No | 127851 | |
著者(漢字) | 佐藤,朗 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | サトウ,アキラ | |
標題(和) | 発生過程のゼブラフィッシュ側線神経細胞集団にみられる表現型・遺伝子発現の多様性の単一細胞解析 | |
標題(洋) | Single-cell analysis of phenotypic and molecular heterogeneity in the developing lateral line system of zebrafish | |
報告番号 | 127851 | |
報告番号 | 甲27851 | |
学位授与日 | 2012.03.22 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5854号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | <序論> 神経系は形態・神経接続・応答性などの異なる多様な細胞によって構成されており、このような多様性が生じることは機能的な神経組織の形成に必須である。例えば、近接した神経細胞同士は非常に似た性質を持つが、それぞれ異なる細胞と接続しており、均一な集団ではない。しかし、細胞レベルの違いがどのように生じ、機能的な神経系の形成にどのように寄与しているかは、ほとんどわかっていない。その最大の原因として、一般的に神経系は膨大な数の細胞によって構成されていること、そしてそれらが非常に複雑な回路を形成していることが挙げられる。そこで本研究では、細胞数が少なく単純な構造を持つゼブラフィッシュ側線神経系に注目し、神経細胞集団内の多様性を定量的に解析した。 側線は水流を感知する器官で、群形成や捕食者の感知など様々な行動に重要な役割を果たす。ゼブラフィッシュ稚魚の側線は主に感丘(感覚受容器)と神経細胞で構成される。その発生過程では、まず受精22時間後に頭部において前駆組織が側線原基(感丘の前駆細胞集団)と神経細胞集団に分化する。その後、側線原基は後方へ移動を開始し、側線神経の軸索は原基と共に伸長する。移動途中で原基の一部は移動を停止し、感丘へと分化する。この過程を繰り返すことで、受精48時間後には6~8個の感丘とそこに接続する神経細胞を持った初期側線が形成される。本研究では、一見均一な神経細胞集団が軸索を伸長させ、初期側線の神経回路を形成する受精後22~48時間に注目し、(1)単一神経細胞の表現型(軸索伸長速度と形態)(2)単一神経細胞の遺伝子発現量(3)初期側線の神経回路の3点を解析した。 <結果> 1. 初期側線形成過程における単一神経細胞の振る舞い 側線神経細胞をランダムに標識するため、蛍光タンパク質をコードしたDNAコンストラクトを1~2細胞期に顕微注入し、モザイク胚を作製した。単一の側線神経細胞が標識された多数の個体を経時観察した結果、側線神経の伸長過程における振る舞いは細胞毎に大きく異なることがわかった。側線系では軸索の伸長に側線原基の移動が必須であることが知られているが、実際に側線原基と接触しながら伸長する細胞は全体の3分の1程度しか存在しておらず、残りの細胞は遅れて軸索を伸長させていた。次に、先行する神経細胞集団をLeader、後続の集団をFollowerと分類し、その振る舞いを詳細に解析した。その結果、Leaderの軸索伸長速度はFollowerよりも有意に速いことがわかった(Leader: 80 ± 7.6 μm/h, Follower: 32 ± 11 μm/h)。さらに成長円錐の形態はLeaderの方が有意に複雑であった。以上の結果から、側線神経の細胞集団内には軸索伸長過程で既に多様性が生じており、特にLeader, Followerという表現型の大きく異なる集団に分類できることが明らかになった。また、Leaderの細胞体は受精後32時間胚において側線神経節の背側に多く存在することを、光変換型蛍光タンパク質Kaedeを発現する系統を用いた逆行性標識によって明らかにした。 2. 側線神経の細胞集団における遺伝子発現量の多様性 単一細胞の観察により明らかになった表現型の多様性、特にLeader, Followerという大きな違いは、遺伝子発現量の違いによって制御されている可能性が考えられる。側線神経節内での遺伝子発現の多様性を調べるため、ゼブラフィッシュ単一神経細胞の遺伝子発現解析法を確立した。この解析法では、まず側線神経でGFPを発現する系統を用いて目的の細胞を単離・回収する。そして単一細胞に含まれるmRNAを逆転写した後、量比を保ったまま増幅してcDNAライブラリを作製し、そこに含まれる各遺伝子のcDNA量をreal-time PCRによって定量する。本研究では初めに、バッファーに加えた外部標準遺伝子を定量し、本解析法が高い再現性と定量性を示すことを確認した。 この方法を用いて9種の遺伝子(ハウスキーピング遺伝子3種: ppia, rps18, β-actin、側線神経のマーカー遺伝子2種: egfp, stathmin 1b、神経分化と神経細胞のマーカー遺伝子4種: nestin, ngn1, neurod, elavl3)の発現量を定量した結果、一部の遺伝子の発現量は側線神経節内で不均一であった。発現量の集団内分布(ばらつき具合)は遺伝子毎に異なっており、特にβ-actinとneurodにおいて集団内分布の大きさが顕著であった。 続いて、表現型が顕著に違うLeader, Followerの2集団について遺伝子発現量を比較した。このために、モザイク胚作製による単一細胞標識と遺伝子発現解析を組み合わせて行った。上記の9種の遺伝子についてLeader, Follower間での発現量を比較した結果、Leaderでβ-actinとneurodの発現量が有意に高いことがわかった。neurodの発現パターンを蛍光in situ hybridization法で確認すると、神経節の背側で強く発現していた。この結果は、Leaderが背側に多く存在するという上述の観察事実と一致する。加えて、LeaderとFollowerが形態的に分化する前(受精後22時間:側線原基の移動開始直前)にこれらの遺伝子の発現量を調べたところ、neurod発現量のばらつきは分化前から大きかった。一方でβ-actin発現量のばらつきは分化に伴って有意に増加していた。以上の結果から、発生初期の側線神経節内においてneurod発現量の高い細胞がLeaderへと分化し、低い細胞がFollowerへと分化することが強く示唆された。この可能性を検証するため、単一の側線神経細胞でneurodを過剰発現させたモザイク胚を作製し、過剰発現細胞がLeaderへと分化するかどうかを調べた。その結果、neurod過剰発現細胞はLeaderへと分化する傾向が強く見られ、先の仮説は支持された。 3. Leader, Followerが形成する初期側線の神経回路構造 最後に、遺伝子発現の多様性によって側線神経の小さな細胞集団に生じるLeader, Followerの2つの集団が側線系の発生と機能にどのように寄与するかを明らかにするため、神経回路の構造を解析した。側線系の神経回路は非常にシンプルであるが、トポグラフィックマップ(細胞体と接続先の位置的な相関)と呼ばれる多くの神経系に共通する機能的に重要な構造を持つことが発生後期(受精後6日胚)において知られていた。そこで本研究ではこのトポグラフィックな回路構造に注目し、初期側線の形成直後(受精後2~3日胚)において「(神経節における)細胞体の位置」と「接続する感丘の位置」を調べた。まず逆行性標識によって回路構造を調べると、初期側線の形成直後にはすでに不完全ながらもトポグラフィックな構造が形成されていることがわかった。しかし、モザイク胚を用いて単一細胞レベルで調べたところ、Leaderは細胞体の位置に関わらず後方の感丘に接続しており、トポグラフィックな構造は見られなかった。この接続傾向は、Leader細胞の軸索がFollowerの足場として機能している可能性を示唆している。一方でFollower細胞においては、「細胞体の位置」と「接続する感丘の位置」との間に相関が見られ、トポグラフィックな構造が形成されていた。以上の結果は、トポグラフィックな回路構造は初期側線の形成過程でFollower細胞によって形成されることを示している。 <結論> 本研究では、均一に見える細胞集団内に表現型の多様性が生じて機能的な神経系を形成する過程を、系全体にわたる単一細胞解析によって明らかにした。さらに、単一細胞における遺伝子発現の定量的な解析法を確立することで、表現型の多様化を引き起こす遺伝子発現量の多様性に関する知見も得ることができた。本研究で得られた結果より、私は以下のような側線神経系の形成メカニズムを提唱する(図1)。軸索伸長を開始する前の側線神経節内にはneurod発現の量的なばらつきが生じており、発現量の高い細胞では軸索伸長が促進される(図1A)。その結果、neurod発現の高い細胞の軸索が側線原基と接触し、Leaderとして伸長する(図1B, C)。Leaderは側線原基と共に尾部まで伸長し、Followerの伸長のための足場として機能する。一方、neurod発現の低かった細胞はFollowerとして、Leader細胞の軸索上をゆっくりと伸長する(図1C)。Followerは細胞体の位置に応じた標的感丘を何らかの方法で感知し接続することにより、トポグラフィックな回路構造を形成する(図1D)。 今後の展望として、neurod発現の多様性を生み出す要因(外部要因の変動か、あるいは内因的な遺伝子発現のゆらぎか)のライブイメージングによる解明が期待される。また、網羅的な発現解析により、神経細胞集団の多様性を生み出すneurod以外の遺伝子、そしてFollowerがトポグラフィックな構造を作るメカニズムの一端が明らかになると考えられる。 図1. 側線神経回路の形成過程のモデル図 A: 初期の側線神経節内にneurod発現量の多様性が生じる. B: neurod発現量の高い細胞はLeader(水色)に分化し、側線原基と共に伸長する. C: 残りの神経細胞はFollower(オレンジ)としてLeaderの軸索上を伸長する. D: Leaderは後方まで伸長を続け、Followerは細胞体の位置に応じて接続しトポグラフィックな構造を形成する. | |
審査要旨 | 神経組織の正常な機能には、多様な神経細胞が作る秩序立った回路構造が必須である。特に本論文では、均一に見える神経細胞の集団内にも、細胞レベルでの違いが存在する点に注目している。このような細胞レベルの多様性は神経系の発生や機能に重要な役割を果たすと考えられるが、多くの神経系では複雑さが障壁となり、これまでほとんど研究されてこなかった。 本論文では単純な構造のゼブラフィッシュ側線神経系を用いることで、細胞表現型および遺伝子発現量の単一細胞解析を可能にした。側線系は構成する細胞数が少ない(20~30個程度)ため、他の神経系では困難であった系全体にわたる単一神経細胞解析を行うことができる。これにより本論文は、軸索伸長過程の側線神経の振る舞いが細胞毎に大きく異なることを示した。さらに、振る舞いの違いが顕著な2つのサブタイプを同定し、両者の遺伝子発現量の違いを明らかにした。また、遺伝子発現の操作や網羅的な解析を行い、多様性が生じる機構に関しても考察している。 本論文は3章立てで構成されている。第一章では、側線の形成過程における単一神経細胞の振る舞いを解析している。側線神経の軸索は側線原基に先導されることが知られていたが、解析の結果、個々の神経軸索の振る舞いは非常に多様で、側線原基と接触しながら伸長する神経細胞は全体の1/3程度しか存在しないことがわかった。また、側線原基との接触の有無によってLeader(原基と共に伸長)とFollower(Leaderの軸索上を伸長)に分類して比較すると、両者の間で軸索の伸長速度、成長円錐の形態に有意な違いがみられた。このような表現型の大きな違いから、2つのサブタイプは神経回路形成や感覚情報処理において、異なる役割を果たしている可能性が考えられる。 表現型の多様性を生み出す機構の解明を目的として、第二章では遺伝子発現量の単一細胞解析を行っている。まず9種の遺伝子(ハウスキーピング遺伝子、神経分化マーカー遺伝子など)の発現量を調べた結果、一部の遺伝子では発現量が細胞毎に大きく異なっており、側線神経細胞は遺伝子発現量に関しても多様であることが示された。続いて、遺伝子発現量をサブタイプ間で比較するため、単一細胞標識法と遺伝子発現解析を組み合わせて行った結果、Leaderではneurodとβ-actinの発現が強いことがわかった。加えて側線発生の初期からneurod発現量は多様であったことから、neurod発現量によって細胞のサブタイプが決定されることが予想され、neurod過剰発現実験によりこの仮説は支持された。以上の結果から、初期の細胞集団におけるneurod発現量の多様性が、表現型の多様性の要因となっていることが強く示唆された。 さらに本論文では、遺伝子発現量の多様性の全体像を理解するため、網羅的な発現解析も行っている。これによりneurod発現量の多様性への外的な要因(他の遺伝子による発現制御など)の寄与度が相対的に小さいことが示唆された。また、網羅的解析により発現量の多様性が大きい遺伝子が明らかになったため、今後の機能解析により、表現型の多様化の詳細な機構が明らかになることが期待される。 第三章では、Leader, Followerが側線系全体の発生と機能にどのように寄与するかを明らかにするため、神経回路の構造を解析している。側線系では、トポグラフィックマップと呼ばれる多くの神経系に共通する機能的に重要な構造の存在が知られていた。本論文では単一細胞解析により、(1)Leaderは細胞体の位置に関わらず後方まで伸長すること、(2)Followerはトポグラフィックマップを形成することを明らかにした。この結果は、2つの細胞集団が異なる機能(Leader: 後続の軸索のための足場、Follower: トポグラフィックマップを介した感覚情報処理)を持つ可能性を示唆している。 本研究は脊椎動物の神経系において、表現型と遺伝子発現の多様性を系全体にわたって明らかにした初めての例である。また、側線神経系の単純な構造に着目し、神経回路形成のモデル系として用いた点は独創的と言える。さらに単一細胞レベルで表現型と遺伝子発現を関連づける解析は、他の系にも応用可能であり、発生学、神経発生学に限らず様々な分野で新たな研究の可能性を広げるものとして高く評価できる。 なお、本論文は山口勝司氏、越田澄人氏、重信秀治氏、武田洋幸氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験を計画し、遂行したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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