学位論文要旨



No 127776
著者(漢字) 吉武,宏
著者(英字)
著者(カナ) ヨシタケ,ヒロシ
標題(和) 軟X 線背景放射の時間及び空間変動に関する研究
標題(洋) Study of the time and spatial variabilities of the soft X-ray diffuse background
報告番号 127776
報告番号 甲27776
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5779号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺澤,敏夫
 東京大学 教授 須藤,靖
 東北大学 教授 岡野,章一
 東京大学 教授 山本,智
 東京大学 教授 常田,佐久
内容要旨 要旨を表示する

1 研究の背景

ROSAT 衛星が観測したR45 帯(0.4-1.2 keV) における全天図には、銀河中心や近傍のsuper bubble などのローカルな構造の他に、高銀緯や反銀河中心方向を網羅する広がった放射が存在している。我々から見て天空上に広がったこの放射は、軟X 線背景放射(Soft X-ray Diffuse Background . SXDB) と言われ、現在では以下の4 成分が遠方から順に起源として考えられている。

1. 個々の天体には分解されない銀河系外の暗い天体(主に活動銀河核)の放射の重ね合わせ(Cosmic X-rayBackground . CXB)。比較的近傍の活動銀河核の放射は、冪型のスペクトルで近似でき、その冪の平均値は1.9 である。遠方の活動銀河核では、スペクトルはよりフラットになると考えられている。

2. 銀河面内に広がる中性物質の向こう側からの放射。すなわち銀河系ハローあるいは幾何学的に厚い円盤状に分布する高温ガスからのプラズマ放射。高温ガスは銀河面から数kpc のスケールハイトで広がり(e.g.Hagihara et al., 2010)、平均的な温度は0.2 keV 程度(Yoshino et al., 2009) と考えられている。

3. 太陽風プラズマ中の重イオンと惑星間空間物質に含まれる中性原子との電荷交換反応(solar-wind chargeexchange . SWCX) に伴う放射輝線群。

4. 太陽系を100pc スケールで取り囲む高温ガスからのプラズマ放射。高温ガスの起源は単独あるいは複数の超新星爆発によると考えられる。3. と観測的に切り分けることが困難であるため、この放射のR45 帯への寄与についてはまだ論争が続いており、高温ガスの温度と密度も不確定性が大きい。

SXDB の放射源を研究する上で重要な結果が、Wisconsin Rocket に搭載されたX 線マイクロカロリメータによる高銀緯方向(l, b) ~ (90°, 60°) の観測である。エネルギー分解能~ 10 eV の精密分光により、~ 0.82 sr の広視野領域から高電離イオンの輝線放射を明確に検出した。Ovii 輝線帯(0.57 keV) に高エネルギー側から外挿したCXB の寄与は、銀河系内の星間物質による光電吸収が浅い高銀緯の方向ですら40 % 程度しかない。SXDB に対する輝線放射の寄与が最も大きいことが明らかになった(McCammon et al., 2002)。輝線放射の起源には未だ謎が多い。そもそも我々は、SWCX から銀河系ハローに至る包含関係の中で最も内側に位置しており、どこを見てもこれらの成分が常に存在している点に切り分けの難しさがある。遠方と近傍の放射源の切り分けとして、軟X 線の吸収が深い銀河系内の分子雲を利用して遠方成分を遮るshadowing 観測が有効である。太陽系から100 pc 程度に位置する分子雲MBM 12 と近傍5° 方向のSuzaku 衛星によるshadowing 観測によって、銀河系ハローに由来するOvii, Oviii 輝線の強度がそれぞれ2.34 ± 0.33 LU, 0.77 ± 0.16 LU (Line Unit= photons s(-1) cm(-2) sr(-1)、90 % 統計誤差) と求められている(Smith et al. 2007)。だがSWCX による時間的、空間的な変動の寄与はshadowing 観測でも同定することが困難である。

SWCX はイオンの衝突相手となる中性物質の存在場所から、高層地球大気との反応:Geocoronal SWCX (GSWCX)と太陽圏内~ 100 AU の惑星間空間に分布する中性物質との反応:Heliospheric SWCX (H-SWCX) の二者に分けて考えることができる。G-SWCX は寄与する視線距離が地球大気の広がり程度と短いため、突発的なフレア活動や太陽自転に強く依存して、数時間から1 日程度の短い時間変動を生む。変動は太陽風観測衛星によるモニタ結果から予測できるため、SXDB に対してある程度切り分けが可能である。だがH-SWCX による輝線放射は12 年周期の太陽活動に依存する緩やかな時間変動のみが示唆されており、数日程度の観測期間では同定が困難である。従って変動性はおろか、H-SWCX は未だその確たる観測的証拠が掴めずにいる。これに伴い、より遠方のプラズマ成分もSXDB への寄与が不透明な状態にある。

2 本研究の目的と手法

本研究ではSXDB に含まれるOvii 輝線に着目し、H-SWCX によるX 線放射の観測的な同定とOvii 輝線の大局的な空間変動を明らかにすることにある。H-SWCX は天空のどこを見ても存在すると考えられているため、同定する上で次の変動を捉えることが重要である。

1. H-SWCX には11 年周期の太陽活動に依存した時間変動性が示唆されている。惑星間空間において、太陽風に含まれる荷電粒子の分布は長期の太陽活動と密接している。これは太陽活動に伴い、イオン組成が異なる高速太陽風と低速太陽風の分布が変化することに起因する。高黄緯の方向では、太陽活動の極大期においてH-SWCX による輝線放射の増光が期待される。

2. 太陽圏内の不均一な星間物質の分布によって、H-SWCX の定常的な異方性が考えられている。太陽系は近傍の星間物質と~ 20 km s(-1) の相対運動をしており、我々は星間物質を一定方向からの「流れ」として感じる。太陽圏に飛来する星間物質(主にH 原子とHe 原子) は太陽の重力場と輻射圧を受けて、非一様な分布を形成する。水素原子は輻射圧とイオン化の効果が大きく、太陽近傍5 AU では0.02 cm(-3) 以下に減少するが、He 原子は重力が優勢に働き、太陽から見た「流れ」の下流で~ 0.1 cm(-3) の高密度領域を形成する。このHelium Focusing Cone (HeFC) と呼ばれる領域は、中性物質が増量することでH-SWCX によるX 線放射も増加すると予想される。

H-SWCX による強度の時間・空間変動を観測的に同定した後、反銀河方向を中心にOvii 輝線強度を52 領域について系統的に解析し、大局的なOvii 輝線の空間変動とその起源について考察を行う。本研究では一貫して1keV 以下のエネルギー帯でS/N 比の高いCCD カメラXIS1 を搭載した日本のX 線天文衛星Suzaku の観測データを利用し、スペクトル解析から酸素輝線Ovii の強度を評価した。

3 11 年周期の太陽活動に伴うOvii 輝線強度の時間変動(5 章)

Suzaku 衛星による黄緯が比較的高いLockman Hole 方向(λ, β) = (137°.13, 45°.11) の毎年同時期に行われる観測を利用し、2006 年から2011 年におけるOvii 輝線の長期変動性を調査した。スペクトル解析から得られたOvii 輝線は、2006 年から2009 年にかけてそれぞれ2.55 ± 0.74、3.68 ± 0.72、3.03 ± 0.77、2.69 ± 0.80 LU となり、統計エラーの範囲に収まる強度変動となった。一方、2010 年、2011 年の観測では6.06 ± 1.07、5.28 ± 1.60LU となり、前4 年に比べて2 - 3 LU の増光を検出した。これは前4 年の平均Ovii 輝線強度2.99 ± 0.38 LU に対して4.5 σ (2010)、2.3 σ (2011) の有意性である。同一方向の観測で年単位の変動を与えるのはH-SWCX の存在を示唆する重要な結果である。黒点数の変化から見積もられる11 年周期の太陽活動は2009 年初頭に極小期を迎え、これ以降は極大へと向かう過渡期にある。Ovii 輝線の増光が2010 年の観測から顕著である結果を踏まえると、この強度変動は12 年周期の太陽活動に依存したH-SWCX 起源の現象であることを支持する(図1)。

4 He Focusing Cone おけるOvii 輝線の増光(6 章)

地球の公転で生じる同一方向の視差から、Suzaku 衛星の視線がHeFC を含む場合と外れる場合のOvii 輝線強度を比較した(図2)。遠方成分の寄与をなるべく小さくするため、私は太陽系から~ 100 pc に位置する分子雲MBM16 を用いたshadowing 観測を提案した。更にSuzaku のアーカイブデータで、HeFC と衛星の視差が上記の位置関係を満足するNGC 2992 周辺の星間空間を利用した。スペクトル解析から得られたOvii 輝線強度は、HeFC を視線に含む場合にMBM 16 で3.9 ± 1.3 LU、NGC 2992 で4.6 ± 0.7 LU となった。一方、HeFC を視線に含まない場合にはMBM 16 で< 1.9 LU (upper limit)、NGC 2992 で3.2 ± 0.6 LU となり、共にHeFC を含む観測に対して減光する結果を示した。Poisson 統計によりこの強度差が生じる偶然確率は0.3 % 程度と計算され、同一方向の観測で生じたOvii 輝線の変動は、HeFC によるH-SWCX の増加を捉えたものだと考えられる。

H-SWCX によるOvii 輝線を定量的に扱うため、観測から得られた強度とKoutroumpa et al. (2006)で考案されたH-SWCX の放射モデルから予測される強度を比較した(図3)。観測期間で太陽活動は極小期から極大期に至る過渡的な状態であったため、モデルは太陽極小期、極大期をそれぞれ仮定して計算した。MBM 16 方向の場合、極小期のH-SWCX モデルは観測値の絶対量にほぼ相当し、観測値を補う為にモデルに必要なオフセット成分のOvii 強度の上限値は~ 0.1 LU、また極大期のモデルでも上限値として~ 1.3 LU となった。MBM 16 は分子雲でのX線吸収によりLB より遠方からのOvii 輝線が遮られるため、オフセット強度はLB の寄与を表している。一方、NGC 2992 方向は仮定する太陽活動期によらず、観測されたOvii 強度がモデルに対して~ 2 LU高かった。比較的吸収の浅いNGC 2992 方向では、LB に加えてGalactic halo に由来するOvii 放射が存在していることを示唆している。

5 反銀河方向を対象にしたOvii 輝線強度の全天空間変動(7 章)

本章ではこれまで他の論文で報告されている18 領域のOvii 強度と、新たに120° <~ l <~ 240° に位置する33方向のSuazku 衛星のアーカイブデータの解析結果を合わせ、その空間変動を系統的に調査した。ただし太陽活動がある程度一様と見なせる状態で比較を行うため、使用するデータはLockman Hole 方向で優位なOvii 強度が確認された2010 年中期以前に観測期間を制限している。

Ovii 輝線の強度分布に対してH-SWCX の寄与が大きければ、太陽極小期に低黄緯の方向でX 線放射の増加が期待できるが、Ovii 強度の黄緯依存性は存在しなかった。一方、銀河北半球ではOvii 輝線強度は銀緯に対して反相関を示す結果を得た。銀河面上では星間物質の柱密度が大きく、X 線の光電吸収も大きくなる。これらの結果は、大局的なOvii 輝線の強度分布には銀河面の星間吸収を受ける放射成分が寄与することを示唆している。

前章で用いた太陽極小期を仮定したH-SWCX モデルとの強度比較では、観測から得られたOvii 輝線が多くの領域でモデルよりも強く出ている(図4)。更にこのモデル計算が観測結果に含まれるH-SWCX を再現していると仮定して、観測結果からモデルを引いた強度は、図5 の様な中性水素柱密度に対する依存性を示す。最も単純な場合として、星間吸収を受ける一定強度の放射モデルでプロットをfit する。また同一方向の観測から見積もられたH-SWCX のモデルと実観測の不定性(±1.5 LU) も考慮する。反銀河方向120° <l < 240° で観測された多くのOvii 強度は、この放射成分とその不定性に含まれる結果が得られた。だが一方で、このモデルに対して有意に暗い方向と明るい方向が存在する。明るい方向(赤、ピンク) は、反銀河中心に対して90° の大円に沿って分布しているのに対し、暗い方向(水色) は、(l, b) 〓 (180°,-60°) の方向へ局在する傾向を得た。

図1: 太陽黒点数(黒) とSuzaku 衛星により観測されたOvii 輝線強度(赤) の時間変動.

図2: 公転面における観測方向とHeFC の位置関係。

図3: 観測された輝線強度とモデル計算によるH-SWCX の比較。太陽極小期(塗りつぶし点&破線)、太陽極大期(中抜き点&点線) のモデルを仮定してそれぞれ計算。直線はそれぞれの観測点を(Obserbed Ovii) = (Simulated Ovii) + (Offset) としてfit した時のoffset のbest fitで表した直線。

図4: 57 領域における観測されたOvii 輝線強度とH-SWCX モデル強度の比較。赤破線は両者の1:1 関係を示す。

図5: H-SWCX モデルを引いたOvii 輝線強度と、中性水素柱密度の関係。赤は他の放射成分が示唆される観測点。緑の曲線は赤を除いた場合の観測点に対する星間吸収を受ける一定放射モデルのbest fit を表す。緑の曲線は同一方向の観測で生じる強度差から見積もったH-SWCX モデルと実観測の不定性を表す。ピンク(水色) はnominalの強度が不定性より高い(低い) 観測点を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章で構成される。第1章はイントロダクションであり、1keV以下のX線拡散成分(SXDB)の観測の歴史を簡潔に述べ、1990年代のROSAT衛星による太陽風荷電交換X線(SWCX)の発見を紹介している。第2章はより詳細なレビュ-の章で、星間物質など、X線拡散成分の理解に関わる基礎事実・観測についてまとめている。第3章は観測デ-タの取得に用いたすざく衛星X線観測装置の紹介、および太陽風デ-タを得たACEおよびWIND衛星の紹介を行なっている。第4章ではデ-タ処理とスペクトル解析法がまとめられている。第5~7章が本論文の中核であり、以下にパラグラフに分けて記す。最後の第8章は全体のまとめである。

第5章では酸素6価イオンからのX線輝線(OVII X線)の太陽活動11年周期変化に起因する時間変動の解析結果が述べられている。すなわち、2006-2011年の6年間の毎年5~6月に行われる同一天空方向の観測を利用し、他の放射源による変動を全て排除した状態でOVII X線の時間変動を調査した。その結果、太陽活動が極大期に移行する2010-2011年に2-3LU(Line Unit)の増光を発見した。

第6章では太陽圏内に形成される星間空間起源ヘリウム収束コ-ン(HeFC)内外でのOVII X線の空間変化の解析結果が述べられている。すなわち、地球の公転に伴う年周視差を利用して、すざく衛星からの同一天空方向への視線がHeFC領域を貫く場合、外れる場合それぞれのOVII X線強度を比較した。その結果、HeFC領域を貫く場合に1.5-3LUの増光を検出した。以上の第5章、6章の結果は、太陽圏内でのSWCXによる放射(H-SWCX)からの寄与を定量的に示す観測的証拠である。

第7章では、第5-6章の結果に基づき、反銀河中心方向、主に銀経60-300度の領域での57観測から、H-SWCXの成分を差し引き、太陽圏外起源のOVII X線の全天強度分布を系統的に導出した。その結果、太陽系近傍100pc以内のOVII X線放射はH-SWCXでほぼ全て説明可能で、近傍バブルの寄与を殆ど必要としないことを示した。一方、その外である100pc以遠のOVII X線放射は、大局的には一様で、銀河面内の中性物質により吸収を受ける放射成分として表されることを示した。

X線観測装置は国際共同利用の衛星に搭載されたものであり、H-SWCXの定量的扱いに用いた放射モデルは吉武氏のオリジナルなものではない。しかし、(1)太陽活動の時間変化、(2)ヘリウム収束コ-ンの年周視差を用いてH-SWCXの寄与を初めて定量的に明らかにしたこと、それらに基づいて(3)H-SWCXの寄与を除いて太陽圏外100pc以遠のOVII X線デ-タが銀河系ハロ-の描像と矛盾がないことを初めて示したこと、は独自性の高い研究成果である。(1)と(2)の解析結果の論文は満田和久氏、山崎典子氏、竹井洋氏との共著であるが、主要な解析および考察は吉武氏が自身でおこなっており、論文提出者吉武氏本人の寄与が十分であると判断する。

以上により、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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