学位論文要旨



No 127825
著者(漢字) 山下,征輔
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシタ,セイスケ
標題(和) ヒトmicroRNA関連因子の結晶解析試料調製法の確立
標題(洋) Crystallographic sample preparation procedures of human microRNA-associated proteins
報告番号 127825
報告番号 甲27825
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5828号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 准教授 泊,幸秀
 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 准教授 程,久美子
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 准教授 石谷,隆一郎
内容要旨 要旨を表示する

miRNA経路の概略と本論文の構成

microRNA (miRNA)は21~25塩基の1本鎖RNAであり、相補的なmRNAに結合してその発現を抑制する(図1)。miRNAは前駆体として転写された後、Dicerなどの酵素によるプロセシングを経てArgonaute (Ago)に取り込まれる。Agoは取り込んだmiRNAによって標的mRNA上に移行し、TNRC6タンパク質を介して翻訳抑制因子をリクルートする。この過程は複数のタンパク質やRNAが結合・解離する動的な反応であるが、経路を正しく進行させる分子基盤には不明な点が多い。結晶構造解析は複合体の結合様式やそれに伴う構造変換を直接観察できる手法であり、このような課題に対して有効な手段となりうる。私はヒトmiRNA経路の主要因子であるhAgo2をメインターゲットとして結晶化試料の調製に取り組み、その手法を確立させた。またDicer、TRBPについても、それぞれ単体、およびDicer・TRBP複合体での調製に成功した。このうちTRBPのN末端側の二本鎖RNA結合ドメイン(double-stranded RNA-binding domain、 dsRBD)の結晶構造解析を行い、さらに全長および各ドメインについて生化学解析を行った。本論文ではこれらの成果を記す。

hAgo2の大量調製法の確立

hAgo2全長について当初は単独での精製を試みていたが、以下の課題により精製試料を得ることができなかった。まず、発現したタンパク質の多くが可溶性の凝集を形成しており、単量体として存在するhAgo2はごく一部であった。そのうえ、これらのタンパク質は培養細胞由来のRNAと強く結合しており、緩衝液による洗浄では除去することができなかった。カラムクロマトグラフィーにより、タンパク質と核酸を解離させるかあるいは核酸を含まないタンパク試料のみを分離回収する必要があったが、それに取り組むためにはhAgo2試料が少ないという状況であった。

そこでAgo2の発現量向上や安定化を期待して、相互作用するタンパク質との共発現を試みた。まずAgo2とDicerの2者共発現やAgo2とDicer、TRBPの3者共発現を行ったが全く改善が認められなかった。次に、TNRC6Bタンパク質と共発現させたところ、hAgo2の発現量が顕著に向上した(図2)。同時に培養細胞由来のシャペロンタンパク質であるHsp90、Hsp70の結合も大きく減少しており、複合体の構造解析を目指すにあたって良好な結果であると考えられた。

ただしこの共発現試料には、TNRC6BがhAgo2よりも少ないモル数しか含まれていなかった。またゲル濾過クロマトグラフィーによる解析から、複合体が部分的に解離していることがわかった。そこでTNRC6BとhAgo2を1本のポリペプチド、すなわち融合タンパク質として発現させた。融合タンパク質とすることで、2つのタンパク質を同じモル比で発現させることができ、加えてポリペプチド鎖が分離することを防ぐことができる。融合タンパク質をゲル濾過クロマトグラフィーで解析し、大部分が溶液中で単量体として存在していることを確認した。

多くのタンパク質試料を得られるようになったため、RNAを含まない試料の調製法を探索する段階に進むことができた。各種検討を進め、以下の手順により精製試料の調製に成功している。タンパク質は昆虫細胞で発現させ、ニッケルカラム精製で第一段階目の精製をした。透析により緩衝液中のNaCl濃度を下げた後、陰イオン交換カラムに通した。このとき、核酸を結合するものは陰イオン交換カラムに結合し、核酸を含まないもののみが素通り画分に回収される。引き続きヘパリンカラムとゲル濾過カラムにより高純度に精製した(図3)。TNRC6B-hAgo2はゲル濾過カラムにおいて単一のピークとして溶出され、結晶化に適切な試料であると考えられた。精製試料は限外濾過により濃縮し、最終的に2 Lの培養液から約0.9 mgのタンパク質を得ることができた。調製した試料についてRNAとの結合など生化学的性質を確認しており、近い将来の構造解析が可能であると考えている。

このほかmiRNA因子としてDicer、 TRBPについてもそれぞれ大量発現系を構築し、単体およびDicer・TRBP複合体として大量調製に成功している。こちらもタンパク質試料の結晶化や、RNAとの複合体としての結晶化が期待される。

TRBPの機能・構造解析

TRBPは3つのdsRBDから構成されるタンパク質である。Dicerに結合してその安定性や酵素活性を向上させるほか、Ago2のRNA取り込みに関与する可能性も示唆されている。1つめと2つめのdsRBD (dsRBD1とdsRBD2)がRNA結合能を持ち、3つめのdsRBDはDicerとの結合領域として機能することが報告されている。しかしそれぞれのdsRBDの詳細な活性や、dsRBDを2つ持つ理由についてはよくわかっていない。今回私は結晶構造解析から、dsRBD1の立体構造を明らかにした。また、既に我々の研究グループにおいてdsRBD2のNMR構造が解かれていた。従って、dsRNAとの結合に関わるdsRBDの構造を2つとも得ることができた。そこでまずdsRBD1の構造について考察し、次に各dsRBDおよび全長TRBPについて生化学解析を行った。

dsRBD1は一般的なdsRBDフォールドを取っており、また予想されるRNA結合残基も保存されていた。そのため他のdsRBDと類似の様式によりRNAと結合すると考えられた。実際に各種変異体を用いたRNA結合実験を行い、dsRBD1の結合モデルと矛盾しないことを確認した。

次に等温滴定カロリメトリー(ITC)の手法により、各種TRBPコンストラクトと21 nt siRNAとの親和性を定量的に測定した (図4)。siRNAとの解離定数はdsRBD1のドメイン断片が220 nM、dsRBD2のドメイン断片113 nMであり、いずれのdsRBDも1分子のsiRNAに対して約2分子結合した。すなわち、多少の親和性の差はあるものの両者はほぼ同様の活性を持つことがわかった。またTRBP全長の、dsRBD1、dsRBD2の一方を変異させたタンパク質も同様の結合パターンを示したことから、各dsRBDは他の領域に妨げられずsiRNAに結合することが示された。一方、野生型の全長TRBPタンパク質とdsRBD3の欠損変異体は1:1の結合比にて、1 nM以下の結合定数という強い結合能を示した。これらの結果から、全長TRBPはdsRBD1とdsRBD2が同時に一分子のsiRNAに結合することで高い親和性を発揮していることがわかった。

ITC測定の結果は、TRBPが単量体としてsiRNAに結合することを示唆していた。一方で、TRBPは二量体を形成するという報告がなされていた。そこで分析超遠心により会合状態を調べた。その結果、TRBPは54 μMの平衡定数で、単量体と二量体の平衡にあることがわかった。ITC測定はおよそ1 μM程度のタンパク質濃度で行ったため、単量体としてsiRNAに結合したという結果は適切であるといえる。また生体内においても二量体化の寄与は大きくないと予想される。このほか、アミノ酸配列の比較から、dsRBD2のループ部位にdsRBD1に含まれないトリプトファン残基があることを見出した。立体構造を確認したところ、この残基の側鎖はタンパク質内部へ埋め込まれるように存在し、周囲の残基と疎水性相互作用を形成していた。そのためドメインの構造安定化に寄与していると予想し、変異体実験により確認した。

図1. miRNA経路の概略

miRNAはArgonauteと結合して、標的mRNAの遺伝子発現を阻害する。

図2. TNRC6BとhAgo2の共発現実験

(A)ホニュウ類細胞で発現させ、アフィニティ精製した試料のSDS-PAGE染色図. (B)hAgo2安定化のイメージ図.

図3. TNRC6B-hAgo2の大量調整

TNRC6B-hAgo2融合タンパク質のゲル濾過カラム精製における(A)紫外吸光チャートと(B)SDS-PAGE染色図

図4. TRBP dsRBDの立体構造とRNA結合実験の結果

(A) TRBPのドメイン構成と, 各コンストラクトのITC測定の結果

(B) dsRBD1, dsRBD2の立体構造と RNAとの結合モデル

審査要旨 要旨を表示する

本論文は第1章(序章)、第2章、第3章、第4章(総合討論)の4章から構成されている。

第1章では、本論文で行った研究の背景と目的を記載している。まず、microRNA(miRNA)による遺伝子制御機構に関して概説し、これまでの研究の歴史と背景を解説している。そして、miRNA経路における、様々なタンパク質因子間の複合体形成の重要性を踏まえ、その構造基盤の理解のためにはX線結晶構造解析や、その前段階としての結晶化試料の調製が重要であることを提起している。

第2章では、主要なヒトmiRNA関連タンパク質のうち、hAgo2、hDicer、TRBPについて結晶構造解析に向けた試料調製法を記述している。特にhAgo2は、miRNAに直接結合するなどmiRNAによる遺伝子抑制に中心的な役割を果たすタンパク質であるにもかかかわらず、これまでに全長の立体構造は報告されていない。これはおそらく、タンパク質が凝集しやすいことや、核酸と強固な結合をすることなどhAgo2の性質の悪さによるものであると考えられる。しかし論文提出者は、相互作用する因子であるTNRC6タンパク質と複合体を形成させることにより安定性を向上させ、さらに核酸を含まない一部の試料のみを回収するというストラテジーによって、均一な試料の大量調製が可能となることを示している。

第3章では、TRBPタンパク質のN末端側の2本鎖RNA結合ドメイン(dsRBD)のX線結晶構造解析と、その構造情報に基づいて行われたTRBPの全般的な生化学的解析の結果について述べている。TRBPには、本論文で立体構造が報告されているdsRBDとは別に、もう一つRNA結合活性を持つdsRBDが存在し、その立体構造は論文提出者らのグループにより明らかにされている。論文提出者は、この2つのdsRBDの立体構造について考察するとともに生化学的実験を行い、いずれも同様の立体構造やRNA結合活性を持つことを示した。さらなる解析からこの2つのdsRBDは全長タンパク質において、同時に1分子のRNAに結合するという協働的な活性を持つことも明らかにしている。

第4章では、第2章で行った組み換えタンパク質の調製法の確立と、第3章でのTRBPの機能・構造解析の二つの結果を踏まえた議論を展開している。調製法の検討過程で得られた知見や機能解析、構造解析の結果に基づいて、miRNA経路における未解明の課題について幅広く考察するとともに、今後解析を行うための具体的な手法についても述べている。

本論文に記載された一連の研究は、miRNA経路のメカニズムに具体的な知見をもたらしたと同時に、今後種々のmiRNA因子の構造解析に大きく貢献することが期待されるものでもある。特にこれまでhAgo2の大量調製が困難であったことは、ヒトのmiRNA経路を解析する際の律速とも言える課題であった。本研究においてはその解決法が示されており、当該分野の発展に向けて大きな意義を持つと評価する。また、論文提出者は当該分野における包括的知識と議論の能力を十分に有していると判断する。論文は全体にわたり、平易で明快な文章により記述されている。

なお、本論文の第3章は永田崇(京都大学特任助教)、川添将仁(理化学研究所リサーチアソシエイト)、竹本千重(理化学研究所上級研究員)、木川隆則(理化学研究所チームリーダー)、Peter Guntert(ゲーテ大学教授)、小林直宏(大阪大学研究員)、寺田貴帆(理化学研究所上級研究員)、白水美香子(理化学研究所上級研究員)、脇山素明(理化学研究所上級研究員)、武藤裕(理化学研究所チームリーダー)、横山茂之(東京大学教授)らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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