学位論文要旨



No 127836
著者(漢字) 山﨑,崇裕
著者(英字)
著者(カナ) ヤマザキ,タカヒロ
標題(和) マウス嗅覚系における嗅球前後軸に沿った神経地図形成の分子機構
標題(洋) Topographic map formation along the anterior-posterior axis in the mouse olfactory bulb
報告番号 127836
報告番号 甲27836
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5839号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 准教授 眞田,佳門
 東京大学 教授 多羽田,哲也
内容要旨 要旨を表示する

脊椎動物の神経系では、外界からの情報は末梢神経系細胞で受容された後、軸索を通して伝達され、その投射先において二次元の神経地図を形成する。この神経地図は、生物が外界の情報を受容し、情報処理を行い、行動を起こすための構造的基盤であることから、神経地図形成機構の解明は生物学的に重要な意味をもつ。

マウス嗅覚系において、嗅上皮に存在する嗅細胞は、約1,000種類ある嗅覚受容体の中から相互排他的に一種類のみを発現し、空気中の匂い分子を検出する。また、同じ種類の受容体を発現する嗅細胞の軸索は投射先である嗅球において収斂し、一対の糸球構造を形成する。その結果、嗅上皮で受容された匂い情報は、嗅球表面において糸球の発火パターンとして二次元の情報に変換される。嗅上皮において散在している嗅細胞は、発現する嗅覚受容体の種類によって固有のcAMPシグナル強度を持つと考えられ、cAMPシグナルの弱い軸索は嗅球の前方へと投射し、cAMPシグナルの強い軸索は嗅球の後方へと投射する。このように、嗅細胞は嗅上皮において散在しているが、細胞が生み出す固有のcAMPシグナル強度によって軸索投射位置が嗅球前後軸に沿って変化する。さらに、cAMPシグナルの強い嗅細胞ほど軸索ガイダンス分子であるNeuropilin1(Nrp1)の発現量が高いことから、cAMPシグナルの強度は、転写制御を介して、Nrp1の発現量に変換されると考えられた。しかしながら、嗅球前後軸に沿った軸索投射位置決定に、Nrp1自身が関与しているかどうかはわかっておらず、さらには、どのような分子機構で嗅球の前後軸に沿った位置が決定されるかについては明らかとなっていなかった。本研究では、Nrp1と、そのリガンドであるSemaphorin3A(Sema3A)に着目し、嗅球前後軸に沿った軸索投射機構について解析を行った。

まず、嗅球前後軸に沿った軸索投射について、Nrp1が機能しているかどうかを解析するために、Nrp1のgain-of-function/loss-of-functionの実験を行った。嗅覚受容体I7を発現するの嗅細胞において、Nrp1の発現量を変化させたマウスを作製し、それらの軸索の投射位置を解析したところ、Nrp1の発現量を増やすと投射位置は嗅球の後方へシフトし、Nrp1の発現量を減らすと糸球は嗅球の前方へシフトした。これらの結果から、嗅球の前後軸に沿った軸索投射位置決定においてNrp1が機能していることを示すことができた。

ではどのような分子機構で嗅球前後軸に沿った軸索投射位置が決定されるのだろうか。これまで、視覚系における研究から、軸索が投射先における軸索ガイダンス分子を認識することで神経地図が形成されると考えられてきた。しかしながら驚くべきことに、投射先である嗅球のない変異マウスを解析したところ、嗅上皮から伸びてきた軸索は、本来嗅球があるべき場所において軸索の塊(軸索塊)を形成し、その中で嗅球前後軸に沿った投射位置を反映するようにNrp1の発現量にしたがって軸索が選別されていた。さらには、WTマウスにおいて、嗅上皮から伸びてくる軸索は寄り集まって軸索束を形成し、嗅球へ到達する前の軸索束の段階で投射先を反映するように軸索が選別されていることが判明した。以上の結果は、投射先に依存しない神経地図形成機構があることを示唆するものである。

そこで、軸索が嗅球へ到達する前の軸索束における軸索の選別機構について解析を進めた。嗅球へ到達する前の軸索束においても、軸索はNrp1の発現量にしたがって選別され、Nrp1の発現量の多い軸索は軸索束の外側(outer-lateral)に選り分けられ、Nrp1の発現量の低い軸索は内側に選り分けられていた。さらに、特定の嗅細胞においてNrp1の発現量を変化させたときの軸索束内における選別の様子を観察したところ、通常外側(outer-lateral)へ選り分けられる軸索が、Nrp1の発現量がなくなると、Nrp1陰性の軸索領域である内側(central)へと選り分けられた。逆に、通常内側(central)へ選り分けられる軸索が、Nrp1の発現量が増えると、外側(outer-lateral)へと選り分けられた。以上の結果から、Nrp1の発現量にしたがった軸索選別にはNrp1自身が機能していることが明らかとなった。このNrp1発現量に依存した軸索の選別が、結果として嗅球の前後軸に沿った軸索投射位置に反映するものと考えられる。

次に、Nrp1依存的な軸索選別・軸索投射において、Nrp1のリガンドである分泌型タンパク質Sema3Aが関与しているかどうかについて解析を行った。Nrp1を発現する神経細胞の軸索末端は、Sema3Aに対して反発的に応答するということが、in vitroの実験から示されている。Sema3A KOマウスを解析したところ、Nrp1の発現量にしたがった軸索の選別がなくなり、Nrp1陽性軸索が嗅球の前方へ投射するなどの異常が観察され、前後軸に沿った軸索投射パターンが乱れることがわかった。これらのことから、Nrp1依存的な軸索選別と前後軸に沿った軸索投射機構には、Sema3Aが必要であるということが判明した。さらに、嗅細胞におけるRT-PCR、定量的PCRなどによる詳細な発現解析から、Sema3AはNrp1の発現量が低い(ない)嗅細胞において発現している傾向が観察された。Sema3Aを発現する細胞の軸索を可視化するためのBACトランスジェニックマウスを作製し、その軸索束を観察すると、Nrp1陽性軸索とSema3A陽性軸索とが選別されていた。これらの結果から、Nrp1とSema3Aは嗅細胞において相補的に発現しており、軸索の選り分けにおいてNrp1-Sema3Aを介した反発的な相互作用が働いている可能性が考えられた。

このモデルを検証するために、嗅細胞特異的にSema3Aをノックアウトしたマウスを作製し、軸索選別・軸索投射について、どのような異常が見られるかを解析した。すると、軸索の選別においては、依然Nrp1の発現量にしたがった大まかな選別は維持されはするものの、Nrp1を発現する軸索が軸索束の内側へと侵入してくるという異常が観察された。Nrp1陽性軸索とNrp1陰性(Sema3A陽性)軸索との間において働いていたNrp1-Sema3Aを介した反発的な相互作用がなくなることで、軸索束外側のNrp1陽性軸索が内側の領域へと進入したものと考えられた。さらに軸索の投射位置についても、嗅細胞特異的Sema3A KOマウスでは、WTのマウスに比べて糸球の位置が前方へシフトするという結果が得られた。嗅細胞において発現するSema3Aが軸索間の相互作用以外においても機能している可能性はあるものの、軸索束内における変化と相関した変化が投射先において観察されたことから、軸索間の相互作用が軸索投射位置決定に影響を及ぼすものと考えられる。

Sema3A KOマウスにおいては、Nrp1発現量にしたがった軸索の選別が完全に失われるが、嗅細胞特異的Sema3A KOマウスにおいては、Nrp1の発現量にしたがった大まかな軸索の選別は維持されて、Nrp1陽性軸索は軸索束の外側(outer-lateral)へと選り分けられる。これらの結果から、嗅細胞以外のSema3AもNrp1の軸索選別に寄与していると考えられる。さらには、嗅球のない変異マウスの軸索束においても、軸索はNrp1の発現量にしたがって選別されており、Nrp1陽性軸索は外側(outer-lateral)へと選り分けられていた。また、嗅球のない変異マウスの軸索塊の中において、軸索間の相互作用のみが働いているならば軸索は同心円状に選別されるが、実際はNrp1陽性軸索は軸索塊の後方へと選別されていた。これらの嗅球のない変異マウスにおける解析からも、軸索や投射先以外の細胞に由来するSema3AがNrp1発現量に依存したトポグラフィーの形成に寄与しているものと考えられる。実際、軸索が嗅球へ到達する頃の軸索投射初期(胎児期13-15日目)において、軸索束外の内側においてSema3A mRNAの発現が検出された。この軸索投射の途中経路にある細胞に由来するSema3Aに対してNrp1陽性軸索が反発的に応答することで、Nrp1発現量にしたがったトポグラフィーが形成されると考えられる。さらには、投射先である嗅球の前方においてSema3A mRNAの発現が観察されたことから、この投射先におけるSema3Aが軸索を嗅球表面上に展開する際の絶対的なランドマークとして機能しているものと考えられる。

これまで視覚系などの研究から、軸索が投射先において濃度勾配をなして存在する軸索ガイダンス分子を認識することで神経地図が形成されると考えられてきた。しかしながら本研究によって、"神経地図形成における軸索間の相互作用の重要性"を示唆することができた。さらには、軸索を伸ばす神経細胞自身でもなく、投射先の細胞でもない第三の細胞に由来する軸索ガイダンス分子が、神経地図のトポグラフィーを形成するという重要な機能を果していることが示唆された。軸索ガイダンス受容体Nrp1や、Sema3Aを始めとする分泌型軸索ガイダンス分子は、嗅覚系のみならず脳・運動神経系・感覚神経系などにおいても発現・機能していることからも、本研究によって示された分子機構は、神経系一般に敷衍することができると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

高等動物において五感から入力される感覚情報は、脳の特定の場所に神経地図として二次元的に展開される。この神経地図はこれ迄、軸索投射先に濃度勾配を示して分布する軸索誘導分子と、軸索末端に発現する受容体との相互作用によって形成されると考えられてきた。これは今から50年前に、ノーベル賞受賞者であるSperry博士によって提唱された化学親和性仮説(chemoaffinity theory)として知られるモデルで、主に視覚系の研究において指針として広く受け入れられてきた。高等動物の嗅覚系に於いても、嗅上皮で受容された匂い分子の結合情報は、糸球の発火パターンとして嗅球の糸球地図上に二次元展開されるが、嗅覚系は視覚系とは異なる神経地図形成システムを有している。すなわち、視覚系においては末梢神経の細胞体の相対的な位置関係をそのまま保存して軸索投射が行われ、その結果、投射先である視蓋にマップのトポグラフィーを忠実に再現した神経地図が形成される。一方、嗅覚系に於いては嗅細胞の発現する嗅覚受容体の種類に依存した軸索投射が起こり、受容体分子に由来するcAMPシグナルをセカンドメッセンジャーとして軸索投射が制御されている事が知られている。本研究で申請者は、高等動物の嗅覚系に固有に見られる神経地図形成のメカニズムの解明に取り組み、視覚系の研究では見出されなかった神経地図形成の新たなストラテジーを明らかにした。

本論文は全7章から構成されており、第1章ではマウス嗅覚系の説明とこれ迄の研究の概略が、視覚系と対比させながら述べられている。本研究で申請者は、嗅細胞軸索の投射メカニズムの解明を目指し、軸索間の相互作用とそれに基づく軸索選別に焦点を当てて研究を行った。第2章では本研究に於ける具体的な実験とその結果が記され、各実験毎に問題提起とそれを解明するための研究方法が述べられている。申請者は先ず、トランスジェニックマウスを用いて軸索ガイダンス受容体Neuropilin1(Nrp1)のloss-of-function及びgain-of-functionの実験を行い、Nrp1が嗅球の前後軸に沿った嗅細胞の軸索投射の制御に関与していることを明らかにした。続いて申請者は、Nrp1の反発性リガンドであるSemaphorin3A(Sema3A)に着目し、Sema3AがNrp1と協調して軸索束内における軸索選別に寄与していることを示した。申請者はさらに、嗅細胞軸索の投射経路に沿って発現するSema3Aやターゲットである嗅球で発現するSema3Aが、軸索束の誘導や嗅球上でのランドマークとして機能しているのではないかと考え、嗅覚系の一次投射におけるSema3Aの軸索選別以外の機能について考察した。続く第3章には本研究の結論がまとめられており、第4章の考察では、本研究で扱った軸索投射分子の多様な機能や、神経系一般に敷衍できる軸索投射の原理について言及している。第5章は研究手法や実験材料の記述であり、第6章では謝辞、第7章には参考文献がまとめられている。

本研究で申請者は、Sperry博士の化学親和性仮説とは異なる神経地図形成のストラテジーとしてpre-target軸索選別という新たなモデルを提唱し、軸索束内における軸索間の相互作用がマップのトポグラフィー形成に重要な役割を演じていることを実験的に明らかにした。さらに申請者は、軸索投射の途中経路の誘導分子が神経地図形成に大きくかかわる可能性についても新たな発見を行い、嗅覚系一次投射の全容の解明に大きく貢献した。本研究は、これ迄の視覚系の研究では見出せなかった新たな神経地図形成のメカニズムを明らかにしたという点で高く評価することができる。

なお、本論文は今井猛、小早川高、小早川令子、鈴木操、阿部高也、坂野仁博士らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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