学位論文要旨



No 127792
著者(漢字) 落,唯史
著者(英字)
著者(カナ) オチ,タダフミ
標題(和) GPS と水準測量から見える東海スロースリップを跨ぐ期間のプレート間固着の変化
標題(洋) Temporal Change of Plate Coupling Distribution During Tokai Slow Slip Event Inferred from GPS and Leveling Data
報告番号 127792
報告番号 甲27792
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5795号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,真吾
 静岡大学 教授 里村,幹夫
 東京大学 准教授 井出,哲
 東京大学 教授 加藤,照之
 東京大学 教授 大久保,修平
内容要旨 要旨を表示する

東海地方では2000 年から2005 年にかけて,定常的なプレート間固着による変位とは異なった変位がGEONET によって観測された。先行研究では,通常からの変位の差分を固着とは逆向きのすべりによって説明できると解釈し,東海スロースリップと呼ばれている(たとえばOzawa etal., 2002)。定常的な固着は遠州灘付近の浅い部分にあるのに対して,スロースリップはそれよりも深い浜名湖直下に推定されることから,固着とスロースリップは深さ方向に棲み分けられていると考えられてきた。

しかし,これまで東海スロースリップとして考えられてきた現象は,その定義の段階で問題がある。前述のように先行研究ではスロースリップは,「定常的なプレート固着による変位からの差分の変位を説明するすべり」と定義されている。スロースリップが発生している期間でも定常的な固着によるひずみ蓄積は進行しているから,物理的に意味を持つのは,スロースリップと定常的なプレート固着との重ね合わせである。また,先行研究では定常的な固着領域の時間変化については議論されてこなかったが,同じプレート境界面上の隣接する領域でスロースリップが発生しているときに,隣接する固着領域が変化しないとは考えにくく,固着領域の時間変化についても議論されるべきである。これらの問題を解決するために,本研究ではプレート境界面の現象をひずみ蓄積・解放という観点で見直し,測地インバージョン解析によりひずみ蓄積・解放領域の時間発展を推定した。

データは1996 年7 月から2009 年6 月までのGPS データと水準測量データを使用した。時間発展をとらえるために,区間を2 年ごとに区切り,2 年間の平均変位速度場を推定した。隣接する区間は1 年ずつ重複させた。水準測量データはGPS データと比べて圧倒的に時間的に疎であり2年間の平均をとるという解析には向かないが,この問題は全期間を同時に解析し,2 年ごとに速度が変化することを許すモデルを使うことでこの問題を克服した。そして,得られた変位速度場から静的測地インバージョンを行い,プレート境界面でのひずみ蓄積・解放領域の分布を推定した。このインバージョンでは解を安定させるためにすべりの方向はプレートの収束方向に固定するものの,向きに関しては条件を課さないことによってひずみの蓄積・解放分布を同時に推定するようにした。

以上の手順によって得られたひずみ蓄積・解放領域の分布から,1996 年から2009 年の15 年間はひずみ解放領域の有無により[A] 2001 年以前,[B] 2000 年から2005 年,[C] 2004 年以降の3つの期間に大別されることが明らかになった。[B] の期間が先行研究のスロースリップの期間に相当すると考えられる。[A], [B], [C] の期間から結果を一つずつ,図1 に示す。ひずみ蓄積領域は深さ10{20 km に30{35 mm/year のピークを持ち,この状態は1996 年から2009 年の全期間を通して変化しない。しかし深さ方向の広がりを見ると,[A] の期間では浜名湖直下から北西にかけて広がっていたひずみ蓄積領域が[B]・[C] の期間ではなくなっている。すなわち,従来の研究では定常的だと仮定されていたプレート間固着は,時間変化していることが明らかになった。

一方[B] の期間では深さ30{40 km の領域に20 mm/year 程度のピークを持つひずみ解放領域が推定されている。従来の研究ではスロースリップは浜名湖付近でひずみを解放していると考えられてきたが,真にひずみを解放しているのはより深い領域であることが明らかになった。比較のために図2 にあらためて[B] と,[B] から[A] をひいたものを示すが,後者が従来の研究ではスロースリップとみられていたものである。先行研究でスロースリップと考えられていたものは,ひずみ蓄積が減少したものの依然としてひずみ蓄積をしている領域,蓄積も解放もしていない領域,ひずみ解放領域の3 つの状態の混合であることがわかる。本研究で推定されたひずみ解放領域が解放した地震モーメントはMw ~ 6.6 に相当する。先行研究では5 年間にわたるスロースリップによりMw ~ 7.0 から7.1 の地震に相当する地震モーメントを解放したと報告されている(たとえば水藤・小沢,2009)が,この結果は,固着によるひずみ蓄積を考慮していないため,ひずみ解放量を過大に評価しているといえる。

最後に深部低周波微動との関係を図3 に示す。従来の研究では深部低周波微動はスロースリップよりもさらに深い領域に震源があると考えられてきたが,図3 からわかるように,すべり解放領域のピークと深部低周波微動の震源分布はほぼ一致することがわかった。深部低周波微動はスロースリップの出現とは関係なく発生していることを考慮すると,2000 年から2005 年にかけてのひずみ解放領域の出現は繰り返し発生する深部低周波微動のなかで,とくに出現期間が大きくなって測地観測でとらえられるようになったものであることが示唆される。

以上のようにひずみ蓄積・解放という観点からプレート境界面の状態を見ることにより,プレート境界で発生する現象のとらえ方を修正する必要があることが明らかになった。今後はこれらの現象を説明するような物理モデルの構築が不可欠である。

図1 プレート境界面におけるひずみ蓄積・解放領域の分布。青い領域がひずみ蓄積,赤い領域がひずみ解放を表す。推定値よりも推定誤差が大きくなった領域は影をつけてある。

図2 (a) が本研究から得られるひずみ解放領域。(b) は従来の見方によるスロースリップの領域。赤い部分を比較すると,従来の見方では大きく浅い領域に広がり,値も過大になっている。

図3 図1(b) に深部低周波微動の震源(緑の丸)を重ねたもの。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、2000年から2005年にかけて東海地方で発生した異常地殻変動に着目して、その原因となったいわゆる"スローイベント"の発生機構について論じたものである。

国土地理院が全国に展開しているGPS観測網によって、東海地方では2000年から2005年にかけて、2000年以前とは傾向の異なる変位が観測された。先行研究では、2000年以前の変位を定常的な固着が作るものとして、この変位からの差分が非地震性のすべりによって説明できると解釈した。この非地震性のすべりは"東海スロースリップ(SSE)"などと呼ばれてきた。定常的な固着は遠州灘付近の浅い部分にあるのに対して、スロースリップはそれよりも深い浜名湖直下に推定されることから、固着域とスロースリップ領域は深さ方向に棲み分けられていると考えられてきた。本研究では、この先行研究のアプローチに対して3つの疑問を提示する;

(1)定常的な固着領域の時間変化にっいては議論されていないこと、(2)"スロースリップ"が、「定常的なプレート固着による変位からの差分の変位を説明するすべり」と定義されており、実際のプレート間の相対的"スロースリップ"とは異なり、物理的な意味が不明確であること、(3)固着域とスロースリップ域が空間的に完全に棲み分けられているのか、それとも重なりを持っているのかということについては議論されていないこと。

本研究ではこれらの疑問を解決するために、2000年以前のリニアトレンドを除去せずにデータから得られる速度場を直接用いて、プレート境界面の状態を推定した。

本論文は5章からなっており、第1章では導入部として、解析対象としている東海地方の地学的背景、測地測量を用いた固着分布やスロースリップ分布の推定に関する先行研究をレビューした。そして章の最後で研究の動機を記述した。

第2章では本研究の解析にGPSデータと水準測量データが使われることが述べられ、解析に用いたデータから変位速度場を得る過程を説明した。東海地方において2種類の測地データを用いた解析は本研究が初めてである。本研究では、時間発展をとらえるために、区間を2年ごとに区切り、2年間の平均変位速度場を推定した。隣接する区間は1年ずつ重複させた。

第3章では第2章で得られた変位速度場を用いて測地インバージョン解析を行った,測地インバージョンでは、断層面上ですべりが滑らかであることと、プレートの収束方向に対して直交する成分が小さくなることの2点を先験情報として加え、解を安定化させた。章の前半ではこの測地インバージョンの定式化を説明し、後半では本研究で用いた具体的な値を提示した。

第4章では第3章で行った測地インバージョン解析の結果を示した。非地震性のすべりの領域の出没によって、本研究で対象としている1996年7月から2009年6月の期間は[A]2001年以前、[B]2000年から2005年、[C]2004年以降の3っの期間に大別されることが明らかになった。[B]の期間が先行研究のスロースリップの期間に相当すると考えられる。スロースリップの期間[B]の前後[A]と[C]とを比較すると、固着のピークは30-35mm/yr程度であり、これは先行研究と調和的である。一方で固着の広がりは、スロースリップ後の[C]の期間では[A]と比べて小さくなっており、固着が時間変化していることが明らかになった。

第5章は議論の章である。はじめにインバージョン解析に於いて課した領域の境界条件の妥当性について議論し、次に水準データがインバージョン解析に対して果たした寄与を考察した。最後にインバージョンの結果得られた非地震性のすべりを、先行研究の"スロースリップ"の観点から見直して比較した。その結果、先行研究で"スロースリップ"と呼ばれているものは、浅い方から、"固着度が低下したものの依然として固着によって大陸地殻内にひずみを蓄積している領域"、"蓄積も解放もしていない領域"、そして"プレート相対速度より速い非地震性のすべりによって蓄積されたひずみを解放している領域"の3つの混合状態であったということが示唆される。また、実際のすべり速度のピークを持つ領域は、従来思われていた領域より深部であることを示すとともに、2000年から2005年にかけての"スロースリップ"によって解放されたひずみの正しい評価を行い、先行研究では過大評価であったことを指摘した。更に、深部低周波微動の震源との関係を示した。従来の研究では、深部低周波微動は短期スロースリップの発生領域であり、長期スロースリップよりもさらに深い領域にあると考えられてきたが、本研究で得られた非地震性のすべりの領域は深部低周波微動(すなわち短期スロースリップ)の震源分布はほぼ一致することがわかった。

第6章はまとめである。研究の全体をまとめるとともに、本研究によって、定常的な固着を仮定しない解析を実施したことにより、これまでの"東海スロースリップ"の考え方が修正されなくてはならないことが述べられている。

本論文は、東海地方において、初めてGPSデータと水準測量データを用いて同時にインバージョン解析を行うと共に、これまでのデータ処理とは異なる新たなモデルを導入することにより、物理的意味が明確な"東海スローイベント"の描像を示した。学術上極めて重要な成果が得られており、本研究は博士論文に十分な意義を持つものと結論した。

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