学位論文要旨



No 127824
著者(漢字) 白木,知也
著者(英字)
著者(カナ) シラキ,トモヤ
標題(和) ゼブラフィッシュをモデルとした光生理現象の分子解析
標題(洋) Molecular analysis of visual and non-visual photoreception in zebrafish
報告番号 127824
報告番号 甲27824
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5827号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 饗場,篤
 東京大学 准教授 榎森,康文
 東京大学 教授 深田,吉孝
内容要旨 要旨を表示する

多くの動物にとって光は最も主要な情報源であり、視覚とともに概日時計の調節や体色変化といった様々な生理現象に利用している。脊椎動物は視覚の光受容細胞として、性質の大きく異なる2種類の視細胞(桿体と錐体)をもつ。またこれらに加え、網膜の高次ニューロンや、松果体、脳深部および色素胞などの眼外組織にも光受容細胞を備えており、視覚以外の光感覚に利用している。私はこれらの多様な光受容がどのようなメカニズムで実現しているかを明らかにすべく、ゼブラフィッシュをモデル生物として、(1)非視覚性の光生理現象として体色変化に着目した解析、ならびに(2)視覚を担う光受容細胞である桿体と錐体の比較研究を行った。

(1)ゼブラフィッシュ幼生における光依存的な体色変化

非視覚性の光生理現象としては、概日時計、瞳孔反射、光周性、そして体色変化などが良く知られている。マウスを用いた解析から、網膜神経節細胞に発現する視物質に類似したメラノプシンという非視覚型オプシンが、概日時計や瞳孔反射の光入力に重要な役割を担っていることが示されている。しかしながら、哺乳類は下等脊椎動物間で広く保存されている非視覚型オプシンの多くを失っており、下等脊椎動物がもつこれら多くの非視覚型オプシンがいったいどのような生理機能を担っているのかほとんど分かっていない。光生理現象の中でも、光依存的な体色変化は変温脊椎動物に広く見られる現象であり、色素胞の凝集・拡散反応により引き起こされる。近年の研究により光依存的な体色変化が視覚とは別の光入力経路を使う可能性が示唆され、非視覚型オプシンの生理機能の一つなのではないかと考えられた。そこで本研究では、非視覚型オプシンの出力候補として光依存的な体色変化に着目した解析を行った。

ゼブラフィッシュ幼生の体色変化の測定にあたって、「生きたまま」かつ「動かない」ように幼生を固定する条件を検討し、4%メチルセルロースと2%低融点アガロースの組み合わせで幼生を長時間生きたまま固定できることを見出した。この条件において光依存的な体色変化の測定を行った結果、体色変化のパターンが発生段階に応じて変化することを見出した(図1)。五日齢においては体色の白色化、つまり黒色素胞の凝集応答が観察された。これは成魚でみられる応答と同様のものであり、この応答は眼球を切除すると観察されなくなった。一方、二日齢においては体色の黒色化、すなわち黒色素胞の拡散応答が観察され、この応答は単離した尾部においても観察された。以上のことから、五日齢における光依存的な体色の白色化は眼球における光受容に制御され、二日齢における黒色化は脳神経系を必要としない、おそらく色素胞内在の光感受性に由来するものと考えられた。本研究において構築した体色変化測定系は、体色変化を制御する光受容分子の同定にむけて基礎となる成果であると考えられる。

(2)桿体と錐体の差異を生み出す分子メカニズムの解析

脊椎動物の網膜には桿体と錐体という2種類の視細胞が存在し(図2)、各々の生理的役割に応じて異なる光応答特性を示す。薄明視を担う桿体は、錐体に比べて光刺激に対する感度が高く、一方、昼間視を担う錐体は光応答からの回復が速いことが知られている。桿体が高感度であることはより暗い所で機能するために有利であり、錐体が高時間分解能であることは明るい所で素早い物の動きを捉えることに適していると考えられる。このように桿体と錐体の機能分化は、多様な光環境下において適切な視覚応答を示すために重要な役割を果たすと考えられるが、実際にどのような分子がこれらの差異を生み出すのかに関しては未だ明確な結論は得られていない。夜行性であるマウスの視細胞はほとんど(約97%)が桿体であり、桿体と錐体間の比較研究において必ずしも適したモデル生物とはいえない。そこで本研究では、桿体と錐体をほぼ同数もつゼブラフィッシュを用いて、桿体と錐体間の比較研究を進めた。

本研究では、桿体と錐体の光応答特性の差異を生み出す分子として、G蛋白質受容体キナーゼ(GRK)に着目して解析を行った。光によって活性化された光受容分子オプシンはGRKによるリン酸化を受け不活性化へと導かれる。近年、コイ網膜より単離した桿体と錐体の間で光活性化オプシンのリン酸化速度が比較され、錐体オプシンのリン酸化速度は桿体オプシン(ロドプシン)の20倍以上であることが報告された。また私が所属する研究グループの先行研究から、in vitroにおけるゼブラフィッシュの錐体キナーゼ (GRK7-1) の活性を桿体キナーゼ (GRK1A) と比較すると、32倍のVmaxを示すことが分かっている。このことから、「桿体と錐体におけるGRK活性の違いが、光応答性の違いに寄与する」可能性が高いと考えられた。そこで本研究ではこの仮説を検証するために、錐体キナーゼ(GRK7-1)を桿体に異所的に発現するトランスジェニックゼブラフィッシュ(GRK7-tg)を用いて、GRK7が桿体の光応答特性に与える影響を解析した。

まず吸引電極法を用いて桿体の単一細胞レベルにおける光応答を測定し、野生型とGRK7-tgの桿体の性質を電気生理学的に比較解析した。その結果、GRK7-tg桿体では、野生型の桿体に比べて光感度が約1/8に低下していることが分かった(図3)。このGRK7-tg桿体の「光感度の低下」は予想していた効果と一致し、GRK1と7の活性の違いは錐体と桿体の光感度特性に寄与すると考えられた。さらに、GRK7-1の桿体における異所的発現が個体レベルの視覚に影響を及ぼすかどうかを調べるため、視覚性眼球運動(optokinetic response, OKR)を指標にして解析を行った。従来の研究では、桿体に由来するOKR成分を測定した報告はなかったため、独自に測定条件の検討を重ねたところ、以下のような条件で桿体由来のOKR成分を測定できることがわかった。1)錐体経路の寄与を除くために、錐体が機能しない突然変異 (eclipse) をバックグラウンドにもつ個体を用いてOKR測定を行った。2)ゼブラフィッシュでは桿体経路に由来する網膜レベルの光応答がみられるのは21日齢以降であることから、21日齢の個体をOKR測定に用いた。これらの条件でOKR測定を行ったところ、OKRにおける眼球追随速度の光強度依存性が、GRK7-tg個体ではコントロール個体と比較してより明るい方向へとシフトしていることを見出した(図4)。個体レベルの視覚反応 (OKR) においてGRK7-tgがより明るい光条件で反応することは、GRK7-tg桿体の光感度が低下しているという細胞レベルでの結果と一致する。このことはまた、視覚の第一段階である視細胞レベルにおける光感度の差異が、視覚の光感度の差異に寄与することを示唆している。以上の結果から、錐体が桿体と比較してより明るい条件下において機能するための光感度調節に、GRK7が重要な役割を果たしていると考えられた。

桿体と錐体の差異を生み出す分子メカニズムに関する研究は、主に光情報伝達関連蛋白質群に着目して行われてきた。最近になり上述のGRKに関する私の研究以外にも、光受容分子やRGS9複合体の種類や発現量の差異が少しずつ光応答特性へ寄与することが報告された。しかしながら、これらの寄与はどれも小さく、全てあわせたとしてもそれだけでは桿体と錐体の光応答特性の大きな違いを説明することは難しい。光応答特性に寄与すると考えられるもう一つの要因として、細胞形態の差異が挙げられる。桿体と錐体はその名前からも分かる通り細胞形態の違いによって分類されており、特に、光シグナル伝達系が存在する「外節」と呼ばれる部分の形態は両者で大きく異なっている(図2)。細胞形態の光応答特性への重要性を示唆する例として、夜行性ヤモリの桿体が挙げられる。この桿体は錐体型の光情報伝達関連蛋白質群を発現するが、桿体様の細胞形態をもち桿体型の光応答を示す特殊な視細胞である。このように、桿体と錐体の光応答特性には光情報伝達関連蛋白質群の違いだけでなく、細胞形態を始めとした様々な差異が重要なファクターとして寄与する可能性がある。そこで私は、光受容細胞の機能分化を生み出す分子メカニズムの包括的な理解を目指し、光受容細胞タイプ間の遺伝子発現を網羅的に比較解析した。硬骨魚類の松果体光受容細胞は形態学的、生理学的に桿体や錐体と近縁、かつ原始的な光受容細胞であり、その細胞形態は錐体様である(図2)。桿体や錐体の遺伝子発現を松果体細胞とも比較することにより、視細胞に共通の特徴を抽出するとともに、桿体特有の細胞形態を生み出す因子を絞り込めると期待された。

まず、桿体特異的、錐体特異的および松果体細胞特異的にそれぞれEGFP(緑蛍光蛋白質)を発現するゼブラフィッシュ系統をスタート材料にしてFACS(Fluorescence Activated Cell Sorting)を行い、蛍光ラベルされた桿体・錐体・松果体細胞をそれぞれ分取した。これらの細胞から抽出したmRNAを用いてマイクロアレイ解析を行った(図5)。この解析から、光受容細胞タイプ間で発現量の異なる多くの新規遺伝子を同定しており、今後、光受容細胞の多様性を生み出す分子メカニズムの解明にむけて重要な知見を与えると考えられる。

図1 ゼブラフィッシュ幼生における光依存的体色変化

二日齢では光依存的に体色が黒色化し、五日齢では光依存的に体色が白色化する。

図2 光受容細胞の細胞形態の模式図

図3 トランスジェニック桿体の光感度

(A)吸引電極を用いた桿体光応答の測定

(B)野生型とGRK7-tg桿体の光応答における刺激強度と光応答強度の関係

図4 トランスジェニック個体における桿体経路の視覚機能の光感度

(A)OKRの測定系。白黒のドラムを回転させるとゼブラフィッシュ幼生はドラムと同じ方向へと眼球を動かす。

(B)眼球追随速度と光強度の関係

図5 光受容細胞タイプ間で発現量の大きく異なる遺伝子数のベン図

(プロープ数を表示)

審査要旨 要旨を表示する

脊椎動物は視覚の光受容細胞として、性質の大きく異なる2種類の視細胞(桿体と錐体)をもつ。これらに加え、網膜の高次ニューロンや、松果体、脳深部および色素胞などの眼外組織にも光受容細胞を備えており、視覚以外の光感覚に利用している。論文提出者は、遺伝学的モデル生物であるゼブラフィッシュを用いて、これら多様な光受容の分子機構について解析を行った。

本論文の第二章において、論文提出者は非視覚性の光生理現象として体色変化に着目した解析を行った。下等脊椎動物は視細胞以外に発現するオプシン型の光受容分子を数多くもつが、これらの非視覚型オプシンの生理機能はほとんど分かっていない。近年の研究により光依存的な体色変化が視覚とは別の光受容経路を使う可能性が示唆され、非視覚型オプシンの生理機能の一つなのではないかと考えられた。そこで論文提出者は、ゼブラフィッシュ幼生を「生きたまま」かつ「動かない」ように固定する方法を開発し、光依存的な体色変化の測定を行った。その結果、体色変化のパターンが発生段階に応じて変化することを見出した。特に、発生初期の応答は眼球を必要とせず、非視覚型オプシンの関与が示唆された。

本論文の第三章においては、論文提出者は視覚を担う視細胞である桿体と錐体の比較研究を行った。脊椎動物の網膜には、薄明視を担う桿体と明所で機能する錐体という2種類の視細胞が存在する。その光応答特性はそれぞれが担う視覚とよく符合し、桿体は高感度であり、錐体は高い時間分解能をもつ。論文提出者は、この光応答特性の差異を生み出す分子として、光受容分子の不活性化を制御するキナーゼGRK に着目して研究を進めた。先行研究において、錐体GRK(GRK7-1)の活性が桿体GRK(GRK1A)よりはるかに高いことが明らかとなった。このことから、論文提出者はGRK 活性が光応答特性に寄与すると考え、GRK7-1 を桿体に異所発現するトランスジェニック(GRK7-tg)系統の光応答解析を行った。まず、吸引電極法を用いて桿体の単一細胞レベルにおける光応答を測定し、野生型とGRK7-tg の桿体の性質を解析した。その結果、GRK7-tg 桿体では、野生型の桿体に比べて光感度が約1/8 に低下していることが判明した。さらに、GRK7-tg の個体レベルの視覚を調べるため、視覚性眼球運動(optokinetic response, OKR)を指標にした解析を行った。論文提出者は、錐体が機能しない突然変異 (eclipse) をバックグラウンドにもつ個体を用いることにより、桿体由来のOKR 成分を解析することに成功した。その結果、OKRにおける眼球追随速度の光強度依存性が、GRK7-tg 個体ではコントロール個体と比較して明るい方向へとシフトしていることを見出した。これらのことから、GRK 活性の違いが、桿体・錐体間の光感度を規定している可能性が示された。

本論文の第四章において論文提出者は、光受容細胞の差異を生み出す分子機構を理解すべく、光受容細胞間の遺伝子発現プロファイルを比較解析した。論文提出者はまず、トランスジェニック個体からEGFP ラベルされた桿体・錐体・松果体光受容細胞を蛍光セルソーターを用いて分取した。分取した細胞の遺伝子発現プロファイルをマイクロアレイにより比較した結果、光受容細胞間で発現量の大きく異なる遺伝子を新たに多数同定することに成功した。この解析から、硬骨魚類特異的な遺伝子複製により生じた遺伝子対のうち4対が、それぞれ桿体あるいは錐体特異的に発現するように機能分化していることが判明した。

脊椎動物における光受容システムの包括的な理解には、マウスに代表される夜行性げっ歯類だけでなく、下等脊椎動物を用いた解析が不可欠である。ゼブラフィッシュにおける体色変化や視細胞機能の測定方法を確立した本論文の成果は、光生理現象の分子解析において重要な基盤となるものである。また、光受容細胞における遺伝子発現情報は、光受容細胞の共通性や相違の理解に向けて基礎となる成果であり、当該分野の研究を大きく発展させ得ると期待される。

なお、本論文の第二章は小島大輔氏、深田吉孝氏との、第三章はFivosVogalis 氏、Jaakko Jarvinen 氏、Trevor Lamb 氏、河村悟氏、西脇優子氏、政井一郎氏、川上浩一氏、杉山純一氏、和田恭高氏、小島大輔氏、深田吉孝氏との、第四章は小島大輔氏、深田吉孝氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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