学位論文要旨



No 127782
著者(漢字) 鮫島,寛明
著者(英字)
著者(カナ) サメシマ,ヒロアキ
標題(和) 活動銀河核における鉄輝線の研究
標題(洋) A study of iron emission in active galactic nuclei
報告番号 127782
報告番号 甲27782
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5785号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 海老沢,研
 東京大学 教授 家,正則
 東京大学 教授 小林,秀行
 東京大学 教授 中川,貴雄
 東北大学 准教授 村山,卓
内容要旨 要旨を表示する

天文学における最も重大な謎の一つが、最初の星が生まれたのはいつかという問題である。活動銀河核の鉄輝線の観測は、この大きな謎に迫るための重大な研究である。宇宙初期に作られた原始星の寿命の違いにより、宇宙は特徴的な化学進化を遂げる。特に鉄は第一世代星が生まれてから約10億年後に急速に増大することが予測されており、活動銀河核の輝線を観測することによってその進化の様子を探ろうという研究がこれまでに多くの研究者によってなされてきた。特に鉄とマグネシウムの輝線強度比がそれらの組成比を反映しているという仮定のもと、多くの活動銀河核で鉄マグネシウム輝線強度比(FeII/MgII)が測られてきたが、観測値には大きな分散が見られ、進化の様子はいまだに明らかになっていない。

我々はFeII/MgIIが鉄とマグネシウムの組成比だけでなく、輝線を放射しているガスの状態にも依存しており、それに起因する変化が組成比の進化を隠しているのではないかと疑問を抱いた。そこで多くの活動銀河核の鉄輝線を観測することで、輝線放射ガスをとりまく物理を調べ、正しく鉄の組成量を測定することを目的として研究を行った。

研究の第一歩として、まずはFeIIを放射している一回電離した鉄のエネルギー準位を調べることから始めた。その結果、活動銀河核でみられるような強い鉄輝線を再現するには、輝線を放射しているガスが紫外域の鉄輝線にたいして光学的に厚くなければならないという事実が判明した。一方で可視域に見られる鉄輝線は光学的に薄く、さらにその紫外鉄輝線との比が輝線放射ガスの鉄柱密度の指標となりうることが分かった。これ得を確かめるために、光電離と衝突電離という2つの加熱機構を仮定したモデル計算を行った。その結果、鉄の可視紫外輝線強度比FeII(opt)/FeII(UV)が加熱機構によらず輝線放射ガスの鉄柱密度に従って変化することが確認された。これにより、我々は活動銀河核の輝線放射ガスの性質に迫ることのできる全く新しい指標を手に入れることに成功した。

そこで実際にこの指標を活動銀河核の一種であるクェーサーに適用するために、アーカイブデータの調査を行った。研究では最大のクェーサーアーカイブであるスローンデジタルスカイサーベイ(SDSS)のクェーサーデータを採用し、鉄輝線が測定できる約1,400天体を選んで解析を行った。なお大量のサンプルを解析するために、汎用的な輝線測定プログラムを作成することで半自動的にスペクトルの解析が出来る環境の構築を行った。

また天体の光度がFeII/MgIIに影響するかどうかを確かめるために、チリにあるジェミニサウス望遠鏡を用いて6つの明るいクェーサーの観測を行った。これらは標準的な手法に従ってリダクションが行われ、1次元の天体スペクトルが抽出された。これらのスペクトルがカバーしている波長域は短く、SDSSの解析に用いた測定アルゴリズムをそのまま適用することは出来なかった。そこで先に解析したSDSSのデータを用いて、短い波長域のスペクトル情報のみから徹夜マグネシウムの輝線を正しく推定する手法を考案した。

FeII(opt)/FeII(UV)の測定結果からまず明らかになったことは、ほぼすべての天体で測定値が光電離モデルの予測値よりはるかに大きい(典型的に10倍程度)という事実である。これは従来正しいとされてきた光電離モデルに対する大きな壁であり、モデルにまだ考慮されていない点がある可能性が示唆される。

また他の観測量の比較からFeII(opt)/FeII(UV)とエディントン比との間に正の相関が見られることが明らかになった。これにより、近年盛んに議論されている輝線放射ガスへの輻射圧問題について大きな情報がもたらされた。我々の観測結果は電離光子の吸収による輻射圧が実際に輝線放射ガスに影響を及ぼしており、それによって鉄輝線の強度が変化していることを示唆していることが明らかになったのである。これを受け、活動銀河核における輝線放射ガスを取り巻く様々な物理現象の起源がエディントン比であるという、全く新しい物理描像を提案した。

また宇宙の化学進化にとって重要なFeII/MgIIもエディントン比と相関関係を持つことが分かった。これはエディントン比を起源とする諸現象にFeII/MgII輝線強度比も影響を受けており、これが従来の観測でみられた分散の起源である可能性が極めて高いことを示唆している。我々が明らかにしたこのエディントン比を起源とする輝線強度への影響を考慮することで、鉄とマグネシウムの真の組成比の値にこれまでよりはるかに正確に迫ることができ、宇宙の化学進化解明に向けた大きな一歩になるだろう。。

図:輝線測定プログラムの適用例

図:エディントン比とFeII/MgII輝線強度比の間の相関

審査要旨 要旨を表示する

本論文は六章からなる。第一章では研究の背景と動機が記述されている。超新星爆発機構には、長寿命の低質量星が起こすIa 型と、短寿命の大質量星の起こす重力崩壊型(Ibc, II 型)があり、両者では生成される元素組成に大きな違いがある。よって、宇宙初期において星が誕生・進化した後、重力崩壊型に比してIa 型超新星爆発が活発になる時期には遅れが生じ、それが宇宙の元素組成の進化に反映される。これを用いて、クェーサー中の元素分布を赤方偏移の関数として調べることによって、Ia 型超新星爆発が活発になった時期、およびそれから遡って第一世代の星の形成時期を推定できるのではないかということが提唱されてきた。たとえば、クェーサースペクトル中の、紫外域の一階電離した鉄とマグネシウムの輝線強度比(以下、輝線強度比をFeII(UV)/MgII のように表す)などが、そのような「宇宙時計」の役割を果たすとして期待されてきた。しかし、観測されたFeII(UV)/MgII の値は、単純な超新星モデルによる予想とは異なり、同じ赤方偏移のクェーサーでも大きな分散を示すことがわかってきた。これは、クェーサー中で輝線を放出する広輝線領域(Broad Line Region;BLR)において、輝線強度比は単純に元素組成比を反映しているのではなく、別の物理機構が働いて組成比を隠していることを示唆している。つまり、クェーサー中の輝線強度比を宇宙時計として用いるためには、その前提としてBLRに於ける輝線放射メカニズムをより良く理解しておく必要があり、それが本論文の動機である。

第二章では、研究の手法が示されている。本論文では、元素組成を仮定せずに求められるBLR の重要な物理量として、鉄柱密度に注目した。特に、一階電離した鉄の可視光と紫外線における輝線強度比、Fe II(opt)/Fe II(UV)が鉄柱密度の指標となることを指摘した。また、光電離モデルと衝突電離モデルによる計算結果から、それらのモデルは同じ柱密度に対して異なった輝線比を与えるため、Fe II(opt)/Fe II(UV)の観測と電離モデルとの比較が可能であることが示された。

第三章では観測とデータ整約について述べられている。観測はSloan Digital Sky Survey(SDSS)およびGemini South を用いて行われた。SDSS が観測した赤方偏移が0.727 から0.804 の1452 個のクェーサーについて、FeII(opt)/Fe II(UV)およびFeII(UV)/MgII を測定した。また、Gemini South では、赤方偏移が2 付近の6 個のクェーサーについて、FeII(UV)/MgII を測定した。

第四章は解析結果である。ここでは、SDSS クェーサーおよびGemini Southクェーサーそれぞれについて、同じ赤方偏移でもFeII(UV)/MgII の輝線比が大きな分散を示し、すでに指摘されていたように、輝線強度比が単純に組成比を表しているのではないことが確認された。また、SDSS、Gemini 両方のサンプルについて、Fe II(opt)/Fe II(UV)およびFe II(UV)/Mg II の値とクェーサーの光度のエディントン比との間に正相関があることが見つかった。

第五章は議論である。ここでは、まずほぼすべてのSDSS クェーサーについて、Fe II(opt)/Fe II(UV)の値が、光電離モデルが予言するものよりも約10 倍も大きいことが指摘された。これは、古典的な光電離モデルに見直しを迫るものであり、その原因となる可能性がいくつか示された。また、今回見つかったFe II(opt)/Fe II(UV)の比とエディントン比との正相関について、エディントン比と共に水素柱密度が増加する可能性と、水素に対する鉄の組成が増加する可能性が検討された。その結果、組成を良く表す指標と考えられている窒素と炭素の輝線比がエディトン比に依存しないこと、および、BLR にかかる光圧を考慮した、より物理的な仮定の下ではエディントン光度が水素柱密度に依存することから、前者の可能性が高いと結論された。これによって、エディントン比がBLRの様々な物理状態を決定するのに重要な役割を果たしているという描像が示された。また、Fe II(UV)/Mg II とエディントン比との間の正相関を補正することで、元素比の赤方偏移依存性がより明確になり、宇宙初期における第一世代の星形成時期に制限が与えられる可能性が示された。第六章には、これらの結果がまとめられている。

以上に述べたように、本論文はクェーサーのBLR の性質を詳細に調べ、それによってBLR からの輝線比がエディントン比に正相関することを発見し、その補正を実施することでクェーサーの輝線比を用いた宇宙時計の精度を向上させる可能性を示したものとして、高く評価できる。なお、本論文は大藪進喜氏、浅見奈緒子氏、松岡良樹氏、家中信幸氏、吉井讓氏、続唯美彦氏、Jose Maza氏、川良公明氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって観測・解析・結果のまとめを行ったもので、論文提出者の寄与は十分である。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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