学位論文要旨



No 127840
著者(漢字) 依藤,実樹子
著者(英字)
著者(カナ) ヨリフジ,マキコ
標題(和) ウミウシ-褐虫藻共生系の地理的変異に関する分子系統学的研究
標題(洋) Molecular phylogenetic study on the geographic variation of sea slug-zooxanthellae symbiosis
報告番号 127840
報告番号 甲27840
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5843号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 教授 小島,茂明
 東京大学 准教授 井上,広滋
内容要旨 要旨を表示する

熱帯から温帯にわたる浅海域に生息する原生生物、刺胞動物、軟体動物など種々の海産生物には、Symbiodinium 属を代表とする褐虫藻と呼ばれる渦鞭毛藻類との共生関係が知られている。この共生関係は特に、サンゴ礁生態系の一次生産を担い、この生態系を構成する造礁サンゴ類をはじめとする多数の宿主生物の生存に必須であることから、サンゴ礁生態系の基盤となっている点で重要な生物間相互作用である。この共生関係は、近年、造礁サンゴ類の白化現象によるサンゴ礁の荒廃との関連から注目され、盛んに研究がなされるにいたっている。とりわけ、近年の分子系統学的解析により、Symbiodinium 属の褐虫藻には、遺伝的に大きく分化した複数の"遺伝的タイプ"(Clade A~I、各clade はsubtype に細分される)が存在し、非常に多様な種群であることが明らかになってきた。これらの遺伝的タイプは、タイプごとに異なる生理学的性質を持ち、共生体(宿主と褐虫藻)の呈する生理学的性質に大きく影響していることも近年明らかになりつつある。その中で、共生褐虫藻タイプの組成が、単一種の宿主においても地域によって異なる事例が多々存在するが、こうした共生褐虫藻相の地理的変異は、共生体が地域によって異なる環境条件に適応した結果であるとする推測がなされている。しかし、これまでの研究の多くは褐虫藻にだけ着目したものであり、調査した宿主内部に遺伝的に異なる系統が存在し、その結果、共生褐虫藻が異なっているという可能性を残している。また、褐虫藻は熱帯から温帯にわたって広く分布しているにも関わらず、これまでの共生褐虫藻相の調査は熱帯・亜熱帯域に生息する宿主を対象に行われたものがほとんどで、褐虫藻共生系の全容を知るには不十分だった。そこで本研究では、褐虫藻の宿主として、インド・太平洋の熱帯から暖温帯にわたって広く生息する軟体動物のムカデミノウミウシに着目し、宿主の遺伝的集団構造を明らかにした上で、その共生褐虫藻相を調べ、両者の関係性を検討することとした。

第一章では、宿主ムカデミノウミウシの遺伝的集団構造を調べるため、集団遺伝学的解析を行った。解析には、北西太平洋の熱帯から暖温帯にわたる10 地点より得た235 個体を用い(図1)、その遺伝的集団構造を、核リボソーム遺伝子のITS1 領域(内部転写スペーサー領域)、545 bp に基づく集団遺伝学的解析により調べた。その結果、北西太平洋域に生息するムカデミノウミウシに、遺伝的交流を実質上持たない2 種(Group A とB)が存在することが明らかになった。両種の塩基配列は最小でも5.3 %(P-distance)異なり、両種が交配した証拠を持つ個体は全235 個体中1個体とわずかであった。両種は内部の遺伝的多様性が異なっており、調査した全域を網羅する9地点から検出されたGroup A には、その内部に明瞭な遺伝的集団構造が見出され、温帯日本、琉球+フィリピン、グアム、の大きく3 集団(サブグループ)に分けられた(図2)。3 集団のうち、温帯日本サブグループは、地点集団間の遺伝的距離が実質上なく、非常に均質だった。この3 サブグループの集団構造の成立には、気候帯および海流との関係性が考えられた。一方のGroup Bは、亜熱帯・熱帯域の3 地点からしか見出されず、またその内部にGroup A と同じ基準では明瞭な遺伝的分化は見出されなかった。さらに両種には、形態的な差異があることも観察された。これらの2 種間に見られた、検出された地域や、種内部の遺伝的集団構造の違いは、浮遊幼生期間などの生物学的性質の違いに因るものと考えられた。これらの知見は、生物地理学的知見の乏しかったウミウシ類の遺伝的集団構造を、北西太平洋域で初めて明らかにした、この海域における沿岸生物相の多様性の形成過程を知る上で重要な成果である。

第二章では、第一章で分析した個体の共生褐虫藻の遺伝的タイプ組成を調べ、その地理的分布状態を、第一章で明らかになった宿主の遺伝的集団構造と比較し、両者の関係性を調べた。褐虫藻の遺伝的タイプは、核リボソーム遺伝子のITS2 領域をDGGE 法(変性剤濃度勾配ゲル電気泳動法)で分離し、その塩基配列を解読することで決定した。その結果、北西太平洋域のムカデミノウミウシの共生褐虫藻には、過去に報告されているClade A~I のうち、Clade A・C・D に相当する、全5 タイプの褐虫藻が存在した。Clade C およびD からは2 タイプずつが検出された。Clade D のうち温帯日本より検出された1 タイプは、これまでにムカデミノウミウシからの報告しかないタイプだったが、残りの4 タイプは世界各地の種々の宿主生物から報告されているものだった。それら5 タイプの褐虫藻は、出現頻度や宿主体内における組成に、地域による違いがあった。

次いで、第一章で明らかになった宿主ムカデミノウミウシの遺伝的集団構造と、第二章で明らかになった各地点集団の共生褐虫藻相を比較し、両者の関係性を調べた。その結果、遺伝的な違いがない宿主の地理的集団間(Group A の温帯日本サブグループ)に、共生褐虫藻相の著しい違いがあり、この地理的変異は水温など周囲の環境の違い、もしくは環境水中に生息する自由生活性の褐虫藻相など、環境的な要因の影響を強く受けていることが考えられた(図3)。さらに、同地域に生息する遺伝的に分化した種間(熱帯・亜熱帯域のGroup A・B 間)および種内の集団間(Group A の琉球+フィリピンとグアムサブグループ間)で、共生褐虫藻相が類似していたことからも、共生褐虫藻相は宿主の違いをあまり反映せず、環境要素の影響をより強く反映していることが考えられた(図3)。この知見は、多くの共生褐虫藻の研究が宿主に着目せずに行われてきた中で、宿主の遺伝的差異という要素を考慮した上で、共生褐虫藻相と環境要因の関連性を示した初めてのものである。

このように、共生褐虫藻相に環境要因の強い影響が示された一方で、別種では同じ場所であっても共生褐虫藻相が異なる場合のあること、また特定の種もしくはグループの宿主にしか検出されない褐虫藻タイプが見出されたことなどから、宿主の遺伝的系統の違いが影響していることも明確になった。これは、共生褐虫藻相の地理的変異が環境要因のみによって生じるものではないことを示すものである。これまで、共生褐虫藻の研究においては環境要因との関連性ばかりが注目されてきたが、以上の本研究の成果は種々の要因に着目する必要性を示すものである。

これまでに行われてきた褐虫藻共生系の研究において、褐虫藻は遺伝的タイプによって異なる生理学的性質を持つことから、共生褐虫藻相を調べることで、環境変動が宿主-褐虫藻共生系に及ぼす影響を追跡する上で有用な指標が得られると考えられてきた。本研究の結果を踏まえると、確かに、共生褐虫藻相の地域による違いは、共生系の環境適応の結果を知るための、おおよその指標にはなると考えられる。しかし、宿主の特質の違いがあり、さらに宿主種内の遺伝的集団構造は種ごとに異なるはずであることから、共生系ごとに宿主と共生藻の両方に着目した総合的な研究を行うことが重要であると結論できる。

図1.採集地点と個体数.Group A は座間味を除く全ての地点から、Group B は奄美・座間味・フィリピンの3 地点から検出された.

図2.Group A の内部の遺伝的集団構造.地点集団間の遺伝的距離(P-distance)に基づくUPGMA 樹を地図上にプロットしたもの.黒点が採集地点を表す.

図3.宿主ムカデミノウミウシの遺伝的集団構造と、共生褐虫藻相の類似性の比較.左は地点集団間の遺伝的距離(P-distance)に基づくUPGMA 樹.右は各地点集団に見られた褐虫藻のタイプ組成とその出現頻度から作成したデンドログラム.OTUに付記されているA/ B は、宿主のGroup A/B の別を示す.各枝の背景色は、宿主の種およびサブグループの別を示す.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4つの部分からなる。1つめは序論であり、研究の背景と目的が述べられている。褐虫藻と呼ばれる渦鞭毛藻類と海産無脊椎動物に見られる共生関係は、特にサンゴ礁生態系を支えている点で重要な生物間相互作用である。褐虫藻には遺伝的に大きく分化した複数の遺伝的タイプが存在し、各遺伝的タイプが呈する異なる生理学的性質が、共生体(褐虫藻と宿主)の生理学的性質に関与していることが明らかになりつつある。そして、単一種の宿主が持つ共生褐虫藻が地域によって異なる例などから、共生褐虫藻のタイプ組成は共生体の環境適応の結果であるとの推測がなされてきた。しかし従来の褐虫藻共生の研究は、褐虫藻にだけ着目し、調査した宿主がその内部に遺伝的に異なる系統を含む可能性を残したまま行われてきた。さらに、褐虫藻が熱帯から温帯にわたって広く分布しているにも関わらず、主な調査対象は熱帯・亜熱帯域に生息する宿主であり、褐虫藻共生系の全容を知るには不十分であった。このような背景から本論文では、宿主の遺伝的集団構造を明らかにしたうえで、共生褐虫藻相を調べ、両者の関係性を探ることとしたことを目的としたこと、研究対象には褐虫藻の宿主生物のうち、インド・太平洋の熱帯から暖温帯に広く分布する軟体動物のムカデミノウミウシを選び、調査例の少ない温帯域を含む研究を可能たらしめたこと、が述べられている。

続く第1章では、宿主ムカデミノウミウシの遺伝的集団構造を調べた成果が述べられている。集団遺伝学的解析に使用する分子データには、種内の多型が検出可能な分解能を有し、過去に遺伝的に分化した集団間の交雑の歴史も検出可能であることが確認されている核リボソーム遺伝子の内部転写スペーサー(ITS1)領域を用いている。研究の結果、北西太平洋の熱帯から温帯域に生息するムカデミノウミウシに、実質的な遺伝的交流のない2種が含まれていることが明らかになり、さらに、このうち1種においては、その内部に明瞭な遺伝的集団構造が見出された。また、分子生物学的な解析に加えて形態形質の観察も行ない、これら2種が別種であることを支持する結果を得ている。これらは、生物地理学的知見の乏しかったウミウシ類の遺伝的集団構造を、北西太平洋域で初めて明らかにし、この海域における沿岸生物相の多様性の形成過程を知る上で重要な知見をもたらした成果である。

第2章では、第1章で集団遺伝学的な分析を行なった個体について、その共生褐虫藻の遺伝的タイプ組成を調べ、その地理的分布状態を、第1章で明らかになった宿主の遺伝的集団構造と比較し、両者の関係性を調べた結果が述べられている。褐虫藻の遺伝的タイプは、高い分解能で簡便・迅速にタイプ同定を行うために、核リボソーム遺伝子のITS2領域をDGGE法(変性剤濃度勾配ゲル電気泳動法)で分離し、その塩基配列を解読するという方法を活用している。研究の結果、北西太平洋域のムカデミノウミウシの共生褐虫藻には、地域による組成の違いがあることがわかった。さらに統計的な処理により、地点集団間の共生褐虫藻相の類似性を評価し、第1章で得られた宿主ムカデミノウミウシの遺伝的集団構造と比較した結果、共生褐虫藻相は宿主の遺伝的な違いよりも、環境要素の影響をより強く反映していることが示された。この成果は、これまでの共生褐虫藻研究が宿主にほとんど着目せずに行われてきた中で、宿主の遺伝的差異という要素を考慮した上で、改めて共生褐虫藻相と環境要因の関連性の強いことを示す初めてのものである。このように環境要因による強い影響が示された一方で、宿主の遺伝的系統の違いも影響していることも明確に示された。

最後は総合考察であり、以上の結果を踏まえて、これまでの褐虫藻共生系の研究においてなされてきた推測の妥当性、ならびに得られた知見の応用性を論じている。また、今後の研究展開の方向について検討しているほか、用いた実験手法の持つ問題点にも触れ、歴史の浅い当該研究分野において、より良い研究を展開するために有益な議論を行っている。

以上のように、本研究は、さまざまな面から重要性の高い褐虫藻共生系の研究において、従来、乏しかった宿主の遺伝的構造という側面への視点をしっかりと導入し、新たな知見を提供するものであり、今後のこの分野の研究展開に重要な指針を与えるものである。

なお、本論文の一部は、武島弘彦、馬渕浩司、西田 睦(第1章と第2章)、渡邉俊樹(第2章)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって採集・実験・解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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