学位論文要旨



No 127844
著者(漢字) 山口,陽子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ヨウコ
標題(和) 軟骨魚類における尿素を用いた体液調節機構とその制御に関する研究
標題(洋) Urea-based body fluid regulation in cartilaginous fish : studies on the physiological mechanisms and regulation by environmental and endocrine factors
報告番号 127844
報告番号 甲27844
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5847号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 兵藤,晋
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 准教授 朴,民根
 東京大学 准教授 井上,広滋
 富山大学 教授 内山,実
内容要旨 要旨を表示する

38億年前に生命が誕生して以来、水は生物の生存にとって最も重要な要因の一つである。海水から淡水、陸上にいたるまで、地球上の様々な環境に適応するために、脊椎動物は優れた体液調節機構を発達させてきた。硬骨魚類から我々ヒトに至るまで、多くの脊椎動物は体液のイオン組成および浸透圧を海水の約1/3に維持している。これは体内の恒常性を維持する優れた仕組みであるが、海生の種においては高浸透圧環境による脱水の危機をもたらす。硬骨魚真骨類は、大量の海水を飲んで水分を補給し、過剰な塩分を鰓から排出することで対処する。これに対して、海生の軟骨魚類は全く異なる戦略をとる。彼らは体液中のイオン組成を海水の約半分に保つ一方で、浸透圧調節物質として大量の窒素化合物を蓄積している。その結果、体液浸透圧は海水よりわずかに高張に保たれており、海水中でも脱水されることなく体内に水分を保持できる。海生軟骨魚類においては、尿素が主要な浸透圧調節物質であり、体液浸透圧の1/3から1/2を占める。そのため、体内の尿素濃度を制御することは、軟骨魚類が海洋環境に適応する上で、生理学的に最も重要な機構だと言える。しかしながら硬骨魚類と比較して軟骨魚類の研究は極めて遅れており、体液調節機構に関する知見も断片的なものに留まっている。私は博士課程において軟骨魚類の尿素制御機構の全体像を明らかにすることを目的とし、尿素を合成および保持するシステム、さらにそれらの調節に関して研究を行った。

第一章では、腎臓での尿素再吸収系を対象とした。尿素は鰓から漏出するほか、腎臓から尿として環境中に排出されるが、損失を最小限に抑えるため、軟骨魚類は特殊な仕組みを発達させてきた。脊椎動物の腎臓では、尿素を含む血漿成分はいったん糸球体で濾過された後、尿細管で必要に応じて再吸収される。哺乳類の腎臓を構成する腎単位(ネフロン)はヘンレのループを含む2回ループ構造であるが、海生軟骨魚類のネフロンは特殊な4回ループ構造をとり、濾過された尿素の90%以上を再吸収して体内に戻すことが知られている。ドチザメでは、この4回ループネフロンの最終分節である集合細管のみに尿素特異的な輸送体(UT)が局在し、尿素再吸収部位と予測されているが、その仕組みは不明である。そこで、ドチザメを異なる塩分環境に移行することで人為的に体内尿素濃度を変動させ、その際のUTの動態を解析した。ドチザメを低濃度または高濃度海水に移行すると、体内尿素濃度は外環境にあわせて低下および上昇した。しかし、腎臓のUT mRNA量には実験群間で変化は見られなかった。一方、UTの染色性には明らかな差異が認められた。そこで蛍光抗体と共焦点顕微鏡を用いてUTのシグナルを半定量的に解析すると、低濃度海水中ではシグナルが減少し、特に管腔膜上のシグナルがほぼ消失した。これに対して、高濃度海水中では管腔膜上のシグナルは上昇傾向にあった。UTシグナルの変動が生理的に調節されているのか否かを確かめるため、ドチザメを一旦低濃度海水に馴致させてから通常海水に戻す実験を行ったところ、戻し群では管腔膜上のUTシグナルはコントロール群と同じレベルまで回復し、UTのシグナル強度は血中の尿素濃度と高い相関を示した。これらの結果から、ドチザメの腎臓では、集合細管の管腔膜におけるUT存在量が外環境浸透圧に依存して変化し、尿素再吸収量を調節していることが示唆された。このことは、集合細管が尿素再吸収の場であることを強く支持する。哺乳類の腎臓では、神経葉ホルモンのバソプレシンが水と尿素の再吸収に関わる。そこでバソトシン(バソプレシンのホモログ)の血中濃度を測定したところ、管腔膜上のUTシグナル量と相関が見られた。すなわち、哺乳類と同様、ドチザメでもUTの局在変化に神経葉ホルモンが関与する可能性が示された。

第二章では、第一章で使用したドチザメ個体で尿素合成系の変動を解析した。尿素は窒素代謝の最終産物としてオルニチン尿素回路(OUC)でアンモニアから合成される。哺乳類では肝臓が主要な尿素産生部位であるが、魚類では近年、肝臓以外の組織でもOUCの存在が示されている。魚類OUCの律速酵素であるカルバミルリン酸合成酵素(CPS) IIIについてmRNAの組織分布を調べたところ、肝臓と筋肉で高い発現が見られた。CPSIIIの酵素活性でも筋肉は高い値を示し、個体あたりの組織重量を考慮すると、尿素産生能は肝臓の3.6~17.3倍と推定された。筋肉のCPSIII mRNAは低濃度海水中で減少し、血中尿素濃度の変化と一致した。しかし、減少したmRNA量は戻し移行実験でも回復しなかった。これらの結果はCPSIIIの酵素活性でも同様であった。上記の戻し移行実験では、血中尿素濃度はコントロール群の60%程度までしか回復していない。これは実験中ドチザメを絶食させていたことと、通常海水に戻してからの馴致期間が短いことが原因と考えた。そこで、ドチザメに餌を与えながら長期の戻し移行実験を行い、再度CPSIII mRNAと酵素活性を測定したが、やはりコントロールの水準には回復しなかった。一方で、筋肉と肝臓の両方で、OUCにアンモニアを取り込むグルタミン合成酵素(GS)の活性が上昇し、尿素合成が促進されていることが示唆された。以上の結果から、ドチザメでは筋肉が主要な尿素産生部位であり、海水濃度変化に伴って尿素産生量が調節されることがわかった。肝臓については、尿素合成量の基礎レベルを維持するのが主要な役割なのかもしれない。さらに本研究では、ドチザメの鰓にもCPSIII mRNAの発現が確認された。先行研究から、軟骨魚類の鰓は尿素に加えてアンモニアの透過性も低いことが知られており、その理由として鰓での尿素産生の可能性が議論されてきた。すなわち、鰓に存在するOUCがアンモニアをトラップして尿素に変換し、体内に戻すという仮説であり、今回の結果はこれを証明した。鰓のCPSIII mRNA量は筋肉や肝臓と比較すると少ないため、鰓は体内尿素量の変動には直接関与しないと考えられるが、限られた窒素源を有効に活用して、体内尿素濃度を維持するために重要な役割を果たすことが示唆される。

第三章では、特に腎臓での尿素再吸収系の調節因子としてバソトシンに着目し、その受容体を同定し、発現部位を調べた。脊椎動物の神経葉ホルモンはバソプレシン属とオキシトシン属に大別され、複数の異なるGタンパク質共役型受容体を介して機能する。現在までに3種類のバソプレシン受容体(V1aR、V1bR、V2R)と1種類のオキシトシン受容体(OTR)が知られており、それぞれ血管での昇圧効果や肝臓での糖新生、下垂体前葉からの副腎皮質刺激ホルモンの分泌促進、腎臓での水・尿素再吸収の促進、子宮収縮や乳汁射出などに関わる。このうちV1aR、V1bRおよびOTRが細胞内のPLC/PKC経路とカップルして細胞内Ca濃度を上昇させるのに対して、V2RはAC/PKA経路を介して細胞内cAMP濃度を上昇させる。これら4種類の受容体は両生類にも存在するほか、硬骨魚類でもV1bRを除く3種類の受容体が確認されている。中でもV2Rは哺乳類の腎臓で水と尿素の再吸収を制御することから、軟骨魚類に存在するかどうかが注目される。しかし、現在に至るまで軟骨魚類の受容体に関しては一切報告がない。そこで、軟骨魚類で唯一ゲノムデータが公開されているゾウギンザメを研究モデルとして神経葉ホルモン受容体のクローニングを行ったところ、V1aR、V1bRおよびOTRに加え、新規の受容体を発見した。この受容体はV2Rに高い配列相同性を示すものの、細胞内情報伝達にはV2Rが用いるcAMPではなく、V1aRやV1bRと同様にCa2+を用いる。相同な受容体は条鰭類のメダカとクマノミからも同定され、やはり細胞内Ca2+濃度を上昇させた。またゲノムデータベース検索から、新規受容体が他の真骨魚類、両生類、鳥類、哺乳類にも存在することを見出した。分子系統解析とシンテニー解析の結果、新規受容体が既知4種類の神経葉ホルモン受容体とは独立した群を形成することがわかり、私はこれをV1cRと命名した。V1cRはさらに、魚類特異的なtype-1 (V1cR1)と、主に四肢動物に存在するtype-2 (V1cR2)に分けられた。ゾウギンザメは機能的なV1cR1のほかに、偽遺伝子化したV1cR2遺伝子を有する。同様にゼブラフィッシュなどでもtype-1とtype-2の両方の遺伝子が見つかることから、V1cR遺伝子が進化の初期に重複したことがわかった。哺乳類ではオポッサムに偽遺伝子化したV1cR2遺伝子が存在し、その他の種では存在を確認できないことから、V1cRは哺乳類では機能を喪失していると考えられる。V1cRはゾウギンザメとメダカの腎臓で発現が見られ、腎機能制御に関わる可能性がある。また、ゾウギンザメの下垂体では、四肢動物でACTH分泌に関わるV1bRに加えてV1aRも発現していた。V1aRが下垂体で発現する例はこれまでに報告がなく、バソトシンが下垂体において未知の重要な機能を担う可能性がある。ゾウギンザメゲノムからは既知V2Rに相同な受容体は発見できなかったが、以上の結果から、神経葉ホルモンが軟骨魚類の体液調節に直接的または間接的に関与する可能性が示唆された。

本研究により、軟骨魚類の体内では、肝臓、筋肉、腎臓、鰓といった多くの器官が尿素の合成や保持に関わり、それらが複雑に連携して働くことで、環境に応じて体内尿素濃度を高度に調節していることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ジェネラルイントロダクション、本文3章とジェネラルディスカッションからなる。ジェネラルイントロダクションでは軟骨魚類の生理学、特に尿素を用いる体液調節と海洋環境への適応について、本研究の背景、目的と必要性、具体的な研究内容が記述されている。軟骨魚類は体内に高濃度の尿素を蓄積することで、体内の浸透圧を環境の海水よりもわずかに高く維持し、海洋という高い塩分・浸透圧環境でも脱水されることなく適応できる。この重要な浸透圧物質である尿素を体内に蓄積するため、積極的に尿素を産生すると同時に、尿素の損失を最小限に抑えると考えられている。論文提出者は、この尿素制御機構の全体像を明らかにすることを目的とし、尿素を合成・保持するシステムと、その調節機構に関する研究を行った。

本文の第1章では、腎臓での尿素再吸収機構について述べられている。軟骨魚類の腎臓は、生命活動による老廃物や過剰な二価イオンなどを尿として排出するが、その時に90%以上の尿素を原尿から再吸収して血液に戻している。このため腎臓は、軟骨魚類の体液調節の鍵となる器官である。軟骨魚類の腎臓を構成するネフロンは特殊な4回ループ構造をとるが、本研究ではドチザメを用い、ネフロンの最終分節である集合細管のみに尿素特異的な輸送体(UT)が局在することを確認した。さらに、ドチザメを異なる塩分環境に移行することで人為的に体内尿素濃度を変動させ、その際のUTの動態を解析した。その結果、体内の尿素濃度が低下する低塩分環境では集合細管の管腔膜上のUTがほぼ消失し、通常海水にサメを戻すと管腔膜上のUT量も回復することを発見した。UTのシグナル強度が血中尿素濃度と高い相関を示したことから、集合細管が尿素再吸収の場であり、管腔膜のUT存在量が尿素再吸収量を調節することが示唆された。軟骨魚類の腎臓は極めて複雑で、腎機能のメカニズムはほとんど何もわかっていなかった。尿素の再吸収の分子機構を明らかにした本研究は、大きくその理解を進めた意義深いものである。

本文の第2章では、尿素合成の変動について述べられている。第1章で使用したドチザメ個体を用いることで、尿素の合成と保持という尿素調節の全体像を明らかにしようとした研究であり、これまでの断片的な知見とは異なり、高く評価できる。まず、主要な尿素合成部位がこれまで知られている肝臓だけでなく、筋肉の貢献が大きいことを示した。さらに、血中の尿素濃度が低下する低塩分環境では、筋肉での尿素合成が低下することを発見した。今回の結果は筋肉での尿素合成が体内尿素濃度の維持に重要であることを示した初めての研究である。さらに本研究では、鰓が尿素を合成することも初めて示唆された。軟骨魚類の鰓は、尿素とアンモニアの透過性が低いことが知られていたが、鰓に存在する尿素合成系がアンモニアをトラップして尿素に変換して体内に戻すことで、限られた窒素源を有効に活用していることが示唆された。第1章の結果ともあわせて、軟骨魚類の体内では、肝臓、筋肉、腎臓、鰓といった多くの器官が尿素の合成と保持に関わり、それらが複雑に連携して働くことで、環境に応じて体内尿素濃度が適切に調節される、ということを本研究は示しており、統合的な観点からの研究は高く評価できる。

第3章では、尿素の合成や保持を制御する因子の解明に向けて研究が進められた。第1章で腎機能との関連が示唆されたバソトシンというホルモンに着目し、その受容体を同定し、発現部位を調べた。軟骨魚類で唯一、部分的ではあるがゲノムデータベースが公開されているゾウギンザメという種に注目したことが、大きく研究を発展させたと評価できる。これまでに知られている2種類の受容体に加えて、ゾウギンザメから全く新しいタイプの受容体を得た。この新しい受容体が硬骨魚類から鳥類までにも存在することを、バイオインフォマティクス、シンテニー解析、受容体の機能解析など様々な手法で明らかにし、受容体の進化について新たなモデルを提唱した。この発見は、軟骨魚類だけでなく、今後脊椎動物全体でバソトシンの新たな役割の発見にもつながる重要な成果である。

ジェネラルディスカッションでは、軟骨魚類における尿素の合成と保持、さらにはその制御機構について、統合的な観点から考察し、明解にまとめられている。

なお、本論文の第1章は高木と兵藤、第2章は兵藤、第3章は海谷、今野、岩田、宮里、内山、Bell、Toop、Donald、Brenner、Venkatesh、兵藤との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験と解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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