学位論文要旨



No 127839
著者(漢字) 玉井,総一
著者(英字)
著者(カナ) タマイ,ソウイチ
標題(和) 筋萎縮性側索硬化症モデルマウスにおける神経変性のNfil3による抑止
標題(洋) Nfil3-mediated protection against neurodegeneration in mouse model of amyotrophic lateral sclerosis
報告番号 127839
報告番号 甲27839
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5842号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 准教授 眞田,佳門
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 饗場,篤
 東京大学 教授 山梨,裕司
内容要旨 要旨を表示する

神経変性疾患とは、神経細胞の変性および脱落が徐々に進行し、様々な神経症状を呈する神経疾患である。代表的な神経変性疾患には、大脳皮質や海馬の神経細胞が脱落するアルツハイマー病、運動ニューロンが選択的に変性し全身の麻痺を呈する筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis, ALS)、黒質ドーパミン神経の選択的変性により運動障害を誘発するパーキンソン病などが挙げられる。神経細胞が変性し神経細胞死に至るメカニズムは未だ解明されておらず、これらの疾患には根治的な治療法が存在しない。筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、大脳皮質運動野や脳幹から脊髄に至る上位運動ニューロン、および脊髄前角から末梢神経に至る下位運動ニューロンが選択的に変性し脱落する神経変性疾患である。これら運動ニューロンの脱落に伴って、その投射先の筋肉が萎縮(神経原性筋萎縮)するため、筋萎縮や筋力低下などの症状を呈する。1年間に人口10万人あたり約2人が発症し、人工呼吸器を装着しない場合、症例の約半数が発症後約2-3年で呼吸筋麻痺により死亡する極めて重篤な疾患である。

神経細胞には、神経変性を誘発する条件下で発動する自己保護システムが内在し、注目すべきことに近年、このシステムを活性化することによって神経変性疾患の発症を遅延・抑制できる可能性が示され始めている。このような役割を担う分子を同定することは、神経細胞の保護機構の理解を進めるのみならず、神経変性疾患に対する新たな治療戦略の創出につながる。

Nfil3は、インターロイキン3(IL-3)のプロモーター領域に結合するbZIP型転写因子として同定された。近年の研究により、Nfil3は種々の免疫系細胞の維持・分化および抗体・サイトカインの産生など、免疫応答の様々なステップを制御していることが明らかになりつつある。他方、神経系組織においても、Nfil3は発生期のアポトーシスや概日時計機構を制御しており、多彩な生理的役割を担うことが知られている。本研究において私は、Nfil3が種々の神経毒(高濃度グルタミン酸、過酸化水素水、イオノマイシンおよびアミロイドβ)によって発現亢進することを見出した(図1)。神経細胞におけるNfil3の発現上昇がどのような役割を果たしているのか解析するため、培養神経細胞においてNfil3を強制発現させたところ、グルタミン酸刺激依存的な神経変性が顕著に抑制された。一方、Nfil3を発現抑制すると、同様の刺激による神経変性に対して 神経細胞は脆弱になった(図2)。これらの結果から、Nfil3は神経毒依存的な神経変性を抑制し、神経細胞の保護を担う因子であることが明らかになった。

筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis, ALS)の多くは孤発性であるが、約10%は家族性である。この家族性ALSの中でSOD1(superoxide dismutase)遺伝子の優性変異は最も頻度が高く、家族性ALS患者において約100種類以上の遺伝子変異が報告されている。変異SOD1遺伝子を発現させたトランスジェニックマウスは運動ニューロンの変性、筋萎縮および四肢麻痺などALS患者に特徴的な病態を呈することから、ALSモデルマウスとして多数の研究に用いられている。また変異SOD1は、培養神経細胞に発現させると神経変性を誘発することが知られている。変異SOD1を発現させた神経細胞を用いた解析の結果、Nfil3の強制発現は変異SOD1依存的な神経変性を抑制する一方、Nfil3を発現抑制すると神経細胞は変異SOD1に対して脆弱になった。これらの結果から、Nfil3は神経細胞保護を担う分子であり、Nfil3の発現が変異SOD1依存的な神経変性を抑制することが判明した。

Nfil3は神経細胞の保護を担うことから、Nfil3を神経細胞内で強制発現させることによって神経変性疾患の発症を遅延・抑止できる可能性が考えられた。そこで、神経系特異的にNfil3を発現するトランスジェニックマウスを作製した。このトランスジェニックマウスをALSモデルマウスである変異SOD1トランスジェニックマウスと交配し、二重変異マウスを作製した。二重変異マウスと変異SOD1トランスジェニックマウスの各個体について発症期や疾患ステージを精査した結果、二重変異マウスは疾患の発症が顕著に遅延した(図3a)。二重変異マウスと変異SOD1マウスの両群について誕生日から発症期までの期間を比較すると、発症期の平均値は約15日延長した(図3b)。すなわち、Nfi3の生体における発現はALSの発症を遅延することを見出した。

以上の知見から、Nfil3は神経細胞保護を担い、その発現は神経変性疾患の抑止に寄与することが明らかになった(図4)。本研究は、「神経細胞に内在する自己保護システムを活性化することで神経変性疾患を遅延・抑止する」という治療戦略が有効であることを強く支持する。このような戦略は、疾患の発症機序に依存しないという点に加え、様々な神経変性疾患に対して効果を示しうるという点において、極めて重要性が高いと考えられる。さらに、本研究が見出したNfil3を介した神経保護システムについて、その活性化経路や下流遺伝子群の解析が進展すれば、このようなシステムを人為的に活性化する薬剤・手法の開発につながる可能性がある。すなわち、神経細胞に内在する神経保護システムを解析することは、神経変性疾患に対する新たな治療戦略の指針を提供するという意義において極めて重要である。

図1: 種々の神経毒によるNfil3の発現上昇 培養神経細胞に種々の神経毒を投与し、細胞懸濁液に対して抗Nfil3抗体(上パネル)および抗dynein intermediate chain (DIC) 抗体(下パネル、ローディングコントロール)を用いてウェスタンブロット解析した。神経毒として、(a)グルタミン酸、(b)過酸化水素水、(c)イオノマイシン、および(d)アミロイドβ(投与時間:72時間)を投与した。* P < 0.05, ** P < 0.01(t検定)。

図2: Nfil3は神経細胞の保護を担う 培養神経細胞にコントロールベクター、Nfil3発現ベクタ-、Nfil3 shRNA(2種類)、もしくはshRNA+mutNfil3 (shRNAによってノックダウンされないNfil3) 発現ベクターを遺伝子導入し、グルタミン酸(50 μM, 30分間)を投与した。神経細胞を免疫染色に供し、変性した神経細胞の数を計数し、全体に占める割合を算出した。* P < 0.05, ** P < 0.01(t検定)。

図3: Nfil3の発現はALSの発症を遅延する 変異SOD1トランスジェニックマウス(mutSOD1, n = 10)および二重変異マウス(mutSOD1 + Nfil3 tg, n = 11)の各個体について、発症期を精査した。(a)二重変異マウスは疾患の発症が顕著に遅延する(P <0.05, log-rank検定)。(b)発症までの期間の平均値(*P < 0.05, t検定)。

図4: Nfil3を介した神経保護機構モデル 神経細胞が神経変性を誘発する刺激あるいは条件下に曝されると、Nfil3が発現上昇し、おそらく下流遺伝子群の転写調節を介して、神経保護機構が発動すると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「序論」「実験結果」「考察」「実験材料と実験方法」「結論」からなり、転写因子Nfil3の神経細胞保護作用について論じられている。

神経変性疾患とは、神経細胞の変性および脱落が徐々に進行し、様々な神経症状を呈する神経疾患である。代表的な神経変性疾患には、大脳皮質や海馬の神経細胞が脱落するアルツハイマー病や、運動ニューロンが選択的に変性し全身の麻痺を呈する筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis, ALS)などが挙げられる。神経細胞が変性し神経細胞死に至るメカニズムは未だ解明されておらず、これらの疾患には根治的な治療法が存在しない。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、大脳皮質運動野や脳幹から脊髄に至る上位運動ニューロン、および脊髄前角から末梢神経に至る下位運動ニューロンが選択的に変性し脱落する神経変性疾患である。これら運動ニューロンの脱落に伴って、その投射先の筋肉が萎縮(神経原性筋萎縮)するため、筋萎縮や筋力低下などの症状を呈する。1年間に人口10万人あたり約2人が発症し、人工呼吸器を装着しない場合、症例の約半数が発症後約2-3年で呼吸筋麻痺により死亡する極めて重篤な疾患である。

近年、神経変性疾患の治療において、neuroprotective therapyという概念が注目されている。すなわち、神経細胞には神経変性を誘発する条件下で発動する自己保護システムが内在し、このシステムを活性化することによって神経変性疾患の発症を遅延・抑制できる可能性が示され始めている。このような役割を担う分子を同定することは、神経細胞の保護機構の理解を進めるのみならず、神経変性疾患に対する新たな治療戦略の創出につながる。

Nfil3は、インターロイキン3(IL-3)のプロモーター領域に結合するbZIP型転写因子として同定された。Nfil3は、種々の免疫系細胞の生存や分化などに重要な役割を担っていることが示されつつある。また、Nfil3は概日時計の発振や神経栄養因子依存的な神経細胞の生存に寄与している可能性が示唆されている。本研究において論文提出者は、Nfil3が種々の神経毒(高濃度グルタミン酸、過酸化水素水、イオノマイシンおよびアミロイドβ)によって発現上昇することを見出した。また、ALSモデルマウスである変異SOD1トランスジェニックマウスの脊髄においても、Nfil3の発現量は顕著に増加していた。神経細胞におけるNfil3の発現上昇がどのような役割を果たしているのか解析するため、培養神経細胞においてNfil3を強制発現させたところ、グルタミン酸刺激依存的な神経変性が顕著に抑制された。一方、Nfil3を発現抑制すると、同様の刺激による神経変性に対して 神経細胞は脆弱になった。これらの結果から、Nfil3は神経毒依存的な神経変性を抑制し、神経細胞の保護を担う因子であることが示唆された。

さらに論文提出者は、Nfil3の発現が神経変性疾患の発症を遅延・抑止できる可能性を検証するため、神経系特異的にNfil3を発現するトランスジェニックマウスを作製した。このトランスジェニックマウスを変異SOD1トランスジェニックマウスと交配し、二重変異マウスを作製した。二重変異マウスと変異SOD1トランスジェニックマウスの各個体について発症期や疾患ステージを精査した結果、二重変異マウスは疾患の発症が顕著に遅延した。二重変異マウスと変異SOD1マウスの両群について誕生日から発症期までの期間を比較すると、発症期の平均値は約18日延長した。すなわち、Nfi3の生体における発現はALSの発症を遅延することを見出した。

以上の結果より論文提出者は、Nfil3が神経細胞保護を担い、さらにその発現が神経変性疾患の抑止に寄与することを明らかにした。本研究成果は、神経変性疾患の予防・遅延において、Nfil3を介した保護システムをターゲットとした治療戦略が有用である可能性を提示しており、当該研究分野に新たな視点をもたらしたと認められる。

なお、本論文は、倉林伸博氏、井上昌俊氏、清成寛氏、眞田佳門氏、深田吉孝氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究計画を考案し、分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分と判断する。

したがって審査委員会は、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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