学位論文要旨



No 127838
著者(漢字) 浅田,直之
著者(英字)
著者(カナ) アサダ,ナオユキ
標題(和) LKB1シグナリングによる神経細胞移動の制御機構の解析
標題(洋) Analysis of Roles for the LKB1 Signaling Pathway in Neuronal Migration in the Developing Neocortex
報告番号 127838
報告番号 甲27838
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5841号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 准教授 眞田,佳門
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 准教授 田中,輝幸
 東京大学 教授 坂野,仁
内容要旨 要旨を表示する

大脳新皮質を構成する神経細胞は、脳室帯で誕生した後に、脳の表層側に向かって長い距離を移動する。このような神経細胞の移動は、正常な大脳新皮質の発生・構築に極めて重要である。移動中の神経細胞は高度に極性化しており、進行方向に長い先導突起を伸長し、その根元に中心体、さらにその後方に核が配置する(図1)。神経細胞が移動する際には、進行方向への先導突起の伸長、先導突起先端方向への中心体の移動、および中心体方向への核の移動などの一連のイベントが起こる(図1)。なかでも特徴的なのは、まず中心体が進行方向に移動し、その後に、核と細胞体が中心体の方向に移動するという『中心体先行』の挙動を示すことである(図1)。したがって、移動中の神経細胞において中心体が適切に移動することは、核や細胞体が正しく移動するために必須であると考えられる。そのため、中心体が移動する仕組みを知ることは、神経細胞移動の分子基盤を理解する上で極めて重要である。しかし、中心体移動を司る分子メカニズムはほとんど明らかになっていない。

Ser/Thr キナーゼであるLKB1 は、様々な動物種の初期胚の極性を制御することが知られる極性制御分子であり、発生期の大脳新皮質にも発現しているがその機能は長らく不明であった。本研究において私は、発生期のマウス大脳新皮質においてLKB1 を発現抑制すると、神経細胞移動が顕著に遅滞することを見出した(図2)。さらに重要なことに、LKB1が発現抑制された神経細胞では、中心体の前方移動が停滞していた(図3)。これらのことからLKB1 は、移動中の神経細胞における中心体の前方移動を制御し、神経細胞移動に貢献することが推察された。

次に、LKB1 の下流シグナル経路を詳細に解析した。私は近年、分散培養した神経細胞において、LKB1 がGlycogen Synthase Kinase 3β(GSK3β)のSer9(不活性化部位)のリン酸化を制御することを見出した(Asada et al., 2007)。このことから、移動中の神経細胞においても、LKB1 がGSK3βのSer9 リン酸化を調節して活性制御する可能性が考えられた。この可能性を検証するため、Ser9 リン酸化型のGSK3β(pGSK3β)に特異的な抗体を用いて、LKB1 が発現抑制された神経細胞を免疫染色した。その結果、野生型の神経細胞に比べて、LKB1 が発現抑制された神経細胞では、pGSK3βの免疫蛍光シグナルが顕著に減弱していた。加えて、生化学的な解析により、LKB1 がGSK3βのSer9 をin vitro でリン酸化すること、およびLKB1 とGSK3βがin vitro およびin vivo で相互作用することを見出した。これらの結果から、移動中の神経細胞において、LKB1 がGSK3βのSer9 残基をリン酸化し、GSK3βを不活性化することが推察された。

次に、神経細胞移動におけるGSK3βのSer9 リン酸化の役割を検証した。この目的のために、GSK3βのSer9 残基をAla に置換してリン酸化されないようにしたGSK3β変異体(GSK3β S9A)を利用した。このGSK3β S9A 発現ベクターをマウス大脳新皮質に遺伝子導入すると、神経細胞移動が顕著に遅滞した。加えて、GSK3β S9A を発現させた神経細胞では、中心体の前方移動が停滞した。これらの結果から、GSK3βのSer9 リン酸化は中心体の前方移動、および神経細胞移動に重要であることが示唆された。

Adenomatous Polyposis Coli(APC)は微小管のプラス端に結合し、微小管を安定化する性質を持つタンパク質である。また、APC はGSK3βの良く知られた基質の一つであり、GSK3βによってリン酸化されることで、APC-微小管の相互作用が減弱することが知られている。APC に対する抗体を用いて移動中の神経細胞を免疫染色すると、APC の免疫蛍光シグナルは先導突起に局在し、特に遠位部に多く分布した。詳細な解析を行うと、先導突起の先端部において、APC の免疫蛍光シグナルは微小管のプラス端に多く観察され、APCが微小管のプラス端に結合していることが推察された。これに対して、GSK3β S9A を発現させた神経細胞では、APC の免疫蛍光シグナルが微小管プラス端にほとんど局在しなかった。さらに、APC の局在異常に伴って、先導突起の先端部において微小管の不安定化が観察された。重要なことに、LKB1 を発現抑制した神経細胞においても同様に、APC の局在異常、および先導突起の先端部における微小管の不安定化が観察された。これらのことからLKB1-GSK3βシグナリングは、APC の微小管プラス端への局在、および先導突起の先端部における微小管の安定化に重要な役割を果たすことが示唆された。

最後に、神経細胞移動におけるAPC の役割を精査するため、私はC 末端領域(微小管結合部位およびEB1 結合部位を含む)を欠損した変異体APC(APCΔC)を利用した。APCΔCはarmadillo リピートを介して正常に微小管の遠位部に輸送される。しかし、個々の微小管プラス端に直接結合することはできない。さらに、APCΔC はcoiled-coil ドメインを介して内在性APC と相互作用し、微小管との結合を妨げると考えられており、これにより内在性APC のドミナントネガティブとして機能することが知られている。このような性質のAPCΔC を移動中の神経細胞に発現させると、LKB1 を発現抑制した場合や、GSK3β S9Aを強制発現させた場合と同様に、先導突起の先端部において微小管の不安定化が観察された。さらに重要なことに、中心体の前方移動が停滞すると共に、神経細胞移動が顕著に遅滞した。これらの結果から、APC の微小管プラス端への結合は、先導突起の先端部における微小管の安定化、中心体の前方移動、および神経細胞移動のいずれにも必要であることが示唆された。

以上の結果より、LKB1-GSK3β-APC というシグナル経路が、先導突起先端部における微小管を調節することで、中心体の前方移動を制御し、神経細胞移動に寄与することが示唆された。興味深いことに、(1)GSK3βがAPC をリン酸化すると、APC と微小管プラス端との結合が阻害される(Zumbrunn et al., 2001 など)。また、(2)APC は微小管のプラス端に結合すると共に、β-catenin などのタンパク質を介して細胞膜と相互作用することで、微小管を細胞皮層(cell cortex)に係留し、安定化する(Nathke et al., 1996 など)。さらに、(3)細胞皮層に係留され安定化された微小管に対して、細胞皮層に局在するdynein/dynactin 複合体が、牽引力を及ぼす(Dujardin and Vallee, 2002 など)。以上の知見を考え併せると、LKB1-GSK3β-APC シグナル経路による中心体移動の制御メカニズムについて以下のモデルが提唱できる(図4)。すなわち、移動中の神経細胞の先導突起において、LKB1 がGSK3βをリン酸化して不活性化する。その結果、先導突起の先端部においてAPCが微小管のプラス端に結合し、β-catenin などのタンパク質を介して微小管を細胞皮層に係留する。細胞皮層に係留され安定化された微小管が、dynein/dynactin などのモータータンパク質によって進行方向に引っ張られ、それに伴って、微小管の重合中心である中心体が前方に移動する。

図1: 神経細胞移動の模式図

図2: LKB1 の発現抑制による神経細胞移動の遅滞

神経細胞は脳室帯で生み出された後に、中間帯を通過し、皮質板へと移動することが知られる。Control shRNA を導入した神経細胞(左パネル; 緑色)の多くは皮質板に分布した。これに対し、LKB1 に対するshRNA を導入した神経細胞(右パネル; 緑色)は中間帯に分布し、移動が遅滞していると推察される。

図 3: LKB1 の発現抑制による中心体移動の停滞

移動中の神経細胞(緑色)における中心体(マゼンタ; 矢じりで示した)の様子を経時観察した。Control shRNAを導入した神経細胞(上段)では、中心体が連続的に前方へと移動した。これに対し、LKB1 shRNA を導入した神経細胞(下段)では、中心体が先導突起の根元付近で停滞していた。

図4: 移動中の神経細胞におけるLKB1-GSK3β-APC シグナル経路のモデル

移動中の神経細胞の先導突起において、LKB1 はGSK3βをリン酸化して不活性化する。その結果、先導突起の先端部においてAPC が微小管のプラス端に結合し、微小管を細胞皮層(cell cortex)に係留すると共に、微小管を安定化する。安定化した微小管は、細胞皮層に存在するdynein/dynactin などのモータータンパク質(図には示していない)によって進行方向に引っ張られ、それに伴って、微小管の重合中心である中心体が前方に移動する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「序論」「実験結果」「考察」「結論」「材料と方法」からなり、LKB1キナーゼを介したシグナル伝達経路が、発生期の大脳新皮質における神経細胞移動を制御するメカニズムについて論じられている。

大脳新皮質の発生過程において、神経細胞は極めて長い距離を移動する。移動中の神経細胞は高度に極性化しており、進行方向に先導突起を持ち、その根元に中心体、さらにその後方に核が配置する。神経細胞が移動する際には、進行方向への先導突起の伸長、先導突起先端方向への中心体の移動、および中心体方向への核の移動などの一連のイベントが起こる。なかでも特徴的なのは、まず中心体が進行方向に移動し、その後に、核と細胞体が中心体の方向に移動するという『中心体先行』の移動様式を示すことである。したがって、移動中の神経細胞において中心体が適切に移動することは、核や細胞体が正しく移動するために必須であると考えられる。そのため、中心体が移動する仕組みを知ることは、神経細胞移動の分子基盤を理解する上で極めて重要である。論文提出者は、LKB1キナーゼおよびその下流シグナル伝達経路を詳細に解析することにより、神経細胞移動におけるキープロセスである「中心体移動」の分子基盤の一端を明らかにした。

Ser/ThrキナーゼであるLKB1は、様々な動物種の初期胚の極性を制御することが知られる極性制御分子である。論文提出者はまず、発生期のマウス大脳新皮質においてLkb1が発現していることを見出した。そこで、LKB1に対するshRNAコンストラクトを作製し、移動中の神経細胞においてLKB1の発現抑制実験を行った。その結果、LKB1が発現抑制された神経細胞では、中心体が前方に移動せず、神経細胞移動が顕著に遅滞することが判明した。このことから、LKB1は移動中の神経細胞における中心体移動を制御し、神経細胞移動に寄与すると考えられた。さらに論文提出者は、LKB1による中心体移動の制御メカニズムに迫るべく、LKB1の下流シグナル経路を詳細に解析した。その結果、移動中の神経細胞の先導突起において、LKB1がGlycogen Synthase Kinase 3β(GSK3β)のSer9残基をリン酸化して不活性化することを見出した。加えて、このGSK3βの不活性化に伴って、GSK3βの標的分子であるAdenomatous Polyposis Coli(APC)タンパク質が、先導突起の先端部において微小管のプラス端に結合した。このことと同期して、先導突起の先端部において、微小管の安定化が観察された。さらに重要なことに、LKB1の発現抑制や、GSK3βのSer9リン酸化の阻害、あるいはAPCの微小管結合能の阻害により、先導突起の先端部における微小管が不安定化すると共に、中心体の前方移動が遅滞し、神経細胞移動の停滞が引き起こされた。これらの結果より、神経細胞移動における中心体の前方移動がLKB1-GSK3β-APCシグナル経路によってコントロールされることが判明した。さらにこのシグナル経路について、論文提出者は以下のモデルを提唱した。すなわち、移動中の神経細胞の先導突起において、LKB1がGSK3βをリン酸化して不活性化する。その結果、先導突起の先端部においてAPCが微小管のプラス端に結合し、微小管を安定化する。安定化した微小管が種々のモータータンパク質によって進行方向に引っ張られ、それに伴って微小管の重合中心である中心体が前方に移動し、神経細胞移動に寄与するというモデルである。本論文は、中心体が移動するために必要な分子基盤を明らかにすると共に、中心体の前方移動が神経細胞の移動プロセスにおいて中心的な役割を果たすことを強く示唆するものであり、当該研究分野に新たな視点をもたらしたと言える。

なお、本論文は、眞田佳門氏、深田吉孝氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって審査委員会は、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク