装置特性がSuprime-Camに近いので、HSCのデータにおいても近傍・中間赤方偏移の銀河団質量は弱重力レンズ効果を用いて推定することができると考えられる。しかし、それよりも高い赤方偏移にある銀河団の質量測定はまだ確立されていない。ACT/HSCによる深宇宙探査を実現するためには、高赤方偏移銀河団の弱重力レンズ効果による質量推定の方法論を確立する必要がある。

本研究では、ACTによる200平方度のサーベイで発見された高赤方偏移(z=0.81)銀河団、ACT-CL J0022-0036(ACTJ0022と呼ぶ)をSuprime-Camでフォローアップ観測し、上記方法論を確立することを目的とした。

また、WMAP等の既存のデータセットが制限するΛCDM模型は正確な構造形成の予言を与えるので、遠方にある巨大銀河団の存在がその予言と矛盾しないかどうかを調べることで、ΛCDM模型の検証を行うことが可能になる(Mortonson et al. 2011, Phys. Rev.D, 83, 023015)。ACTJ0022はz=0.81という遠方にあり、そのSZ信号から大きな質量を持つことが示唆されているので、本銀河団はΛCDM模型の検証に適している。ACTJ0022の質量を用いて、ΛCDM模型の検証も行う。

2. 研究手法・結果

高赤方偏移銀河団の弱重力レンズ測定の際に重要となるのは、銀河団の背景にある銀河(背景銀河)を選び出すことである。近傍の銀河団の場合には、画像上の銀河のうち多くのものが背景銀河であるので、2~3バンドで撮像した画像を用い、色の大小から背景銀河を選び出すのが通例である。しかし、高赤方偏移銀河団の場合は画像上の銀河のうち半分以上が銀河団の手前にある。前景銀河を誤って背景銀河とみなして解析を行うと、弱重力レンズ効果の信号が下がり、バイアスとなる。本研究では、測光的赤方偏移推定法(Photometric Redshift)を用いて個々の銀河の赤方偏移を推定し、よりロバストに背景銀河を選び出した。そのために、Suprime-CamでBr'i'z'Yの5バンドでの撮像を行った。Photometric Redshiftによる銀河の赤方偏移の推定結果を図1に示す。

画像の1次処理にはHSCのために開発されているソフトウェア群(HSCパイプラインという)を用い、評価を行った。将来のHSCの解析で使われるパイプラインと同一のものを使用したことは、HSCにおける遠方銀河団の弱重力レンズ効果測定の方法論の確立という点において大きな意義を持つ。また、本研究はHSCパイプラインを用いた最初の科学的成果である。

弱重力レンズ効果による銀河像の歪みの測定(形状測定と呼ぶ)には、Bernstein &Jarvis 2002, AJ, 123, 583 及びNakajima & Bernstein 2007, AJ, 133, 1763を用い、将来のHSCパイプラインでの使用を目指して我々が開発している新しい測定法を用いた。銀河から発せられた光は大気や望遠鏡の光学系を通過する際に広がり・歪む。これをPoint Spread Function(PSF)という。弱重力レンズ信号を正確に取り出すには、PSFを補正する必要がある。星像は実質的には点源と考えられるので、星像を測定することで、PSFの情報を引き出すことができる。本測定法ではGauss-Laguerre直交関数系(図2)を用いて星の像を数学的に正確に表現することによって、PSFを精度よく補正すること目指した。

形状測定の際にスタックされた画像を用いずに個々の画像を同時測定した(複数画像同時測定法と呼ぶ)ことも本研究の大きな特徴である。現在、画像のS/N比を上げるために、複数回に分けて撮像されたデータを重ねた画像(スタック画像)を用いて弱重力レンズ効果の測定を行うのが通例である。しかし、これは異なった時刻に撮影されたPSFを重ねており、PSFの形状が複雑になり、モデル化が難しくなると考えられる。また、スタックを行うときにピクセルの値を内挿することになり、本来のデータを失う可能性がある。複数画像同時測定法を用いれば、これらの可能性は排除できる。また、複数画像同時測定法を用いて、弱重力レンズ測定に十分な品質を持たない画像を選び出す手法の提案も行った。

上記のように弱重力レンズ効果の解析を行った結果、弱重力レンズ信号は図3上のように観測された。この信号の誤差は主に銀河固有の歪みに由来し、ビン内の銀河の数の平方根に反比例する。この信号のS/N比を図3の各ビンの信号を誤差での大きさで割ったものの二乗和で定義したところ、その値は3.6であった。測定の系統誤差についても詳細に見積もった結果、M200=0.72+0.33-0.27(stat.)+0.12-0.06(syst.)x1015太陽質量/hなる銀河団質量を得た。この系統誤差にはPhotometric Redshiftによる背景銀河の赤方偏移推定、及び銀河の形状測定によるものが含まれる。また、この銀河団を用いてΛCDM模型の検証を行い、図4に示されるようにΛCDM模型の95%信頼度棄却曲線を超えず、この銀河団の存在はΛCDM模型と無矛盾であることがわかった。

3. 結論

本研究では、画像の1次処理にHSCパイプライン、背景銀河の選択にPhotometricRedshift、銀河の形状測定に直交関数系を用いた手法及び複数画像同時測定法を用いた結果、Suprime-Camにおける高赤方偏移銀河団の弱重力レンズ効果測定の方法論を確立した。この意味で本研究は将来のACT/HSCによる高赤方偏移銀河団のSZ信号-銀河団質量関係の確立に先鞭を付ける非常に意義深いものである。ACT/HSC以外に遠方銀河団の質量関数によって深宇宙探査ができる組み合わせは存在せず、本研究はACT/HSCの独自性を非常に強固にするものである。広い赤方偏移に渡ってSZ信号-銀河団質量関係が確立されれば、銀河団の質量関数を通じて、暗黒エネルギーによって宇宙膨張が加速膨張に転じる時代から現在までの宇宙の進化を追うことが可能になる。

図1. Photometric Redshiftにより推定した銀河の赤方偏移分布。

図2. 銀河の形状測定に用いたGauss-Laguerre直交関数系。

図3.(上)ACTJ0022の重力レンズ信号。曲線は質量推定に用いたNFWプロファイルによるフィット結果。(下)Bモード信号。物理からゼロになるべきものであり、実際に測定結果はゼロと一致する。

図4. ΛCDM模型の95%信頼度棄却曲線と重力レンズ効果によるACTJ0022の質量測定値。銀河団の質量が曲線よりも上側にあると、ΛCDM模型が棄却される。ACTJ0022の存在はΛCDM模型と矛盾しないことがわかる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、すばる望遠鏡とアタカマ宇宙論望遠鏡(ACT)による宇宙論探査に先駆け、ACTで発見されたACT-CL J0022-0036 (以下ACTJ0022)銀河団をすばる望遠鏡で観測し、弱重力レンズ効果に基づき質量推定を行ったものである。本論文は7章で構成される。第1章は、イントロダクションであり、現在の観測的宇宙論研究の背景と本研究で用いる赤方偏移0.8の銀河団ACTJ0022について紹介している。第2章は、標準的な宇宙論模型であるLambda Cold Dark Matter (ΛCDM)モデルの枠組みを説明した後、銀河団などがその重力により背景銀河の像を僅かに歪ませる効果(弱重力レンズ効果)を理論に基づいて示し、銀河団質量などの物理量が背景銀河像の歪みの大きさと関係していることを数式で記述している。第3章は、観測に用いたすばる望遠鏡と主焦点カメラ(Suprime-Cam)のシステムおよび性能などについて解説している。第4章は、本研究で弱重力レンズ効果の測定に用いた楕円ガウス-ラゲール(Elliptical Gauss-Laguerre; EGL)直交関数系による星像および銀河像のモデル化の手法を説明し、この手法の有効性をリングテストと呼ばれる疑似銀河像を使ったシミュレーションで検証している。第5章は、すばる望遠鏡で取得したACTJ0022画像の解析を現在開発中のすばる望遠鏡次世代主焦点カメラ(HSC)のデータ処理パイプラインで行い、背景銀河を測光的赤方偏移により選択した後、EGL法を用いた弱重力レンズ効果の測定結果について説明している。これによりACTJ0022の質量が7.2 +3.3/-2.7(統計誤差) +1.2/-0.6(系統誤差) x 1014太陽質量/hであることを明らかにした。第6章は、得られた結果をΛCDMモデルが予言する赤方偏移-質量関係と比較して、観測結果はΛCDMモデルを95%の確度で棄却することは出来ない、つまりΛCDMモデルと矛盾しないという確認を行っている。第7章は、以上のまとめである。

論文提出者の成果は、大きく分けて2つある。1つは、すばるーACTの次世代宇宙論探査に先駆け、弱重力レンズ効果の測定に必要なデータ解析の手法を初めて確立した点である。2つ目はACTJ0022の質量を弱重力レンズ効果により初めて測定した上で、すばる観測データを用いた場合の宇宙論研究への適用を実証した点である。

HSCパイプラインと測光的赤方偏移測定プログラムについては共同研究者が開発したものを使用しているが、本研究の要となる弱重力レンズ効果測定のEGL法のすばるデータへの適用は論文提出者が確立したものである。さらに、体積密度が正確に得られている遠方(赤方偏移1程度)の銀河団に対してΛCDMモデルの確認を行ったのは初めてであり、独自性が高い。本論文はすばるおよびACTチームなどとの共同研究であるが、主要な解析および考察は論文提出者が自身で行っており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上により、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク