学位論文要旨



No 127853
著者(漢字) 多田野,寛人
著者(英字)
著者(カナ) タダノ,ヒロト
標題(和) ミツバチにおける長鎖非翻訳性 RNA Nb-1の性状と発現、細胞内局在の解析
標題(洋) Characterization and analysis of expression and subcellular localization of the long non-coding RNA Nb-1 in the honeybee
報告番号 127853
報告番号 甲27853
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5856号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 赤坂,甲治
 東京大学 教授 塚谷,裕一
 東京大学 准教授 近藤,真理子
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I n t r o d u c t i o n

タンパク質をコードしない非翻訳性 RNA (ncRNA) は様々な生命現象に関与している [1]。これまでに、miRNA や piRNAといった 20-30 塩基程度の短鎖の ncRNA の他に、200 塩基以上の長さの長鎖の ncRNA が多数同定されている。近年の解析により、遺伝子量補償に関与する Xist RNA や、核内構造体の維持に必要な NEAT1 RNA など、一部の長鎖ncRNA の機能が明らかにされている [2,3]。また、高次な真核生物ほどゲノム中により多くの非翻訳性 DNA 領域を持つことから、真核生物の複雑性と ncRNA の種類数との関連が指摘されている [4]。従って、高次な生物の種特異的な形質の発現にユニークな長鎖 ncRNA が重要な役割を担う可能性があるが、これまでにそれが検証された例はほとんどない。

私が研究対象としているセイヨウミツバチ (Apis mellifera L.)は社会性昆虫であり、労働カーストである雌の働き蜂は、コロニー維持のための仕事を羽化後の日齢に応じて分担する(齡差分業、図1A)。若い働き蜂は巣内で幼虫の世話をし (育児蜂)、羽化後数週齢の働き蜂は巣外で花粉や花の蜜を採集する (採餌蜂)。修士課程において私は、働き蜂の齡差分業を制御する候補遺伝子として、採餌蜂より育児蜂の脳で強く発現する680 塩基程度の新規な長鎖 ncRNA 遺伝子、Nb-1(Nurse bee brain selective gene-1) を同定している (図1A)。働き蜂の脳内では Nb-1 は、分業への関与が示唆されているオクトパミン免疫陽性細胞や神経分泌細胞で発現することから、Nb-1 はこれらの細胞機能の制御を介して、齡差分業の調節に関わる可能性がある。また公開されているゲノムデータベースではNb-1 RNA と相同性のある塩基配列は他種では確認できなかったことから、Nb-1 はミツバチ固有な遺伝子であると考えられる。

博士課程において私は、Nb-1 RNA が、社会性を含めたミツバチの多彩な形質発現に関与する可能性を検証する目的で、ミツバチの分業や性差、発生、卵形成時における組織特異的発現や細胞内局在を解析し、Nb-1 RNA のミツバチにおける多彩な形質発現への関与の解明を目指した。

R e s u l t s

Nb-1 は働き蜂脳内では日齢依存に発現低下する

齡差分業は加齢に伴って分業が進行するため、Nb-1 脳内発現量の変動が働き蜂の日齢と行動のどちらと相関するのかは分からなかった。この点を解明するため、働き蜂の新成虫と女王蜂だけで構成されるコロニーを作出し、数日後に現れるほぼ同齡の「育児蜂」と「早熟な採餌蜂」を採集し、脳での遺伝子発現量を比較した。その結果、両者の脳内における Nb-1の発現量には統計的に有意な差が見られなかった (図1B)。このことから Nb-1 の脳内発現は、働き蜂の行動ではなく日齢依存に低下することが示唆された [6]。

発生段階に伴って Nb-1 は脳内で発現低下する

若い働き蜂の脳で Nb-1 が強く発現することから、羽化以前の発生段階ですでに発現していることが考えられた。そこで、働き蜂の幼虫期後期から羽化直前の蛹期の個体の脳から抽出したtotal RNA を用いてNorthern blot 解析を行い、発現量を比較した。その結果、幼虫や蛹の脳内でも成虫同様の約680 塩基の Nb-1 RNA が発現しており、その発現量は蛹期後期以降徐々に低下することが分かった。

次に、蛹期の脳のどの領域でNb-1 が発現しているのか調べるために、in situ hybridization 法 (ISH) を行った。その結果、成虫脳と比較して蛹脳ではNb-1 の発現は、昆虫脳の高次中枢であるキノコ体を含む、広範な領域の多数の細胞で観察された。ミツバチ成虫の脳構造の大部分は幼虫期から蛹期中期までに形成されることから、Nb-1 はこれらの脳構造の発達に関与する可能性が考えられた。

Nb-1 は蛹期脳内では増殖細胞で強く発現する

蛹期の脳では、キノコ体傘部中央部分で顕著な Nb-1 の発現が観察された。キノコ体は幼虫期から蛹期の中期にかけて神経芽細胞や神経母細胞が細胞増殖して形成される [5]。Nb-1がこれらの増殖細胞において発現するか検証するため、細胞増殖マーカーである5-bromo-2'-deoxyuridine (BrdU) を取り込ませた後、Nb-1 RNA に対する ISH と、BrdU に対する免疫組織化学を組み合わせた二重染色を行った。その結果、Nb-1 の発現は、BrdU により標識された核を持つ細胞内において観察された (図2A)。このことは、Nb-1 が発生段階において細胞増殖に寄与することを示唆している。

Nb-1 RNA は母性因子として卵内に蓄積される

Nb-1 は幼虫期の脳でも強く発現することから、より早い発生段階から発現している可能性が考えられた。そこで胚発生時における Nb-1 の発現をNorthern blot 解析により調べたところ、胚でも非常に強い Nb-1 RNA のシグナルが検出された。そこで、卵形成時に既に卵内に Nb-1 RNA が蓄積されている可能性を考え、次に女王蜂の卵巣におけるNb-1 の発現をISH により解析した。その結果、卵母細胞と保育細胞において Nb-1 発現が検出された一方で、ろ胞細胞においては発現がみられなかった (図2B)。このことから、Nb-1 RNA は母性因子として卵形成時に卵内に蓄積されることが示された。恐らくNb-1 は細胞増殖に関わるためミツバチの発生段全般を通して発現しており、発生が進むにつれ発現量が低下すると考えられる。

Nb-1 RNA の細胞内局在は単一細胞内で変化する

既知の長鎖 ncRNA の多くはその機能と関連した特徴的な細胞内局在を示す。例えば、Xist RNA は X 染色体全体を覆うように局在し、NEAT1 RNA はパラスペックルという核内構造体に局在する [2,3]。そこでNb-1 RNA の機能を推測する目的で、4',6-diamidino-2-phenylindole (DAPI) による核染色とNb-1 RNA に対する ISH による二重染色を行うことで、Nb-1RNA の細胞内局在を観察した。その結果、働き蜂成虫の脳切片上で近接する2つの発現細胞で、それぞれ異なる局在パターンが観察された (図3)。一つの発現細胞では核内に強くNb-1 RNA のシグナルが検出されたが、他方の細胞ではむしろ細胞質に強いシグナルが検出された。この局在パターンが細胞内で変化している可能性を検証するため、同定可能な発現細胞に着目し、2個体の働き蜂間で局在パターンを比較した。その結果、2個体間で異なる細胞内局在が検出された。従って、Nb-1 RNA の細胞内局在は単一細胞内で変化していることが示唆された [6]。

二本鎖 RNA 注入により、Nb-1 発現が抑制される

Nb-1 RNA は新規な ncRNA であり、生体機能については全く不明である。そこでNb-1 RNA の生体機能を明らかにするために私はRNAi を用いたNb-1 の発現抑制系の構築を目指した。巣から採集した産卵後1日目の卵にNb-1 RNA のほぼ全長に相応する二本鎖 RNA を注入し、一日後にtotal RNA を抽出し、Northern blot により解析した。その結果、コントロール・無処理のサンプルと比較して、Nb-1 の二本鎖 RNA を注入したサンプルでは Nb-1 RNA のバンド強度が弱くなり、また低分子側に複数のバンドが確認された (図4)。このことから、RNAi により内在性の Nb-1 RNA の一部が分解され、発現量が低下したと考えられた。

D i s c u s s i o n

本研究によりミツバチ固有な長鎖 ncRNA Nb-1 が、ミツバチ成虫の日齢・発生・卵形成時の発現に加えて、細胞内局在の変化など、多彩な発現・局在制御を受けることが明らかになった。このような性状を示す ncRNA は他生物種では報告されていないことから、その機能は社会性行動を含むミツバチの特異な生理・行動形質と密接に関わる可能性が考えられる。

Nb-1 RNA は卵形成時に母性因子として蓄積された後、胚発生期、蛹期、羽化後の成虫期という一生を通じて発現するが、発生・発育段階の進行に応じて発現低下することが判明した。恐らく、Nb-1 は発生期では細胞増殖の制御に関わる一方で、成虫期では日齢に基づく発現調節を受けて分業制御に働くなど、発生・成長段階に応じた生体制御に関与していると考えられる。特に、発生段階ではキノコ体の増殖細胞で強い発現が見られた。ミツバチのキノコ体は他の昆虫目に比べて大きく発達しており、社会性行動において重要な機能を果たしていることが予想されている。成虫における分業調節など、社会性行動を制御する神経構造の構築に Nb-1 が関与する可能性が考えられる。さらにNb-1 RNA はその細胞内局在が変化することで、随時的な機能発現をする可能性も考えられる。これらの性状は既知の ncRNA とは異なるものであり、ユニークな細胞内機能を担う可能性がある。今後は、構築した発現抑制系をもちいて、生体における Nb-1 RNA の機能を解明することが重要な課題であると考えられる。

1. Mattick, Bioessays 2 5 : 930-939 (2003)2. Brockdorff, Trends Genet 1 8 : 352-358 (2002)3. Clemson et al., Mol Cell 3 3 : 717-726 (2009)4. Taft et al., Bioessays 2 9 : 288-299 (2007)5. Farris et al., J Comp Neurol 4 1 4 : 97-113 (1999)6. Tadano et al., Insect Mol Biol 1 8 : 715-726 (2009)

図1 働き蜂の齡差分業と N b - 1 脳内発現量

(A) 働き蜂の分業に伴うNb-1 RNA の発現変動の模式図。

(B) 同齡の働き蜂脳内における Nb-1 発現量の比較。mean ± SD, n.s. : 有意差なし (Mann-Whitney's U-test)

図2 発生段階におけるN b - 1 の発現

(A) キノコ体の増殖細胞におけるNb-1 RNA の発現。蛹期のキノコ体傘部中央 (赤矢頭) で検出されたNb-1 RNA をマゼンタ、BrdU シグナルを緑で示す。Scale bar = 100 μm

(B) 卵形成時における Nb-1 の 発現。Nb-1 RNA をマゼンタ、核を緑で示す。Nc: 保育細胞、 Oo: 卵母細胞、 Fc: ろ胞細胞Scale bar = 200 μm

図3 N b- 1 R N A の細胞内局在

Nb-1 RNA をマゼンタ、核を青で示す。近接する2細胞でNb-1 RNA の局在が異なる。

Scale bar = 10 μm

図4 二本鎖R N A 注入によるN b - 1 発現の抑制

二本鎖Nb-1 RNA(dsNb-1)、二本鎖gfp mRNA (dsGFP) を注入した胚と無処理胚から、Nb-1 RNA とrRNA を検出した結果を示す。

審査要旨 要旨を表示する

近年、タンパク質をコードしない非翻訳性RNA(non-coding RNA; ncRNA)が様々な生命現象において重要な役割を担うことが報告されている。ncRNAには、miRNAやpiRNAなどの、主に翻訳制御に関わる短鎖RNA の他に、200 塩基以上の長鎖RNA が存在する。後者については遺伝子量補償に関わるXist RNA や核内構造体の維持に関わるNEAT1RNA 等、一部の機能が明らかにされている。一方で高等生物ほど、ゲノム全体に占める非翻訳性DNA 領域の割合が増えることから、高等生物の体制の複雑化とncRNA の多様性との関連も指摘されてきたが、長鎖ncRNA が高等生物の種固有な形質発現に関わるとの事例はこれまでに報告がない。

論文提出者は修士課程の研究において、社会性昆虫であるセイヨウミツバチの社会性行動を規定する分子・神経的基盤に関心をもち、働き蜂の育児から採餌への分業に伴い、脳で発現減少する新規ncRNA 遺伝子 Nb-1(Nurse bee brain selective gene-1)を同定した。Nb-1 RNA はミツバチ属にはホモログが存在するが、他昆虫種には存在せず、ミツバチ属昆虫に固有な生理や生態と関連した機能をもつと推測された。博士課程では、Nb-1 RNA のミツバチの発生段階(変態、胚発生、卵形成)や性特異的発現、細胞内局在を解析し、Nb-1 RNAがミツバチ属昆虫に特徴的な生理や生態と密接に連関した発現プロフィルを示すことを見出した。

本論文は4 章からなる。第1 章では、働き蜂脳での発現解析の結果、Nb-1 RNA は採餌蜂より育児蜂で強く発現し、分業を制御する神経分泌細胞選択的に発現することを見出した。さらにコロニーを操作し、同齢の働き蜂に育児と採餌を分業するよう強いた場合には、育児蜂と採餌蜂の脳でのNb-1 RNA の発現量に差がないことを見出した。このことから、分業に伴う働き蜂脳でのNb-1 RNA の発現減少は、働き蜂の役割ではなく加齢に原因することを示唆した。

第2 章では成虫期より前、即ち変態と胚発生、卵形成期での発現を調べている。その結果、Nb-1 RNA は変態期を通じて成虫期より強く脳で発現し、蛹の脳では神経分泌細胞に加えて、キノコ体(昆虫脳の高次中枢)などの増殖細胞で強く発現することが判明した。また、Nb-1 RNAは増殖細胞では細胞質、非増殖細胞では核に局在する傾向があった。さらに胚発生や卵形成期には蛹脳に比べて顕著に(蛹脳の数十倍程度)強い発現が観察された。卵形成過程では、哺育細胞から卵細胞へ母性因子が輸送され、卵細胞に母性因子が蓄積するが、Nb-1 RNA は、卵形成期に既に母性因子として大量に卵細胞に蓄積され、胚発生のごく初期に利用されると考えられた。

第3 章ではNb-1 RNA の性特異的発現が解析され、Nb-1 RNA が網膜の光受容細胞で雄蜂選択的に発現することが見出された。雄蜂は女王蜂との結婚飛行に使うため、顕著に発達した視覚系をもつが、Nb-1 RNA は雄蜂特異的視覚系の機能に関連する可能性が考えられた。

第4 章ではRNAi 法を用いて胚でのNb-1 RNA 発現を抑制し、Nb-1 RNA 抑制胚と無処理胚の遺伝子発現をマイクロアレイ法を用いて網羅的に比較し、その遺伝子発現様式の変化をGene ontology 法を用いて解析することで、Nb-1 RNA が種々の塩基配列特異的な転写因子の遺伝子発現に促進的に働く可能性を示唆した。

これらの結果を総合すると、Nb-1 RNA は、増殖細胞では細胞質に存在して細胞増殖を促進し、増殖が止むと核局在して細胞分化に必要な各種転写因子の遺伝子発現促進に関わる可能性が提示できる。成体になると雄蜂網膜の光受容細胞や、働き蜂脳の神経分泌細胞に局在することで、これらの神経機能制御に関わると推察される。このように卵形成期に大量に母性因子として発現し、性特異的、或いは日齢依存に発現変動するncRNA はこれまで報告が無い。また、その遺伝子発現プロフィルから、Nb-1 RNA の機能がミツバチ属昆虫に特徴的な生理や生態と密接に関連することが示唆された。以上、本研究では、従来のncRNA研究が報告していない、新規なncRNA を世界に先駆けて発見した。今後、ncRNA が生物種に特徴的な生理や生態の特徴付けに果たす役割を考える上で先導的知見と考えられ、社会生物学や分子(RNA)生物学の分野で高い学術的価値をもつ。

なお本論文の研究は、竹内秀明、山崎百合香、久保健雄(以上、東京大学)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験を計画し、遂行したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断できる。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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