学位論文要旨



No 127780
著者(漢字) 井上,裕文
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ヒロフミ
標題(和) トンネル接合を用いたミリ波帯雑音源の開発
標題(洋) Tunnel junction as a noise source for millimeter-wave devices
報告番号 127780
報告番号 甲27780
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5783号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坪井,昌人
 東京大学 教授 常田,佐久
 東京大学 准教授 関本,裕太郎
 大阪府立大学 准教授 前澤,裕之
 国立天文台 准教授 松尾,宏
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的はミリ波、サブミリ波天文学で用いられる検出器の高精度な特性評価を可能にする、トンネル接合を用いた雑音源を開発することである。

電波天文学では分光観測を行う際にヘテロダイン受信機が用いられる。受信機の最も重要な性能指標の一つに雑音温度がある。雑音温度はある信号を検出するのに必要な観測時間と直結するため、世界各地の研究機関で受信機の低雑音化に関する研究が進められている。受信機の特性評価は大きさの分かっている二つの異なる白色雑音を受信機に入力し、二つの出力を比較することで行われる。この時、正確な特性評価のためには、(1) 飽和しないよう、白色雑音の大きさが測定対象の雑音と同程度に微小であること、(2) 物理温度に依存しないこと、が要求される。

二つの導体で数nm の厚さの絶縁体を挟んだ構造を持つトンネル接合に電圧をかけるとトンネル電流が流れる。トンネル電流を担う電荷はお互いに独立かつランダムに接合を通過するためショットノイズと呼ばれる雑音を生じる。このショットノイズは、バイアス電圧と物理定数のみに依存するのでバイアス電圧を変えることで任意の出力が得られる、物理温度に依存しない、といった特徴を持つため、受信機の高精度な特性評価を可能にする雑音源として利用できる可能性を秘めている。

そこで本研究ではマイクロ波帯及びミリ波帯において、トンネル接合を利用した雑音源を制作し、受信機の特性評価に応用することを試みた。

第三章ではマイクロ波帯のトンネル接合雑音源を製作し、これを用いて冷却低雑音増幅器の特性評価を行った。

マイクロ波帯の冷却低雑音増幅器は電波天文学で用いられる検出器の初段、または二段目に位置する主要な構成要素である。現在では等価温度にして数K という超低雑音特性を持つものも登場している。既存の方法ではアバランシェダイオードの出力を減衰器で約1/100にすることにより微小な雑音を作り出す。しかしアバランシェダイオードと増幅器の間にある減衰器やケーブルの損失、また減衰器の物理温度に起因する誤差が大きい(十数%)という問題があるため、雑音源と増幅器を直結でき、かつ物理温度に依存しない方法が望まれている。

開発した雑音源はチップと筐体から構成される。設計の際にはトンネル接合で発生するショットノイズを損失・反射なく増幅器に伝えるよう注意した。SIS 接合はNb-Al/AlOx-Nb接合を採用し、接合自身の幾何的容量を抑えるためにサイズを1x1μm2 とした。また被測定物との整合をとるために、バリアの酸化条件を調節し常伝導抵抗を50Ωとした。

開発したSIS 雑音源を用いて冷却低雑音増幅器の特性評価を行い、既存の常温アバランシェダイオードと冷却減衰器を用いる方法と比較した。見積もられた雑音温度はSIS 雑音源を用いた方が1.5 K程度系統的に高いという結果が得られたが、この違いは既存の方法で用いた同軸型冷却減衰器の外部導体と内部導体の物理温度の差、あるいはアバランシェダイオードの出力誤差によるものと考えられる。

第四章ではマイクロ波帯で得られた良好な結果をふまえ、ミリ波帯でのSIS 雑音源の開発に取り組んだ。

ミリ波帯で用いられるSIS ミクサは超高感度であるがゆえに、強度の強い信号を入力すると飽和を起こしてしまう。受信機の飽和特性は、入力する雑音強度を連続的に変化させることで調査することができる。熱雑音源は出力を連続的に変化させることが可能であるが、雑音源を加熱すると測定対象である受信機をも加熱してしまい、受信機特性に影響を与えずに測定を行うことは難しい。トンネル接合で生ずるショットノイズは物理温度に依存せず、バイアス電圧を変えることで雑音強度を連続的に変えることができるため、飽和特性の調査に応用できる可能性を秘めている。本研究では100 GHz 帯SIS 雑音源の開発に取り組んだ。

ミリ波帯SIS 雑音源はマイクロ波帯SIS 雑音源同様にチップと筐体からなる。ミリ波帯ではマイクロ波帯と異なり導波管出力とした。チップはトンネル接合、マッチング回路、バイアス回路の役目も果たすチョークフィルタ、マイクロストリップ-導波管変換から構成される。ミリ波という高い周波数帯では接合自身の幾何学的容量が無視できなくなるため、接合容量を打ち消すためのマッチング回路が必要となる。本研究では接合と並列にインダクタンスを並べたshunt inductance type のマッチング回路を用いた。広帯域で動作するようにマッチング回路を最適化し、90-110 GHz で反射係数が-20 dB となるSIS 雑音源を設計した。

SIS 雑音源と共にその雑音源の出力を検出するためのSIS ミクサも設計した。SIS ミクサもSIS 雑音源同様、チップと筐体からなり、チップはトンネル接合、マッチング回路、バイアス回路の役目も果たすチョークフィルタ、マイクロストリップ-導波管変換から構成される。マイクロストリップ-導波管変換はボウタイ型を採用した。マッチング回路は伝送線路の終端に接合があるend-loaded type を用いた。マッチング回路で用いられる伝送線路はマイクロストリップラインとコプレーナ導波路から構成されるCapacitively Loaded CPW(CLCPW)を用いて実装した。Tucker 理論に基づいたシミュレーションによりマッチング回路を最適化し、80-120 GHz において安定かつ雑音温度が10-20 K、利得が0 dB となるSIS 受信機を設計した。

設計したSIS 雑音源とSIS 受信機を用いて100 GHz 帯でのショットノイズの検出を試みた。その結果、100 GHz というミリ波帯でトンネル接合から出力されるショットノイズをヘテロダインシステムを用いて初めて検出した。雑音源の出力はバイアス電圧に対して単調に増加したが、理論が示すような線形とはならなかった。そのような特徴の一つとして、出力電力-電圧曲線の10 mV 付近に不連続があった。この不連続は電流-電圧特性にも見られた。物理温度依存性の振る舞いからこれは配線にweak link があるためと考えられる。また高いバイアス電圧で飽和傾向が見られた。この飽和傾向は電流電圧特性にも見られた。これは高いバイアス電圧を接合にかけると、接合で生じたジュール熱により接合周辺の超伝導性が破壊され、そこで電圧降下が起こっているためと考えられる。超伝導性が破壊された領域、温度が高くなっている領域では高周波損失も生じるため、電圧-電力特性の飽和的な振る舞いを強くするように働く。

SIS 雑音源出力の等価温度を見積もるために、既存の熱雑音源に対するSIS 受信機の応答と比較した。その結果、理論的が予測する値の8 割程度の等価温度をSIS 受信機が検出していることが分かった。

また帯域の端では既存の熱雑音源とSIS 雑音源を入力した時にSIS ミクサの電流電圧特性が重ならないという現象が観測された。これはSIS 雑音源の反射係数が劣化することでSISミクサのembedding impedance が変化してしまったためと考えられる。

第五章では、本研究のまとめ及び観測された問題点の解決法について述べた。

Figure 1: (左) マイクロ波帯雑音源チップ。(右)SIS 雑音源と既存のアバランシェダイオード雑音源で測定した冷却増幅器の雑音温度.

Figure 2: (左) ミリ波帯雑音源。(右) 雑音源にかけたバイアス電圧とSIS 受信機の応答.

審査要旨 要旨を表示する

本論文の研究テーマは電波天文学観測で用いられるヘテロダイン受信機の最も重要な性能指標である受信機雑音温度の高精度測定を可能にする、超伝導トンネル接合を用いたミリ波雑音源の開発である。本論文は以下の5章からなる。

第1章は論文の導入部分であり、電波天文学観測で用いられる受信機と現在用いられている雑音測定法が概観されている。そして、現在の測定法の得失の整理と新しい測定法である超伝導トンネル接合を用いた雑音測定の方法が記述されている。

第2章は超伝導トンネル接合でショット雑音に起因するミリ波雑音を発生させる方法の原理とそのシミュレーションの結果が記述されている。近年、開発の進捗が著しい超低雑音ミリ波受信機の高精度測定用の雑音源に要求される性能としては、受信機が入射電波で飽和しないように、用いられる雑音源の電波強度は数K程度であること、また雑音源の電波強度が物理温度に依存しないことである。超伝導トンネル接合を用いる方法では、電波強度が接合に印加するバイアス電圧のみにより決まり物理温度に依存しないので、これらの要求が実現できる可能性がある。このアイデアは以前から提案されていたものではあるが実際に雑音源として製作されたことはなく、この実験が最初のものになる。

第3章はマイクロ波帯でのこの測定法の実証実験についての章である。雑音源として使用するには超伝導トンネル接合で発生するショット雑音を効率よく回路または自由空間に出力させることが必要である。章の前半ではNb系SIS構造を持った超伝導トンネル素子で同軸ケーブル出力の雑音源を設計、製作したことが記述されている。後半でそれを用いて20GHz以下の周波数域で冷却低雑音増幅器の雑音温度を測定し、従来の方法を用いた結果と比較している。新しい測定法での結果は従来の結果と矛盾なく、かつ新しい測定法はより精度の高い測定ができることを示している。

第4章は本来の目的であるミリ波帯での導波管出力の雑音源の開発とそれを用いた測定についての章である。章の前半では、超伝導トンネル素子による雑音源と、それにより測定されるSISミキサー自体の設計について原理と方法論が記述されている。そして章の後半ではこの方法による100GHz帯でのSISミキサーの雑音測定が記述されている。この実験により、100GHz以上の周波数で超伝導トンネル素子のショット雑音を初めて検出することに成功した。また、黒体放射との比較を行い、この雑音源からのミリ波出力とバイアス電圧の間に多少の非直線性があるものの、理論予測の80%程度の効率で雑音源からのミリ波出力が実現されていることを確かめている。

第5章は研究のまとめと、前章までの実験で明らかになった技術的問題点の解決法の提案が述べられている。

以上のように、本論文は近年高性能化している超低雑音ミリ波受信機の高精度測定について提案されている新しいアイデアに基づくミリ波受信機雑音温度測定用の超伝導トンネル素子雑音源の初めての開発である。実際に雑音源として使用するには非線形と効率ついての補正が必要になるが、この方法が要求する精度を実現する十分な方法であることを実験で確かめたことは、電波天文学観測技術の発展に大きく寄与する価値の高いものであると考えられる。

なお本論文第3章の結果の一部は野口 卓氏、河野孝太郎氏との共同研究により得られたものではあるが、本論文提出者の寄与が十分に大きいと判断できる。したがって、本委員会は全員一致で井上裕文氏に博士(理学)を授与できると認める。

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