学位論文要旨



No 127783
著者(漢字) 下西,隆
著者(英字)
著者(カナ) シモニシ,タカシ
標題(和) 赤外線観測に基づくマゼラン雲内の原始星周囲に存在する氷の研究
標題(洋) An Infrared Study of Ices around Young Stellar Objects in the Magellanic Clouds
報告番号 127783
報告番号 甲27783
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5786号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 田中,培生
 東京大学 准教授 宮田,隆志
 東京大学 教授 山本,智
 北海道大学 教授 渡部,直樹
 東京大学 准教授 小久保,英一郎
内容要旨 要旨を表示する

本博士論文にまとめられている一連の研究において、私は一つの分野を切り開いた。それは、銀河系内外の様々な環境下に存在する原始星星周固体物質の比較研究である。星形成、惑星形成活動はこの宇宙に無数に存在するどのような銀河においても起こりうる現象である。そしてこれらの銀河は形状、環境といった点で様々に異なる性質を持っている。よってこのような銀河の持つ性質が、その中で発生する星・惑星形成活動にどのような影響を及ぼすのかを解明する事は大変興味深い。

近年の観測技術の発達により、星間・星周環境では大部分の重元素が固体の状態で存在しているということが示唆された。これらの固体物質にはダスト(固体微粒子)のみならず、ダスト上に存在する氷も含まれている。固相における化学反応は気相におけるそれとは様々に異なる点があり、これは物質の化学的進化を考える上で大変重要なプロセスの一つである。特に氷に関しては、水・二酸化炭素、そして様々な有機分子といった生命の存在にとって重要な分子の存在形態として重要であると考えられている。しかし、宇宙空間における氷の生成・成長のメカニズムにはまだ多くの謎が残されている。

宇宙の化学的進化とは、第一次近似的には、金属量(重元素量)の進化である。よって、金属量という点において異なる環境下に存在する原始星星周物質の性質を調べることは、宇宙空間における星・惑星形成の材料物質の多様性を理解する上で大変興味深い。この目的において、本研究の主要な観測対象であるマゼラン雲は大きな利点を持っている。大小マゼラン雲は天の川に最も近い矮小銀河である。大小マゼラン雲の金属量は太陽近傍の約1/2、1/5 と低金属量であるということが知られている。このようなマゼラン雲の持つ銀河環境の違いは、ダストや氷をはじめとした星周物質の化学的性質に大きな影響を与えると考えられる。

私はマゼラン雲に存在する原始星に着目し、特に氷として星周環境に存在している分子の化学状態について、天の川銀河内の原始星との比較研究を行ってきた。私は銀河の持つ環境が、星・惑星形成の材料物質の化学状態に与える影響を解明するという視点に基づき、本分野における先駆的な研究を博士論文中で行った。

まず私は赤外線天文衛星AKARI によるマゼラン雲の近赤外分光サーベイデータを用いて、マゼラン雲内の原始星探査を行った。私はこの中で、大マゼラン雲内の約3,000 天体の赤外線点源のスペクトルを含む近赤外スペクトルデータベースを構築した。本データベースは、以下で述べられる原始星の研究のみならず、大マゼラン雲内の様々な天体の研究において活躍が期待される有用なデータベースである。

私はこの近赤外データベースを用いて大マゼラン雲内のダストに埋もれた原始星の探査を行った。私は近赤外スペクトルの特徴に基づく新しい分類基準を用いることにより、新たに大マゼラン雲内に7天体のダストに埋もれた大質量の原始星を発見した。得られた近赤外スペクトルに見られる氷のフィーチャーの解析を行った結果、大マゼラン雲内の原始星周囲では二酸化炭素氷の存在比が系統的に高いということが明らかになった 。ダスト上での固体分子の生成反応モデルなどを取り入れた議論により、この違いは大マゼラン雲と天の川銀河の原始星の星周環境におけるダスト温度の違いが原因であることが示唆された。本結果は、我々の住む天の川銀河とは大きく異なる環境下にある原始星は、その星周環境に存在する固体分子の化学状態が系統的に異なるということを初めて明らかにした。

次に私はさらに多くの原始星及び候補天体についてAKARI を用いたより詳細な追加観測を行った。その結果、大マゼラン雲内の20天体の原始星について近赤外スペクトルを取得した。これらのスペクトルデータの詳細な解析により、前述の大マゼラン雲における系統的に高い二酸化炭素氷存在比が、より多くの天体サンプル、そしてより精度の良い分光データにより確認された (図1)。さらに、原始星のRadiative Transfer モデルと多波長撮像観測データを用いたSED フィッティングにより、上述のマゼラン雲内の原始星の光度を正確に導出した。その結果、原始星の光度と氷の柱密度との間に強い相関があることを初めて明らかにした (図2)。これは光度の高い原始星の周囲では、昇華の影響により氷が減少するということを初めて観測的に示した結果である。

さらに私は小マゼラン雲に存在する原始星についても、AKARI 衛星を用いた分光観測を行った。これにより、金属量という点で異なる3つの銀河にある原始星の比較研究が可能になった。大マゼラン雲の原始星の観測から、高いダスト温度が二酸化炭素存在比の増加に寄与しているということが示唆された。小マゼラン雲のダスト温度は大マゼラン雲よりもさらに高い事が知られている。得られた近赤外スペクトルの解析の結果、小マゼラン雲における二酸化炭素存在比は天の川銀河よりはわずかに高いが、大マゼラン雲よりは有意に低いという事が明らかになった (図1)。これは、二酸化炭素の材料となる一酸化炭素やOH 分子が、小マゼラン雲における高すぎるダスト温度の為に昇華してしまっている事が原因であるという事が示唆された。

さらに、天の川銀河、大マゼラン雲、小マゼラン雲と異なる金属量環境下にある原始星の光度―氷柱密度関係を比べると、原始星の光度が同じであっても、銀河の金属量が低くなると星周環境の氷の量(柱密度)が減少するということを発見した (図2)。本結果により示唆される重要な点として、小マゼラン雲よりさらに低い金属量の銀河にある原始星周囲では、氷の存在量がさらに少なくなるため、物質の化学的進化が固相での反応に依らないものになる可能性があるということである。これは物質の化学進化に大きな差異をもたらすと考えられる。

銀河系外の原始星を観測する上での大きな懸案事項の一つは、原始星の空間構造の不確定性である。銀河系内の天体と違い、遠距離に存在する銀河系外原始星は必然的により大きな空間スケールで情報を取得してしまう。これは分光観測により得られた情報がどのような領域から生じているものなのかを判断する上で大きな問題となっていた。そこで私は地上大型望遠鏡Gemini 搭載装置T-ReCS を用いてマゼラン雲の原始星に対して高空間分解能の中間赤外撮像、及び分光観測を行った。本観測は銀河系外の原始星に対して初めて行われた地上中間赤外観測である。この結果、これまでに観測したマゼラン雲の原始星の赤外輻射の大部分は、原始星コアのサイズに相当する非常にコンパクトな領域(~0.1 pc)から生じているということが確認された。

さらにSpitzer 望遠鏡搭載装置IRS により取得された中間赤外スペクトルデータの解析も行った。これによりダスト及び氷の情報を含めてマゼラン雲の原始星星周物質の性質を議論する事が可能になった。解析の結果、原始星周囲に存在する氷の量は、銀河の金属量でスケールされるということが示された。

銀河系外原始星の分光的研究はここ数年で非常に大きな進歩を遂げた。本研究はその進歩に大きな貢献をした。上述の一連の研究により、まず分光的に同定された銀河系外原始星のサンプル数が大幅に増加した。そして、原始星周囲に存在する氷は、その分子存在比、量ともに異なる銀河環境下では異なる性質を示すという事が明らかになった。これらの結果は、宇宙空間における物質進化の多様性を理解する上で大変興味深い結果である。さらに、マゼラン雲の観測的利点の一つである距離の決定精度の高さに着目し、原始星の光度と氷柱密度との間に強い相関を発見した。これにより、中心星からの輻射及び銀河の環境的要因が星周環境の氷に与える影響を切り分けて考える事ができるようになった。さらに小マゼラン雲の原始星の観測から、原始星の光度が同じであっても、銀河の金属量が低くなると星周環境の氷の量(柱密度)が減少するということを発見し、さらに銀河間での氷柱密度の違いは銀河の金属量の違いで説明できるという事を示した。

今後は、固体分子のみならず、気体分子の性質にも着目し、様々な波長域において銀河系外原始星の性質を明らかにしていく事が必要である。さらに、理論計算・実験の両面からこれまでの観測結果を再現する試みも大変興味深い。

図.1 水氷vs. 二酸化炭素氷柱密度。エラーバー付きの黒四角が大マゼラン雲、青が小マゼラン雲、緑が天の川銀河の原始星の値。各銀河における二酸化炭素氷/水氷の比は、それぞれ黒(36%, 大マゼラン雲)、青(21%, 小マゼラン雲)、緑(17%, 天の川銀河)の実線で示されており、大マゼラン雲内の原始星の星周物質は高い二酸化炭素氷比を示すことが本研究により明らかになった。これは原始星星周物質の化学状態が他の銀河では異なるという事を初めて示した結果である。

図.2 原始星光度vs. 氷柱密度。プロットシンボルの色は図1と同じである。黒線は大マゼラン雲のデータ点に対する線形近似で、緑と青はこの線の切片を変えて小マゼラン雲、天の川銀河の点にフィットさせた線である。図から分かるように、氷柱密度と光度は強い相関を示す事が明らかになった。さらに、同程度の光度の原始星を比べると、天の川、大マゼラン雲、小マゼラン雲の順に氷柱密度が小さくなる事が明らかになった。これは星周環境における氷の量が、銀河の金属量でスケールされるという事を示している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、大小マゼラン銀河(以下LMC,SMC)において主に赤外線天文衛星「あかり」による赤外線観測を行い、ダストの氷マントル中に存在する固相の二酸化炭素(CO2)、一酸化炭素(CO)、および水(H2O)(以下ではすべて固相)を多くの原始星天体で検出した結果をまとめたものである。その結果を基に、原始星形成の母体である分子雲中における氷の存在形態について議論している。特に、地上からは観測できない、氷マントル中の固相のCO2を新しく検出し、その存在量を、金属量・ダスト温度等の環境が異なるLMC、SMCおよび天の川銀河(以下MW)で比較し、その形成に関して新しい知見を得た。

本論文は7章からなる。第1章は序章であり、本研究の背景がまとめられている。特に、分子雲内での物質形態としてのダストの構造について詳しく述べられている。水素・ヘリウムに次いで豊富な元素であり、ダストの核成分としても重要な酸素および炭素からなる、揮発性氷マントル主成分H2O・CO・CO2の分子雲中での化学進化の重要性およびそれらの2-5μm帯のスペクトルの特徴がまとめられている。さらに、「あかり」衛星に搭載されていた観測装置、対象天体であるマゼラン銀河での今までの観測結果がまとめられている。

以下、第2-4章では、LMCの観測とその結果について述べており、第5-6章では、さらにSMCの観測を追加し、議論を進めている。

第2章では、「あかり」を用いて行われた、LMCの撮像・超低分散(~30)分光観測とデータ解析について述べている。約10平方度で1000個以上の天体の近赤外線超低分散スペクトルを得た。その大半はスピッツアー宇宙望遠鏡による8および24μm天体と同定された。

第3章では、前章で検出した多くの天体の中から大質量原始星を選択する方法について述べている。まず、赤外線カラーにより450個の天体を原始星候補として選択した。最終的にその中からCO2の強い吸収が見られる天体として7個の大質量原始星を選び出した。これらの天体スペクトルはCO2とともにH2Oの強い吸収を示す。

第4章では、CO2とH2Oとの柱密度の関係について議論している。まず、上記7個に加えて、VLT(ヨーロッパ南天大望遠鏡)によるデータからの天体を加え、計15個の天体について、「あかり」のポストヘリウム観測期間に低分散(~100)スペクトルを得た。スペクトルの吸収深さから柱密度を求めた結果、LMCでは、CO2/H2O比がMWの大質量原始星の2倍の値を持つことを示した。CO2は氷マントル中(ダスト表面)でCOから形成されると考えられている。MWとLMCとでは、金属量は異なるがC/O比はあまり変わらないとされているので、この違いは、LMCの方が平均的にダスト温度が高く、COからCO2が形成される反応が進みやすいためであると推察している。一方、CO2+H2Oは原始星の総光度に対して負の相関を持つことを示した。

第5章では、さらに金属量の小さいSMCでの探索を行い、2個のCO2吸収の強い天体を見つけた。これを含む計5個の原始星のスペクトルを取得し、CO2/H2O比を調べた結果、MWに近い値となった。SMCの平均的なダスト温度は、LMCよりさらに高いが、そのために、昇華温度の低いCOがダスト表面に吸着しにくく、結果的に、CO2の形成がLMCよりも小さくなっていると推察している。ただし、このダスト温度がどこの温度を示すのかなどが不確定であり、H2O氷生成の条件もダスト温度に依ることなどを考慮すると、さらに詳しい今後の検討が必要である。一方、前章で示したCO2+H2Oの原始星総光度に対する負の相関はSMC・MWでも同様の傾向が見られた。さらに、同じ総光度に対してのCO2+H2O量は、これら3銀河で金属量の順になっていることを示した。

第6章では、第5章で示したCO2+H2Oの総光度に対する負の相関が、1)金属量、つまり、ダストの総量に依っているのか、2)ダスト温度に依っているのか、を区別するために、スピッツァー望遠鏡で観測されたスペクトル中に見られる深いシリケートによる吸収を解析し、それから減光量を求めた。減光量はダスト総量に比例していると考え、前述の(CO2+H2O)/減光量と総光度との相関を調べると、3つの銀河はほぼ同じ値を示した。これにより、上記2つの可能性のうち、1)の説明がより正しいと結論した。

第7章は論文全体のまとめである。本論文は、金属量、ダスト温度等、大質量星形成の母体である分子雲の環境が異なる3つの銀河での氷マントルの量を定量的に比較するために、LMCおよびSMCでの大規模な分光観測を行い、今まで観測が難しくデータが少なかったCO2を多数検出し、H2O・CO・CO2の系統的な新しい観測結果を示している。さらに、観測データのみならず、今後の研究の発展に対して重要な貢献をする新しい相関を示した考察はオリジナリティが高い。

本研究は、尾中敬、加藤大輔、左近樹、板由房、河村晶子、金田英宏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって観測・データ解析・議論を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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