学位論文要旨



No 127847
著者(漢字) 岡島,有規
著者(英字)
著者(カナ) オカジマ,ユウキ
標題(和) 気孔の応答性を考慮した包括的な個葉エネルギー収支モデルの構築と評価
標題(洋) Construction and evaluation of a comprehensive leaf energy balance model incorporating realistic stomatal behavior
報告番号 127847
報告番号 甲27847
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5850号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺島,一郎
 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 永田,俊
 東京大学 准教授 舘野,正樹
 東京大学 准教授 野口,航
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

自然界には多様な大きさの葉がある。葉が大きくなるほど、葉と大気との間に生じる摩擦力によって葉表面に留まる空気の層(境界層)は厚くなり、熱や物質の交換が妨げられる。そのため、葉の表面の環境は葉から十分に離れた外気の環境と乖離する。一方、葉の大きさが無限小であれば、境界層はなくなり、葉の表面環境は周囲の大気環境と等しくなる。Parkhurst & Loucks (1972)は、個葉のエネルギー収支モデルを用いて、水利用効率(光合成速度/蒸散速度)に及ぼす境界層の効果を理論的に解析し、「暖かく光が弱い環境においては大きな葉が、その他の環境では小さな葉が適している」という結論を得た。この研究は、葉の大きさの多様性を環境への適応の結果として理論的に説明した点で高く評価できる。しかし、「平均気温が低い環境ほど大きな葉が見られる」などの、現実の葉の大きさに見られる傾向は説明できない。この原因は、彼らの研究で採用された、(1)ガス交換速度に影響する気孔をほぼ閉じていると見做す、(2)光合成の光・温度依存性は考慮しない、(3)水利用効率だけを評価関数として扱う、などの前提条件に問題があったためかも知れない。

本研究では、(1)、(2)の問題点を含まない、個葉のエネルギー収支に気孔の環境応答や光合成速度の光・温度依存性のサブモデルを内包した新しい数理モデルを構築した。また、(3)に関しては、水利用効率に加えて光合成速度も評価し、それらをもとに環境と葉の大きさとの関係を解析した。

2. 気孔サブモデルの検討(研究1)

包括的なモデルに用いたサブモデルの中で、エネルギー収支モデルや光合成モデルは、物理学的・生理学的なメカニズムに基づいたものである。一方、気孔モデル(Leuning, 1995)は経験的なモデルである。この気孔モデルでは、光合成CO2固定速度(An)がパラメータとして用いられている。しかし、Anが直接、気孔開閉に影響を与えるメカニズムは明らかになっていない。そのため、(i) 気孔が開いているからAnが高くなるのか、(ii) Anが高いことが気孔を開かせるのか、という因果関係は明らかではない。そこで私は、タバコ(Nicotiana tabacum 'Wisconsin38')の展開葉を用いて、気孔開閉に影響を与える光強度、葉内CO2濃度(ci)、飽和水蒸気圧差(VPD)を一定にした条件で、Anのみを変えることによって、(ii)の仮説を検証した。具体的には、CO2固定酵素RubiscoにおいてCO2と競合的に作用するO2の濃度を変えて、気孔開度の指標である気孔コンダクタンス(gvs)と光合成速度との関係を解析した。青色光が青色光受容体フォトトロピンを介して気孔開口を促すことが知られているので、青色光を含むメタルハライド光源と赤色LED光源の両者を用いた。

ciを150 ppmに固定した条件では、O2濃度が高くなるほどAnは低下した(図1a)。gvsはAnの低下に連動して低下するわけではなく、Anとgvsの間に相関は見られなかった(図1b)。この結果、(ii)の高いAnそれ自体が気孔を開かせるという仮説は否定された。このとき、光合成電子伝達速度(J)とgvsの間には正の相関が見られた(図1c, r = 0.632, P < 0.01)。

そこで、従来のLeuningの気孔モデルと、Anの代わりにJを、葉表面CO2濃度(cs)やCO2補償点(Γ)の代わりにciをパラメータとするモデルとで、gvsに対する説明変数としての優劣を比較した。しかし、両モデルともgvsとの間に統計的に有意な相関を持ち、相関係数の間に統計的に有意な差は確認できなかった(図2)。Leuningの気孔モデル中のAnは、それ自体では気孔の振舞いをよく表すパラメータとは言えないが、(cs-Γ)を分母に持つことによって高い精度を実現していることが分かった。

3. 改良したエネルギー収支モデルを用いた外部環境と葉の大きさとの関係の評価(研究2)

葉へ光が入射する際、大きな葉では境界層が厚く熱が籠りやすいために、葉温は気温よりも高くなるが、葉のサイズが小さくなるにつれ葉温は気温に近づく。そのため、葉の大きさと気温との関係を考える際に、Anの温度依存性は重要な要素となる(図3)。気温が光合成最適温度に近い温暖な環境では、境界層の薄い小さい葉でcsは高く、葉温は最適温度に近づく。そのため、小さな葉の方が大きな葉よりもAnが高くなる。しかし、気温が光合成最適温度よりも低い冷涼な環境では、小さい葉ではcsは高いが、葉温は光合成最適温度まで十分上昇できない。一方、境界層の厚い大きな葉ではcsは低いが、葉温が光合成最適温度に近づく。そのため、小さな葉と大きな葉のどちらでAnが高くなるかは、定性的な考察からは判別できない。

そこで、私は光合成モデルと気孔モデルを内包させた個葉のエネルギー収支モデルを構築した。光合成モデルとしては、生化学に立脚したFarquharモデル(1980)に生育温度馴化の項を組み込んだ数理モデル(Kattge & Knorr, 2007)を、気孔モデルとしては、広く使われているLeuningモデルを用いて、数値計算によってこれらのモデルを全て満たす解を求めた。また、乾燥ストレス環境で有効な指標となり得る水利用効率だけでなく、実際に植物の成長に欠かせないCO2同化を表すAnも評価関数として用い、それぞれを定量的に評価した。

葉の大きさに対するAnや水利用効率を解析するため、葉の大きさと風速とを軸にして、2つの評価関数を等高線図で表現した(図4)。温暖で明るい環境では予想された通り、小さい葉ほどAnが大きくなった(図4b)。一方、冷涼で明るい環境では、葉が極めて小さい場合にAnが低下するという結果になった(図4a, b)。これは、大きな葉の厚い境界層による葉温の上昇がもたらすAnの上昇が、葉表面CO2濃度の低下によるAnの低下を補償したことによる。短波放射が250 W m(-2)以下の環境では、葉の大きさによる光合成速度の差は見られなかった(図4b)。また、水利用効率は、冷涼で短波放射が250 W m(-2)以下の環境において、大きな葉で高くなった。温暖で明るい環境では小さな葉ほど水利用効率が高くなった。その他の環境では葉の大きさによる水利用効率の差は見らなかった(図4c)。

今回の結果が一般性を持つかどうかを調べるために、北米(北緯25°西経70°~北緯45°西経85°、年平均気温5.6~25.8°C)の樹木について葉の特徴や環境変数を調べたRoyer et al.(2005)のデータを用いて解析した。サンプル数の多かった6属のデータを用いて、年平均気温に対して葉面積をプロットした。冷涼な環境では大小様々な大きさの葉を持ち、温暖な環境では小さな葉しか持たないという、本研究の結果と合致する傾向が確認された(図5)。

4. まとめと展望

研究1により、Anそれ自体が気孔の開閉に影響を与えることはなく、Jの方がその可能性が高いことが明らかになった。一方で、Anをパラメータとして分子に持つLeuningの気孔モデルでは分母(cs-Γ)との組み合わせによって、高い精度が実現されていることが分かった。

研究2では、改良したエネルギー収支モデルを用いて、温暖な環境とは異なり、冷涼な環境においては、大きい葉でもAnは低下しないことを示した。これにより、従来のモデルの結果では説明できなかった、「温暖な環境では見られない大きな葉が冷涼な環境で見られる」という傾向は、エネルギー収支の視点からも理に適っていることが示された。

図1 ciが一定のときの、(a) AnとO2との関係、(b) gvsとAnとの関係、(c) gvsとJとの関係。

黒:メタルハライド光源、赤:赤色LED光源、を用いた測定結果

図2 (a) Leuningの気孔モデル(1995)と、(b) Jとciを変数としたモデルとgvsとの関係。

csは葉表面CO2濃度、ΓはCO2補償点、D0は定数(1.5)

図3 温暖な環境(気温30℃、赤色)と冷涼な環境(気温10℃、青色)における、境界層の熱コンダクタンスに対する葉温(実線)と葉温に対する光合成速度(破線)。

生育温度(30°C、10°C)への馴化のため、光合成のピークは異なる。風速が一定ならば、境界層の熱コンダクタンスが大きいほど、小さい葉を意味する。

図4 葉の大きさと風速に対するAnと水利用効率。

(a) 葉の大きさと風速に対してAnをプロットした等高線図の一例(短波放射:1000 W m(-2) 気温:10°C) (b) 各気温、短波放射に対する光合成速度(c) 各気温、短波放射に対する水利用効率

図5 北米(北緯25°西経70°~北緯45°西経85°)における、年平均気温に対する樹木の葉面積。

年平均気温が低いと小さな葉から大きな葉まで様々な大きさになるが、年平均気温が高いと小さな葉しか見られない。各点は異なる葉に対するデータを示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。第1章はイントロダクションであり、個葉に適用されるエネルギー収支モデル、生化学的・熱力学的な根拠に基づく光合成モデル、植物の気孔の環境応答に関する知見が、第2章では経験的な気孔モデルのパラメータに対する妥当性の評価が、第3章ではエネルギー収支式から推定される最適な葉のサイズが、第4章では本研究の成果が包括的に考察され、研究成果の応用面への展開の可能性が述べられている。

第2章では、経験的な気孔コンダクタンスモデルでパラメータとして広く用いられる光合成CO2同化速度の、パラメータとしての妥当性を評価した。これまで、光合成CO2同化速度と気孔コンダクタンスが同調的に変動する現象は知られていたが、具体的なメカニズムは明らかになっておらず、光合成CO2同化速度が気孔開口を促すか否かについては研究者によって意見が分かれる所であった。この問題を解決するために、O2濃度を自由に変えることで、気孔の開閉に影響を与える光強度や葉内CO2濃度を一定に保ったまま、光合成CO2同化速度だけを変え、気孔コンダクタンスを測定するシステムを構築した。タバコを用いた解析により、O2濃度の上昇に伴う光合成CO2同化速度の減少は見られたが、同調的な気孔コンダクタンスの低下は確認されなかった。この結果から、光合成CO2同化速度が直接的に気孔開閉を制御しているのではないことが明らかになった。また、光合成電子伝達速度と気孔コンダクタンスの間に正の相関が見られた。気孔モデル内でパラメータとして用いられている光合成CO2同化速度を光合成電子伝達速度に置き換えた際は、どちらでも高い精度で気孔コンダクタンスのふるまいを表現できた。これらの結果から、光合成電子伝達速度が、気孔コンダクタンスモデルの新たなパラメータとなり得る可能性が示唆された。

第3章では、個葉のエネルギー収支モデルを解き、異なる光条件・温度条件において、光合成CO2同化速度と水利用効率を評価関数として最適な葉のサイズを求めた。先行研究では、暗くて暖かな環境では葉が大きくなるほど水利用効率が良くなり、その他の環境では葉は小さくなるほど水利用効率が良くなるという結論が導かれていた。しかし、現実には気温が低くなるほど大きな葉が見られるという観察結果が数多く報告されている。そこで、個葉エネルギー収支モデルを解く際に、光合成の光・温度依存性を考慮して、「冷涼な環境で大きな葉が小さな葉に比べて不利にならない」ことの理論的な裏付けを行うことをめざした。そのために、個葉エネルギー収支モデル、気孔モデル、光合成モデルを連立させて定量的に解いた。その際、境界層が層流か乱流か、対流の形式が強制対流か自由対流か、にも留意したことで、先行研究に比べて大幅に現実的なモデルとなった。大気と葉との間の摩擦力が大きいために境界層が厚くなる大きな葉では、境界層が薄い小さな葉に比べて、熱や物質交換が起こりづらい。そのため、光合成の基質であるCO2が、大きな葉の表面では小さな葉に比べて減少する。同時に、熱がこもることで葉温が気温よりも高温に達する。葉の光合成最適気温よりも気温が十分に低い冷涼な環境において、光照射時の葉温上昇が光合成CO2同化速度の増加にどの程度寄与するかを定量的に求めた。その結果、大きな葉と小さな葉で、光合成CO2同化速度はほぼ同程度になると予測され、葉の大小による差は確認されなかった。この結果は、葉表面CO2濃度の減少による光合成CO2固定速度の低下が、葉温が光合成最適温度に近づくことで十分に補償され得ることを意味する。また、水利用効率については、冷涼な環境ではむしろ大きな葉の方が有利となることが示された。冷涼な環境では大きな葉と小さな葉のどちらも存在し、温暖な環境では小さな葉しかできない、という観察結果が、エネルギー収支の観点からも妥当であることが明らかになった。

このような研究を遂行するためには数理的能力と実験生物学の素養がともに必要とされる。論文提出者がこの難題に挑み画期的な成果を上げた点は、大きな成果である。

なお、本論文の第2章は寺島一郎と、第3章は寺島一郎、野口航と種子田春彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究計画を行い、実施したものであり、そのほとんどが論文提出者の寄与によるものであると判断される。

したがって、博士(理学)の学位を授与すると認める。

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