学位論文要旨



No 127833
著者(漢字) 野澤,佳世
著者(英字)
著者(カナ) ノザワ,カヨ
標題(和) 遺伝暗号翻訳マシナリーの構造基盤の解明
標題(洋) X-ray crystallographic analysis of translational machinery
報告番号 127833
報告番号 甲27833
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5836号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 濡木,理
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 准教授 泊,幸秀
 東京大学 教授 黒田,玲子
内容要旨 要旨を表示する

背景

生体内において、遺伝暗号翻訳の正確性は、アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)がtRNAに特異的なアミノ酸を付加させることによって保たれている。L字型立体構造をしたtRNAはmRNA上のコドンとアミノ酸を対応させるアダプターとして働き、そのアンチコドンでコドンと塩基対を形成し、CCA末端にaaRSが付加した特異的なアミノ酸を結合している。通常、遺伝情報を規定する64種類のコドンはそれぞれ、20種類のアミノ酸をコードしており、対応するtRNAもaaRSも存在しない3つの終止コドンUAG(amber)、UGA(opal)、UAA(ochre)においては翻訳反応が終結する。しかし非常にまれに、これらの終止コドンはサプレッサーtRNAと呼ばれる特殊なtRNAによってアミノ酸へと読み替えられる(リコーディング)。メタン古細菌と一部の真正細菌に存在する22番目のアミノ酸ピロリジン(Pyl)は、amber終止コドンにコードされる例外的なアミノ酸であり、専用のaaRSであるピロリジルtRNA合成酵素(PylRS)によってサプレッサーtRNAPylに直接転移され、翻訳される(図1)。このことからPylRSは、終止コドンに対応するtRNAを認識し、そこに嵩高いPylを転移させるaaRSとしては他に例を見ない酵素と言える。また興味深いことに、そのtRNAPylもtRNAの共通配列の多くを欠いており(Theobald-Dietrich et al., 2004, Watanabe et al., 1994)、これまでにこのように終止コドン翻訳のために構造全体が特殊化したサプレッサーtRNAの構造は報告されておらず、こうした特殊なtRNAがどのようにしてPylRSに認識され、リボソームで機能するかは不明だった。近年、PylRSを利用して天然には存在しない全く新しいアミノ酸(蛍光ラベルや光クロスリンク修飾を受けたアミノ酸)をタンパク質に組み込み、工学や医学に有用な人工タンパク質を合成する試みが行われている(Mukai et al., 2008)。こうしたタンパク質工学にとっても、PylRSが他のアミノアシル化反応に干渉せず終止コドンに直接アミノ酸を導入できる機構(直交性の機能)の解明が、長い間待たれていた。

DhPylRS・DhtRNAPyl複合体のX線結晶構造解析と機能解析

本研究では、aaRSの中でも最小単位長(288アミノ酸)にあたる真正細菌Desulfitobacterium hafniense 由来PylRS(DhPylRS)とtRNAPyl(DhtRNAPyl)をターゲットとして、その単体構造、DhtRNAPylとの複合体構造をそれぞれ2.5 A、3.1 Aの分解能で決定した(図2)。結晶構造中でDhPylRSは二量体を形成しており、それぞれの分子がDhtRNAPylを認識していた。特記すべきことにDhPylRS・DhtRNAPyl間の結合の多くは、塩基性側鎖とtRNAのリン酸骨格の間に形成された広範囲な非特異的静電相互作用であり、aaRSのtRNA認識アイデンティティーであるアンチコドンの認識はなく、通常見られる塩基特異的な相互作用もほとんどなかった。複合体を構成するDhtRNAPylを見てみると、驚くべきことに、特殊な配列を持つにもかかわらず、DhtRNAPylはリボソームで働きうるL字型構造とアクセプター、アンチコドンの位置関係を保障しつつ、異常にコンパクトなコア構造を持っていた(図3)。DhPylRSはこのDhtRNAPylのコンパクトなコア構造にぴったりとはまり込むように結合することで、形状相補的にサプレッサーtRNAPylを他のtRNAから識別していることが示唆された。DhtRNAPylはこの特徴的なコア構造を作り出すために短いDループ、可変ループ、TψCループを密にフォールディングさせると同時に、1塩基対長いアンチコドンステムを持つことで、高次構造上でアンチコドンが引き上げられてしまうのを埋め合わせていた。こうしてDhtRNAPylは普遍的なtRNAとして機能するための構造と他のアミノアシル化反応に干渉しない直交性を生み出す特徴的な構造を併せ持っていた。また、通常aaRSはtRNAのアクセプターステムを副溝側から認識するクラスI aaRSと主溝側から認識するクラスII aaRSに分けられるが、DhPylRSはそのどちらとも異なり、コア領域に沿って正面からtRNAを結合していた(図4)。このことから、DhPylRSは塩基特異的な相互作用をほとんど伴わずにtRNAを正面から結合することで、最小単位長で機能する、aaRSとしては全く新規な酵素であることが示唆された。また本研究では最終的に、構造解析に用いたDhPylRSがin vitro、in vivoにおいて直交性を持って機能することを検証した。in vitroにおけるアミノ酸転移実験では、DhPylRSは他のセンスコドンに対応するtRNAが存在している条件であってもDhtRNAPyl特異的にアミノ酸転移反応を行うことが示唆された。加えて、トリプトファン合成酵素遺伝子(TrpA)にアンバー終止コドンを導入して作成した大腸菌の遺伝子欠損株の生育をDhPylRS、DhtRNAPyl遺伝子で相補させたin vivo アミノ酸転移実験においてもDhPylRSは生体内で問題なく機能することが確かめられた。以上の実験結果から、DhPylRSは形状相補的にサプレッサーDhtRNAPylを認識することで直交性を維持して機能していることが明らかとなった(Nozawa et al., 2009)。

背景

一方、すべての真核生物において遺伝暗号をタンパク質へ変換するtRNAは、核膜で隔てられた転写と翻訳の過程を空間的にリンクさせる分子でもある。ゲノムから転写されたtRNAは、核内でプロセシング、化学修飾、アミノ酸の付加を受けて成熟し、RanGTPase/Gsp1pとカップルしたexportin-t(酵母ではLos1p)やexportin-5(酵母ではMsn5p)といった専用の核外輸送体の働きで、細胞質のタンパク質合成系に送られる(図4)。しかしこの時、Los1pはtRNAのプロセシングやアミノ酸の有無に関係なく翻訳に不完全なtRNAをも輸送してしまうことが示唆されている(Steiner-Mosonyi and Mangroo, 2004)。近年の研究により、酵母のCex1pは核外輸送体からアミノアシル化されたtRNA(aa-tRNA)を特異的に受け取り、翻訳伸長因子eEF-1αに受け渡すチャネリング機構を担うことが示唆された(Mcguire and Mangroo, 2007)。これはtRNAの核外輸送の過程で転写後、成熟したaa-tRNAだけが選択されて翻訳のマシナリーに運ばれる正確性の機構の中でCex1pが重要な役割を果たしていることを示唆している。また、高等真核生物におけるCex1pのホモログはテロメラーゼの発現制御(Zhao et al., 2005)や有糸分裂における中心体の分配(Gong et al., 2009)、脳神経タンパク質のネットワーク形成(Scmidt et al., 2007)など多岐にわたる高次生命現象に関わっている点で非常に重要である。

Cex1pのX線結晶構造解析と機能解析

本研究ではプロテアーゼによる限定分解、生物種間の相同性を指標にCex1pのディスオーダー部分を除去し、表面に露出したフレキシブルな残基に変異を導入するSurface Entropy Reduction法を用いることで、その構造を2.3Åの分解能で決定した(図5)。構造解析からCex1pはキナーゼ様ドメインとhelix-loop-helixが帯状に6回連なったHEATリピートで構成されていることが明らかとなった。既知構造との構造類似性の比較からCex1pのキナーゼ様ドメインは受容体チロシンキナーゼの一つRETキナーゼ(Knowles et al., 2006)と似たコンフォメーションをとることが示唆されたが、Cex1pのキナーゼ様ドメインは自己リン酸化に必要なAループとATP結合ポケットを欠いており、不活性であることが示された。また、Cex1p を構成するHEATリピートはタンパク質間の相互作用に重要なモチーフであり、Cex1pの表面電荷を見てみると、この領域が正電荷を帯びたパッチを形成していた。こうした構造は多くの核外受容体のtRNAの結合部位にも見られる特徴であり、Cex1p変異体を用いたtRNA結合実験からもその重要性が示唆された。これらの研究結果から、Cex1pがHEATリピートを用いてtRNAのチャネリングを行う可能性が示唆された。

図1 Pyl 翻訳過程の模式図

図2 DhPylRS・DhtRNAPyl複合体の結晶構造

図3 tRNAPheとDhtRNAPylのコア構造

図4 PylRSによるtRNAPylの認識

図4 tRNAの核外輸送模式図

図5 Cex1pの全体構造

審査要旨 要旨を表示する

本論文は全七章から構成され、終止コドンにコードされるピロリジンの翻訳を担うPylRS・tRNAPyl複合体とtRNAの核外輸送に関係する因子、Cex1pの構造機能解析について述べられている。第一章は、全体のイントロダクションであり、第二章では、酵素PylRSの大腸菌での発現系の構築とそのX線結晶構造解析について述べられている。第三章では、in vitro 転写法を用いたtRNAPylの調製と、PylRS・tRNAPyl複合体の結晶化、構造解析について述べられており、第四章では、PylRSの生体内・生体外におけるアミノ酸付加活性の検証実験について記述されている。第五章からは、Cex1pに関する研究が記述されており、本章ではCex1pのプロテアーゼによる限定分解や変異体調製、ゲル中での結晶化など、構造決定に至るまでの数々の結晶化トライアルについて述べられている。第六章では、Cex1p変異体に対するtRNAのゲルシフトアッセイやX線小角散乱によるCex1p・tRNA複合体の溶液構造の決定など、Cex1pのtRNA認識機構に関する生化学実験が書かれている。そして、最終章である第七章では、構造解析の知見と先行研究をもとに行われたPylRSの進化に関する考察とtRNAのアミノアシル化に依存したCex1pの機能の考察が記述されていた。本研究では生命の設計図、遺伝子DNAからタンパク質が作られる営みの中で終止コドンをアミノ酸に読み替えることができるPylRS・tRNAPyl複合体の分子構造を可視化している。特に、このtRNAPylは終止コドン翻訳のためにその配列が他のアミノ酸に対するtRNAと著しく異なっており、本研究により初めて、その特殊なtRNAの三次構造が明らかとなった。また近年、このPylRS・tRNAPyl複合体を用いて遺伝暗号を終止コドンに拡張し、非天然アミノ酸を人工タンパク質に組み込む試みがなされており、こうしたタンパク質工学においても、この成果は大きな手助けになるものと期待される。一方、真核生物においてtRNAは段階的にプロセシングを受けて成熟し、最終的にアミノ酸の付加を受けて細胞質の翻訳系に運ばれるが、Cex1pはこの過程でtRNAのアミノ酸の有無を見極め、核外輸送とカップルさせるセンサーとして働く。こうしたtRNAの核外輸送は翻訳効率を制御し、細胞の恒常性を維持するために非常に重要な機構である。加えて、高等真核生物におけるCex1pホモログはテロメラーゼの発現制御や脳神経タンパク質のネットワーク形成等に関わる構造未知の因子である。以上のようなメカニズムの解明において、本研究で得られた構造生物学的知見は価値ある知見をもたらすものと期待される。

なお、本論文の第四章は、Yale大学Dieter Soll教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験のストラタジーを考え、サンプルを調製し、データの解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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