学位論文要旨



No 127834
著者(漢字) 疋田,泰士
著者(英字)
著者(カナ) ヒキダ,ヤスシ
標題(和) T7 RNA ポリメラーゼによる人工塩基対転写機構の結晶学的および生化学的研究
標題(洋) Crystallographic and biochemical studies on unnatural base-pair transcription by T7 RNA polymerase
報告番号 127834
報告番号 甲27834
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5837号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 准教授 石谷,隆一郎
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨 要旨を表示する

生物は複製・転写・翻訳といった遺伝情報伝達のシステムに4文字2対の塩基アデニン, シトシン, グアニン, チミン (ウラシル) を使っている。この文字数を拡張し、第5、第6の塩基(非天然塩基対)を人工的に作り出すことで遺伝情報伝達のシステムを6文字3対にする研究が行われている。例えば、人工塩基対Ds (7-(2-チエニル)-イミダゾ[4,5-b]ピリジン)とPa (ピロール-2-カルバルデハイド)やs (2-アミノ-6-(2-チエニル)プリン)とPaなどが開発されている。 Ds-PaペアはPCRで機能し、転写が可能である。 s-Paペアは転写が可能で、蛍光性人工塩基sをRNAの部位特異的に導入することができる。しかしながら、これら複製や転写の系において人工塩基がどのように働いているかの構造的な知見は未だ明らかになっていない。本研究では人工塩基対を用いた転写に注目した。

第1章では人工塩基対のシステムを用いて部位特異的に機能性塩基を導入するプロトコルを記述し、tRNAPheに蛍光性人工塩基sを導入する実験と結果を記載した。RNAの特定部位に蛍光プローブを導入する手法は、RNA分子の局所的な構造変化を蛍光強度変化から解析する上で強力なツールとなる。この章では、人工塩基対s と Paを用いて部位特異的にRNAへ蛍光プローブを導入するプロトコルを記述した。このプロトコルは、1. Paを含むDNAの調製、2. 転写による蛍光性塩基sの部位特異的導入、3. 転写産物の精製、4. 転写産物の解析、の4部で構成されている。人工塩基sは強い蛍光を持ち、そのヌクレオシド三リン酸(sTP)は、T7 RNA ポリメラーゼによる転写において、鋳型DNAに含まれる人工塩基Paの向かいに部位特異的に導入される。人工塩基sの蛍光強度は周囲の環境によって変化するため、RNA分子の局所的な構造変化を知ることができる。この方法は転写によるRNAへの部位特異的な蛍光ラベル導入プロトコルであり、本プロトコルの人工塩基sを含むRNAの転写・精製は2-3日で行うことができる。通常のT7 RNAポリメラーゼによる転写時に用いる材料以外に必要となる、人工塩基Paを含むDNAやsTPは、2011年12月現在、オリゴハウス(Glen Research、日本テクノサービス、ジーンデザイン等)や基盤技術の「人工塩基対システム」の普及・開発に取り組んでいるタグシクス・バイオ株式会社から購入可能である。人工塩基Paを含む鋳型DNAをT7 RNA ポリメラーゼで転写することで、人工塩基sを含むtRNAを作成し、sの蛍光性から、温度上昇やMgイオン濃度変化に伴うtRNAの局所的な構造変化の影響として蛍光強度の変化を観測した。

第2章ではT7 RNAポリメラーゼの転写伸長複合体構造のX線結晶構造解析について記述した。T7 RNA ポリメラーゼは転写酵素として広く分子生物学研究において利用されており、人工塩基対システムの研究においても代表的な転写酵素として用いられている。T7 RNA ポリメラーゼ自体の研究も深く行われており、RNA伸長反応における結晶構造解析ではRNAが1塩基延びる過程における4つの構造が報告されている。このRNA伸長反応において人工塩基や取り込みの塩基の構造学的基盤の解析をするために、3種の鋳型DNAと3種のNTPアナログを用いて、転写伸長複合体を形成させ、結晶化し構造解析を行った。反応時に鋳型とマッチするNTP取り込み時およびミスマッチするNTP取り込み時の構造解析、計6種類の結果を得た。鋳型とマッチするNTPを取り込む時、解析した電子密度では、取り込まれるNTPの塩基部分に相当する電子密度が「鋳型となる塩基と対形成している場所」と「伸長中のRNA3'末端の塩基にスタックする場所」の2箇所に存在していた。一方、鋳型とマッチしないNTPを取り込む時はNTPの塩基部分の電子密度は「伸長中のRNA3'末端の塩基にスタックする場所」のみに存在しており、「鋳型となる塩基と対形成している場所」には電子密度は存在しなかった。これは塩基対形成に水素結合を用いない人工塩基対DsとPaの組み合わせでも同様であった。RNA3'末端にNTPがスタックしている状態では伸長反応が進まないため、「鋳型となる塩基と対形成している場所」に塩基が存在する構造をとらずに「伸長中のRNA3'末端の塩基にスタックする場所」に塩基が存在する構造をとるミスマッチの塩基では反応が進みにくく、鋳型にマッチする塩基の選択に寄与していると考えられる。

本研究では人工塩基対を用いた転写の系に着目して、生化学的・結晶学的側面から人工塩基対について議論した。人工塩基対を用いてRNA (DNA)に機能を持たせ、構造と機能解析の研究へ利用する事は今後発展していくとともに、人工塩基対の研究を通して、生命システムにおける塩基の特徴への理解がより深まると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は序章、第1章、第2章、総合討論の4章から構成されている。

序論では、本論文で行った研究の背景と目的を記載している。まず、人工塩基対に関して概説し、複製転写翻訳における人工塩基対の歴史と背景を解説している。転写酵素T7 RNAポリメラーゼの構造に関する研究の歴史と重要性を踏まえ、本論文の主対象となっている、人工塩基対の系における転写について、構造基盤の理解のためにはX線結晶構造解析が重要であることを提起している。

第1章では、人工塩基対のシステムを用いて部位特異的に機能性塩基を導入する系を記述し、tRNAPheに蛍光性人工塩基s (2-アミノ-6-(2-チエニル)プリン)を導入する実験と結果を記載している。RNAの特定部位に蛍光プローブを導入する手法は、RNA分子の局所的な構造変化を蛍光強度変化から解析する上で強力なツールとなり、この章では、人工塩基対s と Pa (ピロール-2-カルバルデハイド)を用いて部位特異的にRNAへ蛍光プローブを導入している。この章は、1. Paを含むDNAの調製、2. 転写による蛍光性塩基sの部位特異的導入、3. 転写産物の精製、4. 転写産物の解析 の4部で構成されている。人工塩基sは強い蛍光を持ち、そのヌクレオシド三リン酸(sTP)は、T7 RNA ポリメラーゼによる転写において、鋳型DNAに含まれる人工塩基Paの向かいに部位特異的に導入される。人工塩基sの蛍光強度は周囲の環境によって変化するため、RNA分子の局所的な構造変化を知ることができる。人工塩基Paを含む鋳型DNAをT7 RNA ポリメラーゼで転写することで、人工塩基sを含むtRNAを作成し、sの蛍光強度の変化を観測し、Mgイオン濃度や温度変化によるtRNAの局所的な構造変化について考察している。

第2章では、T7 RNAポリメラーゼの転写伸長複合体構造のX線結晶構造解析について述べている。人工塩基を含め、3種の鋳型DNAと3種のNTPアナログを用いて、転写伸長複合体を形成させ、計6種類の構造を決定している。解析した電子密度マップにおいて、正しい塩基が取り込まれるときは、取り込まれるNTPの塩基部分に相当する電子密度が「鋳型となる塩基と対形成している場所」と「伸長中のRNA3'末端の塩基にスタックする場所」の2箇所に存在していることを示している。一方、ミスマッチ塩基が取り込まれる時は、取り込まれるNTPの塩基部分に相当する電子密度が「伸長中のRNA3'末端の塩基にスタックする場所」のみに存在していることを示している。その結果から転写伸長反応における新規構造を発見し、既存の転写メカニズムを改良した新たなメカニズムを提唱している。

総合討論において、第1章で行った人工塩基対の転写と第2章での人工塩基対の転写における転写伸長複合体の構造解析の二つの結果を踏まえた議論を展開している。解析した、天然の塩基を用いた転写時の構造と人工塩基を用いた転写時の構造を基に、人工塩基周辺に着目し、タンパク質側のアミノ酸残基の位置関係を比較している。その結果、人工塩基の形が、タンパク質側の側鎖に影響を与えないような人工塩基が、転写において天然の塩基と同様に振舞うために必要であることを示唆している。また、これらのことが新たな人工塩基の設計へとつながることを述べている。

本論分に記載された一連の研究は、新たな転写反応メカニズムの発見、人工塩基対転写の構造基盤の解析という二つの側面を持つ。これらの結果は人工塩基対のシステムを構築する基盤となるとともに、人工塩基対の研究を通して生物本来の持つ普遍的なメカニズムの理解を深め得る事を示している。以上のことから本研究は当該分野の発展に向けて大きな意義を持つと評価する。また、論文提出者は当該分野における包括的知識と議論の能力を十分に有していると判断する。論文は全体にわたり、平易で明快な文章により記述されている。

なお、本論文の第1章は横山茂之(東京大学教授)、平尾一郎(理化学研究所チームリーダー)、木本路子(理化学研究所研究員)らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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